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ステラ アントニオにはお世話になっています

 今日は、ノイグラー公爵邸までジュリアン王子が薬を取りに来ている。

 長く続いた雨が止み、久しぶりに良いお天気になったので、中庭の花壇前でランチをしようということになった。


「良い天気ですね、殿下」


 私は、いつものようにシルクの布で顔を覆ったまま、晴れ渡った空を見上げる。

 痩せてからというもの、侍女のマリアが更に張り切って私を着飾るようになった。


 私は淡い水色のフリフリしたドレスを着て、髪には沢山の花がつけられている。今からこの格好で夜会に出ても恥ずかしくないレベルの状態だ。

 相手はいつものジュリアン王子なのだから、そこまでおめかしなくてもと言ったのだけど、マリアには聞いてもらえなかった。

「ジュリアン殿下だからこそ、ちゃんとおめかししなくては」

 

 私が空を見上げながら、ちらりとジュリアン王子を見てみるけれど、ジュリアン王子はいつものように、私のことはあまり見ずに、一緒に空を見上げている。


 王子の横に立つマテオは、太陽の光を手で隠しながら「日焼けしそうですね」と呟いていた。

 私はマテオに話しかける。

「太陽の光を浴びるのは良いことなんですよ。骨が強くなりますし、免疫力も高まります」

 ジュリアン王子が私の言葉に反応してきた。

「なぜ骨が強くなるんだ?」

「それはですね。太陽の光を浴びると、身体の中でビタミンDというのが作られまして、ビタミンDがカルシウムを吸収するのを助けてくれるからですね」

「へぇ」

「手のひらを日光に15分ほど当てるだけでも効果はあるらしいのですけど、やっぱりこうして外に出て当たるのが気持ち良いですよね」


 ジュリアン王子は、綺麗な金色の髪を風に靡かせながら、もう一度、空を見上げる。

 眩しそうに「ほんとにな」と呟いた。

 

 素直なジュリアン王子を微笑ましく思いながら、私はマリアからお菓子とお湯を受け取る。

 お茶は、その茶葉に適した温度で淹れることが大切で、私は自分で温度を確認しながら、ジュリアン王子のためのお茶を淹れた。


 お湯の温度と蒸らす時間。

 それを意識して、私はカップにお茶を注ぐ。


「どうぞ。今日はオムラントの寒い地方で作られたお茶です。寒いところで作られているから、旨味と甘味が特徴のお茶ですよ」


 私の生まれ育ったオムラント地方。

 私がこんな高級なお茶を飲むことはなかったけれど、オムラントの名前を聞くだけで故郷を思い出し、懐かしく感じる。


 お父様、お義母様。ロキやリリアンは元気かしら。

 ダンテにも会いたいわね。

 ロキは少しは大きくなったかしら。

 また空を見上げながら、そんなことを思う。


「確かに甘味を感じる。旨い茶だ」

 満足そうなジュリアン王子に、私は手作りのお菓子を差し出した。

 今日はお茶に合わせて作ったお菓子で、お煎餅にチーズを乗せたもの。アクセントとして少しだけ、上から上質の塩を振りかけた。


 ジュリアン王子はすぐに手を伸ばし、毒味もさせずにお菓子を口に入れる。

 バリンと音を立てて嚙み、そして満面の笑みで破顔した。

「美味い!」

 その後にジュリアン王子はマテオにお菓子を差し出し、マテオが味見をする。

「確かに美味しいです。塩加減が最高ですね。これはどこの塩ですか?」

「オムラントのお茶を取り寄せた時に、一緒に手に入れたものです。お隣の北の国からの希少な塩だとか」

 私がそう言うと、あぁ、とジュリアン王子は納得した声を出した。


「最近、オムラント辺境伯が北の『ヨスベル皇国』との交渉を成功させたようだな。気難しい外交官だという噂だったが、辺境伯の腕が良かったようだ。この間から、それで父の機嫌が良くてな」

「そうなのですね。オムラントの良い話は、私も嬉しいです」

 私が微笑むと、ジュリアン王子の手がピタリと止まる。

「ーーーなぜ、オムラントの状況が良いとイデアが嬉しくなるんだ?」

「え?」

 私は失言したことに気付いて、口を手で隠す。

「え、えーっと。オムラントに親戚がいるのです。親しくしているところなので」

「あんな辺境地に、ノイグラー公爵の親戚がいるのか?オムラントのどこに?」


 ジュリアン王子に問われて、私はしどろもどろとしてしまう。

 大抵の貴族は王都で暮らしている。それぞれの領地はあっても、実際にその領地で暮らしている貴族は少ない。特にノイグラー公爵の一族は高位貴族である人達ばかりで、私が知る限りでも、王都以外で暮らすノイグラー公爵の親戚はいなかった。


