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アレクシス 絶望のその先に

 火山の中。

 ここは暗くて暑い。

 湧き出る汗を腕で拭いながら、俺は頭上の、どこまでも続くような崖を仰いだ。


 どのくらい、時間が経ったのだろう。

 もう何十時間もここにいるような気がする。


 長く感じるだけで、本当はたった数時間かもしれないし、本当は何日も経っているのかもしれない。


 火山口に入ってから、どうにか這い出ようと我武者羅に踠いていた。

 魔物も何百と斬り倒した。

 ーーーだけどそれ以上に黒い岩から魔物が出てきて、かなりの数の魔物が先に地上へと向かっていったように思う。


 下方では、マグマが赤く泡立ちながらグツグツと音を立てて、俺の足を溶かすのを今か今かと待ちわびている。


 火山の中に留まる魔物は、そんな俺の姿を見ては襲いかかってきた。


 自慢の大剣の刃は、刃零れと魔物の血で、とうに使えなくなっていて、魔物を斬ることは不可能だった。ただの魔物を叩き殺す棒と化した剣を振り回しながら、俺はひたすら、この穴から出ることだけを考えて、足掻いていた。

 疲労は限界近くに達しており、身体も思うように動かない。そんな身体をどうにか支えてくれていた魔力も、残り僅かだ。


 根をあげそうにはならなかった、と言っては嘘になる。

 でも、絶対に諦めたくなかった。


 このままオムラントを見捨てるわけにはいかない。

 俺には辺境伯としても、領主としても責任がある。簡単に諦めることは許されない。


 ーーーそして、ステラ嬢にもう一度会いたかった。

 せめて彼女に、最後のあの時のことを謝らなければ、死んでも死にきれない。

 そう思いながら、必至に這い上がった。


 ーーーだが、魔物の死体の山を登って、ようやく火山口を出た時には、もう、地上は地獄のようになっていた。


 それは暁の時刻。

 太陽は出ていないが、ぼんやりと空が白み出している空の下。


 火山口から溢れた魔物は地を埋めつくし、噴火して他の火山口から流れた溶岩は、あれほど綺麗な緑でいっぱいだったオムラントの森の大半を死滅させていた。

 火山灰は黒い雲となって空を覆い、上がりつつある太陽の光を遮断している。

 

 ところどころに見える兵士や騎士は、疲労で倒れかけ、すでに怪我で動けない騎士も数多くいた。

 

 魔物は遠くにある最後の砦に向かっており、このままではオムラントの町に入っていく。


 ーーー走らなければ、と思った。

 すぐにでも走って、あの魔物達を一掃しなければ。

 これまで積みあげてきた、何もかもが終わってしまう。

 

 穏やかな生活をしていた領民は死に絶え、国では鎮魂歌が蔓延するだろう。

 下手したら国さえも滅ぶかもしれない。


 ーーー動け。剣を振れ。

 ーーー何も考えず、ただ動け。


 魔物達が。

 最後の砦にやってきている。

 あれを越えたらーーーもう終わる。


 ーーー動け。

 立ち続けろ。

 ーーーだがもう身体がーーーー。

 いや、あと一振りだけでも。


 そんな俺の目の前に、大きな熊の魔物がやってきた。飛び出すように攻撃を受けて、左肩に大きな衝撃を受けた。骨が折れた音がする。


 激しい痛みに顔をしかめ、左肩を右手で支えた。


 ーーーそういえば、と思い出した。


 ステラ嬢との初めての出会いの時も、俺の前に熊が現れたのだった。俺が熊を一刀両断したら、彼女は目をまん丸とさせて、俺を凝視していた。彼女はしばらく固まっていてから、起こすために伸ばした俺の手を、真っ赤な顔をして掴んだ。


 ーーーステラ嬢。


 薄茶色の髪の女性が、脳裏に浮かんでは消える。

 こんな状況で、そんなことを思い出した自分に自嘲してしまう。

 目の前にあることにさえ、集中できていない。

 

