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03. まずは形から入る系

 ◆◇◆◇


 定時のチャイムが鳴ると同時に、席に着いていた社員全員がおもむろに席を立った。いかにやる気がない職場とはいえ、誰も残業しないなんてことは滅多にない。


「お疲れ様です」とさも当然とばかりにオフィスを出ていく部下に、係長は少し戸惑っているようだ。申し訳ないと思いつつも、千夏も同僚たちの波に乗って足早に出ていく。ドアを出るところで、みゆき先輩に目で『お願いします』と合図する。みゆき先輩は、『任された』と力強い頷きを返してくれた。千夏に何か言おうとした係長を遮って、みゆき先輩は係長に話しかけた。

「係長、このプロジェクトなんですが――」


 後ろ髪を引かれつつ、千夏は更衣室へと急いだ。

 時間がない。早くしなければ。

 女子更衣室にはすでに同僚が数名いた。みんな急いで着替える。いつもとは勝手の違う衣装に戸惑いつつ、髪を整え、メイクを直し。

 いざ出陣だ。


「おおー! いいじゃん、いいじゃん! 女子、カワイイ!」

 オフィスに戻ってすぐに軽い褒め言葉を投げかけてきたのは、小池さんだ。筒状で寸胴な衣装は、頭から顔あたりまで茶色、その下は白色だ。足も白タイツ。顔には茶色のドーランを塗るという徹底ぶりだ。


 タバコのコスプレかな。小池さん、係長にタバコ休憩が長いって叱られたことまだ根に持ってるのかな。でもその勢いの良さは賞賛に値する。


「や、なんか、みんなガチで、俺むしろ浮いてない?」

 草野球のユニフォームを着てきたのは石野さんだ。草野球の試合で着ているものをそのまま持ってきたのだろう。一応、申し訳程度に野球少年漫画のような太眉にしてある。奥さんのアイライナーを借りたのだそうだ。


「いやあ、コスプレなんて初めてするから娘が張り切っちゃって」

 恥ずかしそうに(薄くなった)頭を掻いているのは最年長の鵜飼さんだ。ゲームのキャラだと思われるバトルスーツを着ている。

 ご丁寧に剣と盾もあるが、あれどうやって持ってきたんだろう。

 背広姿で作り物の剣と盾を持って出勤したであろう鵜飼さんを想像して、千夏は鵜飼さんの本気っぷりを見た気がする。娘さんがレイヤーだとのことで、決めポーズの指導も受けてきたらしい。


「おっさんたちの気合いっぷり、ウケる」

「まあまあ先輩、そんなこと言わずに」

 ドンキで売ってそうな怪獣の形をしたパジャマでてろっと現れたのは、いつまで経ってもうっかり発言がなくならない三輪くんと、しっかり者の嵐山くんだ。


 いきなりコスプレしてオフィスに戻ってきた部下を見て、係長は無表情で腕組みをしている。知らない人には係長が絶対零度の温度で怒っているように見えるだろうが、これは係長の『困ったなあ』サインの一つなのだ。

 かといって係長がまったく怒らない菩薩というわけでもない。係長が口を開く前に、千夏は係長にコスチュームを差し出した。

 コツは、腕組みしているその上に押し付けること。笑ったりしてはいけない。言葉をかけてもいけない。ただ淡々と、さも当然のように渡すのだ。


 係長はきょとんと瞬きしながら、コスチュームを受け取った。千夏は心の中でガッツポーズを決めた。

 いわゆる自宅訪問セールスマンの、『ドアの隙間につま先を突っ込め』と言うやつだ。一度受け入れてしまえば、後から拒否するのは難しい。

 コスチュームを受け取ってしまった係長は、つっ返すことはしないだろう。


 今回の作戦会議にあたり、千夏は係長のコスプレは包帯男がいいと言った。そしたらなんと、エロかよというツッコミが入ったのだ。「係長はすらっとしてるけどよ、腹は多分ビールっ腹だぞ、見たことないけど」だそうだ。


 違う、そうじゃないんだよ。お風呂入った後の犬ってさ、毛がペタッと体に張り付いてて、哀愁漂ってて可愛くない? 眉もいつもより下がっててさ、僕濡れちゃいました……みたいなの、可愛くない?

 そう捲し立てた千夏に、同僚は「分かった、分かった」と緩い返事を返してくる。

 ああ、係長愛が止まらない。


 包帯男がダメならと、係長のコスプレは無難にドラキュラにすることにした。スーツも暗い色だし、黒色の長いマントを着ればそれっぽく見えるだろう。係長は背も高いし、ハイネックのマントがよく似合いそうだ。

 千夏はもちろんコウモリだ。ドラキュラにコウモリは欠かせない。黒っぽい服を着て、背中にコウモリの羽を生やすだけの楽ちんコスプレだ。コウモリの羽は肩掛けのバンド仕様になっている。


「係長、どうぞ」

 千夏が係長を促す。その隙にコスプレ姿でみんなが係長を囲む。これが普通ですが何か? という堂々とした態度で。


 係長は流されやすい。みんなにほいほいと流されるのは、ここ最近のお約束のようになっている。というか、強く出られると流されてくれる。

 もちろん仕事では絶対にそんなことしない。毒舌も健在だ。毒舌っていうか……素直なんだろうな。思ったことをそのまま言う。でもそれ以外のことは、意外にフレキシブルなのだ。


「あ、ああ……」

 係長は変わり果てた姿になった部下をきょろきょろと見て、最後に千夏をチラチラと窺う。

 最後に頼ってくれるのが私だなんて嬉しい。係長の信頼を勝ち取るために今まで頑張ったのだ。頼って、係長。そしてもっと困った顔を見せて。


 千夏はにやけそうになる顔を引き締めて、「どうしたんですか?」小首を傾げた。ウチのオフィスはいつもこれやってますよ、という体だ。


 諦めたのか、係長がドラキュラマントを羽織った。パサっといい音がして、まるで本物のドラキュラのようだ。ここでニヤッとしてくれたら、ちょいワル係長ドラキュラの完成だ。

 牙も用意してあるが、それはもう少し慣れてからにしよう。

 千夏はポケットに忍ばせたドラキュラの牙をそっと撫でた。

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