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江戸浪士隊血風録  作者: 川越トーマ
6/17

 阿片

 俺たちは隅田川の川沿いを歩いていた。

 材木置き場が並ぶこの界隈は夜ともなると人気が少なくなる。

 周囲には俺たち五人以外に人影は見えなかった。

「この鎖帷子というのは、やはり少し重いですね」

 鈴音は普段通りの艶やかな和服姿だったが、男性四人は下着の上に鎖帷子を身に着け、その上にお揃いの黒い詰襟の洋服を身に着けていた。

 この服装が仕事をするときの制服らしかった。

「我慢しろ、『着込み』なしで仕事してたら命がいくつあっても足らんぞ」

「はい」

 俺は鉄心の横を歩いていた。

 鎖帷子は歩くのが辛いほど重くはなかったが、動きが鈍くなりそうなのが気がかりだった。

「こいつのおかげで、ちょっとした斬撃や銃弾なら致命傷にならない」

「しかし、鎧には劣るのですよね」

「当り前だ。お前がやった兜割、あれができるくらいの業物や剣術使いに当たったら当然ぶった切られるし、そうでなくでも痣や骨折程度は覚悟しろ。当り前だが、着てない部分を斬られたら、それはそれでおしまいだ」

 鎖帷子が覆っているのは上半身の胴体部分だけだった。

「それから、威力の弱い小型拳銃の弾ならはじくが、大型拳銃や軍用の長い奴はやばい。特に完全被甲弾フルメタルジャケットと呼ばれる、弾頭を堅い金属で覆った弾丸を使われたら、運良く胸や背中の金属板にでもあたらない限り、鎖の部分なんぞは軽く貫通されるだろうな」

