05/n ミーティングルームで生まれました!
「これが、私の体⋯」
「そう、これが”ノゾミ"の体」
「か、かわいい~!!!!!!」
ブルーと白を基調にしたパンツスタイルの制服、差し色として黄色のラインが入っており、ゆるく結ばれた金髪ヘアスタイルとマッチしている。頭の上には、斜めにずらしたミニハットがあり、車掌のような職業性も感じる。
「え、めっちゃかわいいですね! これは推せますね! もうコラボ確定じゃないですか! JP夏の旅行キャンペーンとか! この子に案内されたいです!! あ、朝の満員電車とか、この子がモニターに映ったらめちゃくちゃ癒やされますけど!」
イチオタクと化した希の嬉しそうな表情を見ながら、築地が苦笑いとも困ったとも言えない表情で、「まぁ、その⋯イコール橋本さんだけど⋯」と呟くと、希の思考回路は現実に引き戻された。
『ローズorルーズ』でVtuberデビューさせられると聞いてから1週間、希は新人社会人として、できる限り抵抗した。
「事情はわかりましたが、私じゃなくても良いはずです! Vtuberになりたい方なんていくらでもいるんですから!」
「もうキャラクターの身体ができあがってるんだよね、コンセプトもある。他人の考えたキャラや身体に入って演じ続けますなんてタレントはいないよ」
「今から別の身体を描き起こし⋯」
「する時間がないのはわかるでしょ?」
「新人Vtuberがロズルズに出るっていう隠しネタは取り下げて⋯」
「ふーん、他にもっとすごい企画案、思いつくの?」
鳥居社長と話す機会をもらえたものの、もう決定事項だからとして、軽くあしらわれてしまう。
そこに同席していた築地に訴えても「うん、橋本さんなら大丈夫。一緒に頑張ろう」とあの優しいお兄ちゃんスマイルで微笑むばかりだ。
人気Vtuberと新人Vtuberが駆け落ちしたことは絶対に外に知られてはいけないし、第4回ロズルズは告知済みであるから今更開催しないわけにいかない。もし開催を取り下げたら、何かあったと探られてしまう。平常運転を続けることこそが会社にとっては大事なのだ。絶対に秘密を守ってもらうなら正社員が都合がいい、しかも希は入社したてで業務も少ない。
何も変えられないまま時が過ぎ、「そうなるのが一番収まりが良い」という鳥居社長と築地の説得に、希は「確かにそうかもしれない」と段々と思うようになっていた。もちろん大人二人は、希がそうなるであろうことを見越していたわけだが、希は知るよしもない。「不安だけど正社員にしかできない仕事なんだ。できるだけ頑張るしかない⋯」と真面目一本に考えていたのだった。
ミーティングルームに持ち込まれた価格帯30万円超えのゲーミングPCと、そこに繋がれた2つのモニター。そこには ”ノゾミ”が映し出されていた。
Vtuber”ノゾミ”は、全身を描いた2Dイラストの立ち絵と、動きのある上半身を演出できるLive2Dが用意されていた。本来この身体は、駆け落ちしたという新人のために描かれたものである。
「まだ3Dの身体はないけど、全身をかいたイラストと、放送で使えるようにLive2Dは設定済みだよ」
設定方法が書かれたマニュアルを指さして説明しながら、築地は「希」と「ノゾミ」をリンクさせていく。
「何か喋ってみて」
「え、えっと、はしもとのぞみです」
希の発する言葉、正確には口の開閉に合わせてノゾミの口元も動く。
「わ、すごい⋯」
驚いて目を大きく開いた希に合わせて、希も目を大きく開いた。
呼吸の上下に合わせるように、ノゾミの身体が少し揺れている。
「生きてるみたい」
仕組みとして知識はあったが、実際にその過程を見た希は感動していた。
まるで命が宿るような体験だ。
声優の仕事が「命を吹き込む」とよく表現されるが、命を吹き込むと言うよりは、キャラクターが勝手に歩き出したような「生まれた」感覚が希を驚かせた。
「みたい、じゃない。生きてるんだよ、ノゾミちゃんは。今日から橋本さんと一心同体。橋本さんが笑えばノゾミちゃんも笑うし、橋本さんが泣けば、ノゾミちゃんも泣くんだよ」
正直なところ、Vtuberとしてデビューするとか、ロズルズに出るとか、現実感がなかった。
今、ここでノゾミになってみても、まだどこか遠い話のような気がしていた。
会社では通常の業務も始まり、築地からVtuberマネジメントについて学んでいるところだった。スケジュール管理の仕方、連絡の取り方、他の部署との連携。まだ一人で何かできるわけではない希は、築地のアシスタントのような形で仕事をスタートさせていた。その合間を縫って、ノゾミの話が進行していた。
「ノゾミって、本決まりでいいんですか? 元々あった名前とか⋯」
「うーん、元々の名前⋯あるにはあるけどね。もう”ノゾミ”って感じがするかな、僕は」
画面の中を覗き込むと、自分とは違う見た目でありながら、自分の写し鏡のように動くキャラクターがそこにいる。不思議な感覚だ。
「ノゾミちゃん⋯」
「明日のお昼の打ち合わせは、全員ZOOMで集合だから、ノゾミのアカウントでこのイラストをアイコン設定しておいてね」
そう、明日のお昼には 第4回ロズルズの出演者とスタッフで初顔合わせだ。
顔合わせと言っても、ミーティングはすべてZOOMで行われるし、カメラはオフ。顔合わせだが顔は合わせる必要がない。他の連絡もSlackやDiscordを使うなど、Vtuber自身が、直接いろんな人に会わなくても仕事がまわるような仕組みになっている。
「だんだん不安になってきました。これって鳥居社長と築地さんしか知らないわけですよね」
「うん」
「私が喋りが下手すぎて、本物じゃない!ってバレたらどうしようって⋯」
「え? ぷっ…ははは、面白いこと言うよね、橋本さんって。橋本さんは本物のノゾミなんだよ? それにノゾミちゃんのマネージャーとして僕が側にいるから、何かあってもサポートするよ。仮に話に詰まったとしても、これだけのメンバーに囲まれてデビューするんだから緊張してぎこちなくて当然って思うだろうし、心配いらないよ」
そう言って、築地は、20P以上ある企画書資料をポンと軽く叩いた。
希はため息をついて、資料をもう一度めくった。
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何度も読んで端の方が少し曲がっている資料、ロズロゼの企画概要が書かれている最初のページをめくると
「プリンス役:ミナト・アンブレイク」という文字と、少し意地悪そうな笑顔が似合う細身長身のキャラクターイラストが大きく掲載されている。
希が入社前からずっと憧れていた、推していたVtuber。
それが今回のプリンス役 ミナト・アンブレイク。
(まさか、推しがプリンス役なんて⋯推しを他のVtuberと取り合うなんて⋯本当に⋯本当にどうしよう)
正社員として任された大事な仕事がある、ことは嬉しい。
Vtuberとして推しと恋愛番組で共演、は無理すぎる。
2つの相対する感情が、希の頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。