第五話『最悪な日』
シャロンの母が亡くなったことで、シャロンの家族関係は変わってしまいます。
どうなってしまうのでしょうか?
母様が亡くなって一日経った。
「ふぅ……このダージリン、香りがいいわね。もしかして、有名なトリクト産かしら?」
「さすがお嬢様、正解にございます。トリクト産ダージリンの初摘みになります」
「ふふ、こちらのスコーンもナタリーが作ってくれたのよね。ありがとう」
「恐縮です」
どこのどなたかと思うような会話をしているのは、紛れもない私。
右手に紅茶、左手にスコーンを持った私は、お庭のお茶会セットのようなところでティータイムをとっていた。淑女教育のおさらいであり、もちろん、淑女の仮面を貼り付けてだ。
そんな、普段はあまりしないことを提案してきたのはナタリーであり、恐らく母様を亡くした私を元気づけようと思ったのだろう。
ダリアも慰めようとしてくれてるのか、椅子に座った私の足首にゴロゴロとふさふさな毛を擦り付けている。
「……とっても美味しいわ」
「嬉しゅうございます」
ふふ、と温かな幸せを感じながらスコーンを食べていると、いきなり背後から声がした。
「シャーロット」
「はい……あら、お父様」
そこには、父様とその愛人様、異母妹がニコニコと笑って立っていた。なぜ笑っているかなどまったく理解できないが。
権力が上の父様が来たため、礼儀としてすぐさま立ってカーテシーをしてから席をすすめる。
(……なぜ、私のティータイムなどに離れに住んでいる父様たちが?)
内心首を傾げ、なんとなく嫌な予感がしたのと同時に、父様が厳かに口を開いた。
「こちらは、新しく母になるキャサリエ・オリバティスと、おまえの妹になるベアトリス・オリバティスだ」
「よろしくお願いしますね、シャーロット」
「よろしくお願いします、お姉様!」
「……まぁ」
張り付けた笑顔の下で、こいつ何言ってんだ? なんて悪態をつく。
母様が亡くなったのは先日だ。次の日に母が変わるなんてことになったら、社交界の噂の的だろう。すでに愛人様との間に娘もいるのだから、色々邪推できるものだ。
「今日、私たちは本邸に移る。おまえの部屋はベアトリスが使うため、二階の一番右奥の部屋に移動しろ。家具は全て妹に譲れ。おまえは姉になるのだからな。妹を優先しなさい」
「……わかりましたわ、お父様」
(……二階の右奥の部屋って、いわく付きの元使用人が使ってた部屋だよな……)
ニコニコと淑女の笑みを張り付け、よく分からない姉妹理論を説く父様を見て、わざとらしく少し眉を下げて口を開いた。
「申し訳ありませんが……体調が思わしくないため、席を外させていただきます」
「ああ、そうだったのか」
「ええっ、もう行ってしまうの!? お姉様……」
残念そうな異母妹ベアトリスの言葉を聞いて、あからさまに私を帰す気マンマンだった父様がゴホン、と咳払いをした。
「私たちは家族で、ベアトリスはおまえの妹だ。これまでの自由を改め、妹への配慮をしなさい」
「……わかりましたわ」
(……家族を放置してきた奴が何言ってんだ、コイツ……)
若干やぐされた内心を尾首にも出さず、ニコニコと笑い、完璧なカーテシーを披露して、ダリアとともに庭から邸の中へと歩みを進める。それにナタリーが付いてきたのを見て、気になったことを口に出した。
「私は与えられた部屋に向かうが……ナタリー、おまえはお茶会についてなくていいのか?」
「……私は、シャーロットお嬢様の乳母であり侍女にございます。あちらにはあちらの侍女がおりますので」
「そう……」
フンッと鼻をならすように言ったナタリーに苦笑をこぼし、二階の右奥の部屋に、足を踏み入れた。
「ん? 意外と綺麗なんだな」
「元使用人部屋で曰く付きといっても、公爵家の邸で掃除しない場所などございません。しかし、お嬢様の自室と比べると狭いですし、家具……特にベッドも使用人のものを使うことになるのでしょうか……」
悩ましいとばかりに手を口元に当てたナタリーに苦笑する。
元の部屋が大きすぎただけであり、前世の感覚でいうと、この使用人部屋も余裕を持ってグランドピアノが置けるくらいの充分な広さだ。
ベッドもタンスも机も椅子も置いてある。装飾もなにもないが造りのよいそれらは、素朴な印象の部屋とよく合っていた。
「ははは、生活に不便はないさ。さっさと荷物をこちらに移そう。ドレスはもともと一着しかないが、ワンピースは六着……あと下着類も最低限に。それ以外はあの親に貰ったものでも金に変えろ。その金はナタリーが保管しておけ」
「かしこまりました」
スッと頭を下げて部屋を出ていくナタリーが何か言いたげなのを見て、口を開いた。
「どうしたんだ?」
