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夏の土塊  作者: 花酔山姥
1/5

できた彼氏

 茹だる暑さの夏だった。夏休みに入ったばかりの8月2日。数少ない文芸部の活動日にわざわざ学校に来たのに、顧問が急用で来られなくなり本日はあえなく中止となった。

 特に危険が伴うわけでもないのに顧問がいなくて活動中止ってどうなんだ。『自主・自律・友愛』の校訓はその実『束縛・監視・連帯責任』の様を呈している。

「慌てん坊の〜、サンタクロース〜」

 先輩も机を並べてその上に寝そべり名曲『あわてんぼうのサンタクロース』を歌い始める始末。なんで?

「どうしたんですか、突然。」

「…こぎつねこんこん、ふゆのやま〜」

 あぁ、そういうことか。

「綺麗な模様や花も無し〜」

「涼むにしても他の方法があるんじゃないですかね。」

 先輩は自由人と言うか、突飛な言動をしがちな人だ。

 今日も部活中止の連絡を受けた後、誰もいない校舎を歩きたいなどと言い出すので放っておけず私も学校に残ることにした。

 歩き始めてすぐ喉が渇いたと引き返して自販機に向かい、当然のように私にお金を借りて炭酸水を購入。歩きながら飲み始め、2/3を残して全力で振りたくり再開封しようとする奇行に走った。

 すんでのところで制止して理由を問うとヘラッと笑いながら

「冗談だよぅ。暑かったからさ。」

 いや、今のは完全に本気だった。校舎内だぞ。いや屋外でも駄目だけど。

 仕方がないので早々に休憩することにし、日陰になる1階の空き教室に入った。

 先輩が寝転がってはや10分。先輩の気が済むまで私も待機だ。幸い、鞄にはお気に入りの本を何冊か持ってきていた。

「ちょろちょろちょろさわさわさわ〜」

 もっとも先輩の横で落ち着いて本など読めるはずないのだが。

「先輩」

「かこーん、ちょろろろ」

「先輩」

「カナカナカナカナカナ」

「涼しげな歌やら音やらで紛らわすには暑すぎますって。」

「あぁあああああっっづぁあああああああああああ」

「大声で発散もダメっ。」

 再び、蝉の声と木々のさわめきだけが教室に沁みわたる。時折カーテンを揺らして入ってくる風が頬を撫でる。先輩は仰向けに寝転んだまま動かない。

「…先輩、本を読みましょう。貸しますよ。」

「…マンガある?恋愛系の。」

「マンガはありませんけど、恋愛小説なら。」

「彼氏ほしーなー。」

 この発言には正直驚いた。失礼ながらその驚きが口をついて飛び出す程度には。

「え、先輩も彼氏欲しいとか思うんですか。」

「思うよ。莉音は?」

「思いますけど。」

 まさかこの奇人と恋バナに花を咲かせる日が来ようとは。状況の可笑しさも相まって少し楽しい。

 互いに惚れた腫れたに興味がないものと思っていたらしく、意外な一面に会話が弾んだ。といっても二人して恋愛経験などなく、これまで好きになった男子だの、結局何もなかっただのしか話のネタはなかったが。

 ひとしきり話してから、先輩がぴょんと机から降りた。

「よし。莉音、彼氏作ろう。一緒に。」

「一緒には難しいですよ。」

「できるよ。今ここで作るんだから。」

「今?ここで?」

「今。ここで。」

「…部活がある日にしては?」

「え、なんで。」

「え、あぁ、じゃあ…海行くとか。」

「え、なんで?」

「なんでって…男子いないじゃないですか。男子どころか私と先輩二人だけですよ。先輩わたしを彼氏にしてくれるんですか。」

「なに言ってんの?」

「こっちのセリフですけど?」

「だから彼氏作りたいんだって。」

 言いながら先輩は教室を出ていった。カバンを置いていったということは戻ってくるということか。続きを読んで待っていよう。

 ――50ページほど読んだ頃だろうか。廊下から呻き声が聞こえてきた。

「ふっ、んぬぅ〜〜〜っ、ふっ、」

 呻き声はだんだんと近づいてきて、すぐそこまで来た。

「うぅう〜っ、くっ、ふんんぬぅうぅう」

 扉から現れた声の主を見て、目を見張る。

「はぁっ、はぁ、ふぅ。」

「え…はァ?」

 そこには自分より大きな袋を引き摺る先輩がいた。

「見てないで、…っ手伝ってよぉ。」

「なんですかそれ、何の袋ですか?」

「粘土。裏の川で取れたやつ、乾かして水入れた。」

 先輩は袋からドサッドサッと粘土を取り出し始めた。もちろん床は土で汚れていく。よく見ると袋を引きずってきた後も泥でや乾いた砂で汚れていた。

「なっ、なにやってんですか、なにやってんですか先輩…」

「だから彼氏作るんだって」

 あぁ、そういえばそんなこと言って出てったっけ。…え?『彼氏を作る』?

