入れかわってるのですか?
目が覚めたら、わたくし好みに揃えたはずの家具はそこにはなく、メイドの部屋かと思うほど質素な部屋の中だった。
小さなベッドは少し体を動かしただけで軋み、私の体が重いと訴えているかのように聞こえて私を苛立たせる。
部屋を囲む壁は、手を伸ばせば届くほどに近く、そこから覗く外の世界は、わたくしの庭師が丹精込めて整えた庭園ではなく、何の手入れもされていない自然界そのものの世界だった。
窓に小さな虫が張り付いているのに気付いて、わたくしは声を上げた。
「だれか。だれかここに!」
わたくしのメイド達は、わたくしが呼ぶと一瞬で集まる。そう調教した。
なのに呼んでも誰も駆けつけてこなかった。しつけがまだ足りなかったのだろうかと部屋の入り口を見たら、うっかり見落としそうな小さなドアしかない。
こんな小さなドアでは、わたくしの護衛1人さえも通れないのではないかしら。もしかしたら入りたくても入れなくて、ドアの前で詰まっているのかもしれない。
仕方なくベッドから足を伸ばすと、いつも起きるまでに時間がかかるはずの身体が、羽のように軽く起き上がった。
「あら。気持ちが良いわ」
美味しい食べ物を毎日食べているせいで、少しばかり太めのわたくしの身体は、左右に曲げるだけでも反対側から引っ張られている感じがして、動きにくい。常に気だるさと肩凝りと頭痛に悩まされていて、ついイライラとメイド達に文句を言ってしまったりもする。
まぁ、わたくしの傍にいれるだけで名誉なことなので、多少八つ当たりされたところで気にするような心の狭いメイドはわたくしの傍にはいない。いつも笑顔でわたくしの言うことを聞く。
それもわたくしの調教のたまものなのだけど。
でも今日は頭痛もないし肩凝りもないし、凄く軽く身体は動くしで気分が良かった。
わたくしはスムーズな動きできょろきょろと質素な部屋を見渡して、小さく首を傾げた。
やはり夢ではなく現実として、知らない部屋にわたくしはいるのね、と心で思う。
知らぬうちに誘拐でもされたのかもしれない。
よくある話だ。
わたくしの身柄を拘束して、お父様との交渉のネタにしようとしているのだろう。
だが、わたくしがその気になれば、そこらの騎士よりも強力な力が出せるのだ。
わたくしを誘拐した奴らは皆、わたくしによって想像も絶する地獄を味わってきたのだから。
ーーーわたくしの名前はイデア・イシュタル・ノイグラー。
ノイグラー公爵の一人娘。
兄はいるものの、公爵を継ぐための遠い親戚からの養子だから、わたくしとの濃い血の繋がりはない。
実質、お父様の本当の子供はわたくしだけ。
よって、溺愛されて育ったわたくしを誘拐しようとする人はあとを絶たないというわけだけど。
わたくしも高貴な血筋を持って生まれた以上、婚約者候補はいる。でも恋愛というものに憧れは残っているわたくしに、そんな『力』があると知られたら、怖がって良縁が逃げていくかもしれないでしょう?
そのくらいで怖がる夫なんてこっちからお断り、と言いたいけれど、貴族の男の方はそういう人が多いらしいし。バレないようにしておきなさい、とお父様が言うから、仕方なく、誘拐犯だけにしかその力は披露していない。
誘拐犯が解放されてから、秘密をバラすかも?
いいえ、それはあり得ない。
なぜなら、彼らの命はわたくしを誘拐したのが発覚した段階でこの世から消え去るから。
わたくしは今までの誘拐犯達の最期の姿を思い出して、くすくすと笑った。だって彼らは愉快な最期が多いのだから。
「、、、またわたくしを愉しませてくれるのかしら」
ひとしきり笑ったところで、わたくしはドアを開けてゆっくりと階段を降りていく。
誘拐にしては手足を括られていないのが不思議だけど、わたくしが高貴な令嬢だからと舐めていたのかもしれないわね。
それが命取りだったってことを、後悔させてあげるわ。
階段から降りて、わたくしは細い廊下の先にある、フローリングであろう部屋のドアのノブを強く握った。
数人の人の気配がする。
誘拐犯達ね。
「覚悟なさい」
呟いてドアをガチャリと開けて、手に魔力を込めた。そして巨大な爆発の魔法をーーー。
放ったはずだった。
なのに、わたくしの手からは何も魔法も出てこなかった。一体何故ーーー。
ドアの開いた音で振り返ったのは、4人の人間。
狭い部屋の中央に位置するテーブルイスに3人が座っていて、1人はその近くで立って、彼らに料理を出している。
鮮やかな茶色の髪をしている2人と、濃いめの茶色の髪の人が2人。そのうち、1人立っている焦げ茶色の妙齢の女性が、私を強く睨み付けて怒鳴った。
「ステラ。何をグズグズしているの。朝の餌やりをサボったわね」
「僕が代わりにやったんだよ。感謝してよね」
わたくしよりも一回り小さい少年が、柔らかそうな茶色の髪を揺らして、わざとらしく頬を膨らませてわたくしを見ている。
少年と同じ髪色をした中年の男が、わたくしを見てから席を立った。
「ステラ。ビノット家の家訓を忘れるな。働かざる者、食うべからずだぞ」
そういって中年の男は部屋から出ていった。
もう1人の人間はわたくしと同年齢の若い女の子で、妙齢の女と同じ焦げ茶の髪をしている。そこそこ可愛い顔ではあるが、その性格の悪さは隠せていない。
食事を終えて、口を白いハンカチで拭きながら、わたくしを睨み付けた。
「ちょっと。何をぼぉっと突っ立ってるの。さっさと食べて仕事をし!Σ(×_×;)!なさいよ。ほんと、あんたってトロいわね」
ーーー意味が、わからなかった。
本来なら、このわたくしにこんな口のきき方をした人間は即効、鞭100回の刑にしてやるのだけれど。
いや、それより先にわたくしの魔法が炸裂して、鞭打つ手足さえ残っていないはずなのだけど。
でもこの時のわたくしは、あまりの訳がわからない事態に驚き過ぎて、言い返すことさえできなかった。
ステラとは?