「、、、、えっと、、、、」

 私が困っている姿を見てから、ジュリアン王子は小さく苦笑した。

「別に誤魔化さなくていい。イデアが何かを秘密にしていることは、前から気付いていた」


 そう言われて、私は顔をあげる。

 布越しに、ジュリアン王子と目が合った。

「でも言い難いことなのだろう?無理して言わなくてもいい。イデアが言いたいと思えた時に、いつか俺に話してくれればそれで」

「ーーージュリアン殿下、、、」


 ジュリアン王子の気遣いに、少し、泣きそうになった。

 私は本当の私ではない。

 でも元の身体に戻らないと、私はどこにも行けない。

 ピノット家は貧しくて家族でさえ充分には食べられないのに、他人を養うことなんてできないし、他の場所で働こうにも、この金色の髪が王族のものであることは国中の人が知っている事実。

 王族関係者を雇おうという人は、殆どいないに違いない。


 そして、イデアさんの身体に入っているのに違う人間が入っていると知られたら、恐ろしいことが起きそうな気がして、誰にも言えなかった。


 元の身体にはなかなか戻れないし、それならと、イデアさんになりきることを目標としてきた。

 周りの皆も良い人達ばかりだし、ジュリアン王子も良くしてくれる。

 このままでもいいのかもしれないーーなんて、少し思ってしまうこともある。

 

「ーーーありがとうございます」

 そう言うしかできない自分が、申し訳なくもあり。


 じわりと出てきた鼻水を啜り、前を向けと、自分を鼓舞させた。

「もっと食べて下さいね。チーズの中にあるカルシウムは、骨を強くするのに必要なものなんですよ。このチーズは、アントニオが大切に育てた牛からとれたもので」

「アントニオ」

 話の途中でジュリアン王子に声を被せられて、私は口を閉ざした。

 見ると、ジュリアン王子は険しい顔つきをしている。さっきまで笑顔だったのに、すごく不機嫌そうになって、口を歪めている。


「またその名だ。その男は何者なんだ」

 え、と私は首を傾げるしかない。

 なぜアントニオのことをジュリアン王子が気にするのかわからなかった。

「アントニオは、公爵家の馬屋や畜産を任されているものです。私も随分、お世話になっていて」

「は。公爵令嬢であるイデアがその男に『お世話』になるのか。それはおかしい話だな」

 冷たい言い方のジュリアン王子。こんな言い方、会ったばかりの頃のような。いや、もっと感じが悪いかもしれなかった。

 全く理由がわからない不機嫌さに、私も少し腹が立つ。でも、私は笑顔を崩さずに、ジュリアン王子にアントニオの説明をする。


「でもアントニオは本当に優しくて、良い人なんです。お世話になっているのを悪いこととは思えません。ジュリアン王子も会えばきっと、アントニオのことを気に入ると思いますよ」

「そんな男と、会いたくなんかない」

 つんと顔を背けたジュリアン王子に、私はやっぱり腹が立ってしまって。

 

 最近はジュリアン王子も大人びてきて、私ももっと成長しなければと良い刺激を受けていたというのに。

こんな子供っぽい怒り方をするジュリアン王子なんて、見たくなかった。


「失礼します」

と謝罪してから、私はジュリアン王子の手を握った。

「えっ!?」

 ジュリアン王子が間の抜けた声を発した。

 私はそんなジュリアン王子の手を引いて、ジュリアン王子を引っ張っていく。

「ちょっ?なんだというんだ、イデア」


 ジュリアン王子の後ろをマテオがついてきて、私はそのまま、私達がティータイムをしていた場所のすぐ近くにある馬小屋に近づいた。


 馬小屋を見て、私の意図に気づいたジュリアン王子は、私に掴まれた手を無理やり離した。

「その男には会わないぞ」

 声を荒げたジュリアン王子に、私は必死に訴えた。

「会えば殿下もわかります」

「何がわかるっていうんだ」

「アントニオは」


 その時、私達の大声を聞いて、1人の初老の男が馬小屋から顔を出してきた。

「ーーー騒がしいと思ったら、イデア様でしたか。どうしたのですか?」


 私は振り返り、その男の名を口にする。

「ーーーアントニオ」

「!!!?」

 声にならない声で驚いたのは、ジュリアン王子だった。目を見開いてアントニオを見つめている。

「アントニオ、さんですか?」

 後ろでマテオも驚いた声で私に確認してきた。

 私は静かに頷く。

 