「待ってください先輩。彼氏を『作る』?」

「作る。」

「土で?」

「そ。」

 軽く目眩がした。暑さのせいではないだろう。本気か。この神聖な学び舎で本当に粘土遊びおっぱじめるつもりか。

 机に身を預けて、粘土が人の形に変わっていくのを見ていた。足先から太もも辺りまで出来たところでハッと我に返る。

 いかんいかん。先輩は今リアルの男に絶望しているんだ。あんまりモテないものだから土人形と恋愛ごっこに興じようとしている。あまりにいたたまれない。おいたわしや先輩。

 引き戻さなくては。きっと先輩の奇人ぶりを面白がってくれる殿方の1人や2人いるはずだ。ともすれば「おもしれー女」とか言って壁ドンされて始まるベタなラブストーリーもあるかもしれない。

「先輩、今からでも海行きましょう。飢えたハイエナ共の中にタイプの人がいるかもしれませんよ。あ、先輩ってどんな人がタイプなんですか?」

「私のこと好きな人。莉音は?」

 そっけない返答だった。手伝わずにぼうっと見ていたことにヘソを曲げたのだろうか。

「…私も同じかもしれません。こんな私を好きと言ってくれる人なんて滅多にいないでしょうから。」

「じゃあ、どんなに醜くても告ってくれたら喜んでお受けするの?」

「人の醜美をとやかくいうのはどうかと思いますけど。まぁでも、ちょっと考えますかね。」

 先輩が手を止めてこちらを振り返る。

「どんな人が好き?」

 いつになく真剣な眼差しだった。しかしそんなこと急に聞かれても。

 タイプの人。理想の彼氏。格好いい人…。

「そうですね。・・・背が、180センチ以上で・・・輪郭はシュッとしてて、唇は薄めで、目は一重で細すぎず丸すぎずな感じが良いですね。首が長くて、肩幅は割とあって、でもがっしりした体型ではなく細身で、足がスラっと長くて、靴下がかわいいとなお良いです。言葉遣いは今時の男の子っていう感じのではなく、丁寧でしっかりしてて、でもたまに年相応のかわいさが出てくるとたまりません。マザコンまではいって欲しくないですけど家族を大事に思ってて、下に弟等が居てかわいがる姿などもう・・・」

「莉音、好きな人居るの?」

「いませんよ?」

「ドン引き。」

 先輩は鼻で笑って、また黙って土人形を作り始めた。自分で聞いといてそりゃないんじゃないですか。そもそもこっちは先輩の将来を案じて現実の男に目を向けさせようとてたんですけど。

 時計は既に午後3時を回っていた。特に予定もないし気がすむまで付き合おう。私は机に腰掛け、再び本の世界に身を沈めた。


「ふぅっ。でーきたっ。」

 見ると、粘土が人型になっていた。横たわった土人形の頭の部分に文字が刻まれている。

 とうとう土人形に理想の彼氏を重ねて自分を慰める先輩の姿を目撃する事になってしまうのかと思ったが、実際に私が目にしたのは更に信じがたい光景だった。

――変化。――記憶。――感情。

 先輩はいくつかの単語と、何語とも分からない呪文を唱えながらゴーレムの周りをぐるぐると歩き始めた。

――生命。――存在。

 7周ほどしただろうか。先輩が土人形の頭に触れて数秒。そして手を離した。

―――愛。

「うそ。」

 信じがたい光景だった。土人形がひとりでに動き出し、立ち上がったのである。表面がぼろぼろ、さらさらと少しずつ崩れ蠢き、みるみるうちにより人間らしい輪郭を帯び始め、頭部に至っては彫刻のように細部まで人間になってゆく。瞼、眼球、鼻、唇。すべてが土でできていた。先輩が手で顔を拭うと、まるでもともと泥をかぶった人間であったかのようにペールオレンジの皮膚が現れた。

