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千秋先輩と僕  作者: すたた
社会学もの
4/4

千秋先輩と僕(人口論② 人口抑制の要因編)


◇◆◇



「人口の増減に関する根本原理はズバリ、出生者数と死者数のバランスといえる」


「言ってしまえば単純というやつですか」


「もちろん、マクロ的な視点でいうにしても出生者数に影響を与える要因や死者数に影響を与える要因は独立に作用していて見た目ほど単純にはいかない。世界人口を考えるならまだしも実際に国ごとの人口を考える場合にも国籍離脱者や労働者、移民の出入国なんかも考慮する必要もあるだろうから、根本原理の例は可能な限り単純化したモデルともいえる」



「今からは諸要因について考察していくということですか」


「そうだ。人口の増減に影響する要因として、どんなものがあるだろうか。キミが思いつくだけ挙げてみてくれないか」


「出生者に影響を与える要因はさっきの財政政策の失敗からくる社会不安はこっちですよね。後は、内乱や紛争は出生者・死者のどちらにも影響を与えそうですけど。死者に限って言えば不衛生な習慣からくる疫病とか公害とか大規模災害なんかもそうですか。後はちょっと思いつかないですね」


「たしかに現代においては忘れられがちかもしれないが今あげられたものに加えて天候不順や虫害などによる飢饉というものが人類にとっては大敵だったというのも思い出してほしい。とはいえ、これだけ挙げられたものはおおむね19世紀の初頭にはすでに指摘されていた要因ばかりだ」


「差し当たって人口の抑制についての研究は近代の経済学者トマス・ロバート・マルサスによる著作『人口論』を出発点としてみよう。この人口論という著作は初版とそれ以降で随分と容量が異なる。初版の反響に応えて持論を補強する形でページ数が増えていったのだが、初版はデータ等も少なくかなり薄い分読みやすいのでぜひとも目を通しておいてもらいたいものだ。勿論、学究の徒であるならばそれ以後の版も追ってほしいのだが、キミは読んだことがあるかな?」


「いえ、というかマルサスってあの穀物法論争のマルサスですよね?」


「ああ、そのマルサスで間違いない」



 ・・・著作については読んだことがなかったが、人物については僕も少しは知っている。




  トマス・ロバート・マルサス。


 ———18世紀から19世紀にかけて活躍した英国の経済学者で、ともにアダム・スミスの『諸国民の富の性質と諸要因に関する研究』に影響され古典的経済学を高度に体系化したデヴィッド・リカードの論敵として、または親交深い友人という文脈で登場することの多い人物だ。


 その著作は少し露悪的な部分もありそうした部分はのちに高名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズにも受け継がれた。また理性信奉に傾倒した人道主義者に対して激しく批判を寄せた為、マルサス自身もそうした勢力から根強い批判にさらされることとなった。


 彼はその為に敵も多く、またリカードというライバルの存在もあって、残した功績が多岐に渡るにもかかわらず、のちにケインズによってケンブリッジ学派の祖として再評価されるまで経済学の主流にみなされることはほとんどなかった。




 丁度いい、と先輩は言っておもむろに僕の持っていたペットボトル飲料を取り上げて、飲んだ。


 ・・・あげないよって、ソレ僕のですけど。


 封が空いていたとはいえまだ結構な量が残っていた飲料をすっかり飲んでしまって、先輩は何事もなく講義を再開した。


「マルサスの『人口論』は通称、『マルサスの罠』と呼ばれる仮説から始まる。いわく、人口は幾何級数的に増加するが食料生産は算術級数的にしか増加しないため、過剰人口に応じて飢餓が発生し、人口増加は生活物資(食料)の水準に押しとどめられるというものだ。要約すると人が増えるペースは食糧増産のペースよりも圧倒的に早いので、食糧供給によって人口が規定されるだろうということだね」


