同級生と僕
短編集『学園生活』
「同級生と僕(溜息と嘘吐き編)」
「はぁ、死にたい」
そんな言葉を聞きとがめて僕はふと足を止めた。
「・・・生きてりゃいいことあるよ」
「そんなの嘘だよ」
なんと声をかけたものかと迷った挙句に掛けた言葉を、言下に否定された僕はいっそなげやりになった。
状況を整理しよう。
場所は教室、時刻は放課後。
地元じゃ有名な進学校である我が校の生徒は放課後ともなれば部活に、遊びに、予備校にと銘々、三々五々に散っていき教室はいつももぬけの殻だ。
僕にしても何かと僕を気に掛けてくる女性の先輩と社会学を話のタネに同好会めいたことをするのが日課となっていたのだが、その日はどういうわけか『今日は別のおもちゃで遊ぶ』という誠に身勝手な文面の断りのメールが来て急遽ヒマができたのだった。
その時の僕の気分といえば憤懣やるかたないという感じで、帰ってやる、帰ってやりますともと鼻息荒く大股の蟹股で家路に付こうとしていた。
その矢先の出来事であった。
みれば同級生のツクバ・タマモが机に突っ伏して眼だけをのぞかせてこちらを見ている。
わざわざ出口に一番近い他人の席を占拠しているあたり始めからかまって貰うつもり満々だったのだろう。
しかし、やはり、なんとなくアブナイ人を見過ごせないところのある僕は何や彼やと同級生の世話焼きをしてしまうのだった。
ツクバ・タマモは客観的に見れば身体の発育もいいし、顔も声も良い。上にも下にも男兄弟が多いとかで気さくに異性に話しかける明るい色気を持っている。
いわゆる、世の男子に広く人気を博すタイプの女の子である。(女子の人気はどうだか知らない)
そんな生きてるだけでおよそ万事が上手くいきそうな彼女から「死にたい」などという言葉が飛び出せば、彼女の心中、如何ばかりか僕だって気休めの話し相手をするのも吝かではない。
なにせ僕も哲人を自称する男だ。
気になる同級生の個人的な事情の詮索をするため、空いた放課後の時間を無為に過ごす新たな計画を立てたかったわけではない。ええ、決して。念のため。
話を戻そう。
―――『生きてりゃ、良いことある』は嘘か、否か・・・。
「うーん、とはいってもやっぱり嘘じゃあないよ。人生何も良いことがないまま終える人の方が稀だという意味の一般論だから、具体性がある金言じゃないけど慰めにはなるんじゃない?」
「何も良いことがないまま死んでいく人だっているでしょ?生まれてすぐ死んじゃうとか・・・」
確かに乳幼児とか胎児とか命短くして非業の死を遂げるケースだって決して少なくはない。
先端小児医療の話は別にしても、五十年くらい前に劇的に改善されるまで乳児の死亡率は年間万単位で比率は39%に近かったという統計が残っているくらいザラだったわけで。
江戸時代の平均寿命を押し下げていたのは未成熟児の死亡率が高いからだって社会科の原田先生も言っていたし、それもまた一つの真実だろう。
だが反論とするには着眼が間違っている。
「そういうケースももちろんあるけど“標本には含まれない”よ。だって“生きてりゃ、良いこと・・・”ってちゃんと言ってるからね。そこそこ長い人生を生きてることが前提であって、極端に短い人生にも必ず良いことがあるなんてことは言ってないよ。それに含意を汲むなら『生きてりゃ』と対置されているのが『死』なんだから、『死にました。そらみろ良いことないぞ』では反論になってないよ」
これは考えてみれば当たり前で、この格言の含意は『死んだら終わり』なのだから早死にした例をもって反論とすることはできない。
僕の言葉を聞いて同級生は眉根を寄せた。
「えーと、えーと、じゃあ嘘は言ってないってこと?」
「だからそう言ってるじゃん」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「でもそれ、私に当てはまるかどうかは別だよね」
「一般化してるんだから、当てはまらないと考えるより当てはまると考えた方が自然なんだけど・・・。まぁ端的にこの言葉に反論するなら良いことの具体的な定義がされてないから何の救いにもなってないというところかな」