 俺は唇を噛み締め、右手だけで大剣を掴んで、巨大な熊の魔物の胴体に、回旋させてぶつけた。

 まだなんとか力は残っていたようで、熊は横殴りの圧に耐えきれず、俺の視界の端に飛んでいく。


 だがその勢いで、俺はつい、片膝をついてしまった。 

 早く起きて体勢を整えなければ。

 しかし左肩の負傷で、うまく足が立たない。

 こんな時にーーー。

 早く、早く立たなければ、全てが終わってしまうのに。

 そう思った時に俺はーーー。


 はるか遠くの方で、小さく「キュウ」と鳴く声に気付いて、空を見上げた。



 ーーーそこにいたのは、大きな翼を広げた茶緑の竜に跨がる、金色の髪の女性の姿ーーーだった。



 黒く分厚い雲の下。

 どこまでも続いた、広く高い空の向こう。

 それでも、その姿を見間違うはずがない。


 ーーーあまりの驚愕に、俺は瞬きすらできなかった。 


 この国に、金の髪を持つ女性は、ただ1人しかいない。


「ーーー何故、ここにーーーー」


 遠くにいてもわかる。

 白磁のように白い肌。腕は細いが、華奢というわけでもない健康そうな身体。凛とした横顔。

 豪華な青と紫のドレスを着ている。


 空を竜で駈ける彼女が右手を横にスライドすると、その手から発された一閃の光が飛んでいき、最後の砦の前にいた魔物達に届くと、魔物達は刹那に斬り倒された。


 一網打尽。

 その破壊力に、俺は自分の目を疑う。


 今度は彼女が右手を挙げると、空から大量の炎の雨が、辺り一面に降り始めた。この広範囲に、あれほどの炎の玉を同時に繰り出せるものなのか。


 唖然とするしかない。


 俺の知る金の髪の女性は、魔力が強大だとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。

 これでは、彼女1人で軍隊1軍に匹敵する。いや、それ以上かもしれなかった。


 落ちた炎は燃え盛り、炎を受けて身体を焼かれた魔物達の咆哮が、遠いこの場所にも鮮明に届く。


「『炎陣』」

 

 彼女が声を出すと、今度は俺が見える範囲、全ての地面が赤い炎によって燃え上がり始めた。


 上からも下からも襲ってくる炎に包まれ、魔物達は逃げ場を失う。


 ーーーでも俺は知っていた。

 この魔法は、『敵』しか狙わない。

 味方やそれ以外の無害ものには、何の影響もないのだから、本当に不思議な魔法だった。


 『クー・グラン』でのあの映像は、忘れることはできない記憶だ。

 その魔法を使用した人は、金色ではなく、薄茶色の髪をしていたが。


 辺りが炎に包まれた中で、その金色の髪の女性を乗せた竜は急降下し、俺のすぐ手前の地面に足をつけた。

 

 彼女は、軽やかに竜から降りる。


 その容姿と仕草のあまりの美しさに、彼女が誰か知らなければ、女神が降臨されたかと勘違いしてしまいそうになるだろう。


 彼女は、青と紫の豪華なドレスを鬱陶しそうにしながら簡単に整えると、くい、と首を伸ばして、姿勢を正した。


 その彼女が、片膝をついたまま身動きできなくなっていた俺に、右手を伸ばした。

 ーーーそれはあの時と反対で。


 空に降る炎の雨。

 地面を覆う、灼熱の火炎。

 視界に広がるは、先程よりもはるかに地獄の映像のはずなのに。

 その狭間にいて、柔らかく風に靡く彼女の姿は、あまりに神々しく。

 

 俺に伸ばされた手は、とても細く頼りない。

 しかし、その金の髪の下に見える紫の瞳は、雲の陰に隠れている太陽よりも輝いていた。


「ーーーアレスシス様。約束通り、戻って参りましたわ」


 花咲くように笑ったその姿。

 圧倒されるほどの存在感。


「ーーーーー」 


 俺は、あまりのことに、自分の目を信じることができず、視線が彼女に固定して動けない。


 その時。

 視界に入ったのは、その彼女が前髪につけた、何の装飾もないヘアピンだった。


 ーーーずっと前のことだ。

 ステラ嬢の前髪が伸びてきていて、彼女の綺麗な茶色の目が少し隠れていた。

 武器屋に寄った時に、カウンターの端に添えるように置いてあった、無装飾で何の変哲もないヘアピンを見つけ、それを買って何気なしに彼女に手渡した。


 彼女はそれを、まるで恩賜かのように丁寧に受け取り、それ以上ないほどに喜んでみせた。


 ーーー俺は後悔してしまって。


 もう少しマシなヘアピンを買ってやれば良かったと。しかし、何度も女性に物を贈ったら、いらぬ期待をさせてしまう。


 ヘアピンくらいなら別にもう1つくらい、と思う気持ちもあるが、どうせ贈るなら少し上等なものの方が良いかとか、色々考えすぎてしまって、結局、俺は、新しいものを買ってやることができなかった。


