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水滴の響く隣の部屋

掲載日:2025/08/12

「今日から一人暮らしだー!」


 大学を卒業し就職も決まった私は、初めての一人暮らしを始めた。

 両親に心配されたが、家事は問題なくできると強目に説得した。

 不安が無いと言えば嘘になるが、それよりも楽しみが大きい。


「荷物も全部出して段ボールを片付けないと…」


 部屋は3つ、トイレお風呂別、キッチンは同時に2人で使用可能な広さ。

 駅まで徒歩5分、近くにコンビニが2つ、職場までおおよそ30分以内に辿り着ける。

 マンションの一室でここまで条件のいい部屋を発見できた私はとても運が良い!

 その上家賃もとても安い!!都心の中央近くで月7万円なんて!!


「日頃の行いが良い私へのプレゼント!神様ありがとう!!」


 おっと、あまり騒いでいると隣の部屋の人に怒られるかも?

 今まで一軒家で過ごしていて怒ってくるのは家族だけだったから気をつけないと。

 そういえば、こういう時って挨拶しに行った方がいいのかな?

 引越しそばを渡す、漫画か何かで見たことあるような…


「う〜ん…でも今どき隣人と仲が良いなんて話聞かないよね?」


 テレビでも隣に誰が住んでるか知らないなんてよくある話って言ってたし。

 でもそれが原因で問題が起きたときに助けて貰えないのも困るし…


「とりあえず、引っ越しましたって顔を見せるのはアリかも?」





 ピンポ〜ン、チャイムを押すと古典的な音が聞こえた。

 少しして奥から誰かが歩いてくる音も聞こえる。

 思ったよりも壁が薄いのかもしれない。


「はい、どちら様ですか?」

「隣に引っ越してきました!」

「あ〜…そう」


 そういうと、顔をジロジロと見てきた。

 右隣に住んでいる人は男性で、少し不潔に見えた。


「で、いつ出ていくの?」

「え?」

「いつまでもここで暮らすわけじゃ無いんでしょ?」


 いきなり出ていく日を聞かれた、え?これって普通なの?


「えっと、引っ越したばかりなので…」


 そういうと、少し目を細めて睨むように見てくる。

 そのまま扉を閉めて、奥に戻っていった。

 想定外の対応に、少し困ってしまう。


「無理に仲良くならなくても…いいよね?」


 地元では知り合いは全員仲がよかったからその感覚でいたけど、都会ではそうじゃ無いのかも?