「……悔しくはないのでございますか? 旦那様も非常識過ぎます」
「そうだな、確かに非常識だと思う。でも、いつか自由になるからいいんだよ」
な? と足元にいるダリアを見て問いかけると、「ワンッ!」と元気よく返してくれた。
「なぁ、ナタリー。私な、冒険者ギルドに登録しようと思う」
「ぼ、冒険者ギルド!? 貴族のご令嬢が行くところではございません!! お嬢様、お考えを!」
ギョッとして詰め寄ってくるナタリーに、ははは、と乾いた笑みで笑う。
「普通の貴族令嬢はこんな言葉使いしないし、使用人部屋で生活しない。普通じゃないのなんてわかりきってるさ。それに、冒険者ギルドのギルドカードがあれば……もし、勘当されたときに身分証明になる」
「……勘当……!」
「あの父親なら、あり得ないことじゃないだろ? 常に“最悪”を見立てて動くことはどこでも大事だ」
「……そうですね。お嬢様が勘当されたら私も付いていく所存にございますし……今度、一緒に登録しに行きますか?」
「ああ! だから色々お金に変えて、その登録費を作らないとな」
「わかりました! お嬢様のためならこのナタリーは火の中、水の中! では、お金になるものをかき集めて参ります」
ニッと晴れやかに笑ってドアから出ていったナタリーには、感謝しか浮かばない。
彼女がいなかったら赤子のころに命を失っていたのだから。
「……とりあえず、ナタリーの掃除を楽にしようか」
「! 私がやるー! 魔法もちゃんと使えるようになったんだよ!」
「おお、そうなのか? じゃあお願いしようかな」
フフンと得意げに笑ったダリアは、顎を上に向けて朗々と古代ルーン語を唱えた。
「えへへー。《この空間に・存在する・塵よ・我の元に・集いたまえ!》」
きちんとした六小節の詠唱で完成したクリーンの魔法の詠唱によって、どこからともなく風がダリアに向かって吹き、すぐ止んだときには、ダリアの足元に埃や砂などが溜まっていた。
「おお、すごいな! あんなにブレスしかぶっぱなさなかったのに!」
「古代ルーン言語をキチンと覚えたの! 色んな魔法が使えるようになったんだ!」
ほめてほめて、と言うように尻尾をパタパタと振り、抱きついてくるダリアを私も抱き締め返してその頭を撫でる。
500年前は魔力を集めて口から発射するだけのブレスと、フェンリルという種族ゆえの空を駆ける体質でしかできることがなかった。まぁ、古代ルーン語を理解していなかったのだ。
しかし、今では古代ルーン言語を操り、魔法も使えている。
「……時の流れは速いな……」
「わふっ?」
「ううん、なんでもないぞ」
薬草とかも見分けられるようになったか?
なんて笑って聞くと、予想通りの答えが返ってきた。
「もちろん!」
「じゃあ……ポーションになる薬草と聖水、あと魔石をたくさん取ってきてもらえないか? ポーションを作って稼ぎまくるぞ」
「わかったよー!」
行ってくる! とだけ残して、窓を開けて空に駆けていったダリアの軌跡を眺める。
(……強く、なったな……)
我が子のようなダリアが自立できているほど強くなったというのは嬉しいが、親代わりとしてはその成長を間近で見ていたかったとも思う。
(……しっかりしないと)
ぽろりと一筋涙が頬を伝う。それを拭うことはなく。
ベッドに、笑みを忘れ、顔をくしゃりと歪めて座っていた。
(……いろんな事がありすぎた……)
大きな出来事としては、母様の死。
前世では、物心ついたときには下民街にいて、盗みやケンカ、終わった戦場で追い剥ぎなどをして生き延びていた。
五百年前は、いろんなところで戦争が勃発し、混乱していた時代なのだ。誰もが、余裕のなかった時代だった。
そのお陰で、魔導の技術が飛躍的に進歩したが。
(……やっとできた母様だったのに……)
前々世では引き離され、前世で恋い焦がれ、会うことすら叶わなかった肉親。
今世の、自分を恐れる母親でも、一言二言喋ってくれるだけで嬉しかったのだ。
そこに、小さな愛を感じられたから。
(……あの父親と愛人様には、全く感じられないな。まぁ、今さら感じられたところでどうなるという話だが)
お母様の死の悲しみに浸る前に言われた、愛人様を後妻にする決定。
あの父親の心の中には、愛人様と異母妹だけ。私のことなどその緋色の瞳にすら欠片も写していないだろう。きっと、目に入らないのだ。
「……大丈夫だ。また、自由を手に入れて見せる」
大丈夫、大丈夫と。
自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟いた。
シャロンの母が亡くなった翌日のお話でした。
新たな義母となった元愛人様、異母妹と、シャロンはこれからどのような立場になっていくのでしょうか?