いつかの君へ
まばたきをした瞬間、私の世界は一変した。
「は?」
突然のことで頭が回らない。白いモヤがかかっているように何かが抜け落ちているような感覚に襲われた。
今の今まで見慣れていたはずの風景が突如として廃墟へと変わった。まるで、私を置いて世界が一気に年老いてしまったかのように道路はアスファルトを割って草花が生い茂っていて、両脇に立ち並ぶ家々も長いあいだ誰も住んでいなかったかのようにボロボロになっていた。
「なに、これ?」
ぽつりと声を漏らすけれど、それに答えてくれる人はいない。
たくさんの人の喋る声もけたたましくなっていた車の音も、いつの間にか消えていた。その事実に気付いた瞬間、ゾッと背筋が凍る感覚と共に自分の置かれている現状を理解する。
「待って待って待って……っ」
恐ろしくなって私は慌てて駆け出す。誰でもいいから人に会いたかった。そうだ、お母さんは? お父さんは? クラスの人たち、先生も。誰でもいい。誰か。
足は、自然と自分の家へと向いていた。こんなにボロボロでどこもかしこも荒れ果てているのに自分がどの場所にいるのかはきちんと理解できてる。
理解できるからこそ、怖い。私が知っている場所だというのがたまらなく怖かった。
家に近付くにつれて心臓の鼓動も大きくなる。ここまで走ってきていまだに一人として見かけない。走っている車一つ見当たりもしない。
私の希望が立ち並ぶ廃墟と同じように朽ちていくような心地だった。
だからだろうか。自分の家に辿り着いた私はそれほど傷付かずに済んだ。
もう、死にたくなるくらいに心がボロボロだったから。
私の家も、他の家同様に廃墟と化していた。ところどころ壁が砕け、家の中が露見している。
「お母さん……」
ボロボロに朽ちた玄関のドアに触れる。なぜかカギはかかっておらずギギィと嫌な音をたてながら開いた。
玄関の中も外と同じように朽ちていること以外は私が朝見た光景のままだ。靴も放置されているし、お母さんの靴もそのままだった。
もしかしたら、お母さんがいるのかもしれない。
「お母さん!」
玄関から大声で声をかける。
瞬間、リビングの方からガタッとなにかが動く音がした。
「お母さん!?」
慌てて靴を脱いでリビングに駆け込む。よかった、お母さんはいてくれたんだ。安心で抜けそうになる力を必死に抑えながら私はリビングにいるお母さんに声をかけて、
「ん、いらっしゃい」
一瞬で血の気がひいた。
そこにいたのは綿が飛び出たボロボロのソファーに座って本を読んでる知らない女だった。
「そろそろ来るころかなぁとは思ってたんだ」
そう言って、開いていた本をパタンと閉じる。
恐怖で足がすくんでいる私はただ、相手の動きをジッと見ていることしかできなかった。
それを見て、彼女は笑う。
「うわー、それそれ。私もこんな顔してたわ。わかるわかる。めっちゃ怖いよね」
なおも警戒する私に女は自分の顔を突き出す。
「ほら、そんなに怖がらなくても、いつも見ている顔でしょ?」
そう言われて私は初めてちゃんと女の顔を見た。その顔はたしかにどこか見覚えのある面影があって、どことなくお母さんを連想した。
「お母さんの親戚……?」
「あー、そっかぁ。そうなるかぁ。てか、最初にこっち見せないと意味わかんないよね」
そう言って、彼女は黄ばんだ紙の束をこちらに投げて寄越した。びっくりして後退る私をけらけらと笑いながら彼女は「それ、新聞」と、言った。
「それでも、かなり古いものだけどね。今はもうそんなの使う人もいないし」
おそるおそる、紙の束を拾う。それはたしかに新聞だった。けれど、一面の見出しも番組表もなんだか違和感を覚える内容だった。
「その発刊日、見てごらん」
言われたとおりに上欄に書かれた日付を見る。
「え?」
気のせいかと思って思わず二度見してしまう。だけど、そこには間違いなく二0八五年と書かれていた。そこで気付いた。さっきから感じてる違和感の正体に。
こんなに古くて黄ばんでいるのに、書かれている内容が新しいんだ。一面の見出しに書かれている内容もよく見てみると『スマホに変わる次世代機種』なんて書かれている。
「それじゃ、ここは」
「そ、未来。んで、私は未来のあなた」
当たり前のようにそんなことを言うものだから、私は言葉の意味がわからずに数秒の間、思考が固まってしまった。その数秒のうちに今、言われたことがどれだけ重要であるかを理解した私はそれを受け入れることが出来ずにへたりと床に座り込んでしまうのだった。
「落ち着いた?」
「はい……」
未来の私から飲み物(見たことも聞いたこともない形状をしていた)を受け取った私はそれを飲んで大きく息を吐いた。
