010:好敵手との再会
「あんた……岡崎 静里奈!!」
「お久しぶりですわね、ミントさん。いつもご活躍のようでなによりだわ。方々でウワサを聞きましてよ?」
「どうせろくなウワサじゃないんでしょ」
「ええ。いいウワサはひとつもありませんでしたわね」
くっ。心当たりがありまくりで言い返せない。
この女〈岡崎 静里奈〉とは『Climax Online』の頃からの因縁である。
これ以上ないほどの日本人名に反して、キャラの見た目といえば緑髪碧眼のいかにもなファンタジーゲームキャラであった。名前の由来を尋ねたことはないが、まさか本名を使っていたわけでもあるまい。いや、そもそもプレイヤーが女である保証もないわけだが……もっともそんなことを詮索するのはマナー違反でもあるし、どうでもいいことだ。出会い厨の小僧でもなし。
バードとテイマーは共通の大物をねらうことが多いために、数少ない狩り場でかち合うケースが少なくない。俺たちはそのたびに何度もやりあった。
ミントのドラゴンのじゃまをするために、わざわざ遠くのマップからデーモンを操って連れてきては何度ももけしかけてくるめんどくさい嫌がらせなどは、幾度受けたか数え切れない。岡崎静里奈というのはとことん性格のねじ曲がったやつなのだ。まあ、バードってのは性格の悪いやつばっかりだけどな!
それにしても、あいつまでこちらの世界に転生していたとは。なにか、元の世界への手がかりを知っていたりするだろうか。
だけどそれは後回しだ。当面の問題は。
Guoaoooooooooooo!!
「うわぁ、やばいぞ船尾に穴を開けられた」
「塞げ!今のうちなら何とかなる」
「直せったって近づけませんよ!」
「やらなきゃ全滅だぞ!」
そう、こっち。いまはそれどころじゃないのだ。
「静里奈、状況は判ってるでしょ? まずはシーサーペントを鎮めて。話はそれから」
「『静里奈さまお願いします』でしょう?」
は?
「相変わらず礼儀も作法もなっていないのね。まずはひざまずいてワタクシの靴を舐めるところから始めるのが筋でしょう」
そんな筋ねえよ!
「あ、あんた、わかってるの? 船が沈めばあんたも死ぬんだよ?」
「ワタクシが死ぬ? ちょっとなに言ってるかわかりませんわねえ」
わかれよ! 簡単だろ!
このバカ女をどうしてやろう。こめかみを押さえながらうなっていると、俺たちの話が耳に入ったのか、船員たちがわらわらと群がってくる。
「お嬢さんあいつをなんとかできるのか?」
「なら早くやってくれ、もう船がもたないんだよ」
「礼はする、だから頼む」
彼らの懇願の声に静里奈は、その形のいいおとがいに軽く親指を当てつつ鷹揚に頷く。
「わかりましたわ。あなた方がそこまで言うなら、助けてあげてもよくってよ」
『おおおおおおおおおおおおおおおお』
歓声を上げる船員達に満足げな微笑みを投げたあと、静里奈はリュートを手にシーサーペントが見えるデッキの端まで歩を進めた。その間にも船は揺れ、いやなきしみ音は続いている。あまり時間の余裕はなさそうだ。
「♪~~~~」
演奏が始まった。
ミントはもちろん、他にもこの場に『魔術師』の称号を持つものがいたならば、リュートの旋律に呼応して魔力がまるでダンスのように変化を続けていることを感じ取ることができただろう。
あるときは低く、そして次の瞬間には高く、激しさに高揚した心を裏切るように、曲調は突然に静かさを迎える。
これが吟遊詩人の操る呪曲だ。魔曲と呼ぶものもいる。
バードに関しては『釣り師』の解説のときとほぼ同じことが言える。
吟遊詩人のすべてが呪曲を奏でるわけではない、ということだ。吟遊詩人の中でも『吟遊詩人スキル』を持つ一部のものだけが、呪曲を扱える。
ちなみに、バードスキルの利用には、演奏技術も芸術センスも関係ない。要は楽器の旋律に術者がイメージするとおりに魔力の波を乗せられればいい。極端な話、毎回まったくデタラメに弦をかき鳴らすだけの“演奏”でもバードスキルは発動させられる。
それを証明するかのように、ごくごくまれにだが、聞くに堪えない子供が楽器に悪戯をしているかのような演奏で、様々な動物を操ってみせる音痴のバードもたしかに存在する。
もっとも、それができるのはむしろ天才だろう。ドレミの『ド』のイメージを『ミ』の音に乗せて演奏できる魔術師はそうそういない。長々と説明してしまったが、現実問題としては、おおむね演奏レベルの高さとバード技能の高さは比例すると考えてよい。
その伝で行けば、先ほどから見事な演奏を続けている静里奈のバードスキルの高さは、まさに折り紙付きだと言えるだろう。荒くれ者の船員達さえ魅了し続けた船上のリサイタルが終わった途端に、甲板は万雷の拍手で包まれたではないか。
「すごいなあんた、有名な奏者なのか?」
「こんなキレイな曲ははじめてだよ」
惜しみない賛辞を贈る観客達に、静里奈はまたもや頭の悪そうな高笑いで応えるのだった。
これで終わればめでたしめでたし、だったのだが。
Guoaaaaaaaaaaaaau!!