ふとみると、部屋の片隅にある小さな姿見に、1人の少女が映っている。わたくしのはずであるその姿は、わたくしとは違って、とても貧相で痩せ細った少女だった。
ここは何処?
この人達は誰?
ーーーそしてわたくしは誰なの?
わたくしは目の前が真っ白になって、気を失ってしまったのだった。
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目が覚めたら、眩しすぎて目が潰れるかと思った。
豪華絢爛、というのはこういうことを言うのだろう。私の部屋のはずなのに部屋の端を探すのに首を動かす必要がある。一度だけ社交界デビューのために行った会場に飾られていたものよりもずっと高級であろう家具達が、私の家の敷地よりも大きな部屋の中に並んでいる。
寝ているベッドはどこかの王族が使っているそれかと思うほど大きなもので、あまりにフカフカ過ぎて、埋もれて死ぬのかと思った。
埋もれていたから動きにくいのかと考えていたら、起き上がってからも身体は自由には動かなかった。
何故かと自分の手を見てみると、本来の私の腕の3倍はあろうかという太さの腕が私の腕の代わりについていた。
「ーーー????」
私は目を白黒とさせるしかない。
私の名前はステラ・ピノット。
ピノット子爵の娘だ。
子爵とはいえ、曾祖父が怪我をした王族の命を助けたということで、褒美としてもらっただけの称号。わずかな領地では生活は成り立たず、平民と呼ばれる人達と変わらない暮らしをして、農作業やちょっとした工芸品を売って生活している、普通の家庭だ。
貧しいといえば貧しいのだろう。
ささやかな収入を節約して暮らしているから、食べ物もろくに買えず、それによって私の身体は一般に細いと言われる姿をしている。うちよりは裕福な親戚からは『みすぼらしい』と罵られることもあるけど。
「何ーーーなの。この腕、、、」
農作業で日に焼けた私とは違う真っ白な肌は、白磁のようにきめ細かく、そして丸々と太っていた。
これだけ大きな部屋の中にあって、動く距離をできるだけ縮めたのであろうベッド横の豪華な化粧台についている姿見を眺めて、私はヒュ、と息を止めた。
淡い黄金色の長い髪は、王家の象徴。
この国に王族は数人しかおらず、そのうち、王族の血を引く若い女性は1人だけ。
国王の弟であるノイグラー公爵の娘、イデア公爵令嬢。
我が儘いっぱいに育って、太りに太ったその姿。
残虐非道なその性格と相まって、評判が最悪なその令嬢は、貴族だけに留まらず、国民からも類をみないほど有名で。
その令嬢の渾名は『悪魔の豚姫』。
「、、、まさか、よね?」
まだ現実が信じられず、私は苦笑いを浮かべながら、大きな姿見をマジマジと見つめていた。
あら、と私は思う。
「太っていてわかりにくいけど、肉に隠れた瞳は輝く紫でとても素敵」
痩せたら美人になるのではないかしら、と私は鏡に映った姿を見ながら呟く。
その時、コンコンと小さくノックされた後に、わずかな音も立てずに扉が開いた。
頭を下げたままでしずしずと入ってくるのは、この家のメイドだろう。
顔を洗うための桶からは、ほどよい湯気が立ち上がっており、良い香りのする茶葉の匂いが離れた場所にいる私のところにも届いた。
朝の支度かしら。
そう思った私と目が合ったメイドは、一気に顔色を青くして床に這いつくばった。
手を揃えて頭を床につけている。
ぎょっとするほどその手は震えていて、全身で恐怖を訴えていた。
「も、申し訳ございません。お嬢様の起床に気付くことができず、、、っ」
涙を流しながら悲鳴のように出した声は掠れて消えていく。
メイドの声に慌てて駆け寄った護衛と他のメイド達は、そのメイドの姿を見てすぐに何かを悟り、不憫そうにと歪めた顔をそっと反らしていた。
見ていられない、というように。
部屋にやってきたメイドとただ目が合っただけなのにこんなに凄惨そうな雰囲気になってしまって。
全く意味がわからなかった。
ちゃんと入る時にノックはしていたし、支度をしていた彼女に何の非もない。
明らかに『咎められる』という雰囲気なのに、私は何を咎めればいいというのか。
私は重い身体をゆっくりと動かして、そのメイドに近付いた。一歩歩く度に、土下座したメイドの身体がビクっと揺れる。
「ーーーーあの、、、」
「っっーーっ!!!」
返事の代わりに歯を食い縛った彼女に、私はゆっくり身体を屈めて手を差し出した。
「よく分からないのですけど、とりあえず立ちませんか?いくら綺麗にされていても、やっぱりそこは床ですし。汚れてしまいますよ?」
にこ、と笑いたかったのに、顔の肉が邪魔してちゃんと笑えなかった。
それが気になってしまって、私は周りの人達が目を真ん丸とさせて私をを見る瞳には、気付くことができなかった。