011:Arnold Go!
「さて、あらためてお久しぶりね、ミント。元気そうで何よりだわ」
「静里奈、あんたもね。まさかこっちで出会うとは思いもしなかった」
ぶっちゃけ高飛車バードの嫌なヤツなんだが、それでも遠い“異国”で、懐かしい知己に出会えたことには安心感を覚えていた。
「ワタクシはあなたがこちらにいるのは知っていたし、いつか逢うことになるだろうとも思っていましたわよ。なぁにせ、風のウワサであなたの活躍は大笑いしてしまうほどに伝わっていましたし?」
な。嫌なヤツだろこいつ。
「こっちでのウワサはいいから。もっと実のある話をしよう」
「よろしくてよ」
怒りをこらえながら本題を促す俺に、静里奈はそれ以上もったいつけることもなく応じてきた。ちょっと意外。
「お待たせしました」
ちょうどそのとき、必要以上にひらひらした衣装に豊満な胸を詰め込んだウェイトレスが、俺の注文したコーヒーを運んできた。続いて向かい合った静里奈の席にミルクティーを静かに置くと、かわいらしい会釈、そしてサービスのスマイルを一つだけ置いて、たわわな胸を揺らしながらゆっくりと立ち去っていく。
「あなたの趣味をどうこう言うつもりはないけれど、できればもっと他のお店でお話ししたかったわね」
「ちがっ……宿のお兄さんがここがオススメだって言うから」
「まあ、お兄さんには楽しいお店なのかもしれませんわねぇ」
言って、ティーカップに口をつける所作は落ち着いていてなおかつ華やかだ。
ミントもせいいっぱいできる範囲で女の子らしさをマネしようと、静かにコーヒーをすする。
「げふっ」
落ち着きも華やかさもそこにはなかった。
や、だってさ、苦っ!! なんだこれこんなの飲めない。
やむをえずミルクと砂糖をだばだば注ぎ込んでいく。
俺はブラックコーヒーが好きだったはずなんだがなぁ、とぶつぶつ言っているのが聞こえているのかいないのか、静里奈はいきなり核心を突いてきた。
「『Climax Online』。」
「ぶっ……げほっがはっんっぐっ」
「汚いですわねえ、あなたはもう少し礼儀作法を学ばれた方がよくってよ」
「ごほっ、あんたがとつぜん、げふごふ」
「はいはい、落ち着いて」
懐からハンカチを取り出してミントの口元を拭いてくれた。
意外と面倒見はいいのか、こいつ。
「それで、あなたもそうなんですのね」
ふぅ。ごほっ。おさまれおさまれ。
よし。
「教えて。ここはホントにゲームの中なの? それとも似てるだけで別の世界なの? わたしたちはなんでここにいるの? 元の世界でのわたしはどうなってるの? どうやったら帰――」
聞きたいことばかりの感情があふれて思わずまくし立てたミントの下唇に、だが静里奈はほっそりとした人差し指でちょん、と軽く触れることで応える。それだけで黙らされてしまった。認めるのは業腹だが、一挙手一投足がいちいちキレイでかわいらしいやつだ。
「ワタクシの知っていることもおそらくあなたと大差がないわ。気がついたらこの世界の大地にたった一人で立っていた」
「しかも、自分がCO世界のキャラになって」
「そうね。『キャラクター』と『プレイヤー』の関係だったはずの二人が、この世界では一つになっている。いいえ。一つ半になっているのかしら」
それだ。俺は大きく身体をを乗り出して静里奈に詰め寄った。
「あんたも同じなのね?『静里奈』と静里奈を見ていたはずのもう一人のあんたがいるのね?」
「……シーサーペントをテイムしようとしたときに、ミントの雰囲気がガラッと変わって見えたのは、やっぱりワタクシの気のせいではなかったということね」
そうだ思いだした、そのときの事を聞いておかなければならないんだった。
「あんたはあの時こう言ったよね。『COでのあなたはいつもそんな目をしていた』って。でもあの時のわたしはここでのわたしだった」
黙ったまま、あご先で軽く先を促す静里奈。
「あなたがCOで知っているはずのわたしは、あの時のわたしじゃない」
「ミント。一つ聞かせて」
「え、なに?」
「船の上で出会ったとき、まだ名乗ってもいなかったワタクシを『岡崎静里奈』と呼んだのはなぜ?」
「なぜって、それは仲が良かったとは言えないけど、なじみの顔だったし」
なにが言いたい? いまさら気安かったとでも言うのか?
「どうしてワタクシだとわかったの?」
「なに言ってるの? あのイラつく声とか、人を見下した目つきとか、どう考えたってあんただったからでしょ」
すると、静里奈はふんっ、っと軽く鼻で笑って続けた。
「声ですって? あなたCOでワタクシの声を聴いたことがあって?」
は。
「ワタクシの目つき? そんなものがCOでわかったかしら」
あ。
そういうことか。
そして、呆然とする。
「『Climax Online』は小さなキャラクターをトップビューで操作する2Dゲーム。会話はテキストだけよ。ミント、もう一度尋ねるわ」
「――どうして、ワタクシがワタクシだとわかったの?」
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大きな勘違いをしていたのかもしれない。
ずっと、俺が主で、わたしが従だと思っていた。
逆なのか。
俺がときどきミントに意識を飲み込まれているのとは違う。
ミントに俺がときどき意識の主導権を借りていただけなのか。
だが、そうであるならば俺である時間の方が長すぎる気がする。
待て、本当にそうなのか?
