流星群に混じる動かない星粒一つ、そのめんどくさい生態。
ここ、小説家になろうには、日々星の数ほどの作品が投稿 更新されてます。
凄まじい速度で流れる新着情報を思い浮かべたら、俺にはそれが物語の流星群のイメージになりました。
そんななろうの宇宙を行く、遅筆短銘の星粒ですどうも。
かれこれこのサイトに足を踏み入れてから六年ほど。投稿作品は長短合わせて、このたび八十を超えました。
その作品群は数字でいうと他に埋もれてばっかりで、特に俺のよく書くハイファンタジーじゃあかすりもしませんで。ジャンル不問の自作市場で上位のだって、なろう全体から見ればないも同じなありさまです。ジャンルによるかな?
先月頭に始まった新作は、すぐにブクマいただいたけどあまりの遅筆がゆえすぐに剥がされてしまってました。
早さが全てで、その中身がたとえ二の次でも読まれ高評価され、果ては書籍化アニメ化するようになって久しいなろうの現在。そのスピードは俺の筆との相性災厄なんだなと、ようやく実感したしだいです。
毎日更新あたりまえみたいな空気、どんな地獄よ?
そんな星粒にブクマや星を付けてくれる人、感想 レビューしていただいた人は勿論、流行なにそれおいしいのタイトルでも、見かけてちらっと覗いてくれるだけでもありがたいのです。
ありがたいとは思うのに、自己肯定感が育たなかった俺ですらも他己肯定であるところの数字を、多数求めてしまうステルス承認欲求を抱えております。
一人に見てもらえるだけでもありがたいことだとわかってはいても、ついつい数字の小ささが気になっちゃうんですよね。
そう思う一方、周りが千だ万だと言ってる中で俺は一桁二桁が関の山、そんな環境ですけど、俺は周りの皆さんみたいに長文タイトル付けるのは苦手だし、筆は鈍いし、話の流れが遅いし、そういう風にしか書けないし、数字がなくてもこれでいいのさと思ってたんですよ。
そんな矛盾を友に幾星霜、2023/10/03頃、突然自分の思考回路とまったく逆の思考(内容はなろうとは関係ない)が脳内に響きまして、これを俺は天啓と思ってるんですけどね。
そんな逆思考が降ってきた影響なのか、タスケテクダサーイがCMでプッシュされてた映画(CMを覚えてる人がどれだけいるのかわかんないけど)の原作の作者さんの苦労を聞いて、
たとえ作品がよくても見られなきゃどうしようもないんだよな、と感想を口にしようとしたら、前半部分を言ってる最中に予期せず涙ぐんでしまい、涙を押さえ込むために 見られなきゃの「み」すら言えなかった、ってことがありまして。
これまでならこんなことはありえませんでした。いくら辛辣な感想を喋ったところで平然としてましたので。
この涙腺ダメージを考えると、どうやら俺は小説含めた発信活動、なにをやっても鳴かず飛ばずであることが、実は自分の知らないところで相当悔しかったみたいなんですよね。
自分の活動に対するスタンスは殆どかわってないのに、知らない間に本気スイッチが入っててびっくりしましたが、そのおかげで気持ちだけはちょっとだけ前のめりになりましたね、このエッセイ書いてるのも前のめった結果だし。
むしろ書くとだけ考えて書き始めてるので、前のめりってよりつんのめってるけど、まあいつものことか。
見た人に楽しんでもらえればと発信活動してますが、それこそ見られなきゃどうしようもないけど、CM打っても伸びは期待薄。
周りの皆さんには放置してても何百何千と見てもらえる力があるけど、俺のは放置してたらあっという間に0が連なってチェーンが作られるアクセス解析のできあがり。
そうだったはずなのに、エッセイ冒頭に上げた新作のPVは、これまでと違って、一話以降早速作品に動きがないのに累計PVがじわ伸びしてて、見てみたらもうすぐ投稿当日の倍の累計PV。
この状況、喜ぶのでなく困惑してます。
「よっしゃ、なんでかはわかんないけどやれるじゃん俺」にならず「これまでと違う、いったいなにが起きてるんだ。どうして突然こんなことになったんだ」になる。
いつもそうで、本来喜ぶところの、予想外にたくさんのポイントなんかの好評価をもらっても、ありがたいけどなんで急にこんな好評なんだろうかと、喜ぶのと同時に「書きたい物を書けるように書いてることに変わりがないのに、今作いったいなにがお客さんの琴線に触れたんだろう」って、答えの出ない疑問が出て来ちゃう。
これが自己肯定感皆無の反応ですよ皆さん。←偏見を植え付けようとするな
これまでの人生単位で自分より上位の存在にばかり遭遇してきたので、プラス事象が自信にまったく結びつかないんですよね。「お前も知っての通り、お前の上位種は関わってきた人間だけでみても、その大半がそうなほど山のようにおる、こんな程度で調子に乗ってはならん」って無意識が、自己肯定感を生じさせないのかも。
でも読まれなくても問題ないはずが、自分の意識できないところでは、涙がにじむほど悔しい。自分がよくわからないという状況ができあがってしまいました←イマココ。
ううむ。どうにも推敲してる間に話題が五転六転してて、発信活動者としての生態報告みたいになっちゃったなぁ。
読み上げ機能使わないと執筆できないから、それが情感を無くさせて推敲地獄にできあがる前から直行するんだろうか。脳が常に添削モードになってるから、書いてる本人がひょっとしたら一番臨場感薄いのかもしれない。
おまけに自分語りは物語と違って、どこで推敲を切り上げたらいいのかわからない。そしていつまで経っても終わらない。
それで推敲しすぎて、なろう登録前に書いてたちみしょ(自作略称)の大本でトラウマ負ったんだよなぁ。これ以上にでっかいトラウマ負ったけどあれでは。
そのちみしょのキャラに、なろうで投稿してから暫く後にリア突されて、自作の幅を広げるきっかけをもらうことになるとは、世の中わからんもんだ。
話の腰が複雑骨折したので元に戻しまして、うんしょボキバキ。
読まれないことに耐性あるはずの俺にさえ、見られないことに悔し涙をにじませる心が眠ってたなら、他の読まれずにいる人たちの苦悩は想像を絶するんだろうな。
そう考えるとある意味自己肯定感皆無でよかったのか? 筆を折らずにいられてるのは、ひょっとしたらこの自作への推し力のなさかもしれないからな。数字との距離感を自分なりに持ってるってのも、いいのかもしれん。
自作への愛着は、作者を超える現象を引き起こしたことが、上記のキャラリア突含めて数度あるレベルなので、愛着ではなく推し力と言っております。
結局このとりとめのない文章、なにを言わんとしてるのか自分でわかりませんw 単なる回りくどい自己紹介にしかなってない気がするんだけど、こんなんでいいんだろうか?
推敲してると色んなことが出て来て収拾が付かなくなるんですがこれ、タスケテクダサーイ!
……ええ、まあ、あれだな。俺の新作みたいにじわ伸びするようになるかもしれんし、即効性を求めずに焦らず行こうぜ兄弟、握り締めてるペンを折っちゃあもってえねえぜ、辺りでまとめておきましょうか。←気のいい山賊かなにかか
昔似たようなかっぽー編集エッセイ上げてるけど、0の脅威をスルーした後のあたいってことで一つ。。
いい閉め方がわからない。ほんと、自分語りは苦手だ。