ゆらっぐらっミシミシ。
『うわあああああああああ』
「どうなってんだ、終わったんじゃないのか?」
「バードのねえちゃん、しっかりしてくれよ」
安心してたところにこれだもの。慌て方すごいね。
さて。
「静里奈! 鎮まってないよ!」
「ふむ、おかしいですわね……ああ、そういうことね」
「なに、わかったならなんとかして」
「水中にいるものだから、ワタクシの演奏が聞こえてないのよ」
ば……ばかみたいな理由だ。
「そうね、ミント。今度こそ見事に『平穏』をかけてみせるから、あの化け物を海から引っ張り出しなさい」
一休さんかよ! 屏風の虎じゃないんだぞ。
「ほら、あなたがいつもやってるアレがあるじゃない。結婚詐欺師も真っ青の舌先三寸で純粋な動物を騙し虜にしては利用しつくした後にぼろきれのように捨てるスキル」
「言い方!!」
「どう言いつくろっても同じじゃなくって? いいからあいつを引っ張り出しなさい」
ムチャ言うなし。海生生物のテイムなんて誰もやったことないわ。だいたい演奏が届かないんだからミントの声などもっとムリだろうよ。
「おとと――おっと!」
ん? あ、フィリップ。すっかり忘れてたけど、あいつなにやってんだ。
まだ釣り竿を振り回してるけど。
……まさか?
「フィリップさん! もしかしてシーサーペントをまだバラしてないんですか?」
釣り用語で『バラす』とは、針にかかった魚を逃がしてしまうことを言う。
「そりゃボクは『偉大なる釣り師』だからね。一度かかった獲物は逃がさないさ」
「……なに? いまなんておっしゃいましたの?『偉大なる釣り師』?」
眉を顰める気持ち、よくわかるよ、静里奈。珍獣を見る目になる気持ちも、痛いほどわかる。
でも、いま気にするのはそこじゃない。
「フィリップさん。いっしょにこのピンチを切り抜けましょう。静里奈、あんたも手伝って」
ほんの思いつきだけど、やってみる価値はある。
ううん、他になにもないんだから、やってみなきゃダメだよね。
わたしは、静里奈の返事を待たずにフィリップさんの方に歩き出す。
「ふん。あなた、急に雰囲気が変わりましたわね。そう『Climax Online』でのあなたは、いつだっていまのような殺気をたたえた目をしていましたわ」
ばっ! 驚いて振り返ったわたしに、ニッコリと微笑む静里奈。
『Climax Online』? やっぱり、あいつも。
いけない。優先順位を間違えるな、ミント。
いまは、シーサーペント。
「フィリップさん、釣りスキルの根幹は、テイマースキルと似通っていることを知ってますよね」
「ああ、釣りは竿から糸に魔力を通すことで、水中の生き物にテイムを仕掛ける原理がどうとか」
「それです。フィリップさんは魔法は使えないと言ってましたけど、Elderの釣り師である以上は魔力は間違いなく高いんです」
そうでなければシーサーペントなど引っかけられないもの。
「わたしが糸を通してテイムを仕掛けます。フィリップさんは、その魔力……信号を強化してください」
「強化って言われても」
「難しく考えなくていいです。ただ『釣ろう』としてください」
釣ろうと思えば釣れる。それが『釣り師』なんだよ。
「静里奈」
「なにかしら?」
「わたしたちが魔力でシーサーペントに『聞く耳を持たせる』。あんたは」
「そこで演奏すればいいのね。わかったわ」
急に素直になったぞ、気持ち悪い。
だけどわざわざそんなこという必要もない。
「じゃ、やろう。フィリップさん」