 まだ左隣の部屋があるし…こっちの人はいい人だといいな。





 ピンポ〜ン、チャイムの音は変わらないのかもしれない。

 少し待つけれど、誰かが出てくる様子はない。

 留守なのかもしれない。表札に名前はあるから空部屋ということはないだろう。


「また会えた時に挨拶すればいっか」


 流石に部屋を跨いで何部屋にも挨拶するのは少し違うと思い、自身の部屋に帰る。

 この日は荷物の中から重要なものだけを取り出し、一旦終えることにする。

 もう少ししたら晩御飯の時間、今まではお母さんが作っていたけれど今日からは自分で用意しないといけない。


「コンビニ近かったし、買い物に行こっと」


 鍵を閉めて買い物に向かう、買い物と言っても晩御飯を買うだけだ。

 今日はお弁当を買うけど、明日からは野菜やお肉を買って料理をしよう。

 二つのコンビニは非常に近くにあった、そしてどちらも同じコンビニだった。

 なんで二つあるんだろう?都会って不思議だ。


「品揃えが地元と全然違う…味も違うって言ってたっけ?」


 この日は健康を考えておにぎりとサラダを買って帰った。

 部屋に戻って食べた感想は「微妙」だった。

 今までの食事がいかに新鮮なものを食べていたのかを痛感した。

 食後の片付けを終えてお風呂に入る。

 あまり騒がしくすると聞こえそうなのでゆったり静かにお風呂に浸かる。

 ポチャンという音が聞こえた、まるで漫画みたいだと少し可笑しかった。





 布団で寝ていると、真夜中に目が覚めてしまった。

 どうも新しい部屋で少し緊張していたのかもしれない。


「トイレに行こ…」


 部屋の中は薄暗いが、カーテン越しの街の明かりで問題なく見える。

 ひょっとしたらこの明かりのせいで目が覚めたのかもしれない。

 トイレで用を済ませて水を流す、綺麗なトイレだな〜と眺めていると。

 ポチャン、どこからともなく水滴の音が聞こえた。


「あれ?蛇口閉めたよね?」


 念のためにお風呂や台所を確認する、どこも水は完全に止まっている。

 気のせいかと思い布団に戻るとポチャン、とまた水滴の音が聞こえた。


「この音…隣から?」


 布団に横になって聞こえた音は左隣の部屋から聞こえた。

 おそらくお風呂にでも入っているのかもしれない。


「水滴の音まで聞こえるなんて…この声も聞こえてるのかな?」


 流石にそこまで壁が薄いとは思えない、けれど水滴の音は聞こえている。

 隣の部屋の音なら問題ないと判断して、そのまま眠りについた。





「仕事疲れた〜」


 引っ越してから1ヶ月、仕事にだいぶ慣れてきた。

 最初こそわからないことが多く迷惑もかけたけど、質問やメモを駆使して覚えていった。

 同僚とも仲良くなり仕事もうまくいき先輩も優しい、職場に不満は何一つない。

 けど、いま住んでいる部屋には思うところがある。


「また聞こえる…」


 寝ようとした時、真夜中、早朝、夜の時間に水滴の落ちる音が聞こえる。

 窓が閉まっているか確認した、蛇口を全て確認した、耳栓も用意した。

 なのに聞こえる、睡眠の邪魔をするように音が響いている。

 ポチャン、ポチャンと聞こえ続ける。


「寝不足だよ…」


 頭から布団をかぶり、耳栓をして、その上から耳を塞ぐ。

 それでも聞こえてしまう。意識しないようにしても聞こえてしまう。

 日に日に寝不足になっていく私を見かねたのか、先輩が休むように言ってきた


「頑張ってるからね、疲れを十分に取りなさい」

「はい…すみません」


 本来なら有給はまだ使えないが、先輩が手を回してくれるらしい。

 けれどこれで数日間休むことができそうだ。

 お昼に少しでも寝ることができれば寝不足も解消されるだろう。


「こんなに長い休み、初めてかも…」


 働くようになってから土日以外は朝から夕方まで仕事。

 土日も掃除洗濯ゴミ集めだけでもほぼ1日使い、1週間分の買い出しに少し遠出するせいで休みとは?状態だった。

 けれど数日分の休みをもらえて、休むことに集中する日にした。


「お昼なら…大丈、夫…」


 眠気に負けてうとうとし始める。このまま夕方まで昼寝しよう…

 意識がだんだん薄れていき、全身の力も抜けていく。

 ちゃんとした睡眠は久しぶポチャン、え?

 目を開く、少しするとあの水滴の音がまた聞こえてくる。

 ポチャン、ポチャン…


「なんでよ!!!」


 つい声を荒げて叫んでしまう、慌てて口を押さえて静かにする。

 隣人に迷惑をかけてはいけない。たとえ迷惑を受けていてもだ。


「今なら居るってことですか?」


 いつもなら夜遅く、夜11時から朝4時ごろに聞こえる水滴の音が昼前の11時ごろに聞こえている。

 私と同じタイミングで休んでいるのかもしれない。


「苦情…の前に挨拶と水滴の音の質問しましょう」


 寝巻きを着替えて、玄関を開けて部屋を出た。





 左隣の隣人の部屋の前、チャイムを鳴らしてしばらく待っても誰も出てこない。

 けれど耳を澄ませるとポチャン、ポチャンと水滴の音が聞こえる。

 まさか昼寝している?あの水滴の音を響かせながら!?


「私が気にしすぎなのかな…」


 仮にこの部屋に住んでいる人が水滴の音を気にしていないとしても、私が気になっているのは問題なのだろうか?

