イデア 生活が変わりました
小鳥の声で朝の目覚めを迎えるのが、わたくしの日常。
繊細なわたくしの耳は、ちょっとした物音さえも気に障るため、ノイグラー公爵邸のわたくしの部屋では、少しの物音も許さなかった。
あるのは礼儀としてのドアのノックのみ。
だけど外から聞こえる小鳥の声だけは防げない。
魔法で鳥を殺すのは容易いけれど、物音と違って小鳥の声はあまり気にならなかった。
わたくしの部屋はとても広いから、小鳥の声もそこまで大きくは聞こえないし、遠くでチチチと鳴く声はとても楽しそうで、気持ちよく目を覚ますことができた。
そう。わたくしは小鳥の声が好きだった。
ーーーーここに来るまでは。
「チチチ」「チュンチュン」「ヂ、ヂュン、ヂュン」
「コ、コ、コ、コケコッコーッ!!」
毎朝の大合唱。
部屋がクソ狭いからその声達を遮ってもくれない。あら、クソなんて下品だったですわね。口の悪いロキの言葉が移ったのでしょう。
鳴り止まないオーケストラに、わたくしは朝からイライラとさせられていた。
もしわたくしが元の身体で魔法が使えたなら、今から一瞬後には大量の焼き鳥が出来上がっていることでしょうに。
「おはよう、姉ちゃん。今日も早いね」
目を擦りながら部屋にわたくしを迎えにきたロキは、わたくしが早起きだと思っている。本来なら、今頃まだ夢の中でしょうけどね。
「好きで早起きしているわけではなくてよ。鳥の声がうるさくて」
「いつか好きになるさ」
どっちの、とは聞かなかった。早起きもこの鳥達も。どちらも絶対好きにはならないだろうから。
あれからロキは、約束通り、ここでの暮らしのことを何も知らないわたくしに色々と教えてくれた。
仕事なんて絶対する気はなかったけど、せざるを得ない状況に少しずつ仕事を覚えていき、なんとか食事にはありつけている。
籠をひっくり返して牛に餌をやり、牛舎の地面を箒で掃いて、額に流れる汗を拭いながらわたくしは一息ついた。
「、、、お父様はお元気かしら」
お父様がわたくしのこんな姿を見たら卒倒するだろう。わたくしが箒を持っているだけでも目を疑うに違いない。
ロキはわたくしがステラではないことにすぐに気づいた。お父様は、ステラがわたくしでないことに気付いているかしら。
ーーーいえ、気付いていないわね。
お父様は少しぼんやりしているところがあるもの。
もし気付いていたら、きっとすぐにでもわたくしを迎えにきて、ここから救ってくれるに違いない。
わたくしはお父様の大切な一人娘だから。
早く気付いて、わたくしをここから助けてくれるといいけど。
あぁ、早く会いたいわ。お父様。
わたくしはどんなときでもわたくしを守り優しくしてくれるお父様を思い出しながら、黙々と雑草を抜く作業をし続ける。
はじめは土を触ることさえ嫌だったけれど、他の土を耕したり洗濯をしたりするよりは雑草抜きの方が楽だったから、その仕事を引き受けた。
やりはじめると、自分が草を抜いたエリアを広げるのが段々楽しくなってきた。
気付けば集中して2時間も雑草を抜き続けていた。
わたくしの周りの畑にはどこにも雑草が生えていない。なんかスッキリしたわ。
ダンテがさわやかに近寄ってきて、わたくしにタオルを渡してくれる。
「頑張ってるな。ちょっと休憩しようか。サンドイッチ作ってきたんだ。ロキにも声かけたから、もう少ししたらこっちに来るだろう」
ダンテは日陰になる大きな木の下に麻のシートを敷いて、その上に座るようにわたくしを促した。
ランチボックスを開けると、野菜が沢山入ったサンドイッチが並んでいる。
「食べていいぞ」
促されてわたくしは、そのサンドイッチを1つ手に取った。我慢できず、パクリとサンドイッチを口に頬張る。
「美味しい」
「そうだろう?」
穏やかにダンテは笑う。
野菜しか入っていないサンドイッチなんてはじめはバカにしていたけど、食べ慣れてくるとこれが意外にも美味しい。
土のせいか育て方のせいか、野菜が甘い。
モグモグと文句も言わずに私が食べていると、ダンテが私に尋ねた。
「学校にはもう行けそうか?しばらく休んでるだろ?ステラはこれまで毎日休まず通ってたから、そんなに具合が悪いのかと思って。いや勿論、体調悪いなら休んでいていいんだけどな」
「学校?」
わたくしは顔を上げる。
わたくしも学園には通っている。
国唯一魔法の授業もある、国内最高峰の学園に。
ただ、あまりにわたくしがあまりに優秀なのと、それなのに隠さなければならない強力な魔力のせいでわたくしは特別クラスに入れられている。
特別クラスの生徒はわたくし1人。
気楽ではあるけれど、少し友達というものにも憧れていたりするわけで。
貧しいビノット子爵家でも、ちゃんと学校には通えるのね、と少し安堵しながら、わたくしはダンテの手を取った。
「ダンテさん。学校なら、わたくしーーーわたし行きます」
