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04. いざ、本番

「さ、行きましょう」

 パンと手を鳴らして号令をかけたのは、いつも頼りになるみゆき先輩だ。ぐだぐだになりがちな我が係をまとめてくれるありがたい存在だ。

 それとは別のカラーでヘタレな我が係を底上げしてくれるのは同僚の花梨だ。ゆるふわな見た目に反して、結構頑固で思い切ったことをする行動派だ。春から付き合っている彼氏とラブラブで、イケメンらしいと話には聞いていたが、本人を見て「いや、まじイケメンだね!」と思わず言ってしまったほど美形の彼だった。


 ちなみにみゆき先輩は我が国が世界に誇る某怪獣の着ぐるみ、花梨は飛脚だ。「ナースがいい!」という男どもの声をさらっと無視して、このチョイス。

 花梨に「なんで飛脚?」と聞いたら、「私足が遅いから早く走れる人に憧れているの」と返ってきた。

 みゆき先輩は「ときどき会社という組織を踏み潰したい気持ちに駆られるのよね」と憂を帯びた表情で語った。


 係長は文句を言うこともなく、先を歩いていく。千夏は、今は長いマントに隠されている係長の引き締まった臀部を見つめた。

 うちの実家の犬は、お尻を軽く叩くと恍惚とした表情を見せる。Mなのか。それとも構われるのが嬉しいのか。千夏は飼い犬のあの顔を見るのが好きだった。

 係長はどうだろう……


「トリックオアトリート!」

 女子の張り切った声が廊下に鳴り響いた。一度腹を括ったら、女の方が思い切りがいい。先頭(から二番。もちろん矢面に立ってもらうのは係長だ。主に上に怒られた時のために。)を切って、「トリックオアトリート!」と威勢よく廊下を練り歩く。もちろんお菓子をばら撒くことも忘れない。

 男たちはもじもじしている。オフィスでの勢いは鳴りをひそめ、借りてきた猫のように自分から動こうとしない。


「お前やれよ」

「なんだよ、押すなよ、お前いけよ」

「やだよ、おい、お前なんでこっそり奥に隠れてるんだよ、後輩は率先していくもんだろ」

 押し合いをする男性陣をよそに、女性陣は他のオフィスにまで入っていく。


「お疲れ様でーす! トリックオアトリート!」

「残業ご苦労様でーす! トリックオアトリート!」

 だんだんと神輿の掛け声のようになっていっている。


「えー、なにあの人たち」

「コスプレ? 会社で? やばくなーい?」

 こそこそと声が聞こえる。そこら中でカメラのシャッター音と、録画開始の音が鳴る。


 カシャ

 ピロン

 くすくす


 注目を集めるにつれて、だんだんと俯き出す男性陣。

「やべえ、マジで恥ずい。被り物にすればよかった……!」

 向井さんは少女のように頬を染めて両手で顔を覆った。

「誰も着ないなら」と張り切って着たメイド服のフリルがふわりと揺れた。体にぴったりとフィットする衣装は、既製品とは思えないクオリティの高さだ。


 そういえば、ストッキングの扱いにも慣れていたなと千夏は思い出した。「ああ、ストッキングは、つま先まで指で手繰り寄せてから履かないと伝線しちゃうよね」と言ってたっけ。

 向井さんはゲーマー兼Vチューバーだ。「俺、配信で注目されてるのには慣れてるから。こんなのヨユー」と粋がっていたのに。千夏が無言で見つめると、「顔出しありか無しかだと心構えが違うの!」とぷりぷりし出した。

 なるほど。

 少女の心を持っているらしい。

 千夏は励ますように無言で頷いた。それなのに、向井さんはなぜか悔しそうな顔をしている。繊細なお年頃なのかもしれない。中年だし。


「花梨ちゃん、かわいー!」

「ありがとー!」

 にこやかに、堂々と練り歩く女性陣。


 またこの係がなんか変なことやってるぞ、という目で見られるが、そんなものは気にも留めない(主に女性陣が)。節分以来、業績がうなぎ登りなのだ。来年はウチも豆まきすっか、という部署すらある。

「トリックオアトリート!」

 声をかけながらお菓子を配っていく。子どもも大人も、お菓子をもらったら嬉しいことには変わりないらしい。意外にも好意的に受け止められつつ、先に進む。


「係長も、どうぞ」

 ね、係長がやりたかったハロウィンだよ。嬉しい? 嬉しい?


 千夏は期待の眼差しで係長を見つめた。係長の手にお菓子をギュッと握らせる。

 係長は眉を顰めながらお菓子を受け取った。これも機嫌が悪いんじゃなくて、困っている顔だ。

 ああ、いい。

 千夏はうっとりとした顔になりそうなのを気合いで引き締めて、係長に「トリックオアトリート!」をするように促す。ちょうど廊下を通っていた社員を捕まえて、係長の前に差し出した。冷たい目をしたドラキュラに見下ろされて、新人だと思われる社員は「ひぃ」と息を呑んだ。


「……トリック」

 係長が一歩近づく。


「オア」

 また一歩。


「トリート」

 係長扮する拳を握りしめたドラキュラが、新人の手の届く位置までやってきた。新人はドラキュラの顔と、血管が浮いた拳を交互に見る。

「トリックオアトリート」

 ドラキュラは低い声でもう一度唸った。背の高いドラキュラの影が新人の顔を覆う。天井からの逆光で見る係長の顔は、いつもの二割り増しで威圧感がある。


「ほら、トリックかトリートかの、どちらかですよ」

 千夏が新人の耳元で優しく囁く。だが、新人の肩をしっかり掴まえたその手は、決して逃すまじとの決意が滲み出ている。

「へぇ!? いや、何、えっと、トリック! 違う! 待って! トリートで! トリートでお願いします!」

 新人は冷や汗をかきながら深々と腰を曲げた。ギュッと目をつぶってお願いする新人の顔に、ドラキュラは拳を突きつけた。顔の近くに風が吹いて、新人はひゅっと息を呑んだ。風とともに、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。新人は思わず目を開けた。


 ドラキュラがくるりと拳を返すと、中から出てきたのはチョコレート菓子。力みすぎて包装がくしゃっとなっているが、それもご愛嬌だ。

「さ、早く受け取って」

 千夏は戸惑う新人の横に立ってアシストする。

「あっ、ありがとうございましたあ!」

 お菓子をひったくると、新人は駆け足で逃げていった。


「係長、やりましたね!」

「成功っすよ!」

「よかったわねえ」

 部下から温かい励ましをもらって、係長は気恥ずかしそうにしている。顔は強張って無表情のままだが、目元がほんのり赤い。

 これ、係長の照れてる時の顔だから!

 千夏は誰に言うわけでもないが、心の中で胸を張った。

「さ、こうしてはいられない。次へ進むぞ」

 今ので自信がついたらしい係長は、キリッとした顔で宣言する。上司の一声に、部下の表情も引き締まる。

 おー! と掛け声を上げながら、一行は魔王城……もとい上役がいるフロアへと攻めていく。


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