 土人形は先輩、私、周囲の景色と不安そうに視線を巡らせながら、先輩の前に片膝をついて頭を下げる。

 それを見下ろす先輩の表情から、達成感と静かな興奮が見て取れた。

「綺麗だよ、レイ。」

「レイ。」土人形は下を向いたまま繰り返す。

「レイ。君の名前。」

 土人形、レイが顔を上げた。表情に先程とは打って変わって安堵と喜びの色が差している。

 あまりに当たり前のように目の前で動いている土人形を見て忘れかけていた違和感が漸く湧き戻る。

 どういうことだ?手の込んだ手品ですよね。本を読んでる間に仕込んだんですよね?いや、じゃあ私が本を読んでなかったら?一体どこから仕込んでいたというのか。人型になった時点では既に?

 混乱する私を他所に、土人形にとって初めての指示が下される。

「じゃあね、まずはそうだな。あ、踊ってみて、レイ。」

「はい、御主人様。」

 そう言って頷くと、土人形は見事な踊りを披露し始めた。バレエのような動きが混ざった流麗なダンスだった。

 先程まで自分が形作られていたスペースで踊り回り、やがて元の位置、先輩の前で踊り終えてお辞儀をした。

「いかがでしょうか、御主人様。」

「素敵。素敵よ、レイ。でもその呼び方やめて。私は朱理。」

「畏まりました。」

「かしこまんないの。敬語もなし。あなた私の恋人でしょ?」

「そうだね。わかった。」

「この子は莉音。この子にも同じように接して。」

「よろしく、莉音。」

「あっハイ。どうも。」

 初対面で下の名前呼びはアクセル踏み込みすぎな気もするけど、まぁ土人形だし仕方ないか。…いや、そんなわけあるか。

「で、誰ですかこの人。」

「え?だからレイだって。」

「手品ですよね、どうやったか知りませんけど。お知り合いですか。」

「ゴーレムだよ。今作ったでしょ。」

「ゴーレムなんか作れてたまりますか。」

「僕はゴーレム。」

「バカおっしゃい。あっ違、すみません違うんです。」

 勢い余って初対面の方には強い言葉を選んでしまった。故意ではなかったことを伝えようとした時、私は初めてその目を見て息を呑んだ。

 光沢がなかった。陶器に絵の具で色を塗ったような、そんな質感をしていた。残った土が乾いて付着しているだけに見えた肌もよく見ると陶器。

 本当にゴーレムなのか。

「よし。まずはシャワー室に泥流しに行こうか。」

 呆然と立ち尽くす私にこれ以上の説明の必要はないと判断したのか、先輩はゴーレムに向き直る。2人が歩き出すので、受け止めきれない現実を抱えたまま後に続いた。

「ちょっとレイの着替えとってくる。シャワー室に連れてって。」

 先輩は途中で離脱して階段を登っていってしまった。

 会話のないまましばらく。相手が土人形とはいえ、流れる沈黙は気まずい。

「あの。」

「なに?」

「えっと、8×7は?」

「56。」

「世界でいちばん長い川は?」

「ナイルだっけ。」

「夕方になると空が赤いのはなぜですか?」

「たしか夕方は角度的に太陽と自分の間の空気の層が厚くなるから、波長の大きい赤の光しか届かなくなるんじゃなかったっけ。」

「さっき生まれたばかりでなんで知ってるんですか。」

「あぁ、知識とかはある程度、朱理から貰ってるから。記憶はまだないけど。」

 なるほど。シャワー室への先導が必要なのはその位置が記憶に基づく情報だからか。記憶喪失の人みたいなものかな。

「けど恋人って何したらいいのか分からない。」

 そういえばこのゴーレムはそんな理由で生み出されたのだった。大丈夫だろうか、そんな理由で人体錬成みたいなことをしてしまって。なんというか、引き換えに足とか腕とか持ってかれたりしないだろうか。

「そんなの私にもわかりません。いたことないんですから。」

「そうだね。」

 こいつ。いたことないけどちょっと腹立つな。土人形よりは知ってるし。たぶん。

「彼氏っていうのは」

「あれ、閉まってる。」

 気がつくともうプールの入口まで来ていた。シャワー室は水泳部が使うために作られたものでプールエリアに設置されているのだが、いつもなら開放されている柵に鍵がかかっていた。

