2話 『電車の中で』
いつも通りに学校の準備をする。
まずは紅蘭学園の制服へと着替える。今日は寒そうなのでセーターも着ておこう。
黒のスカートをはいて黒のニーハイも寒いので履いておこう。紺色のリボンを首に巻いて茶色がかった髪をシュシュでひとまとめにして一様朝の着替えにおいては準備完了。
今日から冬休み。・・・なんだけど私は毎日学校に行くことになった。それは私が美術部だからなんだろ。
・・・いや、え、ちょっと待って、美術部なのに毎日学校に行かなくちゃならないってどういうこと⁉
美術部とかどこをどう見てもまるっきちり文化部なんだけど。ほら、長期休みとかほとんどだらだら家で過ごすことのできるっていうのが文化部の唯一の特権だもん。まぁ、吹奏楽部はのぞくけど。
夏休みの時は全然部活なかったのに今回はどういう用件で毎日部活があるんだろう。文化祭も終わってるし三学期って何もやることないのに。
「いや、でも学校に行くっていうことは菅原君に会える!」
そう思うと学校に行くのがとてもわくわくしてきた。
「すっがわーら君に会っえるー♪すっがわーら君に会っえるー♪」
うきうきとした陽気な気分で私は玄関へと向かい、ニコニコとした不自然とまで言えるほどの笑みをリビングにいたお父さんとお母さんに見せて『いってきまーす』とだけ言った。
そして茶色の革靴を履いて家を出ていった。
菅原拓人。それは紅蘭学園に通う男子高校生であり人気漫画家である。
繊細な心理描写と鮮やかな画面使い、そして何よりもメインヒロインの水城陽加里を含めて主人公の女友達すべてが一度はお色気イベントがあり、平気で下ネタを言うという少しアグレッシブなラブコメ漫画を描いているのである。
昨日の夜、菅原君に電話してみたところ弟の持っていた漫画の作者だということが判明した。弟の持っていた漫画が実に卑猥な部分もあり、エッチな部分もあり、それでもうまい具合に主人公とヒロインのラブコメストーリーが進んでいるのに思いもよらず感嘆はしたけど―――
「あぁその漫画描いてるの俺。」
私をモデルに書いていたのはわかったよ。でもなんでだろう、すごく嬉しいはずなのに、勝手に服を脱がされたのには納得がいかないのは。
「え、え、この漫画菅原君が描いてるの⁉」
「おん、そうだけど。」
ならば率直に聞きたいんだけど。まさかモデルにさせてくれというのは私にこの漫画のヒロインのような卑猥な格好をし、お色気ポーズをかましてくれ!というものなんだろうか。
「そんなびっくりすることか?」
「するよー!まさか自分が同じ名前で書かれているとは思わなかったんだもん。」
「しかも勝手に服脱がしちゃってるしなー。」
あれ、けっこう軽いノリ⁉
てっきり自分の物語が面白くなるように試行錯誤を重ねてようやく描き上げたものだと思ってたよ⁉
「う、うん。服ぬがされちゃったよねー。」
動揺混じりに少し唾が口に絡みながらそういった。引いているのではない。単に嬉しいんだか何て言ったらいいのか複雑な気持ちになっているだけだ。
「そこでだ。明日の午後、俺の家に来てくれないかな?」
「え、明日の午後?何するの?」
「来てみたらわかるよ。」
そう言って菅原君は「おやすみ」とだけ言い残し電話を切った。自分のスマホにはぷーぷーという通話の終了を知らせる合図が何度も鳴り響いた。
「来てみたらわかるって、菅原君は一体何をするつもりなんだろう。」
もしかしてお部屋デートがしたくてさ、みたいな⁉
それだったら嬉しいけど菅原君が家に誘うってことは昨日みたいに漫画のお手伝いをしてほしいっていうことなのかな。昨日はベタ塗るだけで終わったけど明日もまたそれをするのかな。いや、
「まさか、モデル⁉」
菅原君が昨日の放課後告白してきた理由が私をモデルにして漫画を描きたいっていうのだったんだよ。それに私は勝手に『好きだ』と勘違いしていいよって言っちゃったしな。
これは菅原君との一緒に喋ることができて、楽しくひと時を過ごすことのできる最高のイベント!
「とか昨日は思ってたけど結局何やるんだろうなー。」
学校へ登校中の電車の中、いつもの定位置である向かいの駅側の扉へ体をもたれながら私は昨日のことを思い返していた。
菅原君の漫画が少しエッチなラブコメだっていうことはわかった。ましてや私がモデルのヒロインで服がはだけたり半裸を描かれたりと色々と思うところはあるけど、菅原君が私をモデルに書いてくれてるってことは、よく私を見てくれてたってことだよね。そこは何て言うのか、嬉しいな。
「あ、水城。」
聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと必然的にその声のする方へと顔を向けた。昨日からよく一緒にいてよく聞く声だ。身長が高くてかっこよくて私をモデルに漫画を描いてくれてる私の好きな人。
「す、菅原君⁉」
目の前に現れたのは菅原君だった。以外にも顔が近いし、何でピンポイントに同じ車両で同じ時間帯に一緒になったのか驚きと胸の高まりでうまく言葉が出なくなってしまった。見たところ菅原君は制服に身を包み私と同様学校に行くようだ。
あれ、何で菅原君も学校に行くんだろう?