「それ、美味しいでしょ。私のお気に入りなんだ」
「なんか、モンブランの味がします」
「そうそう。味覚に対する研究が進んでね。その人の好みの味に合わせて変化する飲み物なんだよ」
へぇ、と心の中で感動しながらもう一口。今度はティラミスの味だ。甘い味が心を優しく落ち着かせてくれる。
心が落ち着くと同時にだんだんと頭も冷静になっていろんなことが考えられるようになってくる。
「あの、ここが本当に未来だっていうのは……」
「本当だよ。ここは二一二0年。君からしたら百年後の未来ってことになるかな」
だけど、そうなると不思議なことがいくつかある。
「でも、未来の私さんの見た目はとても百歳を超えた人とは思えません」
それが一つ目。私の目の前に座る彼女はどんだけ多く見積もっても三十代前半くらいに見える。本来なら老婆になっていてもおかしくないはずなのに。
「医療の発展も凄まじくてね。当時は医療の限界がーなんて言われてたけど今じゃ細胞を新しく作り出せる技術だって生まれてる。その気になればいくらでも生きられるんだよ」
「それだけじゃないです。この家だって、私が学校に行ったときと変わらないままじゃないですか」
これが二つ目。私がこの家のドアを開けたとき、時間が経って朽ちているこそすれ私物は変わらぬままそこに放置されていた。
「そこの壁にさ、ダイアルがあるでしょ」
そう言って、未来の私は私の後ろの壁を指差す。そこには照明のスイッチと下の方に小さなダイアルがついていた。これは、私の家にはなかったものだ。
「それ、部屋の記憶を覚えさせる装置でね。ダイアルをいじると好きな時代の好きな記憶の内装に変えることが出来るんだよ。もともとは廃墟だったから、機械がバグってホラーちっくにはなっちゃったけど……」
試しにダイアルを少しだけ回してみる。すると、何もなかったはずの私の目の前に一輪の花が描かれた絵画が壁に飾られていた。
お母さんが、お店で気に入って買うかどうか悩んでいた絵だった。
「これで、少しは信じて貰えた?」
「……まだ、私が一番気になることが残ってます」
「どうして、ここに飛ばされてきたのか、かな?」
さすが未来の私、とでも言えばいいのだろうか。結局のところ、私が聞きたいのはそのことだった。
どうして、私はこんなところにいるのか。どうすればいいのか、そもそも私は元の時代に帰れるのか。
「そうだね。その話をするために私は待っていたんだから」
そう言って、彼女は立ち上がる。
「外に行こうか。ちゃんと話をするためにね」
相変わらずここは静かだ。ただの一人も道を歩いている人はいない。
「ここさ、誰もいないから不安になるよね」
隣を歩く未来の私が真面目な顔でそんなことを言う。
「さっきも言ったよね。医療の発展が凄まじいって、それで寿命も一気に伸びたって」
こくり、と私は頷く。
「寿命が伸びたってことはさ、言い方を変えれば死なないってことなんだよね。でも、出産数は変わらない。それどころか少しずつ増えてきてすらいるんだよ。そうなるとさ、足りなくなるんだ、いろんなものがね」
それは、容易に想像できた。土地も水も食料も、それ以外に私じゃ想像もつかないようなものも。きっといろいろなものが足りなくなったはずだ。
「そうなると、後はもう奪うしかないわけだよね。いろんな国が、いろんな人が奪い合ったよ。大切なものをたくさん、ね。でも、それでも足りないの。それじゃあ、どうすればいいと思う?」
問われた私は少しの間、考えてみたけれど良い案は浮かばなかった。
「ぶぶー。時間切れ。国の出した正解はね。肉体を捨てること。身体から意識を切り離して、巨大なサーバーに移し替えるの」
未来の私が言っていることがあまりにも私の現実からかけ離れているせいか上手く感情を現すことができない。未来の私もそれを察したのか「ま、よくわかんないよね」と、笑った。
「ここの区画、ほんの二十年前には人がたくさん住んでたんだよ。それこそ、君のいた時代と変わらないくらい穏やかで賑やかだったの。でも、国からそういう発表がされて、この区画の人たちは全員『移転』させられた」
それを聞いてゾッとした。
「それじゃ、ここにいた人たちは……」
「今ごろは、みんな機械の中だろうね。あ、でも、無理矢理じゃないよ? みんな望んで電子の世界に行ったからそこは心配しないでね」
「そうなんですか……?」
てっきり、国から強制的に連行されてる様子を思い浮かべていたけれど。
そのことを言うと彼女は「そんなに破滅的なことではないよ」と言って笑った。