「そうか。体調は良くなってきたんだな。良かった」
微笑むダンテはあまりにさわやかで眩しい。わたくしの義理の兄とは大違いだ。
まぁいくら素敵だろうとも、わたくしには関係ないことだった。わたくしが平民と恋に落ちるはずもない。
そもそも、わたくしの好みは、こういうさわやかな人とは違う。もっと逞しく凛々しく精悍でないと。
ただそんな人が現れないから、あのお顔が整っただけのヒョロヒョロとした第三王子と結婚させられてしまいそうだ。
まぁ、あちらもそれを望んでいないようだし、彼は身体が病弱だ。あの王子とわたくしが結婚することはないと思う。彼は便宜上の婚約者だ。わたくしに新しい出会いがあれば、それまでの関係。ただそれだけのこと。早く現れないかしら。わたくしの王子様。
そんなことを考えながら、わたくしはダンテに淑女の微笑みを返した。
「明日から学校に行きますわーーね」
慣れない畑仕事より、学校で勉強している方がずっと楽なはず。わたくしは、そう考えていた。
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「ーーーここが学校、、、ですって?」
翌日、わたくしは学校指定のカバンを持って、学校と思われる建物の前で呆然としていた。
わたくしの通う王立学園は、国内の優秀な人物を育てるために様々な設備が揃えられている大きなものだった。5階建ての校舎が6棟あり、その周囲のグラウンドや中庭まで合わせたら王宮にも匹敵する広さを誇る。
それと比べてしまうからだろうか。
目の前に建つ素朴な校舎は、わたくしの住むノイグラー公爵邸の一番小さな別荘よりもまだ小さい。平屋の、屋根があるというだけの建物だ。
「こんなところで、本当にちゃんと学べるのかしら」
疑わしい気持ちでその校舎の中に入る。
ロキの情報によると、ステラは高等部一年で、Bクラスだという。
廊下を渡り、扉の上に表示されている板を確認する。1ーBという文字を見つけて、わたくしはその扉をガラリと開いた。
あちこちから聞こえるお喋りをしていた声が、わたくしが入った途端、ピタリと止んだ。
数秒だけ沈黙すると、どこからともなく、クスクスと笑い声が聞こえた。
とても感じの悪い笑い方だった。
コソコソと話しているはずなのに、わたくしの耳に聞こえてくるのは、わざとわたくしに聞かせているのだと思う。
「やだぁ。なんか臭くない?」
「わかるぅ。臭うよね。動物の糞の匂い」
「こっちに近づかないで欲しいんだけど」
わたくしが言われているわけではない。
言われているのはステラだ。
でもーーー腹が立つことに変わりはない。
もしわたくしの魔法が使えるならば、こんなクソみたいな小娘達は、朝の小鳥達と同様に、一瞬で焼き払ってあげるのに。あ、小鳥達はまだ焼いていないけれどね。今はまだ。
わたくしは怒鳴りたい気持ちをグッと堪え、魔法が使えなくてもせめて力で暴れ回りたい気持ちも我慢して耐えた。
わたくしが我慢する日が来るなんて。
自分自身で可笑しくなる。
学校で暴れたら、親を呼び出されて修道院に行かされるぞとロキに言われていなければ、わたくしは力の限り暴れていただろう。
わたくしは彼女らの声を無視して、教室の空いている席が1つあったのでそこに座った。
家にはステラの教科書などの勉強道具がなく、ステラの机の中に教科書はあるんじゃないかとロキが言うので、教科書を探すために机の引き出しを開けると、ビリビリに破られた教科書やノートが入っていた。使い古されてビッチョリと濡れている雑巾も一緒に。
わたくしが呆然としている姿を見て、クスクスと笑う声は消えない。
それを聞いて、わたくしの皮膚が粟立つようだった。
ーーーステラって、イジメられていたのね。
家では継母や義妹から。
学校ではクラスメイトから。
ステラは真面目で一生懸命な娘だと聞いた。
いつも笑顔で、笑顔ではないところを見たことがないと、わたくしはロキから聞いた。
家では仕事を熱心に。
学校は休むことなく毎日通っていたという。
ーーーわたくしは、ステラについて考えた。
ステラが何を思い、どうしたかったのか考えた。
そして、考えるのをやめた。
わたくしにわかるはずもない。
貧しい貴族の娘の気持ちなど。
一生懸命頑張っても報われない、そんな経験は、わたくしにはないのだから。
ーーーーでも。
「今のステラはこの『わたくし』なのですわ」
呟いた声は聞き流される。理解してくれる人はいない。でも理解してもらおうとも思わない。
わたくしに歯向かった人間が、この世に存在することが罪。
わたくしが正義。
それを、嘲笑った彼女らに教えてやらないとね。
夢の中でも思い出せるくらい。
いえ、細胞が記憶するくらいの恐怖を、味合わせてあげるわ。
ステラ。
貴女が戻ってきた時に、この席は居心地の良い席になっていることでしょうね。