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夏の土塊  作者: 花酔山姥
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崩れる氷菓

 時計の進みが遅い。一日千秋なら4時間は何秋?6分の1だから少なくとも166秋。さすがにそんなには遅くないか。時計を見てても時が加速しない事はわかっているが、何も手につかないのだ。


「僕一人で話そうと思う。」

「いや危ないでしょ。何言ってんですか。」

「朱理が作った状況とはいえ僕は今、朱理の恋人なんだ。莉音についてきて貰ったんじゃ、保護者同伴みたいで。」

「あの土人形がこんなに立派になって︙。」

「保護者じゃん。」

「ふふ。じゃなくて、危ないですってホントに。昨日殺されかけたの忘れたんですか。」

「でも、多分もう大丈夫。もう支配下からは出たみたいだ。それにもう朱理に僕を壊す気はないと思う。」

「何を根拠に。」

「根拠はないけど。話をつけて莉音を待つよ。」

 たしかにレイが命令の力無しに壊されるとは考えにくい。

「出来れば僕らだけで話はつけたい。でも、もしかしたら上手くいかないかも。莉音は十一時くらいになったら学校へ向かってほしい。」

 多少不安は残るが、頼ってはくれている嬉しさもあってレイの意志を尊重することにした。


 時間が進むに連れ不安が募って、今は時計を数分に一度眺めている。宿題は全て終わってしまっているし、本棚を漁ったがどれも読み返す気にはなれない。お気に入りのヘッドホンで音楽を垂れ流しにしているだけマシという具合だ。

 十一時まであと5分というところまで来ると音楽も耳障りになり、ヘッドホンを外して呼吸を整えた。今日は特に持っていくものもない。スマホと財布だけをポケットに入れて時計を睨み続ける。何を律儀に守っているのかと思いつつ、約束は約束とじっとその時を待つ。

 カチカチと動く秒針。陸上競技のスタート待ちに似た緊張が走る。残り20秒。

 オンユアマーク。そう、確かこんな感じ。セット。そして――。

 パァン、と頭の中にスタートピストルの音が響くと共に、全力で学校へ駆け出していた。

 疲れすぎないように調節ようとしても、足が勝手に急いでしまって息が切れる。半分も行ってないうちから足も疲れてきた。

 夜の間にまた雨が降ったのか、道路にはまだ水溜りが点在していて、アスファルトに散らばった水滴が陽の光を弾いていた。雨上がりのせいで湿度が高い。お湯のミストシャワーでも浴びながら走っているようだ。

 どうかレイ、どうか。どうか無事でいて。

 苦しい。呼吸のし過ぎで喉が痛い。メロスはどれだけ苦しんで走ったんだろう。この短い距離でもこんなに苦しいのに。あれ?距離計算したらアイツそんなに一生懸命走ってなかったんだっけ。どうでもいいや、そんなこと。

 信号をこんなに長く感じたのは久しぶりだった。

 走って、走って、走って。

 下駄箱に靴を放り込んで今度は速歩き。呼吸を整えながら廊下を抜けて階段を上って、力任せに図書室の扉を開けた。

「あら、おはよう。」

 図書室を見渡しても、そこには先輩しかいなかった。

「…レイは?」

 晴れるはずだった不安が、零したインクの様に広がってゆく。

「第一声それ?」

「レイはどこにいるんですか。」

「知らなぁい。」

「ここに来たはずです。答えて先輩、レイはどこ?」

 縋るように先輩の肩を掴んで揺する。

「さぁ?」

「…。」

 駄目だ、口に出すな。

「…。」

 そんな訳ない。そんな訳がない。いるはずだ。まだいる。

「…。」

 生きている、はずだ…。

「…。」

 …。

「…壊したんですか。」

 先輩が視線を下ろしたまま口角を上げてにやりと笑う。

「…だったら何?」

 受け入れ難かった。信じられなかった。大丈夫だって、壊されないって言ったのに。

 肩を掴む手の力が抜けて指が震える。突き飛ばす力も出せず、私はその場に崩れ落ちた。

 あの時、止めていれば。無理を言ってでも一緒に来ていれば。レイは死なずに済んだのに。

「あ…あ、」

 声もろくに出ない。言葉も出てこなかった。頭が真っ暗になって視界が歪む。

「莉音には関係ないでしょ。アレは私の人形なのよ。」

 違う。レイは人形なんかじゃない。レイは人間だ。紛れもなく人間だった。

「随分と感情移入してたみたいだけどアレの持ち主は私。どう使おうが作り直そうが朱理の勝手。」

「違う…」やっとの思いで少しずつ言葉を絞り出す。「この…人殺し…。」

「ふふ、あのねぇ、状況分かってる?莉音は人の人形勝手に持ち出して遊んでたの。んで持ち主が要らなくなって捨てたからってそれにブチ切れてるわけ。理不尽じゃない?」

「五月蝿い。」

「そんなに欲しきゃ莉音にも作ってあげるよ。そしたらもう私の物奪わなくて済むで――」

 私は先輩の頰を全力で張っていた。さっきまで力も入らなかった身体は完全に制御を失って、倒れた先輩の胸ぐらを掴んで叫んでいた。

 何を言ったのかも、もうよく覚えていない。レイは人間だったとか、人殺しだとか、あんたのがよっぽど人形だとか、人間の屑とか、あんなみたいな人間だれも愛さないだとか、思いつく限りの罵詈雑言。

