第12話 グルーブをつくる。
次の日から、俺たちはついに本格的な練習に入ることになった。
澪がノートPCを開き、「コード譜と歌詞、それからデモ音源をまとめておいた」と淡々と説明する。各自に紙のコピーが配られ、スマホにはデモ音源が送られた。
「おお……なんか、バンドっぽい!」と彩夏が目を輝かせ、「これ、ベースのライン……あ、難しそう……」と美咲が弱気な声を出す。
「まずは個人練習だね」と澪が冷静に告げる。
「それぞれ4日間でパートを練習して、次に集まったとき合わせ練習をする」
「了解!やってやるぞー!」と彩夏が張り切り、
「う、うん……頑張る……」と美咲が小さく気合を入れる。
俺はカホンのリズムを思い浮かべ、「まあ、叩いて体で覚えるしかないか」と肩をすくめた。
こうして、俺たちは四日間の個人練習期間に入った。
各自が家で、楽器を持ち、歌詞を読み、音源を聞き込み、苦戦しながら少しずつ手に馴染ませていく。
俺はガレージでカホンを叩き、美咲は家の中――自室やリビングで、ベースと格闘していた。
「お兄、カホンいい感じ?」と美咲がリビングから声をかけてきたり、「そっちは順調?」と軽く聞かれたりすることもあり、俺も「ベースの弦、ちゃんと押さえられてるか?」と何気なく返す、そんな兄妹ならではの空気が流れていた。
さらにその間、美咲は澪に何度か来てもらい、練習を手伝ってもらっていた。
「ここ、指の位置はこう」「ルート音はまず確実に」――澪の落ち着いた声がリビングから聞こえてくることもあったが、
一度、澪がガレージにもふらりと顔を出し、「……リズム、いい感じ」と短く感想をくれたことを、俺は少し照れくさく思い出す。
「ルート音だけでも、だいぶ形になったと思う……」と美咲が後で誇らしげに言っていたのも、今ではいい思い出だ。
そして四日後、俺たちはうちのガレージに集合した。
昼間なら多少音を出しても問題ないし、スペースもしっかり確保できるので、全体練習をするのにもちょうどよかった。親にも事情を話してあって、「昼間ならいいよ」と許可をもらってある。
ガレージにはコード譜や楽器のほかに、みんなが持ち寄ったペットボトルのスポーツドリンクや麦茶が置かれ、机の上にはタオルやチューナー、譜面のコピーが並んでいる。工具棚や作業椅子が端に押しやられ、少し埃っぽい空気の中、みんながわくわくした顔で集まっていた。
「よーし、どうだった!? 練習の成果を教え合おう!」と彩夏が元気よく切り出し、みんなが順番に報告していく。
「ギターは、まあ……なんとか。コードチェンジはちょっと怪しいけど、通しでは弾けるようになった!」と彩夏が笑い、
「でもさ、うちのアンプ、夜は音出せないからさ~、昼間ばっか練習してたんだよね」と笑い足す。
「カホンは……叩き込みまくったからな。リズムはだいたい体に入ったと思う。……ただ、ガレージでもそれなりに音は響いて、親に『あんまりドンドンやらないでよ~』って笑われたけど」と俺が苦笑すると、
「ベースは……澪ちゃんに手伝ってもらって……ルート音だけなら何とか弾けるようになったよ!」と美咲が少し照れくさそうに言い、「美咲は、頑張った」と澪が小さく微笑む。
澪自身は「私は歌詞を覚えて、感情を乗せる練習を中心にした。合わせ練習で声の強弱は調整できると思う。一人でカラオケにもいった」と淡々と報告する。
「えー!ずるい、誘ってくれればよかったのに!」と彩夏がすかさず突っ込み、笑いが起きる。
「だって……家で声出すと響くから」と澪がぼそっと言い、さらに場が和んだ。
そんな笑いの輪の中で、ふと全員の視線が集まった。
机の上に広げられたコード譜、横に置かれた楽器たち。
一瞬の空気の変化。
「……じゃあ、そろそろ」と澪が静かに切り出し、全員が息を整える。
全員が揃った今、いよいよ本格的な合わせ練習に進む準備が整った。
「よし、じゃあ次は全体で音を合わせてみよう!」と彩夏が声を弾ませ、
全員が緊張と期待を胸に、楽器を構えた。
熱気がガレージの中に広がり、音と声が重なる。
俺たちは今、音を作っている。
ただの遊びじゃない、ちゃんと心を込めた“つくる”だ。
……だが、現実は甘くなかった。
最初の合わせ練習、結果はもちろんダメダメだった。リズムはずれる、ベースとカホンが噛み合わない、彩夏のギターはテンポを引っ張りすぎて暴走、澪のボーカルは感情はこもっているが入りが安定しない。
「……各自の練習ではできてたのに、合わせると崩れる」と澪が冷静に分析する。
「練習だ練習だ!って言っても、これじゃダメだよな」と俺が頭をかき、「分解して練習しよう」と澪が提案。
まずはリズム隊、カホンとベースだけで通してみることに決まる。メトロノームアプリをスマホで鳴らし、まずは2人で合わせる。「お兄、もうちょっとゆっくり……」「分かった、今のテンポでいこう」とやり取りを交わし、何度も何度も繰り返す。徐々に、美咲の手つきがぎこちないなりにも安定してきて、俺のカホンの音も耳でしっかり支えるようになる。
「よし、じゃあ次はギター乗せてみよう」と澪が声をかけ、彩夏が「待ってましたー!」と元気よく応じる。けれど、弾き始めるとやはり走り気味になってしまい、「ちょっと抑えめ、リズム隊に寄せて!」と俺が指摘する。「はーい!」と彩夏が笑顔で返し、再挑戦。
続いて、ボーカルが入る。澪は真剣な顔でマイクを持ち、歌詞を口にするが、「……入りが少し早い」と俺が小声で言えば、「もう一度確認する」と澪が即座に立て直す。何度も何度も同じセクションを繰り返し、ようやくサビの部分が通せたとき、「おおっ、今の、ちょっと揃ったんじゃない?」と彩夏が目を輝かせ、「サビだけは、いい感触だな」と俺が頷く。
「じゃあ、次はBメロまで行ってみようか」――笑いながら、俺たちはもう一度、音を重ねた。
疲れた顔の中にも、不思議な高揚感があった。全員が「できた!」と小さく拳を握り、顔を見合わせる。素人ながら、少しずつ音が形になっていく、その感覚に心が熱くなる。澪が「……進歩はしてる」と小さく微笑み、美咲が「もっと頑張れそうな気がしてきた!」と笑顔を見せる。彩夏はギターをぎゅっと抱きしめ、「絶対完成させようね!」と宣言する。
練習はまだ始まったばかりだ。それでも、俺たちのグルーブは、確かに少しずつ生まれ始めていた。