安産祈願
「ユルシア殿、ここは滑りやすいゆえ、気をつけるのだぞ」
「ルウ、転ばないよう気をつけて」
アーヴァンクの巣窟は深い大洞窟に存在していた。
草木に隠された洞窟は、進むにつれその広大さを露わにしていく。
年季の入った鍾乳石が目立ち、アーヴァンクが進む先の岩は湿り気を帯びていた。
ここは気軽に人間が入れるような場所じゃなく。
アーヴァンクの最後の砦とも言われているようだ。
「地震でもあったら怖いですね」
「平気だろ、グロウエッグじゃ地震は滅多に起きない。それよりも人災の方が厄介だ」
言われれば、僕がこの世界で地震に遭った記憶はない。
メフィストさんの言うように、この世界で怖いのは人が成す災いだ。
その時。
「わっ!」
僕はぬかるんだ地面に足を滑らし、勢いよく転びそうになった。
「大丈夫?」
しかし前を行くユルシアに支えられたことによって、難を逃れる。
「だから気をつけてって言ったの」
「ありがとうございます姉様」
「わっぱ、姉弟の関係にあるからと言って、ユルシア殿に気安く抱き付くなよ?」
嫉妬したアーヴァンクから注意を受ける。
その様子を最後尾で見守っていたメフィストさんが笑っていた。
「ルウとユルシアは存外仲がいいよな、ちょっと妬けてしまうな――きゃっ」
するとメフィストさんは僕と同じように体勢を崩し、盛大にこけてしまったようだ。
尻もちをつき、痛がる様子のメフィストさんが、可愛いと思えた。
◇
「キュキュ?」
「落ち着け兄弟達よ、今日は儂の嫁を連れて来ただけじゃ」
1時間も洞窟内を進めば、他のアーヴァンクの姿もあった。
アーヴァンクは突如としてやって来た僕達を警戒している。
「……愚弟、これはどういうことだ?」
「おお姉上、こちらに居るのは儂の嫁で、名をユルシアという」
「ほざけ!!」
すると、進路上に立ち塞がったアーヴァンクは激怒し始める。
会話の内容から察するに、僕が召喚したアーヴァンクの姉なのだろう。
「人間にここを知られれば、どうなるかわかったものじゃない。お前は最大の禁忌を犯した」
「何を言う姉上、このままでは我らアーヴァンクはいずれ絶滅する」
ならば、ここは禁忌を犯してでも、外を知るべきだろう?
と、僕らを連れて来たアーヴァンクは弁明するが、その声音には焦燥感があった。
「お前の言うことが正しいとしても、人間を連れて来る理由はないよ」
「込み入った所失礼する、私の名はメフィスト、モリタブル王国では賢者の称号を得ているものだ。事情を察するに、お前達アーヴァンクは今種の存亡を問われているのか?」
その折、メフィストさんが自己紹介と共に向こうの事情を尋ねた。
「気にするな人間よ、お前達が介入した所でどうなるものでもない。今日は何用で参った」
「……お前達が大事にしているという、水の宝珠を見物しに来たのさ」
「人間よ、悪いことは言わぬ。即刻立ち去れ」
「私であれば、お前達が直面している問題を解決してみせるが」
「戯言を、いいから人間は出て行け!」
アーヴァンクの文献にあったように、オスに比べメスの数は少なく。
巣窟を仕切る素振りの彼女は、相当な権力がありそうだった。
「やれやれ、どうするルウ? 潔く諦めるか?」
「諦めません、僕はある人から教わったのです」
簡単に諦めるような真似は、誰かを不愉快にしかしないって。
だから憤るメスのアーヴァンクの前に行き、僕は真摯な眼差しで申し込んだ。
「アーヴァンクの族長さんでよろしかったでしょうか? 僕の名はルウと申します」
「ルウ? いい男だな……妾に何か用か?」
「族長さん、僕は女賢者メフィストさんの弟子として、師の話に耳を貸す機会をお与えくださるようここに切願します。どうか、メフィストさんの話を少しだけでも聞いてやってください」
族長のアーヴァンクの前で土下座し、お願い申し出た。
彼女は困った様子でキュウと鳴くと、僕に面を上げるよう命じる。
「ルウ、そなたの頼みを聞き入れる代わりに、私の願いも言ってもいいだろうか」
「はい、何でも」
「そなた、今特定の女とのお付き合いなどあるのか?」
「えぇ一応」
「何!? まぁよい、そなたが適年齢になったら、もう一度妾を尋ねに来い」
そんな簡単なことでいいのなら、僕としては大満足だ。