俺は本当にミントの言動の全てを把握しているのか?
「ちょっと意地悪だったわね。そんなに真剣に考え込むことでもないわよ」
事も無げに言ってくれる。俺はその態度に猛烈に腹が立った。
「考えることでもない? ふざけないで。わたしの存在に関わる問題だよ!」
ああ、いまならわかる。こんなときも、いやこんなときだからこそ、俺は『俺』と口に出すこともできない。よほどに冷静に意識して発しない限り、俺の口調はいつだってミントのそれなのだ。
かわいいから自分の意思でそうしているつもりだった。
ははっ。笑うね。誰だ俺にそう思わせていたのは。もしかしてミント、お前なのか。だとしたら俺はどれだけピエロなんだよ。
「ふん。まあ最初はそれでも仕方ないかもしれないわね。救いになるかどうかは判らないけれど、ワタクシもあなたと同じなのよ、ミント」
「……同じ?」
「入れ替わったあなたを見て『いつものあなた』だと思ったのは、誰だと思って?」
誰って。
――あ。わかった。この世界の静里奈が知っているこの世界のミントへの印象が、向こうの世界の静里奈の認識を塗り替えている。
静里奈の意識の主従も、俺と同じと言うことか。
「ぜんぜんすっきりはできないけど、ありがとうとは言っておく。自分だけじゃないって、それだけで安心できるもんだね」
「それはよかったわ。結局ね、ワタクシたちは何一つ確実なことをわかっていないのよ。だから、絶望するのはまだ早いの。いまはそれだけ覚えておいて」
話は終わった。
また連絡するわね、と、店を後にする静里奈を、喫茶店のガラス越しに無言で見送る。
あいつもあいつで、この世界でぜひ果たしたい目的があるらしい。
なにかそんな道しるべがあれば、俺のこの沈みきった思いも、少しは和らげることができるのだろうか。
店を出た俺は、そのまま宿に戻る気持ちにもなれずに、街をふらふらとさまよった。さすが首都と言うべきか、途中でしつこく声をかけてくる若い男に何度か辟易させられたものだが、そのたびに役立ったのが、ペンダントのGM魔術師記章だ。たかだか一夜の遊び相手に、そんな面倒くさそうな女を選ぼうなどとは、なかなか思わないのだろう。
そして俺は、いつの間にか厩舎の前に立っていた。
「わたしはやっぱりテイマーなんだよね……あはっ。わたしじゃないのかな」
わからない。わからないけど、とにかく逢いたい。
アーノルドに。
「厩務員さんお願いします」
「はいよ、ナイトメアだね、ちょっと待っておくれ」
厩舎奥の魔方陣に、アーノルドが召喚されて現れたのが見える。
「ぶひひひん」
「アーノルド!!!」
数日ぶりに逢った彼は、当然のようになにも変わっていなかった。
だけど、そう、なにも変わっていないことが安心できる。
俺は、彼にしがみついて泣きじゃくった。
「あ゛あ゛ああぁぁぁああん、ひっく……ぅ゛あ゛ぁぁぁあああ!」
子供がだだをこねているような、見苦しく汚らしい泣き方。
涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。かわいい顔が台無しだな。
遠巻きに厩舎の職員がひそひそ話をしているのが見える。
あっちゃぁ。もっと誰もいないところで泣けばよかった。
もっとも、そんな器用にコントロールができる状態ならば、最初から泣くこともなかったのだろうけれど。
「すんっ……ねえ、ひっく……アーノルド」
「Gruru」
「おまえは、どっちのわたしが好き?」
ひょいっ。
「ふえ?」
不意に、アーノルドが服の後ろ襟を噛んできたかと思うと、そのまま首を振り上げてわたしを空に放り投げる。
「うええっ?」
ぽすん。
そして、重力に従い落ちたところは、アーノルドの背中の上。
「……わたしはね、アーノルド」
「ブルルル」
「どっちのわたしも、おまえが大好きだよ」
「GUoooooooooooww!!」
ふぅ。やめたやめた。悩んでも仕方のないことは悩まない。
静里奈じゃないけど、絶望するにはまだ早いし、わたしにはこの世界は知らないことだらけなんだ。
「よし、行くぞ、アーノルド!」
ビシッ! わたしは前方はるか彼方を指さして、アーノルドを走らせた。
完結です。短い間でしたが、ありがとうございます。評価やブックマーク、コメントにはとても励まされました。
「男サイド」と「女サイド」をシームレスに切り換えつつ最終的には一体化・あるいは完全分離の結末へ持って行く予定で書き始めた本作ですが、事情をはっきりと記述せずに曖昧にほのめかし続けるやり方に途中で限界を感じました。
よって本作は「男サイド」単体として完結させて、残りは次の作品で書いていくつもりです。
おそらく次にみなさんに読んでいただけるかもしれない《ミント》は、前も後ろも女の子であるミントになるはずです。って、後ろの人などいない!