「夏休みだからですかね。」

 ちょうど先輩も追いついてきた。

「おまたせ。あ、閉まってる。しょうがない、乗り越えよう。」

「いいの?」

「いいの。」

 2人は柵の横にある塀を乗り越えてプールエリアに入っていく。

 間髪入れずに乗り越えるという発想に至る所は最早、尊敬に値する。なんでゴーレムの方がちょっと倫理観あるんだよ。そのゴーレムも先輩がやって良いと言えば何でもやりそうで怖いけど。

「ほら、莉音も。」

 まぁこれくらい良いか。普段から開放してる時は無断で入って使ってるし。

 土人形がシャワーを浴びている間、私たちはプールサイドで待つことにした。 シャワーで膝下を流してからプールサイドに腰掛け、足をプールに突っ込む。夕方のプールは温い。体温よりは低いはずだが、ぬるま湯に足をつけている様な感覚だ。時計を見ると午後5時少し前。太陽は既に校舎裏に隠れ、プールからは見えなくなっていた。

「どう、私の彼氏。」

「彼氏って。本当に土人形に青春を捧げる気ですか。」

「ほぼ人間じゃん。」

「土は土です。AI搭載のロボットみたいなもんでしょう。」

「レイには感情あるよ。」

「それだって怪しいもんです。AIにも人間の行動パターンを学習して感情があるかのように振る舞うことはできるんですよ。表面上は人と同じ様に見せられるんです。」

 先輩は私の背中に腕を回してもう片方の手で二の腕辺りを掴むと、ぐいとプールの方へ押し出した。

「えッ」

――どぼんっ

 腰掛けた状態からだったため首から上は浸からずに済んだが、慌ててプールサイドへ上がる。

「ちょっと何してくれてんですか!」

「怒った。」

「私だって怒りましたよ!」

 私がプールから上がる間に、先輩は報復を避けるためちゃっかりプールから離れていた。

「ねぇ莉音。」

「なんですか。」

「私のこと好き?」

「逆に好きだと思います?このタイミングで。」

「いつもは?」

「いつも?」

 質問の意図が全くわからず、プールに落とされた驚きが困惑に塗りつぶされた。例によって先輩のペースに持ち込まれてしまったので報復は断念した。

「まぁ…好きなんじゃないですか。」スカートを絞りながら適当に返事をする。

「愛してる?」

「愛してはないと思いますけど、さすがに。」

「わたし、愛し合いたいの。だからゴーレムを作った。」

「ですからね、先輩――」

 言いかけて、留まった。いま先輩が怒ったのはそんなこと先輩が一番良くわかっていたからではないのか。紛い物でも愛されたくて作ったのに、紛い物だなんて改めて突きつけられたくなかったのだろう。

 だとするとちょっと申し訳ない事をしてしまった。それにしてもプールに突き落とすのはやり過ぎだと思うが。

「そうですか。愛してくれるといいですね。」

 手遅れかと思いつつ応援の言葉をかけた。

 先輩はハンカチで足を拭って靴を履き終わったところだった。

「体操服取ってくるね。私のだから小さいかもだけど。」

 先輩がプールエリアから出てくるのと入れ違いでレイがシャワー室から出てきた。レイが思ったより大きく仕上がったのか、服が張っていた。

「キツそうですね。」

「大丈夫。」

「苦しいとか痛いとか感じるんですか?」

「それはまだ。」

「そうですか。まだ?」

「だんだん人に近づくんだと思う。」

 よく見るとレイの目に光沢が宿っていた。とはいっても私達のそれとは違う、先程の目に加工したような、ティーカップの様な質感になっている。

 二、三言葉を交わすうち、先輩が戻ってきた。

「朱理。」

「おまたせ。ちょっと小さかったね。買い直そっか。はい莉音、着替え。」

「どうも。」

 着替えを持って更衣室に入る。上が地の厚い長袖だったのは助かった。そういえば私のブラウス透けてたな。まぁ土人形だし良いけど。

 先輩の体操服に着替えて、来ていた服はレイの着替えが入っていたビニール袋に突っ込んだ。

「キツそうだね。」

 戻ってすぐにレイから爆弾発言が飛び出した。おいおい。身長の差があるからたしかにキツいけど。

 先輩がレイの腿裏を蹴りつける。

「デリカシー入れ忘れたわ。」

「これが…痛み。」

「初めての痛み!近づきましたね、人間に。」

 私たちは無表情のレイを挟んで笑った。

 先輩はゴーレムと一緒に泥や砂を掃除してから帰るというので手伝おうかとも思ったが、服も濡らしてしまったし下着もおシャカになったので、明日も学校で会う約束をして私だけ先に帰宅した。


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