今更だけどそういえば何で菅原君が学校に行くんだろう。朝の時は菅原君に会えるから頑張って学校に行こうとか思ったけど、よくよく考えれば菅原君は学校外でサッカーをしてたもんね。だったら学校に何の用が。
「ちょうどいいしなんか話しながら一緒に学校に行こうぜ。」
『一緒に学校に行こうぜ』
その言葉が聞こえた瞬間私の脳みそはチーズホンデュのようにとろけて熱くなった。菅原君への疑問はどこへ行ったやら何回も先刻の菅原君の言葉が頭に流れて頬も自然と赤くなっていった。
頬を手を当てて恥ずかしがりつつも、菅原君はそんな私をよそに言葉を並べていった。
「そこにいたら人がいっぱい入ってきたときに窮屈になるな。もう少し中の方に行こうぜ。」
確かに私のいつもの定位置は通勤時間になると人がたくさん来て窮屈になる場所だ。いつもは微妙に時間帯をずらしていってるからあまり人もいないんだけど、今日はいつもと比べると少し時間も遅い。つまり、菅原君が言ったようなことが起こり得る可能性が高いのだ。
だから私は菅原君に言われるがままついていき座席の前に立った。
「こっちだと人がいっぱい来ても大丈夫だな。」
菅原君が笑みを浮かべながら私の顔を見て言う。身長差もあるから見上げる感じで菅原君の顔を見ているけど、菅原君の顔を見ているだけで私の鼓動はさらにうるさく高鳴った。
頑張れ陽加里!菅原君と色々と話すことが出来るいいチャンス、このひと時を逃すわけにはいかないよ!
「うん。こっちにいたらたぶん大丈夫だよ。」
くそっ、ただのオウム返しになってしまった――。
菅原君はニコニコしてるけど私のことどういう思いで見てるんだろう。今のところ私から何にも言ってないけど菅原君はつまらない女だなぁとか思っちゃったりしてるのかな。
菅原君の顔を見つめる。うん、少なくとも私は一つ思うことがあるな。
『首――痛いな。』
実に菅原君との身長差は三十センチ。見上げて話す側としてはかなりの苦痛であった。
「そういえば水城はなんで学校に行くんだ?確か美術部だろ。」
「実は美術部の部長が毎日学校にきてくれって言ってて。だから冬休み中は毎日学校に行かないといけないんだ。もちろん大晦日とか三が日とかはないけどね。」
菅原君私の部活知っててくれたんだ。嬉しいな。
同じクラスだし喋る機会もそれなりにあったけど私が自分の部活を菅原君に言ったことなかったし。
「へぇそういう理由なんだ。」
「菅原君はなんで学校に行くことになったっ⁉」
ガタンといういかにもの効果音が聞こえたと同時に私の体はバランスを崩して菅原君の方へと倒れた。
電車というものはたまに大きく揺れるときがある。私はいつもドアのところに立っていたからに手すりを持って今のような状況も大丈夫だったんだけど、今回は違う。
菅原君がそばにいることと、菅原君と話す内容を探すことに意識をとられてしまい何も体を支えるものがなかった
「・・・びっくりした――⁉」
体に感じる体温。暖かくて気持ちのいいそれは時間遅れで私に答えを与えた。
「(すすすす、菅原君に抱き着いちゃった⁉)」
電車の揺れによってバランスを崩した体は菅原君へと倒れて行った。それを菅原君が受け止めてくれたということなんだろう。
「水城・・・大丈夫か?」
「う、うん。全然大丈夫、平気平気!」
菅原君に抱き着いちゃった。菅原君あったかかったな。ありがとう電車さん。私は心から君に感謝するよ!
「危ないからつり革もっといた方がいいぞ。」
菅原君は心配そうに言いながらも少し笑ってつり革を持った。
「そ、そうだね。」
私は恥ずかしさを笑いでごまかしながらつり革に手を伸ばした。そのときだろうか私は一つ大事なことを忘れていたようだ。
「(つり革に私手が届かないんだった――)」
「どうした水城?」
どうしよう。そういえば私つり革に手が届かないんだったよ。高校生にもなって身長が百五十センチないとかしゃれにもならないよ!
どうにか頑張れば背伸びしたら届きそうだし・・・よし、それでいこう!
「この電車のつり革は結構高いんだね菅原君。」
背伸びをしてどうにか届くレベル。靴が革靴なだけに柔軟性がなくて足の表面が少し痛かった。
「いや、別に無理しなくてもいいんだぞ。」
「でもでもでも、こうしないとつり革に届かないし。」
あれ、このシチュエーションだと菅原君が『だったら俺の制服の裾でも掴んでてよ』とか言ってくれるようなやつじゃない⁉
そう思うとなんかとてもドキドキしてきた。菅原君がそんな言葉を言って来たら私は嬉しすぎてどうにかなっちゃうかもしれないよ。
そんなことを考えているとし菅原君から声が聞こえた。
「だったらあっちに行くか?」
菅原君が指をさした場所は優先座席の前。よく見るとそこのつり革はここのよりも十センチぐらい低くなっていた。
――その手があったぁ!
そう心の中で叫びつつ私は「そうする。」と言って菅原君にまたついていくのだった。