 色々とモヤモヤしながらチャイムを数回鳴らす、けれど人の気配がない。

 咄嗟にドアを開けようとノブをつかむ。


「え?」


 ドアに鍵はかかっておらず、開いてしまった。

 隔てるものが減ったせいか、水滴の音がより鮮明に聞こえてくる。

 少し考えて、ドアを閉める。


「こんなに不用心な人が住んでいるなら…蛇口が緩くても仕方ない…ですよね」


 憤りに理由をつけて冷静になる。怒りを抑えるために相手が劣っていると思い込む。

 解決にはならないが、まだ我慢できそうだと部屋に戻る。

 その時、振り返った私が見たのは。

 右隣の隣人が扉の隙間から私を凝視する姿だった。


「きゃ!?」


 悲鳴をあげると、扉はすぐに閉まって右隣の隣人は引っ込んでしまった。

 まるで見張っているかのような光景に不気味なものを感じ、自身の部屋にさっさと戻る。

 結局、その日の夜も水滴の音は聞こえてきた。

 その上、右隣の隣人のあの視線も思い出してしまい余計に寝れなくなった。


「うぅ…せっかくの休みなのに…」


 このままでは本当に倒れるかもしれない。

 明日は左隣の隣人が帰ってくるか注意してみよう。





「どういうことなの?」


 寝不足のまま朝5時に起きてそのまま夕方の5時、つまり12時間ゆっくりとしながら隣人を待った。

 時折右隣の部屋から何か物音がすることはあったが、左隣からは水滴の音しかしない。

 その上で、誰かが来ることも誰かが出ていくことも、そもそも何かがいるような音が何一つない。

 まるで誰も住んでいないかのように物音は水滴の音しかしない。


「ひょっとして、誰も住んでいない?」


 表札があったけど、前の人の表札が残っているのかもしれない。

 だとしたらなぜ鍵が空いていたの?閉め忘れたまま?

 水滴もひょっとしてそのままってこと?


「大家さんに連絡した方がいいのかな?」


 空き部屋の水滴の音が原因で寝不足なんです、どうにかしてください!

 そんな訴えをしていいのだろうか?


「…そうだ、中に入れるのなら蛇口を閉めに行けばいいのでは?」


 不法侵入はダメだけど、蛇口を閉めに行くだけなら問題ないかもしれない。

 何か言われても水滴のことや鍵のことを正直に話せばいいと思うし…


「今も音が聞こえるし…早く閉めに行こう」


 ポチャン、ポチャンと耳に響く音を止めるために、私は隣の部屋へ行くことにした。

 すでに日は傾いて夕焼け空になっている。

 夜になる前にさっさと蛇口を閉めよう。





 水滴の音が響く左隣の部屋、相変わらず扉に鍵はかかっておらず簡単に玄関は開いた。

 中は薄暗く、夕焼けの日差しが差し込んでもはっきりと中を見ることはできそうにない。


「間取りは…私の部屋と反対になってる?」


 私の部屋は入ってすぐの扉が右にあり、そこがトイレだ。

 左隣の部屋は入ってすぐの扉が左にあり、おそらくそこにトイレがあるのだろう。

 中に少し入ったところでスイッチを押す、けれど明かりはつかない。

 誰もいないなら電気も通っていないのだろう。手に持っていたスマホの明かりをつける。


「水滴の音は…奥の部屋?」


 てっきりお風呂場で蛇口が緩んで水溜りでもできていると思った。

 けれどトイレもお風呂場も通りすぎてさらに奥、この先はおそらく寝室のはず…

 蛇口がないはずの寝室からポチャンという水滴の音が聞こえてくる。

 壁越しではない水滴の音は、はっきりと耳に聞こえてくる。


「雨漏り?でも雨降ってないし…」


 暗い廊下や部屋の中をスマホの明かりで照らしながら進んでいく。

 やはり誰も住んでいないのか家具が何一つない。

 明かりもつかず家具もないなら本当に誰も住んでいないのだろう。


「…あれ?」


 家具がないなら、なんで窓は全てカーテンで隠されてるんだろう?

 カーテンは備え付けだったかな?

 疑問を抱きながら一番奥の部屋にたどり着く。そこには水滴の音の原因があった。


 天井から紐が垂れている。まるで直接天井から生えているような太い紐だ。

 紐の先は丸い輪っか状になっており、人の頭なら簡単に通すことができそうだ。

 そしてその紐の表面を、液体が伝って床に滴り落ちてポチャン、ポチャンと音を立てていた。


「何、これ?」


 予想外の光景に固まる、これは何?