「そうなんだ。なんの救いにもならない言葉どうもありがとう」
「どういたしまして」
渾身の皮肉が大して堪えていない僕の様子にツクバは難しい顔をした。
いや、そこで終わりじゃないでしょ、と催促されて僕は次の言葉を探す。
「ええと、じゃあ、死ねば楽になるよ」
「それも嘘じゃん」
ぴしゃりといわれて僕は小さなため息を吐く。
「嘘って言い方はそぐわないんだけどなぁ」
「えー、でもやっぱり嘘っぽいよ」
僕が難しい顔をして、いわゆる嘘と呼べない説明を考えているのを無視して、ツクバは嘘だという。
―――『死ねば楽になる』は嘘か、否か。
「やっぱり嘘ではないって。“――死ねば楽になるよ”にしたって検証不能《死んだら分かんない》だから三値論理でいう真偽不明になるだけで命題がそのまま偽ってことにはならないじゃない?嘘っていうんだから偽命題じゃないと座りが悪いよ。すくなくとも僕はすっかり嘘だとは思わないけど」
「命題ってこの前習ったばっかなのに分からないよ」
「真じゃないから偽だとは必ずしも言えないと言いたいだけなんだけど、普段の発想と前提が違うからそこから説明すると余計にこんがらがって理解しにくくなるんじゃない?」
「うーん。うー?」
かわいらしく小首をかしげる同級生を見て、僕は目頭を揉んだ。
「僕もうまく説明できなくて困っているよ」
「私も、要はって言われてさらに分かりにくい説明されたの初めてだよ」
おてあげー、とツクバは伸びをして椅子を揺らし始める。
ぼくが最初に変な言い方をした所為で、大事なところがすんなりと頭に入っていかないようだ。
こうして考えると、先輩との議論は細かな言葉の確認が必要ないので話が楽ができていると思わされる。
「というか、死ねば楽になるよってヒドくない?」
「そうかな?」
「そうだよ・・・」
言葉少なに会話が途切れる。
ツクバに言わせるとまるで死んでほしいというように聞こえるという。
僕にしてみれば申し訳ないけれどその点には全く興味がない。
僕は確かに、僕の興味の為に声をかけたが、真反対の言葉を掛けていることからも分かるように彼女の個人的な生き死にについてどうこうするつもりはサラサラない。
それは彼女自身に内在すべきもので余人が関与すべきでないということを僕は先日の千秋先輩との会話で学んだのだ。
とはいえもう既にイロイロと失敗しているとも言えた。
すでに彼女の心証はフラットではなく凹んでいるらしい。
聞けば、彼女にしても軽い調子で出た「死にたい」などという言葉は社会通念上、真剣に自殺を考えているという意味でとられることは少なく「悩みがあるから、ねぇちょっと聞いて」くらいの意味なのだと謂う。
・・・それは嘘じゃないのかと思わなくもないが、どうも社会というのは中々難しいものがある。
いつも変人ばかりにかかわっている弊害で僕はよくこういう社交性トラップに驚かされることになる。
そして、いくら機微にうとい僕でも、今、彼女が求めているのは悩みを煙に巻く難しい議論ではなく、自己肯定の言葉なんじゃないかということがようやくながら、薄々ながら分かってきた。
だが、僕にはここで楽になる言葉は与えられない。そのつもりもない。むしろスッキリされては困る。
僕は同級生から優しいとか、頼りになるだとかそういう評価は求めておらず、ただ思春期らしいモヤモヤをずっと抱えていてほしいと思う。
「悩み事なら野球部のエースとかサッカー部キャプテンとかに相談して貰いたいね」
「なんでそこで三津谷くんたちが出てくるの?」
「世間一般の常識って奴がホラ・・・、アレだから、僕には力不足だね」
「相談に力は要らないでしょ」
「筋肉は要らないけど、能力はいるんじゃない?いや、筋肉も場合によっては役に立つだろうし」
「筋肉とお話するわけじゃないでしょ」
「分かんないよ?筋肉って話しかけるとよく育つっていうし、部位ごとに名前とか付けてる人もいるみたいだよ?」
「キモッ、・・・ていうか怖っ」
