イデア 魔法を使おうと思うのですが
魔法があれば、わたくしに害そうとするあの平民の小娘達を地面に平伏させてやれるのに。
ーーーと思った時に、気付いたことがある。
ステラというこの少女の身体の中に魔力がある、ということに。
だから学校の帰り道、わたくしは人の気配のない林を見つけて、その奥に入っていった。
一番整っている切り株の上にハンカチを敷いて座る。
両手で大きな輪っかを作り、瞑想をしてみた。
お腹の上。胃の付近に意識を集めると、やはり身体の中に魔力を感じる。しかもわたくしの本来の身体ほどではなくとも、少なくない量の魔力がそこに溜まっていた。
わたくしは魔法の使い方を知っている。そこに魔力がある。ーーーなのに使えない。
難しい謎解きのようだ。
「、、、理由があるはずだわ。この身体で魔法が使えない何かの理由が」
呪いだろうか。それとも別の何かーーー。
「イデア」
急に名前を呼ばれて、わたくしは振り返る。幼い顔立ちのロキが、私の姿を見つけて手を振った。
ロキはあれから、2人の時はわたくしをイデアと呼ぶようになった。身分的にはわたくしを名前で呼ぶなんてあり得ないことだけど、わたくしは弟という存在が前から欲しかったから、ロキには特別に許した。
「こんなところでサボってたのか。探すの苦労したんだぞ」
「よくここにいることに気づきましたわね」
「学校探してもいなかったから。学校からの帰り道で出会わないってことは、道草でも食ってるんだろうと思って。でもあんた金もってないんだから、選択肢は限られるだろ」
「まぁ賢いこと」
わたくしがロキを褒めて頭を撫でると、ロキが少し耳を赤くしてその手を振りほどいた。
「やめろよ、子供扱いは」
「あら。照れているのかしら?うふふ、可愛らしい」
またわたくしが手を伸ばすと、今度は身体ごと動かして避けられた。ロキの髪は細くてサラサラしているので、とても触り心地が良いのに。
わたくしは触れなくて少し残念に思いながら、首を傾げる。
「それで?わたくしを探していた理由は何なのかしら」
「お使い頼まれたんだよ」
「ロキも一緒に?」
「俺は頼まれてないけど。ステラ姉ちゃんはともかく、イデアは買い物さえしたことないんじゃないかと思って、仕方なく来ただけだ」
つん、と顔を背けるロキは、本当に可愛らしい。
弟というものがこんなに可愛いとは、想像もしていなかった。
「あらまぁ。良い心がけね。それではご褒美をあげなくては。何がいいかしら、、、」
考えてみるけど、このステラという少女はそもそも何も持っていないのだった。
わたくしの本当の家なら、欲しいと言われて出せないものの方が少ないというのに。
何もないというのがわかってるからか、ロキも期待した様子もなく口を尖らせる。
「何もいらねぇよ。それより、さっさと買い出しいこうぜ。暗くなったら魔物がいつ出てくるかわからねぇからな」
いきなり不穏な言葉を発しましたわね。
「ーーー魔物、とは?」
わたくしが育った王都に魔物が出没することは、殆どなかった。
国内で最強を誇る王宮騎士団が王都周辺を守護しているからに他ならないが、王都でなくても魔物の存在はあまり耳にしない。そもそも、魔物とはド田舎の辺境地にしかーーー。
思い至って、そうか、とわたくしは項垂れた。
ここは北の辺境地、オムラント地方。他国との国境近くで、戦も日常茶飯事の上に、魔物も当然のように我が物顔で跋扈しているとか。特に魔物は夜に凶暴性を増す。
「、、、そうでしたわね。ここは安全とは決していえない土地。では、その『お使い』とやらを急ぎましょう」
本来のわたくしなら、魔法で大抵の魔物などどうとでもできる。でも今の魔法の使えないこの身体では、魔物に出会ったら死あるのみ。
わたくしは想像するのも嫌だったので、軽やかによく動く足を素早く動かして露店の方に進んでいく。
林を抜けて通りに出てしばらくいくと、その場所が見えた。田舎とはいえ露店の並ぶ場所はそれなりに広く賑わっている。
紙に書かれた品物を1つ1つロキと確認しながら購入してる途中で、薬屋の店が視界に入った。
なぜそこが気になったのかというと、店の前に張り出されている看板に『激安』と書いてあり、回復薬の値段が隣に表記されているのだが、その金額が5銀貨だというのだ。
1銀貨は10銅貨に等しい。パン1個が1銅貨なので、1銀貨でパンが10個買える。つまり5銀貨は、パンが50個買える値段ということになる。
激安のはずなのに、激高だ。
王都では普通の回復薬は1銀貨程度だったはず。王都の5倍するなんて、ぼったくりもいいところ。
「田舎だからって足元みるなんて許せないですわ。悪徳商人なんて、このわたくしがぶっ飛ばしてさしあげます」
わたくしが腕に力を入れて薬屋に押し掛けようとしているのを、呆れ顔のロキが止めた。
「何を物騒なこと言ってんだ。ここじゃこの値段が常識だ。むしろ親切設定なんだって」
「でも5銀貨ですわよ?」
「回復薬を手にいれるには魔術師のいる王都までいかなきゃならないから運送費がかかる。その上、ここは回復薬の使用回数が多いのに持ってこれる量は限られる。そうするとどうしても高くなるんだ」
ロキは小さいくせに意外と物知りで説明上手だ。理由を聞くと納得することができる。
王都の回復薬が安いのは、需要と供給が安定している上に、魔術師が沢山いて手に入りやすいからなのか。
