イデア 運命の出会いがありました
東門というところに連れて来られた私は、想像よりずっと大きなその『門』を、ポカンと口を開けて見上げた。
端から端が一見するだけでは見きれない大きさの城壁の中央に、数階建ての建築物も舌を巻くほどの高さと幅をを誇る門が立ち塞がっている。
これは王の住む王宮の門よりも大きい。
「門をこんな大きさにする意味はあるの?」
わたくしが呟くと、それに返事が返ってきた。落ち着きを取り戻したフィンレーの水色の長い髪が風に吹かれてさらりと揺れる。
「うちの領土の敵の半分が敵国で、もう半分は魔物なんですよ。強大な敵が現れた時に、この門が足止めしてくれます。先に進めずに苛立っている間に、それらを倒すのです。ーーーこちらですよ。足元に気をつけて」
門の横には、まずまずしっかりした階段が設置されていた。その階段を登ると、巨大な門の一番上の柱にたどり着く。門の上というよりは大きな川にかかる橋の上のようだ。真っ直ぐ一直線だけど。
「ここからは、辺り一帯が一望できます。見張り台であり、ここから指揮したり、攻撃したりもできるので重宝しています」
フィンレーが説明してくれている間にも、ドォン、ドォンと衝撃音が聞こえてきていた。
下を見下ろすと、一般的な熊の5倍はあろう大きさの熊の魔物が、壁に向かって体当たりしていた。
王都住まいのわたくしは、魔物を見るのも初めてだったけれど、あの魔物は平民の家よりも大きく、壁にぶつかるだけでこれほどの衝撃音が響く威力を持つ。
「驚きましたわ。魔物とはあんなにも大きいものですのね」
「大きさだけで言うなら、もっと大きな魔物は沢山いますよ。ただあの魔物の強さはA級。町に入ってしまえば、数日で町は完全に破壊されるでしょう」
「まぁ怖い」
とはいえ、本来のわたくしの身体であるならば、あの魔物であっても、この距離があれば、簡単に倒すことができるでしょう。
今のこの身体ではとても無理ですけど。
「ーーー門にはとても驚かれていたのに、あれほどの魔物を前にも、あまり動揺されていないようですね」
フィンレーが冷静な瞳でわたくしを観察してくる。
何であっても大きなものが大好きなわたくしは、動揺どころかむしろ嬉しくなってしまうのですが、それを伝えたら淑女としては失格でしょう。
「あら。そんなことありませんわ。怖くて恐ろしくて泣いてしまいそうですのよ」
よよよと恐怖で震える淑女の演技してみるが、フィンレーは大根役者の芝居を見るかのような冷めた目つきでわたくしに言った。
「、、、貴女がそう言うなら、そうなんでしょうね」
ドォン。
ドォン。
音は響く。
先陣をきった騎士や兵士達が弓や剣を持ち、あるいは魔法を使って魔物を倒そうとしているが、魔物には全く効いていなさそうだ。
わたくしは、離れているとはいえ、自分の足よりも下側にいる魔物を眺めながら、違和感を覚える。
「ーーー魔物が現れたのはともかくとして、何故あの魔物はこの門に執着しているのかしら。自分を攻撃してくる人間よりも、壁を攻撃し続けるなんて」
「この門の中に多くの食料があることを理解しているのではありませんか?」
「、、、そうかしら。目の前に人間という食料がすでにあるというのに?」
「魔物の考えることはわかりませんからね、なんとも。ただ、このようなことはよくあることです。A級の魔物というのは稀ですが」
「、、、よくあること」
わたくしは改めて、その巨大な魔物の様子を眺める。
動物は、基本、動くものに反応する。
そして、自分のよりも大きなものには本能的に攻撃を仕掛けない。
自分より小さくて目の前を動き回り、そして自分に攻撃をしてくるものよりも、自分よりも大きくて微動だにしない門を攻撃し続けることがーーーよくあるだなんて。
門の中の状態を理解していて、それにより目の前の『欲』を我慢できる。それは高度な知性のあるものであるはずなのだけど。
足下の魔物にそんか知性があるようには見えない。
色んな疑問と同時に、色んなパターンの予測を検討しだしている自分に気づいて、わたくしは首を振った。
いけないわ、わたくしの悪い癖ね。
「それで、フィンレー司祭様。こんな危険な場所にわたくしを連れてきて、どうするつもりですの。『安全は保障する』ということでしたが」