 どれだけ言葉を吐いても悔恨の念は拭えない。寧ろ先輩を罵倒する度に塗り重ねられていくようだ。とうとう言葉も底をついて、言葉にならない呻きだけが喉から漏れる。

「あぁ…あぁあああ…っぐ、うぅうう…っ!」

 また、だんだん力が抜けていく。

 叫んで叫んで疲れ果てて、先輩の襟から手が離れて、私は漸く自分が泣いていることに気がついた。

「…あ、頭おかしいんじゃないですか…。夏休みじゅ、夏休み中っ、い…一緒にいたじゃないですか。」

 また声が出ない。吃音のように詰まりながら、それでも止めどなく、言葉が喉から押し出されて行く。

「隣町とかぁ…!川とか、い…行ったじゃ、ないですか。」

 出ていく言葉と共に思い出が浮かんでは消えていく。

「うぅう…久しぶりに行った駄菓子屋でアイス…食べたりィ…公園で駄弁ったりぃ、…っしたじゃないですか…。」

 大丈夫だと思ってた。殺すわけないと思いたかった。何日も一緒に遊んで笑い合った人を殺せてしまう人だなんて思いたくなかった。

「頭おかしいんじゃないですか!?そんな人を平気で殺せるなんて!!」

「…頭、おかしいんだと思う。おかしくなっちゃったの。どっからこうなっちゃったのかな。もとからなのかも。おかしいよね。愛されないからって人の愛を奪っていいわけないもんね。」

 もう、先輩を睨む気力すら無い。酸欠だ。目の前がチカチカする。

「最後に愛されたかったの。一度だけでよかった。たった一度でいいから、誰かに愛してほしかったの。」

 先輩は私をどけてふらふらと立ち上がった。そのまま覚束ない足取りで図書室の出口へ歩いていく。

「…最後?」

「ごめんね、莉音。」

「最後ってなんですか。先輩。先輩、待って。」

 うまく立ち上がれない。なんだか、更に悪いことが起ころうとしている気がした。追わなければ、全てを失ってしまうような予感がした。体を引きずるようにして先輩を追いかけた。

「先輩…先輩、待って…待ってよぉ!」

「何だよ、待ってるよ。」

 レイがひょこりと顔を出した。

「あれ?レイ?」

「ん?なに、コケたの?」

 あれ?私なんで地面に這いつくばってるんだろう。

「立ち眩みかも。なんか目の奥もジンジンする。」

 立ち上がりづらい。カウンターを掴んでぐいと身体を持ち上げる。

「えぇ、大丈夫?あ、見つかった?」

「え?何が?」

「何がって、忘れ物取りに来たんでしょ。」

「え。あ、あぁ。…?」

「おーい?」

「あ、すみません。…何忘れたんだか忘れちゃって。」

「あっはは。病院行ったほうが良いんじゃない。」

「うるさいなぁ。まぁ大したもんじゃ無いと思います。行きましょう。」

「いいけど、どこに?」

「隣町に無料で入れる公園があるんです。せっかく晴れたしそこでも。」

「いいけど公園って基本無料じゃない?」

「いや、めっちゃ広いんですよ。公園っていうかそういう施設ですね。」

「へぇ。」

 大したもんじゃないと言いはしたものの、忘れてはいけないものの様な気がした。何を忘れてここに来たんだろう。私は何を忘れたんだっけ。

「思い出だけが本当なんだよ。」

「え?」

「ねぇ莉音。」

「はい。」

「ちょっと涼しくなったね。」

 言われてみれば確かに、夏の真昼にしては温度が低かった。昨日の大雨が揺らしたベールの向う側から次の季節が少しだけ顔を出したみたいだ。

「ですね。そろそろ秋でしょうか。夏休みももう終わりですし。」

「夏、終わっちゃうね。」

「そうですね。」

「あの子は、この夏に残るってさ。」

「あの子?ってどの子?」

「どの子だろう。」

「また適当なこと言って。」

 小さくなった蝉の声と少しだけ柔らかくなった日差しに夏の背中が遠ざかっていくのを感じる。毎年暑くて鬱陶しいと感じるのに、その終わりがいつも淋しいのはどうしてだろう。

―――あの子は、この夏に残るってさ。

 レイの戯言はいつものことだが、妙に物悲しさのある響きだ。

 その言葉に助長されてか、薄くなっていく夏の影に縋りたくなる様な哀愁が、日を追うことに高くなっていく青空の下、いつもよりずっと深くまで私を苛んできていた。

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