一章 寄生8
無闇矢鱈と突っ込み処満載な登場を噛ましてくれたが、あまりに多過ぎて逆に全く突っ込めなかったのは、果たして計算か天然か。
いずれにせよ、危険いっぱいの修羅場の雰囲気は一瞬で吹き消された。
突如現れた謎の美人のおかげで。
土手上の一同は、声もなくただ、その美人を凝視する。なんと声を掛けて良いのやら、誰も解らなかった。ただただ呆然とその場の状況を見つめるだけだ。
誠と浅倉の間に割って入る形で立つオレンジのタンクトップにジーンズの上下を着込んだショートカットの美人。スタイルからは『美女』と言えるのだが、その場にいる誰もが『美少女』あるいは『格闘娘』とでも呼びたい心境だった。
何故なら、さっきの口上から一分は経とうかというのに、いまだ浅倉を指差すポーズを解かずに、ビシィっと立っているからである。
「あ、あのぉ……」
流石に間がもたなくなったのだろう。誠が口を開いた。片方の口の端がかなり引きつっているが。
「……まよ姉ぇ……――ッ!」
問いかけの言葉は瞬殺された。
音速の壁すら超えたかと思えるほどの速さで、謎の美人が『疾った』のだ。
「ムゴゴゴォォォオォォ?」
「マ〜コ〜ト〜ちゃあ〜ん!ン?ン?ン?」
「―――っ!(ヒクク!)」
突然口に指を突っ込まれた誠が抗議の呻きを挙げるも、一瞬で沈黙した。間延びした名前の呼び方の中に、戦慄に近いナニかが宿っていたらしい。誠の目が涙に潤んでいる。
流石に浅倉も誠の涙までは見えなかったが、言葉は聞こえたらしい。
「マヨネーズ?なんだ、いきなり?」
その問いと同時に再度、誠が苦鳴を挙げさせられた。美人が誠の口を両方向に引っ張ったのだ。
「フゴォォ!やへへやへへ、はよへぇ〜〜」
何を言っているのかは不明だが。
「何度も言ったでしょ〜?その呼び方はやめてって?特に『初対面』の人の前ではぁ!」
「フゴゴォ〜、フヘハヘン、ホヘンハハヒ〜」
多分謝っているのであろう呻き声が切実に響く。傍から見るとなんとも滑稽ではある。
そんな誠達のさらに後方。黒のハーレーに跨がっている男から、溜め息らしきものが洩れた。おもむろにフルフェイスを取り、誠達を見る。
「その辺にしとけっ!真夜っ!」
野太く野性味のある声。全員の視線がバイクの男に集まる。
黒のレザーパンツにジャケット、バイクグローブ。白のシャツ。髪は短く彫りの深い顔立ちの、所謂『強面』の男。素でも十分に迫力なのだが、彼には更に特徴があった。
「あれはっ!」
「オマエはぁっ!」
浅倉より早く、秋山が驚きの声を挙げていた。
男の左のコメカミの辺りから頬にかけて、縦に刻まれた『傷』。マジに本職の人と間違えるような恐い『特徴』であった。
「師範が呼んでるんだろっ!いつまでもバカやってるんじゃねぇよ!」
自分に注がれている視線など意に介すことなく、男は真夜と呼んだ相手を叱咤した。美人の方も、思い出したとばかりに誠の口から指を抜いて振り返る。
「いけないいけない。すっかり忘れてたわ」
あつけらかんと独りごちると、改めて浅倉を見据える。しかも再度指をビシィっと――
「ポーズはいらんっ!」
ナイス・ツッコミ!男の一喝に、不特定多数の者達が心の中で喝采を挙げた。
「ふぇ〜ん、ヒスイちゃんのイケズぅ〜」
子供の駄々のような反応。どうでもいいが、ほんとうにツッコミ処に溢れた人である。
「ひすい?……え?」
誠が男を見返った。軽い驚きがその表情に浮かぶ。そして、驚きではなく、確信を得たという表情を浮かべた者が二人いた。
秋山と浅倉だ。
「フン、やはりそうか。オマエが『人喰い鮫』、いや、今は『虎』だとか呼ばれてるんだったか?」