しかし、そもそもここは豊かな土地ではない。ギリギリの生活をするのがやっとの金額しか稼げないのに、こんな高額な回復薬では割に合わない。
「こんなにも辺鄙な場所の平民達なんて貧し過ぎて、回復薬も買えずに行き倒れてしまうのではなくて、、、?」
本気で心配してあげているのに、なんか周りから睨まれた。
「それでも買うんですよ。命を失っては、持っているお金も意味がないので」
聞きなれない男性の声に返事をされて、わたくしはその声の方を振り返った。
そこには身なりの整った騎士、という印象の男が立っていた。やや黒よりのグレイの髪を肩より上に揃えている。わたくしと視線が合うと、少し会釈されて、そのグレイの髪はさらりと流れた。容姿の整ったその顔の中央下にある口の端が均等に上がった。
「ーーー見ない顔ですが貴族の方ですか?貴女、目立っていますよ」
貴族。
変装をするにしても、こんなボロ布を集めたような服を着ている貴族なんて、貴族と言えない。
イヤミかしら。
わたくしは少し目を細めて、小さく息を吸った。感情的になりそうな自分を抑える。冷静に。冷静に。
「少しばかり騒いでしまったようね。あまりに高価に思えたので違法ではないかと勘違いをしてしまったの。違法なら注意をするべきでしょうし」
「その握りしめられた拳は、注意以上のことをしそうに見えましたが」
あら嫌だ。バレてる。
灰色の髪の男は優しい表情を浮かべたまま、柔らかく顔を傾けた。
「どんな理由であれ、暴力沙汰は即逮捕されますし、多少なりの罰がくだされますよ。お気をつけ下さい」
その言葉に僅かながら威圧を感じる。これは親切ではなく警告に近い。騎士の身なりをしているが、治安維持部隊というところか。
わたくしは鼻で笑う。
「、、、こんな小娘にも気を配らなければならないなんて、随分と仕事熱心な方ね。ご苦労様」
そんなわたくしの言葉に、男は少しも表情を変えずに微笑んだままで。
「いえ。本日は警備の仕事ではなく、お使いで買い物をしに来ただけなので。ただのお節介ですよ」
ふうん。それなりに『しつけ』がされた犬というわけね。
わたくしはうわべだけの笑みを浮かべた。
「そう。ただのお節介なら気にしなくて良いわね。ではごきげんよう」
そういってその男から離れる。
わたくしが少し歩いてから、ようやくロキがわたくしの横に追い付いた。
目をまんまるにさせて、驚いた表情をまだ元に戻せていない。
「ーーーいやぁ。俺、初めてあんたのことすげぇと思ったぜ。あの人と普通に話をするなんて」
「なんのことですの?」
平然としているわたくしに、ロキは更に驚いた顔を強くする。
「なんのことって、おまえ、全く感じなかったのか?放つ威厳が他の人と全然違ったじゃないか」
威厳?
何も感じなかったけれど。
「あの人は、オムラント辺境伯の側近であるアイザック様だ。本来は王都と直接商品の取引をしているけど、たまに村にもやってきて、色々とお金を落としていってくれる」
ロキは尊敬の眼差して、さっきの男のことをつらつらと説明していく。
優しいだの、強くてかっこいいだの。
でもあのくらいなら、王宮にも公爵家にも腐るほどいる。一般的な騎士の姿だ。
ーーーだからだろうか。
この姿になって、できるだけ他者とは丁寧に接しようとしているのに、さっきの男とは、元の身体での日常のように会話してしまった。
「、、、ねぇ、ロキ。ここでもし、わたくしが暴れたとして捕まった場合、どんな罰を与えられますの?」
ロキはギョッとする。
「俺に聞くなよ。こう見えて、俺は手を悪に染めたことはないからな。お金を払えと言われても払えるお金がないやつが多いから、ムチ打ちとかかな。犯罪の内容にもよるだろうけど、窃盗したやつはムチ打ち10回とか。やりすぎじゃないかという噂もあるよ。悪いことはできねぇよな」
「まぁ。痛そう」
そう言うけど、わたくしはかつて、わたくしの機嫌を損ねただけで、下女達にムチ打ち50回とか拷問に近い罰を与えたり身体の一部を奪ったりしていたわね。もしかして、あれってやり過ぎだったのかしら。
「さ、それより、そろそろ帰らねえと、またイデアが母さんから小言言われてしまうぞ。夕飯抜きとか嫌だろ」
「そうでしたわね。夕飯抜きは困りますわ。急いで帰りましょう」
バタバタと帰って、まだ夕焼けにもならない時刻にピノット家にたどり着いたというのに、継母アンナはしっかりと説教をしてきた。
「随分と遅かったのね。寄り道してきたんでしょう。渡したお金のお釣りをくすねたりしてないでしょうね」
この人、わたくしに嫌がらせしないと死んでしまうのかしら。
帰ったのが夕暮れ前だったのに、意味のわからない説教が終わった時には、夕焼けもとっくになくなっていた。
途中で拳を握り締めたわたくしに、申し訳なさそうな顔をしたロキが慌てて首を振った。
継母に反抗したら、更に酷い仕打ちが待っているからだろう。
この身体はわたくしのものではない。
できるだけ早く元に戻るつもりだから、あまり傷はつけない方がいいというのは理解している。
心の底からぶっとばしてやりたいですけどね。
ーーーそのわたくしの祈りが通じたのか。
わたくしが風魔法を使う気持ちで手刀を切ると、継母アンナの足が絡んで、ステンと転んだ。
アンナは何に絡んだのかと、キョロキョロしながら不思議そうに起き上がったのだった。
あら。これって。
魔法が少し使えたーーーってこと?