生まれ変わりました
学院に通う前の幼少期の話を数回に分けて投稿します。世界観とか伏線とかちょろっと。
ぼんやりとした空間。
最初に感じた違和感は視力の低下だった。
視力は良かったはずなのだが......。
状況の把握を急ごう。
聴覚は正常。いや、少し敏感になっている。
拘束されているかもしれないし身体の方も確認しなければ。
そうして目を向けてすぐに次の違和感を見つける。
身体が......縮んでる?!
あっれ〜? 俺、子ども探偵になっちゃうの?
悪い組織の陰謀に巻き込まれちゃったの?
っは〜ありえん。引きこもりにそんな展開起こるはずないんだよな。
そもそも俺、さっきまでナニを扱いてたはずなんだけど。
となるとこれは一体どういうことなんだ?
考えを巡らすと頭痛に苛まれていく。
思考回路が焼き切れるような激痛。
思わず顔を顰め、暫くするとどこからか声が聞こえてくる。
期待して耳を傾け、更なる異常を理解させられてしまう。
もうね、涙が出てきてしまうよ。まさかの知らない言語ですよ。
この世界の主流言語をほとんど聞きかじっている俺が言うんだから間違いない。
......となるとこれはもう異世界と思った方が良さそうだ。
テクノ的な何かがブレイクしちゃったのか......。
これほど不名誉な異世界転生もなかなかないよなぁ。
とりあえず早急に言語を覚えてしまおう。
ニートの道も言語からってな。
♢
そんなこんなで数ヶ月。
赤ん坊の聴力と理解力は想像を絶するものらしい。
簡単な会話ならできるようになった。
目の筋肉をひたすら鍛えたお蔭で、視力は一気に上がり、効率的に学習できたというのもあるが。
ともかく、この世界について知らなくては始まらない。
俺は怠惰だが、愚かではない。怠惰であるための努力は惜しまない。
化学変化における活性化エネルギーのように、堕落するためにもまたエネルギーを費やさなければならないのだ。
というわけで今は絶賛筋トレ中である。歩けないと情報収集もへったくれもないし。
朝から晩までひたすらハイハイを続ける日々。
そろそろ伝い歩きを始めようかなんて考えていると、下腹部に異物を感じた。
はぁ、とため息を吐き泣き叫ぶ。
「うわあああああああん! うんこ! うんこおおおおおおお!!」
意外とノリノリである。
でも許して欲しい。みんなも俺の立場になってみればわかるはずなんだ。
そもそも赤ん坊であるからしてこの事態は不可避なのだ。それをちょっと楽しむくらいいいじゃないか。
想像してみて欲しい。甲斐甲斐しく下の世話をしてくれるメイドさん。汚物を前にしても笑顔で、猫なで声で優しく接してくれるのだ。これ以上言葉を尽くす必要はあるまい。
ニートの道を突き進んだ者ならばわかるはずだ。まず髭を剃らなくなる。次に髪を切らなくなる。その次は風呂に入らなくなる。挙句の果てにはオムツを着用するのだ。
それほどまでに堕落した人間が次に考えることはそう多くはない。顎を動かすのが面倒だとか、呼吸するのが煩わしいとか、目を覚ますのが辛いとか。オムツ処理だるいわ〜なんてのもそのうちの一つ。
もうおわかりだろう。今の状況はニートの究極に漸近しているのだ。愉快で堪らないこの気持ちを押さえつけることなど誰にもできはしない。
それに幸せなことはもう一つある。
「おなかすいた」
そうひとこと呟くと、忽ち乳母が駆け寄ってくる。
彼女は豊満な乳を瀑け出し俺を抱き抱えると、そのまま突起を目の前に寄せる。
俺は飲む。食事を飲む。これが重要だ。
歯で噛み砕く必要のない食事。
俺はまたニートの高みに至ったらしい。
食べ方に変化をつけるなどして楽しみ、満足したところで伝い歩きの練習に入る。
まだ上気した余韻を隠しきれていない乳母の肩に掴まり、俺はよちよちと歩き始めるのだった。
♢
早くも生後半年が経過した。
一人で歩けるようになったし、 日常会話も問題ない。