「言っておくが、ルウを貴様みたいな猫かぶりにやらんぞ」
「ほう、ルウの特定の人とはお前のことであったか女賢者」
「そうだとも、ルウと私は婚約者だからな」
「……ッ――――――!」
アーヴァンクの族長はひときわ甲高い声で鳴き、洞窟内に超音波を発生させる。
すると後方に居たユルシアと、ユルシアの虜となったアーヴァンクが何事か話している。
「どうやら姉上もこちらのペースに乗って来たな、これで良い」
「あれは何を意味してたの?」
「姉上も追い詰められて、困惑してるのだ。今のは困ったどうすればいいという意味合いの鳴き声だ」
ふーん、そうなのか。
「では早速女賢者に頼みたい。お前も知っての通り、我らは今種の存亡に接している。理由は、アーヴァンクの産まれて来る子供の中に、メスがいないのが原因だ」
「現在、この巣に居るメスの数は?」
「妾をふくめ四人、うち一人は妊娠中で、もうすぐ子供が産まれる」
「では、その妊娠中のアーヴァンクに会わせてくれ」
「何をするつもりだ?」
「先ずは容態を診察し、子供の中にメスがいるかどうか判別させてもらう。その上で、私の魔法を使ってメスの数を三人まで増殖させてみせよう。さらに、今後ともメスが産まれやすくなるような工夫を少し施しておく」
メフィストさんの自信で充溢した台詞に、その場に居たアーヴァンクはさざめいた。
――本当にそんなことが出来るのか?
――出来もしないことを口にしてどうする?
――ならば彼女が言ったことは本当になるのか。
「そうだとも、さぁ、今妊娠中のアーヴァンクの許へ連れて行ってくれないか。ルウとユルシアは別任務として少々お使いを頼みたい。出来るか?」
「どちらへ向かえば宜しいですかメフィスト様」
「二人とも、綺麗に横に並んでくれ、私の転移魔法で飛ばしてやるからな」
言われ、僕はユルシアと横に並んだ。
ユルシアはナチュラルに手を差し伸べ、彼女の手を取る。
「……やっぱり、お前達二人には少し妬けてしまうな」
メフィストさんがその台詞を言い切ると、僕達は神域の如し場所にやって来た。
白霧に包まれた石畳の十字路に幽玄な空気が流れている。
「姉様、ここは?」
「ここは隣国、カムナビの神社だね」
「神社ですか、ならここで安産祈願のお守りでも買って行けばいいのでしょうか?」
「ってことだと思う。とりあえず行くよルウ」
白霧をかき分け、ユルシアは積極的に前を進んだ。
半ば急ぎ足で、石畳をずんずん進み。
「ようこそお越しくださいました、こちらは恋愛成就の神が奉納されております」
「私とこの子の恋愛を占いたいのですが」
「な、何で姉様と僕の恋愛を占うんですか」
「黙ってて」
ユルシア、まさかとは思ったが、今さらになって僕を懐柔しようと言うのか。
僕は貴方含むエヴィン家から受けて来た仕打ち、そうは忘れるつもりはないぞ。
「お二人の恋愛は、困難はあれど、乗り越えた果てにはこれ以上ない絆で結ばれると出ていますね」
「……困難ですか」
「えぇ、これは大恋愛を予兆させる一節でして、もしも二人がその気なら、きっと幸せになれますよ」
「よかったね、ルウ」
実姉との恋愛を予兆されてもなぁ、僕にはメフィストさんがいるし。
でも、ユルシアは占いの結果に大層ご満悦な様子で。
不覚にも、彼女が零した優しく美しい微笑みに、心をほだされてしまった。
その後、神社で女の子を授かれる安産祈願のお守りを3点ほど購入した。
お使いの内容を終えれば、ユルシアがメフィストさんに向かって念話を飛ばす。
『メフィスト様、無事に安産祈願のお守りを確保できました』
『そうか、こちらも幸先がよく。胎児の中に女の子がいるみたいだ』
『私達はこのままここで待機していますか?』
『いや、こちらでの用事は一先ず終わったし、私がそちらへ向かおう』
して、メフィストさんも神社にやって来てしまった。
「ルウ、ここの神社には成就率100%の恋愛祈願があるんだ。一緒に行こう」
「わ! ちょっとメフィストさん、そんなに早く走らないで!」
逸るメフィストさんに連れられ、僕はまた恋愛成就の神の前にやって来ていた。
「ようこそお越しくださいました、貴方は見かけによらずジゴロな方だったのですね」
神社に仕える巫女さんから苦言を呈される中、メフィストさんとの恋愛祈願もしっかりやったさ。