女賢者メフィスト
エヴィン家の屋敷は都会の近郊にあった。
たまに兄姉達の友人が遊びに来て、嬉々として驚嘆の声を上げる。
その際、僕は自室から一歩も出ないよう厳命されていただけに、他人に慣れてない。
屋敷から一時間も歩けば、近場の街であるボイジャーへと辿り着いた。
大通りの先にある巨大な王城を中心として円状に街のこずえが伸びている。
往来を行き来する人間は皆MPを大なり小なり持ち合わせる魔法使いだ。
「へいらっしゃい」
父から貰った旅の資金は金貨10枚。
世界の物価が知りたかった僕は手短な露天商の品を見繕うことから始めた。
「おじさん、金貨1枚あれば何が買えそうですか?」
「坊主はどこかの貴族の子供か? 金持ちなんだな、俺をご両親に紹介してくれてもいいんだぞ?」
「父はおじさんのような人に苦手意識持ってるから」
「お前の目に俺はどう見えるんだ? ハンサムガイか」
「悪い人じゃなさそうだけど、なんか性病持ってそう」
「初対面の相手にそれを言うな」
というぐらい、露天商を営む彼は不衛生な格好をしていた。
顎や頬に髭をたくわえ、上着も薄手の羽織一枚だけだし。
下履きのズボンの膝には虫食い穴が開いている。
「おじさんは中流階級の人でいいの?」
「坊主、そもそも俺はおじさんと呼ばれるような年齢じゃねぇ。冷やかしなら帰れ」
「……これ貰います、機嫌を損なわせてしまったお詫びとして」
そう言い、手に取ったのは古びたペンダントだ。
所々錆びていて、トップに古い肖像画が張られている。
「おう、そしたら――」
「金貨2枚支払いますよ。その代り、おじさんの知識も売ってください」
「……は? 知識って言っても、俺はロクな略歴持ってねぇぜ?」
それと俺はお兄さんだ。
店主はことさら若さをアピールすると、僕から金貨2枚受け取ったのだが――ッ!!
「オゴ!?」
「貴様、盗品で金銭を受け取ろうとは、いい度胸しているな」
店主は横殴りに飛来した風の塊の衝撃で吹き飛ばされてしまった。
彼が倒れたのを見て、僕は風魔法を発生させた人の方を見やる。
「……坊や、いい子だからそのペンダントを渡しなさい」
その人影の正体は、黒いローブに包まれた女性だった。
彼女の出で立ちを訝しがった僕は、とっさにペンダントを手で庇う。
「やれやれ、店主、お前のせいでこの坊主に怪しまれただろう」
「坊主、逃げろ!」
店主は逃げろと告げると、彼女に臨戦態勢を取っていた。
無力な僕は巻き込まれないよう街の路地裏に隠れ、二人の様子を見守る。
「何の用だ、賢者メフィスト。唐突に他人の店の商品を盗品呼ばわりしやがって」
賢者メフィスト?
素性が明かされると、彼女はローブをめくり、顔貌を現した。
端正な顔の輪郭に、精緻な鼻、口紅が塗られた唇は光沢を放っている。
瞳の色は深い藍色で、髪の色は黒い……怖気を催すほど、美しい人だった。
「呼ばわりではない、どうやらお前は品の出どころをろくに調べずに店に出しているようだが……お前が取り扱っている商品の数々は、ほとんど私の私物だ」
「どこに証拠があるんだよ! ダラァ!」
吼えると、店主も火炎系の攻撃魔法を放った。
緑色の炎の矢じりが、賢者に向かって走る――ッッ!!
「無駄な抵抗をするなよ」
しかし賢者は彼の魔法を人差し指だけで消しているようだった。
凄い。
MP0の僕には一生使えない魔法が繰り出す非現実的な光景に圧倒されっ放しだ。
そうやって固唾を飲んで、どちらも応援できずにいれば。
「ボイジャー警備隊だ! 街中での魔法の使用は禁じられている! そこの二人、大人しくしろ!」
街の警備隊がやって来て、騒動を起こしている二人を捕えようとしていた。
そしたら――
「チ、坊主、大人しくしてろよ」
「っ!?」
賢者が僕の方へ走り寄り、首根っこを掴んで空へ飛翔した。
「どこへ連れて行くつもりですか!?」
「いいから! 手にしているペンダントを落とすんじゃないぞ!」
◇
空を一度大きく飛翔した後、賢者は滑空するように街の外へと向かった。
「ほら、入れ」
「……ここは、賢者の塔、でしょ?」
「そうだが? 何か問題でもあるのか?」
連れて来られた場所は街から少し離れた3柱の巨大な塔だ。
ここには幼い頃、父に連れられて来た思い出がある。
僕のMPが0であることが判明した場所でもある。
賢者の塔の門を潜ると、中には不可思議な景観が広がっていた
光の球が宙を浮かび、仄暗い塔の内部を照らしている。
塔の内部は複雑な造りになっていて、迷宮のようだ。
「お邪魔します」
「ほとぼりが冷めるまで、ここから出るんじゃないぞ?」
とは言われたものの、先程の騒動と僕は無関係だし。
でも、勘当された身なので、帰る家もないか。
「貴方はメフィストさんと言うのですか?」
先導する彼女の後ろをついて行き、僕は他愛もないことを聞く。
「そうだ、坊主の名前は?」
「ルウと申します」
「やけに恭しい言葉遣いだが、坊主はどこかの貴族家の者か?」
「……いえ、僕に両親はいません」
「そうなのか。見た所、魔力量も少ないし、これから先苦労するだろうな」
少ないどころか、僕のマジックポイントは0だ。
「さ、ここが私の部屋だ。入れ」
「失礼します」
メフィストさんの部屋は見慣れない物で一杯だった。
化学部の研究室のように、ビーカーやフラスコが並んでいて。
うかつに触れば、爆発しそうな異臭が室内を漂っている。
思わず鼻を摘まむと、メフィストさんは不思議な目で見ていた。
「どうした?」
「臭いです」
「臭い? どこが?」
この異臭の中で平然としているあたり、彼女は普通の人とはちょっと違っていた。