覚え書き・祖父の戦争体験談
21世紀の現在では不適切とされる表現も含まれていますが、大正生まれの老人の「語り」をできる限り正確に残しておくことにも意味があると思いましたので、そのままにしてあります。
また、この話を紹介しますと、「経済大国の中国をバカにしているのか」と言われることがあります。
もちろん現代の中国が著しい経済発展を遂げたことは存じております。このように牧歌的なことがあるとは思いません。
80年近く前の話であるということ、ご理解賜りたくお願い申し上げます。
シナはな、広いんだど。
揚子江(注:長江)を、ぽんぽんぽんぽん蒸気船で遡って行くだぁが、いつまで経っても着かねえだ。
川幅も広ぇだ。向こうが見えないだぁよ。
そんでも遡っていくとなぁ、今度は小山の上に、船が見えて来ただ。
割と大きな船でな、しかも一隻じゃ無えだ。いくつもいくつも船があるから、「あれは何だ。どうして川に引っ張らねえだ」って聞いたらな?
「今は渇水期だから、川が干上がってる。もう3ヶ月もすりゃあ、水が流れて来るっけえ、勝手に川ん中さ戻って来る」だとよ!
小山だとばかり思っていただが、それが川岸だっただ。
まぁシナの川はでっけえだ。
街もでかかったど。じいちゃんは武漢三鎮に行くことになっただがな?
武漢三鎮ってのは、3つの街がくっついているから三鎮だ。
(指を折りつつ)武昌・漢口・漢陽、広い揚子江を挟んで3つの街があるだが。
それ全部でひとつの市だってんだよぉ。それじゃぁ見回りきれねえっぺと思うだが、ひとつだってんだから分かんねぇなあ。
そんでなぁ。とにかく街の見回りすっぺ?(注:祖父は兵隊でした)
そしたらシナ人が喧嘩してただ。
何言ってっかわかんねえが、大声で怒鳴りあっていただから、あれは喧嘩だ。
おらほらも(我々も)面白がって、「ほれ始まっど」「ほらやれ」って見てったんけぇが。
言い合いだけでおしめぇだ。
「あんが(何だ)、面白くねえ」
「意気地が無ぇのう」
そう思っていただが、一周見回り終えてみたら、また始まってただ。
シナ人はいきなり殴り合いの喧嘩はしねえみたいだな。
言い合いした後、家族や朋輩(友人)を集めてくるだ。
で、たくさん集めてきたほうが、声のでけぇほうが勝ちだ。
シナ人の喧嘩は戦争だな。川の船と言い、あいつら気が長ぇだ。日本人はせっかちだな。
戦争になるとな、これは日本もシナも同じだったっけんが。
都会はともかく、田舎は金よりも物だぁよ。
揚子江沿いの街でな、金出して砂糖を買い込むだ。背嚢の底一杯に入れるだ。
華北(注:河北かも?)のほうに行って、飲み屋に入るっぺ?
砂糖の塊出すと、「大人大人」って大喜びして、飲ませてくれるだ。
で、残った砂糖の塊を、岩塩と交換するだぁよ。
そうすっとな、南のほうの飲み屋で、これが使えるだ。
岩塩を出すと、「大人大人」ってにこにこして、飲ませてくれるだ。
残った岩塩を砂糖に変えれば、また北でただ酒が飲めるっぺ?
シナの北のほうは塩はあるっけが砂糖がね(無い)。
南のほうは砂糖はあるが塩がぁね(無い)。
広すぎるから、取れるもんまで違いすぎんだぁよ。
横須賀の海軍工廠で、飛行機作ってただ。水上機だな。
(注:祖父は機体名を挙げていましたが、失念しました)
おらは工員だったから、難しいことはよお分からんかったけが。
技師さんは偉いだな。
エンジンの調子が悪いと飛んで来て、じっと耳さ傾けるだ。
そうすっとなぁ?すぐに原因が分かっちまうだ。
「これは四番バルブがいかれておる。開けてみぃ」って言うだがよ。
で、開けてみると本当に四番バルブが壊れてただ。
故障のたびに飛んできて、音だけで原因を突き止めちまうだ。
おらほらも真似して、耳さ傾けてみるだが、ちぃとも違いがわからん。
技師さんは偉いだ。
横須賀の近くに下宿してただが、まあ汽車が混雑するだ。
もうぎゅうぎゅうに乗り込んで、その全員が横須賀で降りるだ。
駅からわぁっと人が吐き出されんだ。よくまあこんなに乗れるもんだって思っただな。
その下宿先でな?「納豆は食べられますか?」って聞かれただ。
おらは甘納豆は知ってただが、納豆を知らなかっただ。
それで、「はい、大好物です」って答えただがよ。
いやぁ、あれは参っただな。
「なんだこりゃあ」って思っただ。ねばねばしてくっさあて(臭くて)おいね(たまらない)。
だっけん、「大好物です」って言っちまった手前、かねぇ(食わない)わけにはいかねっぺ?
もう無理やり食ったっけんが、そしたら「良い食べっぷりですね」って。次の日も出てくるだぁよ。
でもすぐ慣れただ。今では大好物だ。
終戦は石垣島で迎えただ。
石垣島にはな?琉球空手ってのがあるだ。おっかねぇんだど。
あぐらかいてたと思ったら、そこから、あぐらのまんま跳び上がって、梁さぶら下がってただ。
どうして跳び上がったか分からんかったけんが、とにかくおったまげた。
あん頃は食いもんが無くてなあ。
仲間が夜中、芋さ失敬しに行って、顔を腫らしてほうほうの体で帰って来ただ。
琉球空手にやられただな。
最後はな?海っぺりのトーチカの中に籠もってただ。
隙間から米軍の戦艦が見えてな?いよいよ来たっぺと思っただ。
そのまま艦砲射撃が始まって、水柱ぁ上がる、地面は揺れる。
こりゃもうおしまいだぁ思ったっけぇ、はぁもういいっぺって。
「缶詰開け!食ってよし!」って勝手に命令出しただ。おらも食った。
そしたらなぁ、米軍があっちさ行っちまっただ。どこさ行ったかは分かんね。
後で上官にいらい(えらく)怒られただ。
「○○伍長! 貴様、勝手なことを!」って、ビンタさ飛んで来た。
痛かったけんが、あん時の缶詰はんまかった(美味かった)な。
みんなそう言ってただ。
祖父は終戦時伍長であったと、先ごろ確認を取りました。
「上等兵だったっけ?」と言ったら親戚にいらい(えらく)怒られたことをここに付言いたします。