「まぁ、それは笑い話だとしても肉体言語で解決する問題って意外と多いからね」
「別に誰かを殴りたいわけじゃないよ」
「それって今回の悩みの話?」
「うん・・・」
ツクバは随分と話しづらそうにしていた。
僕としてもあまり積極的に聞きたい話じゃない。
ないんだけど、聞かないと話が進まないし、聞かないで済まそうというのも虫のいい話に聞こえる。
僕は一つため息を吐いて、話を聞くことにした。
「で、どうしたの?」
「いやぁ、実は・・・・」
そうして語られた相談というのはちょっと衝撃的だった。
どうも、彼女、最近家で性欲を解消している姿を上の兄弟に見られたらしい。
たはは、とツクバは笑ったが僕もどういう反応をすべきかわからずに固まってしまった。
そういう相談は普通、女の子同士でするもんじゃないだろうか。
とはいえ、彼女がもっと相談事に向きそうな男の友人たちに振らなかった理由も納得だった。
「事情は分かったけど、僕にどうしろっていうの?ソレ・・・」
「ううん、誰かに聞いて貰いたかっただけ・・・」
「そっか。いや、まぁ、なんだ。兄弟多いと大変だね」
「そーそー、ウチ狭いからさー。ホント大変だよぉ」
パタパタと手で顔を仰ぐツクバ。
弛緩した雰囲気が流れた。
結局、そこからは取り留めのないツクバ家の兄弟の話を聞かされた。
本当に他愛ない晩御飯のカラアゲ争奪戦の話や弟の交際相手の悪口とか兄が決定的に音痴だとかお弁当を自分で作り始めたとかそういう話ばかりだ。
本来の僕であれば一片の興味も湧かなそうな話題を振られても、不思議な空気のまま暢気に話を聞ききながら相槌を打った。
つまるところ彼女のその技術こそが社交性というものだと気付いた時にはすでに五時を回ろうとしていた。
どちらからともなく別れの空気が漂う。
「今日は付き合わせちゃってゴメンね」
「別に・・・。空いた時間だったし」
「やっさし~♪」
これは優しさでも何でもなく事実なんだけど・・・。
「ツクバは?結構、放課後は暇なのか・・・?」
僕から出た初めてのツクバ自身への問いかけにツクバは驚き、目を見開いたがすぐにびっと敬礼のように右手を掲げて笑った。
「もっちろん!恋に遊びに全力ですっ」
ここで恋の相手を聞いいて墓穴を掘るほど僕は愚かじゃないし、僕が望もうが望むまいが人は皆、思春期を思い思いに悶々と過ごしていくんだということに気付かされた気がして僕も満足げに笑う。
「そう。じゃあ、頑張れよ」
僕も応えて、敬礼ではないが右手をひらひらと振って教室を出た。
帰りに階段の踊り場で千秋先輩に声を掛けられ今日の出来事をイロイロと聞かれたけど、こういう僕なりの悶々とした話は今日は良いだろう。
僕らは帰り道が違うのでいつものように千秋先輩とは門をすぐ出たところで別れた。
・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
家の玄関をくぐる前に僕は今日の話を思い出した。
「生きてりゃいいことある」
救いにはならないといったが、主観的な意味でも良いことのレベルなんてその時々で変わるのだ。
晴れてほしい日に晴れたとか、子供が生まれたとか、スーパーのセールが思いのほか安くて夜食にプリンが付いたとか、そういう種々様々に良いことを含めればやっぱり何一つ良いことのない人生というのは相当稀である。
人間、現在がツライとまるで、「生きてて良いことなんて一つもない。これまでもそうだったし、これからもずっとそうだろう」という強迫観念にとらわれてしまうことがある。
探せば何かしら良いことだってあったはずなのに、まるでそんなことなんてなかったかのように思い出からすっぽり抜け落ちてしまう人もいる。
―――だから、そう。
こういう言葉に具体性は要らないのだ。ただ明日を生きるだけの前向きさが取り戻せればいい。
・・・・・そういう話をしてあげられないのが、僕の青さなんだろうなぁ。
僕の忸怩たる思いは「ただいま」という言葉に乗って家にコダマしてすぐに消えた。
(了)