無題。もしくは「タイトルを決めないと本文が書けない哀れな男のお話
「何が決まらないって?」
折原は待ち合わせ場所に喫茶店を選んだ事を後悔していた。
大人しく自分の家、もしくは誰にも見つからない山奥にすべきだと心から思っていた。
「声がでかいんだお前は、もう少しトーンを落とせ」
「言ってくれるじゃないか望美、僕は待ってたんだぞ。二週間もだ」
「それは知ってる、だからこうして謝ってるじゃないか。コーヒーも付けた」
一口も口を付けられていないコーヒーを一瞥し、飲んで落ち着くよう嗜めるも効果は見られない。
「もう一度聞くよ、何が決まってないって?」
「タイトルだよ、悩みどころだ」
「じゃあ君はなんだ、タイトルが決まらないからって二週間、一文字も書いてないって言うわけかい?」
鬼気迫る顔で声を荒げる女性に弁解するわけでもなく頷く折原。それが彼女に再び火を付けた。
「そういうところだぞ!君の短所だ!!自覚しているのが尚更タチが悪い!!」
「ここは叫ぶ場所じゃないぞ。次お前に会うときはカラオケにするか」
「場所はどこでも良いんだよ、君が仕上げてさえくれていればね!!」
怒り心頭と言った彼女をここで宥めるのは難しい。
なにより人の目と言うものがある。羞恥に身を投げる趣味は折原にはなかった。
「……会計を済ませてくる。歩きながら話そう」
伝票を取り出し、金額を見て溜息を吐く。
これなら迷惑料を上乗せして払っても折原は納得しないだろう。
*
秋は急に冷え込むから室内で本を読もう。読書の秋とはそういうものだ。
風吹く並木道を歩きながら折原はそんな事を考えていた。
「……なあ望美」
「なんだ?しおらしくなっちまって」
「どんな話を書くつもりだったんだ?」
実を言うと書きたいネタはある。引き出しの中にプロットもある。
ただ折原は考えていた。
「完成させるとなぁ……」
「え?」
考えが口からこぼれていたことに一瞬戸惑いながらも、折原は彼女が納得するような答えを探した。
「ファンタジーを書くつもりだった」
「良いじゃないか、内容も実は決まってたりするんだろ?」
出まかせというわけでないが、折原は次の言葉が見つからなかった。
あくまでもまだ頭の中にしか無いものだ、作品と呼ぶには恥ずかしすぎる。
このまま話しても良いものかと、折原は悩んだ。
「ぼんやりとだ。昨日見た夢くらいのおぼろげな感じで、文字に起こすには足りなさすぎる」
「教えてくれよ」
折原はポケットを探った。煙草はあるがライターがない事に気がついた折原は、元々ライターを持ち合わせて無いことに気が付き、
納得しながら煙草を一本、口に咥えた。
「その癖、治らないの?」
「悪い癖だ」
「諦めが早いんだよ」
「恋愛小説を書いてた主人公がいてな」
「うんうん」
「その恋愛小説に悪魔が乗り移るって話だ」
頭を掻きながら折原を淡々と話を続けた。
釈然としないという気持ちを抑えながら、形になっていない物を説明する。
屈辱に近い感情は折原という人間を動かすのには充分だったが、彼女と目を合わせるとどうにもくすぶってしまう。
「なぁ」
「なんだい?」
「完成していないもんを聞いて楽しめるもんなのか?」
「楽しめるわけないじゃないか」
「じゃあなんで聞くんだ?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「僕がタイトルを付けてあげれば、筆は進むんだろ?」
「俺が納得するとでも?」
「させるさ、望美は僕に貸しがある」
あの店の、一度も口を付けられなかったコーヒーを思い出す。
あの店の、店員の視線を思い出す。
あの店の、彼女の顔を思い出す。
「……期待はしないが妥協はしてやろう」
「駅に着くまでには決めてみせるさ」
折原はあえて口には出さなかった。
彼女が如何に素晴らしいタイトルを思いつこうとも、あくまでも未完成としていたい心情を。
完成させたくないと言う今までになかった感情は、口に出すには重く、頭に留めるには軽すぎる物だった。