第三章
──ついに戦争が始まった。
新型空冷エンジン「MK9」を積んだ試作機は、わずかに存在する“橙色”の小隊としてルソン島の空へ飛び立つ。
悪天候の中、本来予定されていた爆撃任務は延期された──だが、橙色の小隊は予定より早く到着し、空に居座っていた敵戦闘機と交戦する。
勝利の歓声の裏で、パイロットたちが見たものは、焼き付いたエンジンと、冷却不良の現実だった。
戦争が始まる。理想は、実戦で試される──。
1941年12月8日──。
ルソン島、ダバオ基地南方上空。
濃い雲の切れ間から、橙色の機影が三機、静かに降下していく。
「視界、取れる。敵影あり。P-40──4機。こちら、攻撃に移る!」
通信が入ると同時に、3機の機体がバラバラに展開した。
エンジン音が唸り、急降下。陽光を受けて、橙色の機体が光を跳ね返す。
それは、三菱MK9試作エンジン搭載・試験戦闘機群。
台湾で秘密裏に組み立てられ、「橙色の小隊」とだけ呼ばれていた。
***
「命中、右旋回! 敵機、高度を失う!」
「リーダー、後方2時方向にもう1機接近中!」
「対応する、スロットル全開──くっ、オイル温度が……!」
急旋回のGに機体が軋む。
橙色の2号機が小刻みに揺れ、ピッチが暴れ始めた。
「冷却が間に合わない!? 警告灯!」
だが、敵は目前。P-40のエンジンノーズに弾が吸い込まれる。
命中。機体がバランスを失い、雲下へと落ちていく。
わずか数分の交戦。
橙色の小隊は、P-40戦闘機4機を無傷で撃墜した。
「勝った……! 勝てたぞ!」
興奮した声が通信に流れる。
だが、続いて発せられたのは、勝利の歓声ではなかった。
「エンジンが──焼き付く……!」
1号機が黒煙を噴きながら緊急帰投。2号機も油圧低下の警告が点灯。
敵に勝った機体たちは、整備限界を超えて壊れ始めていた。
***
その数時間後──ルソン島南方の仮設基地にて。
山下 衛は、焼けたオイルの匂いが染み付いたエンジンカウルを黙って見つめていた。
「冷却が……足りなかったか……」
「急降下と機動を繰り返したからな。外気温も高かったし、フィンの設計が過熱に追いつかなかったんだろう」
横で整備主任・黒川がつぶやいた。
「だが、やれたぜ。機体は全部帰ってきた。P-40にも勝った。出力と旋回性能は、間違いなく合格だ」
「……でも、実戦は一度きりじゃない。何度も飛んで、整備して、また飛ぶ。それが“戦力”になる」
山下はエンジンの焼き付き部位に手を伸ばした。
シリンダーヘッドの冷却フィンは変色し、点火プラグ周辺に焼けたカーボンがこびりついていた。
「まだ足りない。整備性は向上したが、耐久性と連続稼働力が……」
そこへ、桐原 一馬が到着する。
「山下技師。今回の空戦、海軍も報告を上げた。空中戦績は大成功。だが機体の稼働率は――三機中三機とも要整備だ」
山下は目を閉じて、静かに頷いた。
「実験としては成功……でも、まだ戦力とは言えない」
「その通りだ。次は、安定した冷却系と、高温環境での連続稼働に耐える再設計が必要だ」
「……再設計します。時間をください」
桐原は頷き、静かに一言だけ返した。
「時間は、もう少ない」
***
その後、橙色の小隊は一時帰還。
エンジン設計班は急ぎ改良に入り、南方の仮設施設では**“整備時間の最短化”**に向けた新訓練課程が始まった。
試作機の性能は確かに証明された。
だが、空を飛び続けるには、**整備というもう一つの“戦い”**に勝たなければならない。
次に空へ飛び立つとき、彼らは“完全な戦力”でなければならなかった。
そのとき、すでに南方では……バリクパパンの油田が、日本軍の手に落ちつつあった。