赤ん坊の成長速度には目を見張るものがある。前世の記憶と思考力による負荷のせいか頭痛が止むことはなかったが、そのお蔭で脳みそのスペックが前世より数段上がった気がする。
ともあれ、行動の幅が広がった俺は待ちに待った情報収集を始めていた。
知らなければならないことはたくさんある。無知蒙昧ではニートは務まらないのだ。
発展途上の世界においては、働かないというのはそれほどまでに難しい。何らかの利権を独占することでしか得られない特権なのだ。
こんなことを言うと、政略結婚の道具にされる子作りマシーンこと貴族令嬢様なんか楽でいいよなって嫉妬する童貞諸君もいるだろう。
だが俺は言いたい。苦労を知らず特権意識に凝り固まった肥えた豚野郎、そんなオークより醜いゲスな俺たちに撓垂れ掛かり、粗末なアレを受け入れ善がることは正しく労働に値するだろうと。超高時給の専属娼婦みたいなものだと。気が進まない事を行う、それ即ち労働であると。
だからこそ俺は、やりたいことだけをやれる、そんなニートを目指している。
閑話休題。
順当に行けば三男の俺は爵位を継げない。親が持つ爵位は二つなので兄たちに独占されてしまうのだ。そうなると基本的に取る道は三つ。
一つ目は意地でも爵位を勝ち取ること。長子相続が根底にあるので兄の謀殺、もしくは娘のみの貴族家に婿入りすることが必要だ。兄を一人殺害し、親に気に入られれば爵位を得られる。二人殺せば確実だが。
二つ目は聖職者や軍人となること。貴族として体面を失わず、出世すればそれなりの幸せを手にすることができるが馬車馬の如く働かなければならない。
最後の一つは兄の下で領地経営に携わること。この世界では貴族でも真面目に働いていたりするのでサボるのは難しい。じゃあ爵位継ぐ必要ないじゃんなんて思うかもしれないが、自分の上に立つものがいないという事こそが重要なのだ。自分がトップであればいくらでもやりようはある。そういうわけで兄の下で飼い殺しにされるのは御免被りたいところだ。
この通りニート生活を満喫するというのは大変なのである。
なればこそ、今日も質問責めにして使用人に白目を剥かせているのだ。
♢
「オムツいらない」
あれから数日。
実際に部屋の外に出てみなければわからないことが山ほどある。
俺は活動範囲を広げるため、オムツを卒業することにした。流石に外でオムツを変えてもらうわけにはいかないし。
トイレの場所を聞けば済む話なのだが、それができない已むに已まれぬ事情があった。
俺はこの世界でトイレに該当する言葉を未だ聞いたことがないのだ。
まあ文明レベル低いしトイレがないのも不自然ではない。おまるがあれば御の字だろう。
前世にあってこちらにない概念というのは多々あるが、転生者にとってこれは厄介極まりない。存在するかどうか問うためにこちらの言葉で定義し直す必要があるのだ。
トイレを定義する手間や生後半年のガキが概念の存在を問う不気味さを考えれば、先程の言葉が最善に違いない。
「確かにおぼっちゃまにはもう必要ないかもしれませんね」
「うんこのおかたづけどうすればいいの?」
「おまるという排泄用の器がございます。用を足す際はお申し付けください。我々使用人が持って参ります」
「それがあればどこででもできるね!」
「人の目につかないところが望ましいです。人前で用を足すのは権力の誇示を意味するため、目上の人には注意しなければなりません」
「わかった!」
排泄は憚られる行為であるからこそ、権威を示す手段にもなるってことか。人間ってほんと馬鹿だよなぁ。
そうそう、一応言っておくが使用人の口調が堅苦しくなったのはつい最近である。普通の赤ん坊に理解できるはずのない語り口であるのも俺の理解力を見込んでのことらしい。成長速度が異常だから期待しちゃったのかも。
一方俺の方は片言気味だ。理由は単純。呂律が上手く回らないのだ。子どもらしさをしっかりと演出できるので寧ろありがたいくらいだが。
