第六章
──空は、次の時代へ向かおうとしていた。
改良型MK9エンジンは実戦に耐え、ついに橙色の小隊は正式部隊として配備される。
だが、戦況は待ってはくれない。
太平洋戦線では、米軍の新型艦載機F6Fが登場し、これまでの戦闘機とはまったく異なる「量と性能の壁」が立ちはだかる。
三菱では新たな設計「烈風(仮称)」が動き出し、山下衛たちはさらなる高みを目指していく。
これは、烈風の前夜に立った男たちの記録──。
1942年7月。
南方フィリピン、ダバオ航空基地。
滑走路には、橙色を消した新型機が並ぶ。
正式配備となった九四式改・甲型戦闘機、通称〈橙改〉。
これまでの試作機を基に、MK9改良型を搭載した前線仕様である。
エンジンはようやく稼働率80%を安定維持、整備時間も従来の1/3へ短縮されていた。
「……やっと、戦力になったな」
山下衛は、完成した量産型を見上げながら呟いた。
隣では桐原少佐が資料を繰っていた。
「稼働率、整備時間、空戦データ、どれも合格。残るは“相手”だ」
「相手……ですか?」
桐原は一枚の報告書を取り出した。
「アリューシャンで、F6Fと遭遇したという報告が入った。どうやら、グラマンの新型が動き出している」
「……F4Fの後継機、ですか」
「ああ。出力2,000馬力、速度580キロ以上。機銃は6丁、航続距離は拡張されているらしい。明らかに“新しい時代”の機体だ」
山下は静かに息を吸った。
「なら、こちらも次へ進まねばなりません」
「その通りだ」
***
愛知県・三菱名古屋工場。
8月、山下は新しい設計図の前にいた。
それは、“烈風(仮称)”──正式名を持たぬ、次世代戦闘機の胎動だった。
「要求性能:最高速640キロ、上昇力、火力、航続距離。全て現行機を超えろ……か。無茶ばかり言う」
彼は苦笑したが、設計図の先には希望があった。
海軍航空本部は「次期主力機」として、橙改を踏み台にした大型高性能機を求めていた。
その中心となるのが、新エンジン「Ha-43」──MK9の進化系であり、2,200馬力以上を目指す怪物だった。
「エンジン開発と機体設計を同時に進めるのは、並の組織じゃできない。だが……」
山下は顔を上げた。
「橙の整備兵たちが、機体を守った。今度は、俺が“空を変える番”だ」
***
そのころ、橙小隊はミンダナオ方面の哨戒任務に就いていた。
「空の様子が変わったな……高度7,000、水平線に一機、いや……複数?」
橙三号機が敵影を捉えた。
「やけに高い……!」
双眼鏡に映ったその姿は、太い胴体に長い主翼。
空の影に溶けるように編隊飛行する、濃紺の機体。
「F6F……間違いない、新型だ」
部隊全体に緊張が走る。
「指揮所へ報告。接敵は避け、偵察のみ。こちらが先に動けば、相手の性能がわからん」
橙小隊は、静かに反転した。
「次は、奴らと戦う日が来る」
そのとき、パイロット全員が悟っていた。
かつてのP-40やF4Fとは違う、**“別の空”**が始まると──。
***
整備学校でも、新たな風が吹いていた。
「次に来るのは、今の機体じゃ対応しきれない。F6Fは化け物だ。お前たちの整備も、もっと先を見据えろ」
指導教官の言葉に、整備兵たちが頷く。
「烈風型の仮想整備マニュアル、配布開始。構造は複雑になる。だが、やるしかない」
それは、未来の機体を支えるための第一歩だった。
***
こうして橙色の小隊は、“試作から戦力”、そして“次世代機の土台”へと進化を遂げていく。
その背後には、名もなき整備兵の手、技術者の執念、そして空に生きる男たちの覚悟があった。
次に彼らが出会うのは、P-51、そしてF6Fの精鋭部隊──
烈風計画が本格化する中、太平洋の空はさらに過酷な姿を見せ始めていた。