003:発動しなければ魔力不足にならなかったのに
「そうだ、あなたで試そう」
軽く握った右手の杖を前に出し瞼を閉じると、自然と頭の中に呪文が浮かんでくる。
その精緻な魔術の理論は脳内の電気信号と化し、数多のニューロンとシナプスの繋がりを通り抜けて、増幅・変化を続けて行く。
腹が立って仕方がない。こんな世界に飛ばされたことも、安眠もできずにオーガに襲われている現状も、なにより、オーガがいることを忘れていた自分自身の愚かさに。
わかってたはずだ。俺はこのゲームの廃人プレイヤーだったんだぞ。ここがオーガの縄張りだって知ってたんだ。そして、オーガに馬が勝てるわけがないこともだ。
しかし、不思議だ。そんないらだちを俯瞰してみている自分がいる。
淡々と呪文を詠唱しているのが自分だとは思えない。
そう、まるでMintが自分ではないようだ。そんなバカな。
そうこうしているうちに、呪文が完成する。
1つめ。
「Restraint」
わたしが発した力ある言葉は、オーガの巨体を足止めすることに成功した。
2つめ。
「Explode」
今度は何も起きない。だが、わたしはかまわず詠唱を続ける。
3つめ。
「Energy Strike」
魔力を対象に直接叩きつける、威力は高いが燃費の悪い連発には不向きの呪文。だがこれも発動しない。
4つめの詠唱開始。
しかし、ここで直前に放ったEnergy Strikeが効果を発揮した。
あの呪文は、発動までちょっとラグがあるのよね。
「ぐわあぅお!」
オーガが苦しみの咆哮を上げるが、攻撃の命中と共に魔法の束縛から解き放たれたやつは、わたしを強敵と見なしたのか、全力で突進してきた。
「Flame Javelin」
だけど遅い。吠える時間があれば突撃してくるべきだったよ。わたしの4つめの呪文は狙い通りにオーガの胸板に深々と突き刺さっていた。
しかし、まさかにオーガはこれに耐えた。
わたしにもわかるよ、その表情。笑ってるんだね「どうだ人間ごときが」とでも思っているんでしょう?
あとは、その丸太のような棍棒をわたしの頭に叩きつければ終わり。
「……って、あなたは思ってるんでしょう?」
「?」
ぼむっ!
鈍い爆発音が聞こえた。
「ごめんね、Explodeって発動がめっちゃ遅いんだ」
どどーん。何かが倒壊する音。
視線を向けると、そこには、頭部を失った巨人が横たわっていた。
「って、ホント? オーガってこんな強かった? てっきり……ハァ、Explodeは……ハァ、発動せずに終わると思ってた。ハァハァッ」
もう立っていられない。膝を落として四つん這いになりながら息を荒げて咳き込む。魔力を一度に使いすぎたのだ。危なすぎた。
勝ったのはたまたまだ。あんな戦い方じゃ命がいくらあっても足りないよ。
反省点しか見つからない。最悪の初戦闘だった。
でも、ゲームで効果的だった魔法コンボも使えるじゃない。この世界は。
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翌朝、食事を終えて考える。
やはりどう考えても、昨晩のオーガ戦は自分で戦ったような気がしないのだ。まだこの世界になれていないせいかな。あるいは女キャラなもんだから、魂かなんかの同一性に拒否反応があるとか?
それで完全に別れてしまったとしたらどうなるんだろう。俺の意識が消えるのか? それって死ぬって事だろうか。
いやまて、そもそも今は俺どうなってるんだ?
「カラダはぜんぶ、思い通りに動くよね」
そう言いながら、両手をわきわきさせてみたりする。
Mintかわええってマジ。何をやっても天使過ぎるがな!
「そんなキモいこと考えるから、拒否反応が生まれるんじゃないのかな」
え、そうかな。そういうコトもあるかもしれない。
って、俺いま誰と会話したんだ? いや、両方自分で考えて話したよな。
「これは、深く考えるといけないパターンだ」
そうだよ、それだ。ひとまずこれは置いておく。
それより、俺はもとの世界でどうなってしまったんだろう。死んだのか?寝てるのか?
ふむ。とにかく。
「あ、お馬さんだ。やっぱり徒歩じゃ無理だよね、あの子に乗せてもらおう」
2頭目の馬をテイムして、俺は改めてケロキの村へ向かうことにした。
今度は日中だったせいもあるのだろう、ときおり魔法一撃で倒せる弱いモンスターに出くわした以外にはこれといった問題もなく、無事に昼前には村にたどり着くことができた。
「お馬さん、ありがとー!いま、にんじん買ってあげるから」
そういえばこの馬もがんばってくれた。ほとんど飲まず食わずで歩いてきたぞ。
『Climax Online』では高位のテイマーが使役するペットは忠誠心が高く、命令に反発する可能性が低くなっていたはずだ。恐らくはこの世界でも同じなのだろう。
雑貨屋で身の回りで必要なものと一緒ににんじんを買う。
「はい、お馬さん」
「ぶひぶるるるるるう♪」
喜んでる喜んでる。やっぱテイマーのこういうところが好きなんだよ。
「さて、次は銀行へ行こう」
MMORPGには必須と呼べる施設の一つが銀行だ。
そういえば、CO内でなら十生遊べるくらいの金を銀行に残したままサービス最終日を迎えたはずだな。この世界にもそれが受け継がれているとすれば――いまやリアルで左うちわと言うことに?
「Bankbox Open」
わくわくしながら銀行員に口座の開示を依頼する。
「Mintさんの口座残高は、28Gですね」
「え?」
は?
28G?それって一晩の宿代にもならない金額じゃ?
「あ、あの、なんかの間違いじゃ?」
「いえ確かです。当銀行に間違いなどありません」
まあ、そうなんだろう。MMOの銀行はだいたい正しい。
つまり、銀行の中身はまったくゲームと同期していないということなのか。
考えてみれば、家の鍵も持ってないもんな。
COと財産が一緒ならMintは砦レベルの広さの大豪邸を持っているはずだ。
そうだな、その家の建っているはずの場所へ行ってみるか。ここからだとかなり遠いが、家は首都近くに建っていたからな。情報収集なら首都は外せないし、行くしかない。行こう。
だが、その前に。
「そうだ!この村には厩舎があったっけ。みんな、いるのかなぁ」
確か南西の方だったな。俺は、馬を引きながらのんびりと歩を進めた。
あとは明日、がんばりますっと。