MP0の命運
「さて、坊主。お前を巻き込んでしまったことをとりあえず謝っておくよ」
いや。
「いいんです。でも僕は、あの店主が盗品を扱うような人には見えなかった」
「奴は恐らくいっぱい食わされた口だよ」
と言い、メフィストさんは謎の液体を僕に差し出した。
普通のコップに入っている普通の飲料水だと思いたい。
「善良な市民ではあるが、ずさんな性格が災いして盗品を掴まされたんだろうな」
「メフィストさんは賢者なのですよね?」
「そうだが?」
「……賢者をよく知りはしないのですが、やはり全能という訳ではないのですね」
メフィストさんは肩を竦めた後、僕の左肩に手を置いた。
「そんなのは当たり前だろう? 賢者と言えど、人の子だ」
「ですよね」
納得すると、メフィストさんは坊主は理解が早いなといい、手をポンと払った。
彼女は羽織っていた黒いローブを脱ぎ捨て、優美なる身体のラインを露出する。月白色の薄手のロングワンピースのような、衣服の太もも辺りに長いスリットが入っている。
僕の目に、彼女は身体の隅々まで神々しさを秘めているように映った。
MP0の、そこらへんに転がっている石以下の存在である僕には。
彼女という存在は正に女神のように在り、無自覚だったことに気付いた。
彼女は気軽に話しかけていい人じゃないことに。
「坊主は今いくつだ?」
「今年で6歳になります」
「じゃあ今年から義務教育が始まるのか、見受けた所、お前は聡明な子だ」
「あ、ありがとう御座います」
「もしも研究職に興味が有ったら、必死に学んでいずれ私の下を尋ねるといい」
はいとも、いいえとも返答出来ない。
そのまま俯き加減に退屈な時間を過ごしていると――コンコン。
誰かがメフィストさんの部屋を訪れた。
「失礼します」
っ――声に聞き覚えのあった僕は、身を隠そうとしたのだけど。
「……失礼します、メフィスト様」
「何ようだユルシア?」
「街の警備隊の責任者が、メフィスト様にお目通し頂きたいとのことです」
メフィストさんの部屋を訪れたのは、姉のユルシアだった。
綺麗な銀髪を後ろで束ね、怜悧な瞳は俯いている僕を見ている。
「お断りするよ、引き取ってもらってくれ」
「了解しました。それでなのですが、そちらに居る彼はどうなさったのですか?」
「こいつは、あー、私の甥だ」
実の姉を前にして、僕はメフィストさんに見え透いた嘘を吐かせてしまっている。
まさかユルシアがメフィストさんのお付きをしていると思わなかった。
「メフィストさん、僕は急用を思い出したのでこれで失礼します」
と、荷物を持って、姉の横を通り過ぎ退室しようとした時。
「お待ちなさい」
ユルシアは僕の肩を掴んで引き留めていた。
「メフィスト様、実はこの子は」
「っ僕と貴方はもう赤の他人だ! 離してください!」
「……この子は、エヴィン家の末弟で、ルウと申します。以前お話した例の子です」
「例のMP0の異端児か?」
っ、ついに知られてしまった。
それもよりにもよって、王家の剣と名高い、賢者の塔の住人に。
「坊主、どうして今まで黙っていた? 私はお前を探していたんだぞ」
「え?」
メフィストさんがそう言うと、ユルシアは乱暴な感じで僕の身体を放り。
次には、僕はメフィストさんに抱き留められていた。
「坊主、いや、ルウ……今まで辛かっただろうな」
――だがな、安心しろ。
「これからは、私がお前の傍にいる」
今起きている現実に、理解が及ばなかった。
僕はメフィストさんに強く抱きしめられ、彼女の馥郁を感じつつ。
ただ、メフィストさんの優しく、柔らかい感触に包まれていた。
「……っ」
不意に、目に涙がせり上がった。
前世の記憶を持つ僕はちょっとやそっとのことじゃ泣けなくて。
たまには涙する夜もあったけど。
メフィストさんの胸に抱かれた僕は、大粒の涙をボロボロと零し。
月白色した彼女の洋服を、汚してしまった。
◇
ひとしきり泣いた後、メフィストさんから離れ、訳を聞いた。
どうして彼女は僕を探していたのだ?
「お前の生い立ちはユルシアから事前に聞かされていた。お前は私の研究に多大なる貢献を残す逸材かも知れないと」
「メフィストさんの研究って?」
「今のお前にはちょっと難しいかも知れないが、魔法はどうやって発動するか知っているか? 異世界グロウエッグにいる森羅万象のどれしもが、MPを所持している。魔法はこのMPを媒介にして発動されるのだが」
魔法はMPを消費することによって発動する。つまり魔法は使用者の意思と、持ち合わせるMP量によって匙加減が決まって来る。
「魔法を使う場合、MPの使用量は固定なんだ。例えば火炎系の初級魔法フォトのMP使用量は現在2である。これは魔法式が今後改良されない限り、MPの使用量は2のままだ」
しかし、魔法に用いる術式は年々成長している。
火炎系の初級魔法フォトはマッチで起こすような小さな火を10秒間発生させる魔法だ。1世紀昔であれば、魔法式も今ほど洗練されてなく、MPの使用量も従来の6倍から10倍は掛かっていたという。
魔法式の改良こそが、賢者の塔にいる研究者達の主な命題だった。
「MPの使用量は固定値、これは誰が言うまでもなく、魔法使い自身が肌を通じて理解している」
そして僕のMPは0。
この先、一生魔法を使えない人生だ。
「しかし、どういう訳か、原初まで遡ると、その概念が覆される。従来の魔法のMP使用量は固定値なのに対し、太古の魔法のMP使用量は、割合値なのではないか。ということが私の研究で分かって来た」
……つまり、昔の魔法使いは魔法を自身が持つMPのパーセンテージを代償に発動していた?
「その魔法式は従来の方法に比べ、余りにも非効率だ。というのが今の定説。しかし、古代の魔法式をMP0のお前が用いた場合、どうなると思う?」
「どうなるのでしょうか?」
「私もそれが知りたい。元々、MPが0のまま生きていられる生命などこの世に存在しない。MPは万物に宿った魂のような物だからな。ルウはMPが0になると、どのような事象が起こるか知っているか?」
MPが0になると、対象はこの世から消失する。例えばそこら辺に転がっている石だって、内在するMPを消費すると砕け散るんだ。まるで分子分解のように、形成する因子が消えてなくなる。
「MPが無くなったものは、この世から消滅する。つまりMP0のまま肉体を保っているお前は、奇跡の人と言うほかないんだよ」