「わかったよ。釣れてるけど、さらに釣ろうとすればいいんだね」
「お願いします」
わたしは、シーサーペントに繋がっている糸に軽く手を振れて、テイムを始めた。
「遠く外海から訪れし深海の王よ。未だ井の中しか知らぬ身で大海に歩を進める蛮勇を誹り嘲りたまえ。然る後に浅学たる我らに教戒を施したまえ」
「はぁ。テイマーっていうのは、ただの巨大海蛇によくそこまでへりくだるものよねぇ」
うるさいぞ静里奈、集中のじゃますんな。
心を込めた言葉は、どんな動物にだってきっと通じるんだから。
「犬猫相手なら好きだとかかわいいとか言って騙してるのに」
だから、言い方! ああ、もう。
「ん……引きがなくなったな。まさかバレた?」
「え、そんな、フィリップさん、なんとかして」
「なんとかと言われても。あ、ちがう、これは――」
いつの間にか、船の揺れもきしみも治まっている。
気が変わって勝手にどこかへ行ってしまったのかな。
「上がってくる」
「え」
「あら、本当」
ずずずずず。大きな渦を伴って水上に顔を出したシーサーペントは、興味深げにその鎌首をもたげていた。
「で……っか!」
「これは、大きいですわね」
「ボクが釣った中で一番の大物だね」
釣ってませんけどね。引っかけただけでね。
「静里奈、おねがい。これ、テイムの効果中みたい」
「やってみれば効くものなのね。海でテイムを成功させたのはあなたがはじめてじゃない?」
珍しく自分以外への賞賛の言葉らしきものを口にしながら、静里奈は演奏の準備を始めた。
成功なんてしてないよ。言ってみれば、ちょっとぽーっとしてるだけ。
ほっとけばすぐに解けちゃうんだよ。
……ついさっきのわたしみたい。
傍らでは、すでにやることのなくなったフィリップさんが、真剣な顔で“獲物”を観察しながら「やっぱり魔法の勉強をするべきかな」などとつぶやいている。
ホントに、顔はいいんだけどね。カッコいいんだけどね。
「♪~~~~♪~~」
今度こそ、シーサーペントは静里奈の演奏に聴き入っている。
「フィリップさん。糸を切ってシーサーペントを解放して」
「え? 逃がすのかい? もったいないよ」
「フィリップさん!」
「お、おうけぇ……仕方ない」
チョッキン。
小さく聞こえたハサミの音が、一つの事件が終わりを告げる。
☆★☆★☆★☆★☆★
「ボクはこの街の漁協にいるからね。よかったら遊びに来てよ」
フィリップはそう言って連行されていった。
シーサーペント事件の発端であることがバレたために、警備隊に引き渡されてから裁判を受けることになるそうだ。
迷惑極まりない人物ではあったが、彼に悪気は全くないのだ。なるべく温情判決が出ることを遠くで祈ろう。
ていうか、漁協もよくあんなのを雇うな。漁のたびに怪物を引っかけられてたらたまらないだろうに。
ようやくたどり着いた、首都『イシ・ロンデ市』の港で、俺はそんなことを考えていた。
最優先事項は解決済み。では、改めて。
「静里奈」
「ふぅ、わかってましてよ。ワタクシの方も確認したいことがありますし、ね」
だけど、今日は仕事があるから時間がない。明日、また連絡をする。
彼女はそう言って立ち去っていった
生殺しにされているような思いはある。
あの静里奈だし、意地悪のために無駄に引っ張っているのかもしれない。
いずれにしても、こうなっては仕方がない。ひとまずは宿を取ることにする。
そうして、今度こそ。
揺れない地面の上のベッドで、ぐっすりと眠るのだ。