舐めるような視線を男に向ける浅倉。その顔はますますもって、狂った笑みを色濃くしている。
「古い渾名だ。よく知ってたな」
男はあっさり首肯する。やっぱり『恐い人』だったらしい。
「ああ。何人かのクズが俺を見て、オマエに似てるとか言いやがったんでな」
「不本意な話だ」
「お互い様だ」
何とも剣呑な会話であった。どうも昔の『有名人』に似てると言わるのが癪に障ったらしい浅倉と、目の前の『狂犬』が自分に似てると言われたことが不愉快な男とのバトルに変わりそうな雲行きである。
距離を隔てていてさえ、その空気はただならぬ緊張感を励起させずにはいられないらしい。何度か唾を飲み下し、それでも掠れた声で城戸が問いかけた。
「誰なんだ?あ、あの人……」
既にさっきの反応から、秋山が知っているであろうことは判っている。
「…『鮫島 翡翠』。数年前までは『人喰い鮫』とか呼ばれるくらいのケンカ狂だったらしいが、今は『虎』とか『白虎』の名の方が通ってる」
「? どういう意味だ?」
今一つよく解らない説明に、再度問いかける城戸の近くで、動揺する者達がいた。
「や、ヤバいっすよ、センパイ!『周防三強』が出てきちゃったじゃないですか!」
「うるせぇよっ!んなことわかってる。問題は浅倉だろうがっ!テメエ、浅倉にそのセリフ言えんのかっ」
先輩風の男――『佐島 鷹彦』が後輩を睨み付けている。後輩の方も浅倉に意見を言う度胸はないらしく、半べそに近い顔で黙り込んだ。
「それに、アイツは鮫島も探してたんだ。このまま退くわけがねえ」
苦々しげに鷹彦が呟く。案の定、この男に浅倉の手綱は手に余るようだ。
「お、おい。なんなんだ、いったい?スオウなんとかとか?」
知ってる者だけが驚き慌て、知らない者はただ不安だけを掻き立てられる状況に、城戸が再度秋山に問う。
「詳しくは知らん。ただ、『人喰い鮫』から『白虎』に変わった切っ掛けは『周防道場』に入ったことだ」
周防道場――実践空手の大手・真至館空手の傘下でも屈指の実践道場と言われているが、要するに『無茶苦茶怪我人の多い道場』である。おかげで極道さんのお抱え道場などと噂されることもあったのだが、実際には『怪我が怖いなら闘うな』というのを身体に教えているだけで、別にそーゆー人達を育成しているわけでは無論ない。
ただ、骨折しようが半身不随になろうが『強くなりたい』という輩だけが残った道場であるため、そーゆー人達ですら一目置く門下生が多い。
そして、ここ北蓬の土地に結構古くからその『周防道場』は門を構えているのである。
「まぁ、お前らが知らないのは普通のことだ。ただ、その道場の中でも特に強い門下生が三人いてな、その中の一人があの人だというだけのことだ」
秋山の口調はいつも通り端的なのだが、城戸には解った。その平然とした声の中にある、ある種の憧れが。
よくよく見れば、どことなく秋山の髪型は『彼』に似ている。
「つまり、無茶苦茶強いわけだな」
あえて秋山の心中を問うことはせず、実に短絡な結論のみを城戸は発した。
秋山が呆れきった顔をしたのは言うまでもない。
「な、なんだよ!その顔は!」
「別に。メデタイな、と思っただけだ」
「なにがだよっ!」
食って掛かる城戸をいつも通り無視する。状況は全く好転してはいないのだ。
浅倉と鮫島の睨み合いは、まだ続いている。このままこの二人が闘うのなら、そのまま逃げる手もあるが、多分それも無理だろう。城戸達が誠を見捨てられなかったように、今度は誠が逃げるのを拒むはずだ。
(バカばっか、だな…)
自分がその中の一人である自覚を、秋山は敢えて無視していた。