第五章
──勝つだけでは、意味がなかった。
今度の任務は、“勝って戻る”こと。
冷却系を改良された新型MK9エンジン。整備兵たちの訓練の果てに、ついに実用機へと昇華された橙色の戦闘機が再び空へ飛び立つ。
相手は、新鋭P-40E。そして、太平洋戦争の主力となるF4F。
南方戦線にて、橙の小隊が新たな伝説を刻む──。
フィリピン南部、セブ島南沖──。
1942年3月中旬、朝焼けに照らされた前線基地から、3機の機影が静かに上昇していった。
「橙小隊、こちら前線指揮。敵は南東よりP-40EとF4F、計5機。スクランブル、即応を頼む」
「了解。整備完了済み、燃料満載。行くぞ──全機、出る」
再出撃。それは、半年の積み重ねの成果だった。
***
高度6,000。空は完全に晴れていた。
眼下に珊瑚礁の白波が見える。正面、雲間から敵編隊のシルエット。
「敵接近。パターンBで展開、橙一、釣るぞ!」
1番機がやや右に外れ、敵戦闘機に捕捉される。
その背後、薄い陽炎の中から、2号機と3号機が急上昇。
「見えた……撃つ!」
機銃の火線が閃き、F4Fが一瞬で爆散。
残るP-40Eも警戒機動に入るが、今の橙小隊には通じなかった。
「旋回性能で勝てる、詰めろ!」
「了解、仕掛ける!」
空は狭い。1対1の戦いではない。
上下左右に機体が交錯し、敵味方の見分けもつかない瞬間──
その中を、MK9改良型の怒濤の出力が切り裂いていく。
「油圧、正常! 冷却、安定! いける……!」
空冷エンジン特有の熱暴走は消えた。
整備兵たちが磨き上げた冷却系が、過負荷に耐え続けている。
「敵機、撃墜確認。残り1!」
最後のP-40が逃げに転じる。
「追撃せず、帰還する。全機、編隊維持──帰るぞ」
勝って、帰る。
それが、今回の“作戦目的”だった。
***
フィリピン・臨時整備所。
橙の機体が滑走路に戻ってきた瞬間、整備兵たちが駆け寄る。
「燃料漏れなし、オイル漏れなし! 機体、異常なし!」
太田二等整備兵が叫んだ。
「お前……帰ってきたな。ちゃんと……飛んで、戦って、戻ってきやがった!」
パイロットは整備兵に敬礼した。
その敬礼に、整備兵全員が背筋を伸ばして応える。
***
基地指令室にて──。
桐原 一馬少佐は、帰還報告書に目を通していた。
「全機無傷、戦果3撃墜。エンジン稼働、連続飛行時間78分。冷却系異常なし。……やったな、山下」
「……ありがとうございます。整備員の力です。私はただ、整備兵に“信頼される機械”を作りたかっただけです」
山下の声は、どこか遠くを見ているようだった。
「次は、量産型へ移行ですね。三菱に戻ったら、設計図の最終化を」
「頼む。南方戦線は、これからが本番だ」
***
整備学校では、この戦果が教材として配布された。
機体の状態、整備工程、戦闘状況。すべてが記録された。
「この空戦で、何が違ったか分かるか?」
教官が問いかける。若い整備兵が手を挙げた。
「はい。冷却系の信頼性と、整備マニュアルの正確化、そして現場対応の柔軟性が……」
「そうだ。それらを支えたのは、お前たちのような整備兵だ。空の勝利は、地上の努力で成り立つ」
教室に静寂が流れた。
彼らもまた、空を支える兵士たちだった。
***
こうして、橙の烈風隊は“試作機の集団”から、実戦配備を前提とした部隊へと進化する。
戦いは、まだ続く。
だが、“勝って帰る”という当たり前のことを当たり前にこなせる技術が、日本軍にも生まれ始めていた。
次に戦う相手は、F6F、そして、P-51──
さらなる強敵が待つ空へ、彼らは向かっていく。