「そうして人口の基礎理論を説いた後は彼が産まれる100年以上前から続いていた『教区救貧法』の政策批判へと繋がっていく。これは近代国家の社会保障制度・公的扶助の走りとしてよく取り沙汰されるものだが、制定当初の目的としてはそんな生易しいものではなかった。エンクロージャーによって職にあぶれた貧民を寄せ集めることで働ける者には強制労働を課し、働けないものへの支援もわずかにとどまったようだ。また強制就労所から逃げ出す者も少なくなかったとされている。しかし、時代が下ってイギリスの長期にわたる好況から社会に余裕が生まれ、『教区救貧法』は18世紀末頃から人道的な内容へと改正されていった。マルサスが人口論を著したのは1798年。教区救貧法が人道的なモノへと改正されたトマス・ギルバートによる救貧法改正法案(いわゆるギルバート法)が通った1972年のおよそ6年後になる」



「マルサスは教区救貧法は社会の資本配分を意図的に歪め、ごく少数の危機的状況にある最下層民は救えるかもしれないが、それが為に、それより少しだけマシな生活をしている下層の貧民全体の生活水準を低下させるものであると非難している。食料供給が増大しない場合に貧困層へと公的扶助を行うと食料価格が高騰し、下層民の可処分所得を圧迫し、実質賃金率が低下するので生活水準が下がるという理屈だ。これはのちに条件付きながら数理モデルを用いた証明が為されている」




「そう聞くとマルサスって古典派の時代に荒削りながら厚生経済学的な先見性も持ってますよね」


「古典派経済学の時代に生きながら染まらなかった傑物だからね。のちの学者たちに与えた影響も大きい。誤解のないように言っておくと、べつにマルサスは窮乏している最下層民を救うなと主張しているわけではない。弱者の救済施策はあってもいいと考えているし、救貧法についても単に制度的欠陥を指摘しているに過ぎない。人非人ではないということだ。まぁそうでなくてはリカードも親交を深めることはなかっただろうしね」



「さて、マルサスの論によると既に超過人口となった場合に働くのが積極的抑制というもので、その主要因を『貧困と悪徳』というモチーフに押し込めた。ここでいう悪徳は飢饉や戦争、疫病などが含まれる。冒頭で述べた人口の根本原理でいえば死者数が増える方の話だ。一方で、人口超過を迎えないように働くのが予防的抑制といってこれは結婚の延期や婚前交渉の自制などを挙げている。これが人口の根本原理で言うところの出生者の数が減るという側面だ」




「以上がマルサスの『人口論』のおおよその論旨になる」


「まぁなんというか、参考になる部分もあるけれど現代の状況を説明するには全く足りない感じがしますよね」


「ほう、どうしてそう思う?」


「まず『マルサスの罠』という仮説が現在の状況からして反証されているんじゃないですか?日本にとってみても人口が食料供給によって人口の上限が規定されているとは言えませんよね。20世紀半ば以後に世界各地で起きた『緑の革命』の例を見ても食料供給が算術級数的に増加するなんて表現は妥当じゃないでしょう?」


「確かにそうだね。確かに彼マルサスの生きた時代は古典的経済学の興りにほど近いので、食糧生産と労働力の関係は盛んに議論された命題のひとつでもあるし、貧困層に対する食糧供給が満足でなかったという世相もあって長らく注目されていた説なのは間違いない。だが、現代においては土木機械や耕作機械の高度化、主要作物の生態学的な理解、遺伝子組み換え等の品種改良技術の進歩、農薬利用による病虫害リスクの大幅軽減などによってマルサスの罠という説はもはや過去のものになりつつあるといっていいだろう」


「ここで完全に過去のものになったと断言できないのは歯がゆいところでもある。原油価格の高騰の長期化によって、食糧問題が再燃するという脆弱性を国際社会が未だ克服できていないことが明らかになったからなのだが、少し長くなるのでこれについての詳しい説明は別の機会に譲ろうと思う」


「長くなるなら・・・、そうですね」


 現代において起こった食糧危機は2008年頃の話だ。同年の7月、首脳国会談において声明が出されほどのものだった。これは世界を揺るがしたあの悪名高きリーマンショックに2カ月先んじて発表されている。どちらもいずれ議題の俎上に上ることもあるだろう。