 最初に思ったのは自殺する時の紐、この輪っかに首を通してぶら下がったら…という想像だ。

 けれど紐だけがあり、人の姿はなく別に死体が転がっているわけでもない。

 液体は暗いせいでよくわからない、スマホのライトを当てても色がわからない。


「まだ夕日はあるはず…」


 部屋の明かりがつかないならカーテンを開けた方がよく見えるだろう。

 自室の部屋の記憶を頼りに窓に近づきカーテンに手を伸ばす。

 カーテンはよくわからない材質のもので、想像の何倍も重たい。

 それでもスライドさせて窓が見えるようにすることはできた。


「…?」


 カーテンを開けても明るくならない、もう日が沈んだのだろうか?

 窓の外を見ると真っ暗で何も見えない。

 部屋はスマホの明かり以外何も光源がない、闇の中だ。


「大家さんに報告すればよかった」


 部屋に入っても何も解決しない、最初から勝手に動かずに連絡すれば解決したのかもしれない。

 部屋を後にしようと、スマホで足元を照らして移動する。

 そして。



 足元の台を登って目の前の紐を掴み、首を通す。



「え!?」


 慌てて紐から首を外す、その拍子に台から転倒してしまう。

 腰から落ちて激痛が走る。その拍子にスマホも落ちて床を滑る。

 痛みに耐えながら困惑する、今私は何をしようとした?

 スマホを拾うために四つん這いになって移動するが、途中で床の液体に触れたのかビチャリと手が濡れる。

 服に擦り付けて拭き取りながらスマホを拾い上げ、今度こそ部屋から出るために移動する。





「なんだったの…」


 玄関から出ると空は星と月が煌めく夜空になっていた。

 今日は満月らしく、夜にしては明るく感じる。

 さっきまでいた部屋からは未だポチャリ、ポチャリと水滴の音が響いている。

 大家さんに連絡をするためにスマホで連絡先を探していると、誰かが近づいてきた。


「どうだった?」

「え?」


 右隣に住んでいる男性、少し期待したかのような顔で私を見ている。


「何があった?」

「えっと…なんの話ですか?」


 いきなり声をかけられて戸惑いつつ、スマホで大家さんの連絡先を見つけた。


「さっきまで行ってたんでしょ?あの部屋に」


 連絡のボタンを押そうとした手が止まる、この人は何か知っている?


「聞かせてよ、あの部屋で何を見たの?」

「そ、そんなに気になるなら自分の目で見ればいいじゃないですか?」


 少なくとも、私でも簡単に入れたんだからこの人も簡単に入れる。

 そう言いながら、私はさっきまで入っていた部屋を指差し…


「俺は入れない、だってそこに部屋なんかないだろ?」


 私は突き当たりの非常口を指差していた。

 そうだ、なんで忘れていたんだろう。

 私が住んでいる部屋は角部屋。左隣の部屋なんか存在しないのだ。





 私は引っ越した。

 あの日、あまりの恐怖に部屋に駆け込みそのまま震えていた。

 水滴の音が聞こえ続ける、部屋はないはずなのに。

 その事実に耐えられなくなった。


「今度から心霊的なことも考慮しよう…」


 引っ越しを相談したとき、不動産の人がやけに親切だった。

 それも今住んでいる部屋がどこかを伝えた直後から優しくなった。

 だから訪ねた、「あの部屋はおかしいのですか?」と。

 返答は曖昧だったが、少なくとも「安い理由はある」と教えてもらった。

 今後は多少高くても、普通の部屋を選ぼう…


「トラウマなんだろうな…まだ聞こえる気がする」


 引っ越し先の部屋は前よりも不便な場所だった。

 けれど幽霊だとか事故物件だとかの話は何一つない。

 それでも、あのポチャンという音が聞こえる気がする。

 もう関係ないはず、だって引っ越したんだから。

 隣人が引っ越した。

 これでまたあの部屋は空き部屋になり、次の住人が来るまで静かになるのだろう。


「大体把握…出来たな」


 存在しない部屋は暗い。他の部屋と違い左右が反対になっている。寝室に首吊りの紐がぶら下がっている。

 なんらかの理由で部屋に人が入ってしまう。おおよそ半数が帰ってこない。


「せっかく帰ってきたんだから、詳しく話を聞きたかったな…」


 手元の原稿を書き進める、新作のネタはほぼ完成した。

 タイトルは…「水滴の響く隣の部屋」だ。

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