 アントニオは、私の横にいる青年の髪の色に気付いて、慌てて土の上に膝をついて平服した。

「こ、これは王子殿下で御座いましたか。こんな姿で申し訳ありません」

 ボロボロの作業着を着ているアントニオ。その白髪が地面についていて、私は慌ててアントニオの傍に駆け寄る。

「アントニオ。汚れてしまうわ」

「いえ、殿下の前でお見苦しい姿をお見せしてしまい」

 アントニオはまだ顔をあげようとしない。

 私はアントニオの横に膝をついたまま、ジュリアン王子の方に顔を向けた。

 王子を前にしてすぐに頭を下げなかった無礼。

 それは、どんな処罰だったかを私は思い出そうとする。アントニオをあれほど嫌がっていたジュリアン王子だ。もしかしたら酷い処罰が下されるかもしれない。

「殿下。アントニオは知らなかっただけで、、、」

「顔を上げよ。アントニオ」

 凛としたジュリアン王子の声が聞こえた。


 さっきとは打って変わったジュリアン王子は、満面の笑顔でアントニオの傍に寄り、アントニオに手を伸ばす。

「こちらが勝手にやってきただけだ。気にしないでくれ。イデアから、そなたの噂はよく聞いている。イデアがお世話になっているようだな。私からも感謝を述べよう」


 にっこにこの笑顔でアントニオを起こすジュリアン王子に、私は唖然としてしまった。


 アントニオは、王子から優しく手を握られて、感激に目を潤ませている。

「ジュリアン殿下、、、ありがとうございます」

 立ってからも深々とアントニオは頭を下げた。

「なに。今日のチーズも、とても絶品だった。これからも美味しいチーズを食べさせてくれると嬉しい」

「お言葉、ありがたく頂戴致します」


 何なの、この茶番、、、。


 訳がわからないと呆れてしまった私だけど。

 妙に機嫌がよく、とてもスッキリした表情のジュリアン王子の姿に、私はつい、つられて微笑んでしまう。


 とても良い天気の下。


 アントニオも一緒に、私達は穏やかな昼下がりの時間を楽しく過ごしたのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 ノイグラー公爵邸から王宮に戻る馬車の中。

 揺られながらジュリアン王子は、満足げな様子で窓から外を眺めていた。


「まさか、アントニオが老人だったとは、驚きましたね」

 マテオの言葉に、ジュリアン王子は小さく笑う。

 金色の髪が、夕日を浴びて少し赤く輝いている。

「老人というほどでもないだろう。まだ肌に艶があった。初老というのが妥当だろうな」

「どちらにせよ、イデア様の相手にはなりませんね。安心致しました」

 ほっとした顔をするマテオに、ジュリアン王子は眉を寄せる。

「何でお前がほっとするんだ」

「いえ別に私がホッとしたというか、、、まぁ、そうですね」

 マテオはもごつきながら口を閉じる。


 沈黙がやってきて、ジュリアン王子は視線をマテオから窓の外に戻した。

 

 アントニオという名前がイデアから出てくる度に、胸の奥がモヤモヤと気持ち悪くなっていたというのに、今は驚くほどにスッキリとしていた。


 アントニオがただの初老の男だとわかっただけなのに、こんなにも気持ちが変わってしまうとは、自分でも驚いてしまう。


 なんとなくーーー。

 自分の気持ちに気付いてしまった。

 イデアへの、自分の気持ちを。 

 

 嫉妬というものだったのか、と思うと、そんな感情を抱けるようになった自分が嬉しかった。

 嫉妬を感じるほどの相手ができたことを。


 人形のような人生だった。

 病のために外にも出れず、親しい人間関係も殆ど築けない日々。

 家族や近しい者以外から、愛されることもなければ愛することもなかった。

 それが、こうやって嫉妬できるようになったのも、奇跡のようだ。


 イデアの性格が変わってから、奇跡のようなことばかりが起きる。幸せなことばかりが。


 ずっと苦しかった病が、少しずつ健康になっていき、こうやって外にも出られるようになってきた。

 窓から見る景色の、季節ごとに違う様子が見れるのも嬉しいし、夏が近づいて、外の風が生暖かいことさえも気持ち良く感じてしまう。


 全て、イデアのおかげだった。

 そして俺は、そんなイデアのことをーーー。


 ジュリアン王子はそこまで考えて、ふと、今日のイデアの様子を思い浮かべた。


 何かとても大切なことを隠しているイデア。

 それは前から気付いていた。

 きっと、性格が変わったことと深く関係しているのではないかと、ジュリアン王子は考える。


 まさか、人が入れ替わっているのではないか。


 そんな馬鹿らしい仮説でさえ、あまりのイデアの変わりようには真実味を帯びてしまう説得力がある。

 

 もし、入れ替わっていたのだとしたら。


 そう考えると次にそのことを否定したくなるのは、『イデア』だからこそ自分の婚約者でいられるのだという事実だ。


 王族と婚姻できる人間は限られる。

 相手が公爵か侯爵家以上の家族のものでないと、周りが許さない。もし高位貴族の中の伯爵家の娘だったとしても、多少は揉めるだろう。

 それほどに、王族との婚姻を結ぶ相手は厳しく制限されてしまう。

 国内だけなら公爵、侯爵、伯爵。その中の娘という人間の数は少ない。この国には高位貴族よりも低位貴族の方が多く、それ以上に平民が断然多い。


 もし入れ替わっていたとして、イデアの中の人物が高位貴族である可能性はどれだけ低いだろう。


 イデアがイデアでなければ。

 それを考えると、恐ろしくもある。


 イデアが秘密にしていることは知りたい。

 理解して、傍に寄り添ってやりたい。

 だけど、知ってしまうことが恐ろしい。


 もしイデアがイデアでなかったら。   

 そんな馬鹿なこと起こるはずがないと、一蹴したい気持ちの方が強くて。


 ジュリアン王子は窓の外を見ながら、まだイデアがイデアである可能性を信じたいと願う。

 そして、する必要のない嫉妬に解放された穏やかな気持ちを、充分に堪能するのだった。



 

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