フィンレーはわたくしに向き合って、小さく頷いた。
「ええ、そうでしたね。実は貴女には、魔物退治にご協力依頼したいのです」
「魔物退治?」
いきなり何を言い出すのかと思ったら。
元のわたくしならともかく、この魔法もろくに使えない身体でできるわけないでしょうに。
「ご冗談を。わたくしにできることは何もございませんわ」
わたくしが丁重にお断りしようとすると、フィンレーが自分の足を指差しながら、にやりと笑った。
「ーーー先ほどの騎士とのやり取り。見せていただきましたよ。魔法自体は弱いですが、訓練している騎士の足を魔法で引っかけて、ずっとバランスを壊し続けていた。ーーー魔法操作が随分と上手ですね。驚きました」
あら。とわたくしは自分の頬に片手を添える。
この方、よく解っているわね。
わたくしは元々、魔法の威力が強すぎて、あまり『技術』に関しては着目されませんでしたが、実は『魔法技術』に関しても超一流なんですの。
まぁ、つまらない日々の暇潰しに、侍女や下女に地味なイタズラしていたら、技術が勝手についただけなんですけどね。
「お褒めいただきありがとうございます。でもご期待に添えられず残念ですわぁ」
わたくしは頬に片手を添えたまま、悲しげに、ほぅ、と息を吐く。
ぴくりとフィンレーの眉が動いた。
「ーーーこの位置であれば安全は確保できるのに、手伝えない理由が何かあるのですか?」
「そうですわね。わたくし、魔法を使うと持病の癪がでてしまいまして」
「先ほどは全くそのような感じではありませんでしたよね」
「先ほどのはたまたまです。運が良かったのですわ。でもわたくしもたった1つしかない命。そう簡単に使うわけにはーーーねぇ?」
「、、、それ相応のものを寄越せということですか」
フィンレーは眉を寄せながらわたくしに詰め寄るので、わたくしはいえいえと首を振る。
「出すことができない魔法に、何かを要求するつもりは毛頭御座いません。できないものはできない、と申しているのです」
にこり。
そう、わたくしは『女神の部屋』に入れろとか、『魔力測定』をさせろとか、そういうものを要求しているわけじゃないのです。
このステラの身体。肉体的には強靭で無尽蔵な体力を有しているけれど、元々魔法を使っていないから、魔法を使うとかなりキツイ。使いすぎるとどっと後から疲れが押し寄せてくる。
そもそも、わたくしは人から命令されたり指示されたりすることが好きではなく。
ピノット家では食事にありつくために仕方なく我慢しているけれど、そうでもないのに何故、人に指示されてわたくしが疲れるようなことをしなければならないのか。
ここは『お断り』一択しかない。
魔物が町に押し寄せようが、わたくしには関係ないことだし、いくら技術があるとはいえ魔力の少ないわたくしが1人加入したところで何かが変わるとは、とても思えない。
働き損は御免ですわ。
フィンレーはわたくしを睨むように見ている。
「本当に、協力はしないというのですか?」
脅したとしても、わたくしはそんな目で見られることには慣れているので全く動じません。
「そうですわね」
「目の前で多くの人の命が失われようとしていても」
そんなこと、日常茶飯事です。わたくしの前で多くの暗殺者や愚か者が朽ちていきました。
「そうですわね」
にこり。
さっきみたいにキレるのかと思っていたけど、フィンレーは自分を抑えるように顔をしかめた後、深いため息を1つついて「わかりました」と、低い声を吐き出した。
「もう貴女には頼みません。どうぞ、お好きなところにお帰り下さい」
「そうですの?ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、失礼いたしますわ」
釈放、というわけですね。
良かった。あんまり帰りが遅くなると、また継母からいびられて酷い目に遇う。
わたくしはフィンレーにペコリとお辞儀をして、登ってきた階段を降りていく。
フィンレーはわたくしが降り出すのを確認してから、わたくしから興味を失い、魔物の方に向き合うと呪文を唱え始めた。
階段の中間点あたりまで降りてからもフィンレーのその姿が視界に入っており、わたくしは下からフィンレーを見上げる。
司祭というからには、白魔法の使い手だろう。