「話を戻して、マルサスの罠にはそれだけで反証には足りるのだが、ここでもう一歩踏み込んで考えてみよう。国際連合の世界食糧計画(World Food Programme:WFP)という組織が世界の飢餓人口についてハンガーマップというものを示しているので見て欲しい(※参考2)。 例えば、ここにある中央アフリカ共和国などは非常に高い飢餓が発生しているとされながらも、前回の参考資料として挙げたCIAのファクトブック(※参考1)において人口の伸び率は2%を記録している。しかして現代においては貧困や飢餓は必ずしも人口増加を抑制しない、ないしは十分に効果を発揮しないということになる」


「『貧困と悪徳』というモチーフはどうか。私感ではこちらも現代の状況を上手く説明できているとはいえない。直近の例に挙げた中央アフリカ共和国などは外務省の海外安全情報(※参考3)を見ても分かる通り治安がかなり悪化している。中央アフリカ共和国は伝統的に政権が不安定という側面があったが2013年を契機にムスリム系の反政府組織に政権が打倒されて以降、キリスト教系の民兵組織まででてきて抗争が激化。政府内でもクーデターに次ぐクーデターでまともな統一政府として機能しているとは呼べない。内情が安定しないにもかかわらず人口は伸びている。多少の足踏みはしながらも、ね。これはいったいどういうことなんだろうね」



「社会学というより生態学っぽくなりますけど『危機的環境圧が常態化してしまったせいでそれに見合った繁殖を繰り返している』というのはどうです?」


「論拠の部分が弱いがなかなか面白い仮説だ。ただ、もしかするとそれは真実に近いかも知れない。アフリカ諸国の世代別人口を考えるときれいな人口ピラミッドが出来上がる。中央アフリカなどは未成年の人口だけでおよそ48.9%にも上るんだ。今の日本からはちょっと想像できない状況だね。まぁそれだけ長生きできる大人が少ないということでもあり、一方で子供の人口が多すぎるせいで飢餓が発生しているといえる。就労人口に到達していない世代の生産性は低いからね。反社会組織がそこに目をつけ子供なら掃いて捨てる程いると考えてしまうのか、少年兵として従事させられ戦力として生命を損耗していく事態にもなるので、想像より悲惨な状況に陥っていることも頭の片隅に置いておくといい」



「総合してみていくとアフリカ大陸の女性は伝統的に多産で、一人当たり平均5.2人の子供を産むそうだ。それ故に玉突き事故的に紛争が起きたり政情が不安定になったりしても、人口だけは安定した伸びをみせている。飢餓状態に陥って尚、ね。似たような外圧にさらされながら人口を減らしている東部から中央ヨーロッパ一帯の諸国とはずいぶんと異なっているね。どうしてだとおもう?」



「それはもうアフリカ開発の影響でしょうね」


「キミは結論を急ぎすぎだ。少し意地悪な聞き方だったかもしれないが、結局のところ、アフリカ大陸は風土的・民族的慣習として多産が先にあると考えた方が整理しやすい。東欧諸国の分析の様にGDP成長率や失業率なんかで相関を探っても割とめちゃくちゃな結果になりやすいからね」


「え?それで正解は?」


「悪いが現代の世界人口の動態についての研究は今もってなお有力な定説がない。ヒトやモノの流通が前近代とは比べ物にならないほど大規模かつ高速化されているから、データを取りまとめている間に大きな影響を与える第三者が出現するので一貫した整合性を示しにくいのも研究を難しくしているんだろう。なので、次からは日本の人口動態についての考察を主眼に置いていこう。差し当たってまずは・・・、人の生物的な繁殖方法について考えていくことにしよう」


「次は保険体育ですか?」


「シタゴコロかな?体育はないよ」


 ・・・ないらしかった。にべもない先輩の様子にだけど僕はまんざらでもなかった。

(参考1 URL: https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/344rank.html)アメリカ中央情報局


(参考2 URL: https://docs.wfp.org/api/documents/WFP-0000105139/download/?_ga=2.215233554.465371919.1558377590-473090718.1558377590)WFPのハンガーマップ


(参考3 URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcareahazardinfo_14.html)外務省 海外安全情報アフリカ地域

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