06. 救いの手なのかどうかは微妙なところ
『シャチョウシツ、攻めちゃう(笑)?」など冗談めかして言ってはいたが、本当に突撃するつもりなどなかった。怒られなさそうなおじさんの部屋にささっと行って、ささっと撤収するつもりだったのだ。
要はチキンレースのピンポンダッシュのようなものだ。
「……社長室ですか……」
係長は低い声を出した。戸惑っているのだろう。居心地悪そうに足を動かした。
「部長、社長は只今不在でございます」
控えめに、でもはっきりとした声で話しかけてきた人がいる。
部長が振り向いた先にいたのは、おそらく秘書課の人だろう。『ザ・美人秘書』とばかりに頭の先からピンヒールの先までお手入れが行き届いているお姉さんが、妖艶に微笑んでいた。
「おお!」というどよめきが男性陣から上がった。
「チッ」という女性の低い舌打ちも聞こえてくる。
「おお、そうだったな。社長はLAに出張だった。すっかり最近忘れっぽくなってきてな。君が私の秘書に付いてくれたら助かるんだがな」
部長は鼻の下を伸ばしながらデレデレしている。
「わたくしは特別顧問付きですので」
美人秘書はおっとりと笑った。
『特別顧問』と言う言葉が出てきた途端、部長の肩がびくりと跳ねた。
「そっ、そうだったな。いや、私としたことが、失敬。……では私は急ぎの用があるからこれで失礼するよ。君たち、今後の活躍に期待しておるからな」
うわずった声で係長に話しかけると、部長はそそくさと去っていった。
「はて?」という空気が流れる。
「なあ、特別顧問なんているのか、うちの会社?」
男性陣が後ろの方で話している。
千夏も聞いたことがないが、役員だろうが特別顧問だろうが、下界フロアの住人には一生縁がない存在だから、ツチノコとかユニコーンと同じ扱いでいいだろう。
「あなたたち、せっかくだから特別顧問の部屋に行ってきなさい。廊下突き当たりの右角よ」
真っ赤なネイルが施された鋭い指で、美人秘書は特別顧問室を指した。断れない空気を感じて、一行はそちらへ向かうことにした。
◆◇◆◇
トントン
特別顧問室のドアを係長はノックした。
特別顧問室のドアには、これでもかというほどハロウィンのデコレーションが飾ってある。等身大の骸骨は電気仕掛けなのだろうか。体をゆっくりと揺らしながら、千夏たちを手招きしている。
千夏は骸骨と目が合った気がした。骸骨に目はないのだけど。窪んだ骨の奥が、きらりと光った気がするのだ。「なんだろう?」と思ってじっと見つめると、骸骨は頬を歪めて笑いかけてきた。
『いらっしゃい』
幾重にも声が重なったような音が千夏の頭の中に響いた。
「失礼します! ハロウィンのご訪問に伺いました!」
きちっと挨拶するところが、律儀な係長らしい。
しばらく待ってみるが、返事はない。
「うーん、留守じゃないっすか」
「でも秘書さんが行けって言ったんだから、いるんじゃないの?」
「まあ、美人は正義だしな」
「うちの係にも欲しいっすよね、美人秘書」
「そういう台詞は出世してから言え」
校長室の前でうろうろする学生のように、一行は立ち止まった。
係長はどうするべきか考えているようだ。表情がストンと落ちている。
これはいかん。
千夏は焦った。係長にハロウィンを楽しんでもらうことが、今回のイベントの要なのだ。最後にミッションがクリア出来なくて終わるなんて、後味が悪い。今後のイベントスケジュールにも影響が出かねない。
「入っていいと思います」
千夏ははっきりと言い切った。
係長が千夏を振り返って見る。
千夏はもう一度、「入っていいと思います」と繰り返した。
だって、さっき骸骨が『いらっしゃい』って言ってくれたし。
それにドアにも『ウェルカム』の札が下がってるし。
「……わかった。入るぞ」
しばらく千夏のことを見つめていた係長だが、低い声でそう言うとドアノブを押して中へ入っていった。千夏もそれに続く。
入り口で顔を見合わせていた同僚たちも、おずおずと入ってきた。
部屋の中は真っ暗だった。遮光カーテンかブラインドだろうか。街灯の光さえも通さない。ところどころにハロウィンの電飾が光っており、それを頼りに一行は中へと進んでいく。
「お疲れ様でーす! トリックオアトリートに参りましたー!」
出前お届けサービスのように声を上げたのは、三輪くんだ。こういう時には動じない性格が頼りになる。おそらく、なんかあったら係長に丸投げしようと思っているのであろうけど。
「うちの係長が、どぉーしてもトリックオアトリートをやりたいって言い出しましてね。あ、俺らはただの付き添いなんすけど」
やはり、やりやがったか、おぬし。
千夏は拳を握りしめた。
が、まあ確かに概ね合っている。係長がどうしてもやりたそうだったから、やってるんだし。
「ちなみにチョコレート系のお菓子は売れちゃいましたけど、今ならパイン飴がありますよー!」
なんと。やはり人気トップはチョコレートだったか。
カカオ豆の高騰で、チョコレートは品薄だと聞く。ああ、こんなところにもインフレの爪痕が。
千夏はぶるりと身を震わせた。インフレ連想で、久しぶりにきちんと確認した光熱費がバカ高くなっていたことを思い出したのだ。
もはや、ホラー。思わぬ伏兵に千夏はそれから三分ほど反省した。でもこれ以上どうにもならないだろう、と早々と諦めた。
だが身震いの原因は、『インフレ奇襲事件』のせいだけではない。この部屋、まるで外のように寒いのだ。しかも、結構歩いている気がするのに部屋の端に辿り着かない。特別顧問とやらは、よっぽど優遇されているのだろう。
……それなのに、エアコンは省エネ? その上、電気も消す徹底ぶり?