白魔法は回復や補助魔法が基本で、防御魔法も得意とする系統。
フィンレーが呪文を唱え始めるとフィンレーがぼんやりと光り始める。
呪文は聞いたことのある呪文だった。
人より記憶力のあるわたくしは、どの系統のものでも基本的な魔法であれば覚えている。多少興味を持った魔法ならば、上級魔法も記憶した。それが自分で使えないものであっても。
フィンレーが今、発動しようとしているのは、上級の結界を張る魔法だった。結界を張る魔法はとても強力だけれど、やたら長い呪文がいるのが欠点だ。それでもフィンレーは門の前に結界を張り、魔物から門を壊されるのを防ぐつもりだろう。
有用性のある白魔法。けれど、残念なことに攻撃魔法は殆どない。
魔物から攻撃を防げても、魔物に攻撃することができなけれぱ、追いやることも倒すこともできない。攻撃魔法が使えるならば攻撃をするはず。
「白魔法しか使えないのね」
白しか使えずに、よく司祭まで上り詰めたわね。
まぁ別の分野で優秀なのでしょう。
そもそも、この土地で司祭に『強さ』はあまり必要ない。
わたくしがA級魔物が出現したと聞いても慌てない理由の1つが、オムラント領の騎士団や兵士達の軍は、他に類をみないほど強いとされていること。
王都の国王軍は勿論別格だが、オムラント領は敵国や魔物と戦うことが多く、ただでさえ強い人間が集まっているのに、実戦による経験値がより彼らを強くさせている。
つまり魔物を倒すことができる人達の集まりなので、A級だからといって慌てるほどのことでもないはずなのだ。
ーーーその割にはフィンレーは慌てていたけれど。
そう思った時に。
わたくしの頭上から、太陽の光が消えた。辺りには日の光が照っているのに、わたくしの周りに大きな影ができる。
分厚い雲が太陽を隠した時のように。
ーーー何かが、その光を遮った。
空を見上げて、わたくしはあんぐりと大きく口を開けた。淑女としては失格であるほどに。
上空。そこには分厚い雲ではなく、ボッテリとお腹の大きな翼のある魔物が宙を飛んでいたのだ。そういえば、出現した魔物は2体と言っていたのを思い出す。まさかもう1体が空を飛ぶなんて。
わたくしの真上、いえ、フィンレーの上。
空飛ぶ魔物は、地上の熊の魔物よりは小ぶりだが、人間の数倍の大きさはある。それが明らかにフィンレーを狙っていた。
「フィンレー様、危ない!!!」
わたくしが声を張り上げると、フィンレーはその声に反応して、その翼のある魔物の前に結界を張ろうとする。
しかし間に合わない。
わたくしは駆け出していた。
わたくしはともかく、このステラの身体能力があればーーー届く。
階段を勢いよく登って、フィンレーにスライディングアタックをした。
ギリギリセーフでフィンレーはわたくしと共に、門の上の屋上を擦って転がる。
フィンレーが立っていた場所は、翼の魔物が突撃して、コンクリートで固めてあるはずなのに亀裂が入っている。あの衝撃を直接受けたら、フィンレーは即死していたに違いない。
「、、、貴女、、、」
名前を呼びたそうにしているのにわたくしの名前を知らず、フィンレーは何か口をパクつかせた。
「ステラと申しますわ」
今更、自己紹介なんて可笑しな話だけど。
「助かりました、ステラさん」
「まだ感謝の言葉を言うタイミングではありませんよ。あの魔物をどうにかしなければ」
橋のように大きな門とはいえ、門の上まで来られたら分が悪い。
鳥というよりは太めの蜥蜴に近い風貌の魔物は、まだフィンレーを狙っていて、門の上に転がって体勢が整っていないフィンレーに突撃してきた。
まずい。
わたくしは無心で怒鳴る。
「フィンレー様っ!わたくしに魔法攻撃強化呪文をかけなさいっ」
わたくしの言葉に反射するように、フィンレーがわたくしにその魔法をかけた。
「『マホンテス』!!!」
結界魔法と違って、魔法攻撃強化呪文は短い。
それに合わせて、わたくしは風魔法を打つ。
わたくしの魔法はまだ弱い。大幅に強化されたとしても、多分、B級魔術師の攻撃魔法程度にしかならないだろう。
それではA級魔物は倒せない。
でもせめて、その翼くらいは。
わたくしは持ち得る魔法操作で、風魔法をできるだけ薄く。薄く、薄く、極限に薄くした。
たかが風。しかしそれを薄く、そして威力を増すことで、ただの風はーーー鋭利な刃に変わる。