それはさておき、ついに部屋の外に出ることができる。
この時をどれだけ待ち望んだことか......。
俺は月面で燥ぐパイロットの如き軽い足取りで巣を抜け出した。
そうして長い廊下を歩いていると、木剣を帯びた幼い子がこちらに向かって歩いてくる。
この子が長男のロマリオだろうか。ちっちゃくて可愛いなぁ。赤ん坊の俺が言えたことじゃないんだけれども。ちょっと挨拶してみよう。
「こんにちは兄上!」
「ああ、えっと......ザラムだったか?」
思えば、兄弟と顔を合わせるのはこれが初めてだった。
いや、可愛い赤ん坊の顔を拝みに来ない兄弟ってなんだよ。名前すらうろ覚えだし。貴族には人情ってものがないのかね。子育ても人任せだしそういうことなんだろうな。もっとも、我が家の場合特殊な事情も絡んで余計にドライになっているのかもしれないが。
というのも、俺とロマリオは腹違いの兄弟だ。
八歳の長男ロマリオと五歳の長女エレオノーラ、それから二歳の次男セルドが今は亡き人の子。彼女はどこかの伯爵家出身でセルドを産んでまもなく天上に召されたそうだ。
そして二歳の次女ルクシアと俺が現伯爵夫人、シュナイゼル伯爵家出身のルミネシアの子だ。
こうして整理してみれば、腹違いの同い年に後暗いものを感じてしまうのも道理であろう。加えて、妾に産ませた子どもなんかも平然と屋敷で働いているというので笑うしかない。
この世界の教会は性に対して結構緩い態度を取っている。産めよ増やせよって感じでもはや近世レベル。どうやって食い扶持を賄っているのか甚だ疑問である。
と、こんなことを考えている場合ではなかった。まあ脳みそパワーアップの恩恵で一瞬と間違うような時間しか経ってないんだけどね。
「はい! ザラムです! 剣のおけいこですか?」
「ああ。これから始めるところだ。お前も見ていくか?」
「はい! いきます!」
うーん、我ながら爽やかな笑顔だと思う。
それにしてもロマリオ君、悪い子じゃなさそうだな。日々の研鑽で忙しくて赤ん坊に構っている暇などなかったのだろう。
折角の機会だし他にも色々聞いてみよう。
「剣術のおけいこは何歳になったらできるのですか?」
「ほう、剣に興味があるのか?」
「はい! カッコイイですから!!」
「お前にはまだ早い。そんなに急がなくても、もう少し大きくなったら剣に限らず色々習うことになる。それまでは精々遊んでおくといい」
「そうですか......。兄上はどんなことを習っているんですか?」
「剣術はもちろん、乗馬、数学、音楽、天文学、論理学、修辞学、それから......を学んでいる」
「最後のは一体何なのですか?」
「そうか、お前はまだ見たことがないのか」
彼はそう言うと人差し指を立てた。
直後、指先に火が灯る。
ああ、これって......魔法やんけ!!!
すっげぇええええ!!
部屋に籠ってたせいで半年もの間存在に気付かなかった。一生の不覚。
高まってきましたよ。これこそ正しく異世界。
これは色々と試してみるしかないだろう。
「凄いです! 兄上!」
「これくらい誰でもできるようになるさ。さて、そろそろ稽古の時間だ」
そう言って素振りを始める彼をぼんやりと眺めながら考える。
魔法があるのなら、科学が台頭していないのも一応は納得がいく。中世風の世界が魔法の恩恵を受けて近世とは別ルートに分岐したのだろう。
だがそれにしては数学の発達具合が異常だ。この前なんてリーマン積分を思わせる記述まで見つけてしまったくらいだ。考えられるとすれば、魔法の発展に幾何学の研究が不可欠であるとかだろうか。魔道具とか数学使いそうなイメージだし。
ともかく、部屋に戻ったら早速魔法を使ってみよう。
俺は汗だくで地に転がっているロマリオを尻目に颯爽と巣穴に舞い戻った。
次回は魔法の話がメインになります。