「みんなね、永遠の命が欲しくなるんだって。不思議だね、昔は死を受け入れていたのに寿命が長くなるとやっぱり欲が出ちゃうのかもね」
そこまで言ってから未来の私は空を見上げ大きく息を漏らした。その吐き出した息にはたくさんの感情や思い出が混じっているような気がした。
「ま、そんなことは君にはまだ早いね。それは君が大人になったときに体験すればいいし。そんなことよりも」
少し早足で私の前を歩いたと思ったらくるりと振り返って向き直る。その表情には少しだけ怒りの感情がこもっているように感じた。
「それよりも、君がここに来た理由だよ。知りたいんだよね」
急に雰囲気の変わった彼女に気圧されながらも私は強く頷いた。
「実際のところ、どうやって飛んだのか私にもわからない。でも、この時代の発明で飛ばされたとかそういうのではないと思う。これだけ時代が進んでる不可思議なことは起こるものなんだよ」
でもね、と彼女は続ける。
「どうやってかはわからないけど、その理由はわかるよ。特に君は私だから余計にね。当時、なにがあったのか私はちゃんと知ってる」
あぁ、そっか。
一番最初に出てきた感想はそんなものだった。
そりゃ、私の未来の姿なんだから知っていて当然なんだ。
私が。
「君が自殺未遂をしたことがそもそもの原因だよ」
死のうとしたことなんて。
死にたくなるほど辛い出来事があったわけじゃない。ただ漠然と、死にたいと思った。
今のまま大人になったところで何も残らないと思ってしまった。そしたらもう、あとはずるずると引きずられるように落ちていって、何も手に付かなくなって。
そして。
「飛び降りたんだよね。学校の屋上から」
そうだ。どうせならみんなが見ている前で死んでやろうと思って。飛び降りたときに、もしちゃんと生きていたらどうなっていたのだろうって思って。
そしたら、ここにいた。
そうだ、聞かなきゃと思ってたんだ。
「私、ちゃんと聞きたいこと、ありました」
未来の私の手を掴む。強く。強く。
「私、このまま幸せになれるんですか? このまま生きても死んでるのと変わらないんじゃないんですか?」
なによりもそれが怖かった。意味の無い人生を歩むくらいなら自殺した一瞬でもみんなの記憶に残りたかった。
けれど、未来の私はそれを許してくれない。
「意味のないことなんてこの世にないよ」
よく聞いて、と彼女は言う。
「これから、辛いことがたくさんあると思う。たくさん傷付いてたくさん後悔すると思う。でも、それは全部、君が幸せになるときの一歩になるから。だから、今ある命を意味の無いものにしないで」
ほんとですか?
私は意味のある人生を送れますか?
そう聞こうと思ったのになぜか声が出ない。
それどころか意識がすぅっと遠のいていく。
「最期に一つだけアドバイスだよ。目が覚めたとき一番近くにいてくれる子を大切にしてあげて。その子はきっと、一生の親友になってくれるはずだから」
その言葉を最期に私の意識はフッと消えた。
* * *
「終わった?」
過去の私が蜃気楼のように消えていったのを見届けていると後ろから声をかけられた。振り返ると、麦わら帽子に白いワンピースという夏を体現したような女性が立っていた。
「うん、終わったよ」
そう言って私は笑う。
たぶん、これで大丈夫だ。伝えたいことは伝えたし。ちょっと、こっちの時代の話をし過ぎてしまったけど。ま、そう簡単に未来なんか変わらないし。おそらく大丈夫でしょう。
「それにしても、本当にこんなことがあるんだね。私、ずっと作り話だと思ってた」
「だから、ずっと前から言ってたじゃんか……」
これだけは何度言っても信じてくれなかった。幽霊とかオカルトとか一切信じてくれないんだもんなぁ。
そんな私をよそに彼女はここら一帯の風景を見て懐かしさで目を細める。
「あの頃が懐かしいね。ここもまだ賑やかだったときだもんねぇ」
「うわ、老人くさ~」
「老人ですからねー」
そう言って、彼女はくすくすと微笑む。
目が覚めたとき、彼女は一番近くで泣いてくれた。その後も、彼女はことあるごとに手を差し伸べて助けてくれた。
それは自分が無意味なんかじゃないって気付かせてくれるには充分過ぎる理由だった。
「いつもありがとね」
思わず、感謝を口にしてしまう。
「こうして今日まで生きて来れたのは、キミのおかげだよ」
「ふふ、意味のある人生を送れてる?」
過去の私がずっと思っていたこと。
今の私は自信を持ってこう答える。
「もちろん!」
(終)
ここまで読んでいただきありがとうございました。
この作品はSSの会メンバーの作品になります。
作者:水城三日