第九章
──敵はさらに速くなる。
F6Fを撃破し、烈風は正式な制式採用へと向かった。
橙小隊もまた再編され、新たな部隊名の下に再スタートを切る。
しかし、南太平洋上空には、新たな敵が現れる。
P-51──スピードを極めた、空の支配者。
烈風は“風より速く”飛べるのか。今、その答えが問われる。
1943年1月。
台南航空基地では、ひとつの式典が行われていた。
「烈風戦闘航空隊、正式発足──」
司令官の宣言とともに、橙小隊は新たな名を得る。
第二〇三空・烈風隊。
配備された機体は試作型を含め、合計7機。まだ“量”では戦えないが、“質”は十分だった。
「これより我々は、烈風による新編制を本格化させる。各員、空を変える覚悟を持て」
整備兵も含め、全員が姿勢を正す。
台南には、名古屋から技術者も合流しており、現地改修と改良テストが平行で行われていた。
「MK9に始まり、Ha-43はまだ未完成。烈風の真価は、整備と改良の積み重ねにかかっている」
山下 衛は言った。
「戦闘より先に、“飛び続ける力”をくれ。それがあってこそ、勝てる空がある」
***
2月、ソロモン諸島北方。
定時哨戒任務についた烈風2機が、レーダー情報を基に急行していた。
「敵影、右前方、高度9,000。……速い。異常な接近速度!」
視界の端を、銀色の光が駆け抜けた。
「なに──!? F6Fじゃない! これは……」
音速に迫るような直進飛行。
細身の機体、鋭い機首。P-51D、マスタング。
「初見で仕掛けてくる気か!」
烈風の一機が急上昇し、迎撃態勢を取るが──
その瞬間、視界から敵が消えた。
「後ろ──ッ!」
間一髪、ローリングしながら回避。
だが、左翼端がかすめられ、煙を引く。
「被弾! 機体、反応鈍い!」
「離脱せよ! こちら援護に入る!」
烈風二番機が急制動からの反転で機関砲を発射。
P-51の左主翼をかすめ、敵は高速で退いた。
「……当たったか?」
「不明。速度が違いすぎる」
数秒の戦闘。烈風のパイロットは全身から汗が噴き出していた。
***
台南・分析室。
「マスタング……。どうやら、本格配備が始まったようだ」
桐原少佐が報告書を読み上げた。
「最高速度720キロ超、航続距離3,000キロ以上。武装は12.7ミリ×6。しかも、飛行安定性が極めて高い」
山下は黙っていた。
Ha-43の次期改修案に目を通しながら、ぽつりと呟く。
「烈風が負けたわけじゃない。だが、これは“速度の壁”だな……」
「そうだな。今度の敵は、正面から撃ち合う前に勝負が決まる」
それでも、希望はある。
「次期烈風・一二型。Ha-43改二で推力上昇が可能なら、速度差は詰められる。実装までは……あと半年」
「半年もつか?」
「整備次第だ。信頼できる整備兵がいれば、“今”の烈風でも勝機はある」
***
その夜、整備兵たちは夜通しの改修作業に当たっていた。
「主翼の増槽接続部、剛性を上げる。これ以上速度を上げられないのは空力だけじゃない」
「エンジンカウル内の排熱経路、変更。限界高度の持続時間を延ばす」
誰かが言った。
「……烈風は、もう“機体”じゃねえ。“俺たち”そのものだ」
その言葉に、皆が頷いた。
整備は、生き残る力だ。武器だ。
***
3月初旬。烈風隊は再び哨戒任務に就いた。
志波中尉の乗る一号機は、燃料最大搭載で速度限界に挑む。
「──来い。今度は、こっちが追い越す番だ」
雲を突き抜け、烈風は南洋の青空を裂いて飛んだ。
空を継ぐ者たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。