 あんな、子供の小遣い程度のヘアピン。

 些末なことのはずなのに。


 ーーーただ、彼女が大切そうに、あの何の変哲もないヘアピンをつけているところを見る度に、胸がそわついて、どうしようもなくなる。


 ーーーやはりもう少し、良いものを買ってやれば良かったなーーーと。


「ーーーアレクシス様!危ないですわっ!!」


 ぼうっとしていた俺の後ろから、さっきの熊の魔物が襲いかかってきていた。

 俺はそれを、半回転して握った剣で斬りつけ、金色の髪の女性は、その熊の頭から雷を落とした。


 ドオン、という雷の轟と地響きで、俺はようやく、その目の前の女性が本物であることを、認識した。



「ーーーイデアーーー様」

 俺は、その名を呼んだ。


「はい。イデアですわ」

 優雅で美しい金色の女性は、大きく頷く。


「イデア、、、」


 前髪にさしてある、ただのヘアピン。そのピンには、俺の良く知る武器屋の印がつけられていて。


 涙が出そうになり、ぐっと唇を噛み締めた。


「ーーーステラ嬢、、、すまん」


 泣くまいと険しくした俺の顔に、その女性は目を細めて、俺に優しく微笑んだ。

「ーーーわたくしこそ、ですわ。アレクシス様」


 やはり、涙がでそうになった。

 俺は顔を背けて立ち上がる。


「ーーーーまずは、溢れた魔物を倒そう」

「勿論ですわ」


 イデア様は、俺の背に手を当てて、回復呪文を唱えた。一気に俺の身体が軽くなる。骨折した左肩も、痛みが消えていた。

 だが、彼女は満足していない様子で、口を歪める。

「ーーーやはり白魔法は、わたくしはイマイチですわね」

と呟いた。

 俺からしたら、白魔法が使えるだけ充分だと思うのだが。


 そのイデア様が、俺をパッと見上げて、俺の瞳に視線を合わせた。 

「アレクシス様。わたくし、本当は王立学園の特別クラスにいましたの」

「ーーーあぁ、勿論知っているーーー」

  勿論、と言ったのが、嬉しかったのだろう。

 イデア様は、口の端を持ち上げて、とても嬉しそうに笑うと、その右手を大きく天に持ち上げた。


「アレクシス様のために、ステラとは違う、このわたくしの真骨頂。ーーーお見せいたしますわ」


 彼女の手が一番高いところまで伸びた瞬間。

 ズガァン、という音とともに、空から光る矢のように落とされた雷は、魔物の這い出る火山口を激しく貫いた。


 急に激しく強い風が吹き始め、火山灰を含んだ黒い雲はあっという間に遠くに追いやられる。

 それにより隠れていた、昇りかけの太陽の光は顔を出し、闇に潜んでいた魔物達も顕になった。


 そして晴天が広がったにも関わらず、炎の雨は降り続け、晴天の中からいくつもの雷の光が、激しい轟きをあげながら、炎の海と化した地上にうごめく魔物を貫き続けた。


  オムラントを覆い尽くさんばかりだった魔物達が目に見えて減っていく様は、見事としか言いようがない。


  そして魔物を倒して笑う彼女の姿は、まるで子供が玩具で遊んでいるようでもあり。


 魔物の姿が殆んど見えなくなったところで、イデアは魔法を使うその手を下げた。魔物が死に絶えたその凄惨な様子を眺めて、満足そうな顔をしている。


 もしかして、と思うこともあり、とりあえず俺はイデア様に聞いてみた。


「もしかしてーーー浮かれてーーーいるのか?」


  びく、となったイデア様の横顔を、俺はじっと見つめる。イデア様は俺を振り向き、少し照れ臭そうに、にこ、と笑った。


「ーーーそうですわね。浮かれて、いるのかもしれませんわ。ーーーアレクシス様のお顔を拝見できて」

 その笑顔が、ステラ嬢と重なる。


 そして耐えきれず、俺は剣をそこに捨て、彼女の名前を呼んだ。


「イデア様。ーーー少しだけ、よいだろうか」

「はい?」


 言われて、俺は彼女の腕を掴んで引っ張った。

 自分に寄せて、これ以上ないほどに抱き締める。


「 ーーー会いたかったーーー  」

 息を大きく吐き出すように、俺はそう言った。


 言って初めて、俺はちゃんと息ができていなかったことに気付いた。

 だからこんなにもーーー辛かったのだ。


「ーーーわたくしもですわ。アレクシス様」

 俺の腕の中から、そう声が聞こえて、俺はまた、その手に力が入った。

 もう、二度と離すまいと。


 

「ーーーアレクシス様。ちょ、苦しいですわ」

 しばらく抱き締めていると、掠れた声を出された。腕を開いて確認すると、彼女の顔が蒼白になりかけていた。


 驚いて離し、大きく息をさせる。

「だ、大丈夫か!?」

「え、えぇ。無事ですわ。でもーーこれだけは先に言わせて下さいませ」

 はぁ、はぁ、と息を吸うイデア様は、息を整えて、少しだけ恨めしげに言った。


「ーーーわたくしは以前のようなステラの身体ではないので、魔力は高くとも肉体は平凡ですわよ。強靭な身体と同じようにされたら、わたくし多分死にますわ」

「ーーーわかった。気をつける」


 頷いてはみたが、正直、自信がなかった。

 イデア様が愛おしすぎた。


 何故、痩せているのだとか、何故、姿が変わっているのだとか、そんな疑問を全て飲み込んだ。


 ーーーあの時の言っていたことが真実であり、嘘をつかれていたわけではないということが嬉しくて。


 ーーー必ず戻ると言われて、ちゃんと戻ってきてくれたことに感謝したくて。


 ーーーただ会えたことが、これほどに幸福過ぎて。


 

 神など信じなかったのに。

 彼女に出会わせてくれた存在に、感謝をしたくなった。


 あの時。

 たった6歳で、俺の心を貫いたその紫の瞳は。


 10年後の今も、こうして俺の目の前で、これほどにも強く、眩しいほどに輝いているから。



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