「『カマイタチ』」
そう呼ばれる魔法を食らい、空飛ぶ蜥蜴の魔物の片方の翼がザクリと斬れた。
蜥蜴の魔物はバランスを崩して宙を飛べなくなり、門の下に落下していく。
「フィンレー様。次は攻撃強化呪文をわたくしに」
「『ヘラクス』」
呪文により魔法がかかり、わたくしの身体が強化される。元々身体能力の高いステラの身体。
それが更に強くなれば。
わたくしはフィンレーの腰にある自衛用の剣を抜き取り、門の上から数メートル下に向かって飛び下りた。
「ステラさん、、、っ!?」
フィンレーの止める間もなく。
どんなに強い魔物だろうが、魔物の心臓であるコアを砕くか、首を切ってしまえば生き物である以上は死ぬ。
何度も退治した悪党どもと同じように。
的確に。そこを狙うだけ。
わたくしは強化された身体、そして落下する重力を使って、先に落ちた蜥蜴の魔物の首もとに、その剣をまっすぐ突き刺した。
「グギャアァァアーーー」
と蜥蜴の魔物は断末魔の悲鳴を上げて、しばらくバタつき、しかし息ができずにそのまま絶命した。
動かなくなった魔物を確認し、わたくしはホッと一息つく。つい飛び出してしまったけれど、倒せて良かった。
昔から、危険を察知したらすぐに対応してしまうのがわたくしの長所であり短所でもあるわけだけど。
仕方ないわよね。命を狙われることが頻繁にあれば、誰だってそうなってしまうわ。
そう自分自身に言い訳しつつ。
心配してか、わたくしを門の上から身体を乗り出すようにして見下ろすフィンレーに、わたくしは大丈夫であると伝えるために手を上げた。
しかし、そうではなかった。
フィンレーは真っ青な顔でわたくしに叫ぶ。
「逃げて下さい!!熊の魔物が!!!」
そうでした。門の前には巨大で凶暴な熊の魔物がいるんでしたわ。
わたくしがその魔物を振り返るや否や、熊の魔物はわたくしに向かってその大きな腕を振り上げて。
わたくしは咄嗟に顔の前に腕を出したが、顔を隠すくらいしかできない。
そしてーーー。
どさり、と倒れた音がした。
一瞬、死を覚悟したのに。
倒れたのは、わたくしではなく、巨大な熊の魔物だった。
熊の魔物は頭だけでわたくしの身体よりも大きい。
それが目の前で倒れていて、わたくしは目を白黒させてしまった。
何故、わたくしではなく熊の魔物の方が倒れているのーーー。
「間に合ったか。ーーー大丈夫か?」
倒れた熊の魔物の後ろから、低めの男の声が聞こえる。低いのに耳に聞きやすく、わたくしはその声の主を直視する。
そしてわたくしは、頭の中で、急に教会の鐘の音が響き渡るのを聞いた。
カラーン、コローン。
カラーン、コローン。
運命、という言葉が脳裏に浮かぶ。
わたくしに手を差し伸べたのは、体躯の良い、背の高い男だった。凛として、後光が差してみえる。
青年ーーーといっていいのだろうか。
30前後であろうその人は、短く切り揃えられた黒髪の下に、凛々しい太めの眉と、アーモンドの形をした切れ長の翠の瞳。そして形のよい鼻と薄めの唇。
その整った顔立ちの下に、これまた理想的な筋肉質な身体をこれでもかといわんばかりに表している。
いえ、身なりからしてそれなりの地位の方なのだろう。立派な服に質の良いマントをつけているから、筋肉が露になっているはずがないのに、服を着ていてもその形がわかるというのは、余程のこと。
わたくしが思い描いていた『理想の男性像』が、今、目の前に現れていた。
その人が、わたくしに襲いかかってきた熊の魔物を一刀両断して、助けてくれたのだ。
これを運命と呼ばずして、なんというのだろう。
「あ、ありがとうございます、、、」
わたくしはそのお方から伸ばされた手を握ろうとして、その『運命の出会い』による歓喜から、ブルブルと手が震えてしまっていた。
男はボソリと「こんなに震えて、怖かったのだな。可哀想に」と呟いたが、わたくしの耳には入ってこない。
わたくしはその人の手を両手で握りしめ、生まれて初めて感じる乙女の潤んだ瞳で、彼の名前を尋ねた。
「ーーーお名前を、伺っても宜しいでしょうか」
わたくしから名を聞かれ、その人は、薄く綺麗な口の端を、わずかに持ち上げて素直に名乗ってくれた。
「アレクシス・レオ・オムラントだ」
ーーーそれは、オムラント辺境伯の名前だった。