一章 寄生 1
無遠慮に照りつける太陽。
拭っても拭っても涌き出る汗。十歩も歩かぬうちに渇く喉。
暦というものは、環境と共に改善されはしないのだろうか。と、一昨年まで毎年9月1日の通学途中に聞いていたけれど、今年もご多分にもれず、暑い。
ただ、去年同様、その台詞を言ってくれる人は、今年も隣にいない。
「今頃、どこでその叫びをあげてるのかなぁ、兄さん」
懐かしげに空を見上げ、目を細めたまま、少年はしばらく立ち止まる。
放浪の旅に出た兄。
その面影を少しだけ思い浮かべ、弟は顔を正面に戻す。感傷は終わり。時間に余裕があるとはいえ、いつまでも立ち止まってはいられないと、歩き始める。20分ばかり歩くと同じ学校にいく制服にいくつか出会うが、時間的に早めであるため、まばらだった。
基本的に優等生に近い生徒なのだろう。短めに切り揃えた頭髪と白い靴下、飾り気の無い学生鞄。規則に則ったアピアランスの学生である。
徒歩でも十分間に合う時間帯に登校しているのも、それを証明している。
「おはよう、日下部君」
自転車の音と重なって、後ろから声がかかった。自然に振り返り挨拶を返す。一月以上ブランクがあるが、通学におけるリズムは狂っていないらしい。
「いつも通りの時間だね、相変わらず。昨日も学校行ってたんじゃないかって感じ」
「武内さんこそ」
にっこりと笑いながら『日下部 誠』は彼女が自転車を降りるのを見ている。
「ついに二学期だね。夏休みもオシマイ」
自転車を押し歩きながら、『武内 澄華』が話しかける。
肩にかからない程度の長さで軽く巻き上がった髪が風に揺れる。僅かに見えた耳も綺麗なもので、ピアスの跡もない。この少女もまた、生徒手帳に書いてある通りの容姿を遵守しているらしい。
端から見てもお似合いの同級生の二人は、残りの通学路を一学期と同じように歩いていった。
年中行事というものは、気持ちの切り替えの目印としては意味がある。
でも眠いものは眠い。
始業式のことを肯定しているのか、否定しているのか、よく分からない意見を言ったのも『兄』だった。曰く、
「自分で昨日までと、今日からを見極めて気持ちを切り替えられるのなら不要。しかし、今の俺には眠気を克服して新学期の気持ちを確立出来ないんで、退屈であろうと必要」
…つまり、肯定、ということらしい。
そんなグータラなのか、しっかり者なのかわからない兄が、自称『冒険家』と言って家を出たのが二年近く前。
昔のことを思い起こしていると、なんだか可笑しくて、退屈な式の講釈も欠伸無しで聞けるから不思議だ。現に誠の周囲の生徒の八割以上が時間差で一度ならず欠伸をしている。
正直、壇上にいる校長先生の方こそ、始業式を嫌っているのではないかと思いたくなる。生徒の欠伸など、壇上から見れば狙撃出きるほどよく見えるものだ。バレテナイなどと思うのは、そういう場所で話したことのない生徒だけである。
それでも欠伸を注意しないのは、それが生理現象であるからというより、校長自身も、生徒の気持ちを知っているからなのだろう。そして、現状を維持しているだけなのは、「形式」に無意味さと同じくらい、『意味』の存在を知っているからなのだろう。
――兄さんの屁理屈もそうだけど。
誠はふと、始業式が無くなった場合の新学期を想像してみた。が、上手く長所と例外を発見することが出来ない。結局のところ、無駄と省くことも必要と拘泥することも出来ない『現状維持派』にしかなれないと、僅かに落胆するだけに終わった。
兄の言動を思いだし、それを自分なりに考えるのが、最近の誠の妙な癖になっていた。そして今日も、その癖のおかげで、退屈な始業式が無事に終わりつつある。
多分、兄に言わせれば「いい暇潰し」と評されるにちがいない。
「それでは、以上を持ちまして―」
校長先生が壇上を降り、学年主任の先生が式の終了を告げる。瞬間――
バチバチバチッ!
体育館天井が轟き、次いで照明が連続で弾けた。殆んど同時に生徒達の悲鳴が館内に響き渡るが、それはすぐに苦痛を含む声へと変わった。
――感電
木製の床であるにも関わらずまるで空間放電でも起こったかのように、全校生徒の身体に電流が流れたのだ。
昼とはいえ、照明の消えた館内は薄暗く、照明の割れる音もあって、全員がパニックを起こしたのも無理からぬこと。教師達ですら、この状況を咄嗟にどうにかできる者など居なかった。
退屈な式の年中行事の最中、緩みきった学生達に降りかかった異変。
彼らは文字通りの意味で、何も出来ないままであった。
――《感染》CLEAR――STEP2へ移行します