 鎖帷子の胸の部分と背中の上の方には、主に心臓を守るため、防御力を強化するための金属板がつけてあった。

「間もなく目的地だ」

 右近が注意を促した。

 俺たちは特に看板も出していない比較的大きな商家づくりの建物の近くで足を止めた。

「では」

 右近と才蔵が何気ない、それでいて足音の響かない歩き方で建物の裏へと回った。

 俺と鉄心と鈴音は、少しの間黙って時間をつぶした。

 そして、右近と才蔵が裏口に辿り着いた頃合いを見計らって、鈴音が前に進み出て、閉じられていた商家の入り口の扉をたたいた。

 俺と鉄心は鈴音から少し離れたところで様子を窺っていた。

 そして、人相を隠すための黒い頬あてをつけた。

「なんだ?」

 扉が少し開いて夜の闇に光が漏れだした。

 紺の縦じまの着流し姿の男が顔を出した。

 目のぎょろりとした人相の良くない中年の男だった。

「夜分遅く申し訳ありません。こちらで南蛮渡来のありがたいお薬が手に入ると聞いたものですから」

 鈴音が甘い声で、予定のセリフを口にした。

 途端に入り口に出てきた男の緊張が解けたようだった。

「なんのことかな。まあ、立ち話もなんだから、店に入ったらどうだ」

 男は口元を緩めて鈴音を店の中に連れ込もうとした。

「連れもいるんですけど」

 鈴音は入り口の男に甘えたような態度をとった。

「美しいお連れさんなら大歓迎だぜ」

 男の答えは想定したとおりだった。

 鉄心は巨体に似合わず、猫のようなしなやかさで足音も立てずに入り口に向かった。

「じゃあ、お言葉に甘えて失礼します」

 そういいながら、鈴音の後を追うように黒い頬あてをつけた坊主頭の鉄心が店の中に入った。

 俺も慌てて後に続いた。

 店の中は何本ものろうそくに照らされて、それなりの明るさとなっていた。

「何者だ!」

 坊主頭の巨漢を間近に見て、入り口の男は肝をつぶした。

「ありがたいお薬って、なんだろな~と思ってな」

「お前なんぞに用はない。失せろ」

 入り口の男は怒りと恐怖のないまぜになった態度で凄んだ。

 俺が素早く店の中に視線を走らせると、土間の奥の方で体格のいい異人が鉄心に対して冷たい視線を向けているのが見えた。

「なんか、臭うな。この店、変な匂いがしないか? 奥の間で何かやってるのか」

「やかましい、痛い目に遭いたくなかったら出てってもらおう」

「そういや、同じ匂いを清国の阿片窟でも嗅いだことがあるんだが、ここでもやってるんかね?」

「!」

 入り口の男から殺気が放たれた。

「おっ、顔色が変わったねえ。図星か?」

「死んでもらう」

 そういいながら男は懐から拳銃を取り出した。

 しかし、狙いを定める前に鉄心の拳骨が男の顔面にめり込んでいた。

「おまえらがな」

 そう言いながら鉄心は腰の青龍刀を抜き放ち、殴られてよろめいている男の頭上に振り下ろした。

 頭蓋が砕け、男は二つに分かれて地面に崩れた。

 その惨劇に土間の奥でこちらの様子を窺っていた体格のいい異人が素早く反応した。

「!」

 腰のホルスターから銃身の長い大型拳銃を引き抜き、血の滴る青龍刀をぶら下げた鉄心に向かって問答無用で発砲した。

 銃声が響き、正確に鉄心の心臓部分に着弾した。

「ぐお」

 鉄心は着弾の衝撃によろめいた。

 異人は笑みを浮かべた。

 しかし、その笑みはすぐに凍り付いた。

「なあんてな」

 鉄心は崩れた態勢を立て直し不敵な笑みを浮かべた。

 そのわずかの隙をついて俺は刀を抜いて突進していた。

 異人の手にした大型拳銃のシリンダーが回転し狙いを定める前に刀を振り下ろした。

 異人の腕は拳銃を握ったまま地に落ちた。

 傷口から血が噴き出し、異人は異国の言葉で絶叫した。

 店先での騒ぎに気づいて、店の奥から姿を現した店主らしき男が凄惨な光景に凍り付いた。

「野郎ども、こいつらを生かして返すな」

 店主らしき男が発した大声に反応して、店の奥から次々に人相の良くない男たちがあふれてきた。

「野郎!」

 そんな人相のよくない男たちの先頭を切って、俺に用心棒と思しき総髪の剣士が刀を振りかざして迫ってきた。

 俺は蜻蛉の構えから、袈裟懸けに振り下ろしてきた相手の刀を迎え撃った。

 相手の刀が砕け散り、姿勢を崩すのが見えた。

 俺は型稽古で体にしみ込んだ動きで、総髪の剣士の脇腹を斜めに切り上げた。

 血飛沫が上がった。

「逃げんじゃねえ」

 利き腕を失い、よろよろと逃げようとしていた異人の胴体を鉄心が追いすがって青龍刀で両断した。

 異人は内臓をぶちまけ、血の海を作った。

「新手だ! 後ろから!」

 店の男たちの間から悲鳴のような声が上がった。

 入り口で騒ぎが起こったのを見計らって裏口から右近と才蔵が突入したのだろう。

 裏木戸の作りが貧弱なのは予め調べてあり、強引に蹴り破る予定だった。

 奥の方も騒がしくなってきた。

「さあ、祭りの始まりだ」

 返り血を浴びた鉄心が凄惨な笑みを浮かべ、集まってきた見るからに柄の悪そうな連中に向かって大振りの青龍刀を颶風のように振り回した。

「手ごわいぞ!」

「バラバラに攻撃するな!」

 憤怒の形相を浮かべ、獣のような雄叫びを上げて暴れまわる鉄心に、店の男たちは複数で取り囲もうとしていたが、まるで相手にならなかった。

「なんなんだ、こいつら!」

「用心棒はどうした!」

 店の裏口に回っていた右近と才蔵が奥の方から現れ、混乱にさらに拍車がかかった。

 右近は、右手に打刀(大刀)、左手に脇差(小刀)を下げていた。

 左右同時に斬りかかった二人のならず者の片方は腕を飛ばされ、もう片方は袈裟懸けに斬り下げられた。

 まるで動きに無駄がなく滑らかだったが、そのため、逆に斬撃は速くは見えなかった。

 表情はいつもと同じように物静かでそれがかえって見る者に不気味さを与えていた。

 一方、才蔵は普段とは異なり目に歓喜の色を浮かべているようだった。

 刃渡り三尺(約九十センチ)以上はあると思われる長い刀を器用に操り、稲妻のような速さで斬撃を繰り返していた。

 相手の首筋や心臓などの急所部分を正確に狙って切り裂くため、斬られた相手は噴水のように鮮血を噴出していた。

「勘弁してくれ」

 才蔵は返り血を浴びながら、逃走を図る相手も容赦なく追いたて、決して逃がすことはなかった。

 俺は剣にいささか自信を持っていたが、その自信は見事に打ち砕かれた。

 実戦での凄みがまるで違った。

 力でねじ伏せる鉄心、無駄のない動きで効率的に敵を倒す右近、稲妻のような剣さばきで相手の急所を的確に攻撃する才蔵、きっと俺は三人の誰にも叶わないだろう。

『いつまで続くんだ』

 周囲に血のにおいが充満してきた。

 正直なところ緊張と恐怖で心は悲鳴を上げていたが、気を抜くことは許されなかった。

「畜生!」

「こんなの聞いてねえ!」

 敵方は皆、必死の形相を浮かべていた。

 そして、狂ったように斬りかかってくる者、怯えた色を浮かべて逃走のチャンスをうかがう者、隅の方で固まっている者、様々だった。

 そんな中、俺は斬り飛ばされた異人の腕から拳銃を拾おうとしている男に気づいた。

『まずい』

 正直、それまで積極的に殺戮の饗宴に参加することに躊躇していた俺は、その男めがけて突進した。

「ひい」

 男は土間に腰を落としたまま恐怖の色を顔に浮かべ、引き金を引いた。

 銃声がとどろき、銃弾が頬をかすめた。

 火薬の量が多いらしく、男は発砲の反動で大きくのけぞった。

 俺は蜻蛉の構えから袈裟懸けに刀を振り下ろした。

 男は左の肩口から右の脇腹にかけて斜めに両断され、白目をむいて血の海に沈んだ。

 暖かい返り血が俺の頬を濡らした。


 俺にとってはとても長い時間に感じられたが、恐らく本当の時間は大して長くはなかったのだろう。

 荒事に耐えられそうな男たちはあらかた片付き、店にいた男たちで残ったのは店の主人と思われる男と丸腰の男の2名だけだった。

「上総屋の回し者か? 阿片ならやる、全部やる。それで手打ちにしろ」

 店の主人と思われる男は引きつりながら、そんな台詞を右近に対して搾り出した。

 右近は血に濡れた刀を両手に握ったまま、静かに男に迫った。

『上総屋の回し者とはどういうことだ。何を勘違いしている?』

 俺は、店の主人の発言に激しい違和感を覚えた。

「残念ながら、欲しいのはお主たちの命だ。阿片ではない。正義の刃を受けるがよい」

 右近はそう言いながら、ゆっくりと店の主人を刀の間合いに入れた。

「何もんだ、お前たちは!」

「江戸浪士隊」

 店の主人と思われる男の問いに右近は静かに答えると、両手の刀を一閃した。

 男の胴体は三つに切り裂かれ、物言わぬ肉塊と化した。

「ひい!」

 丸腰の男は失禁していた。

 右近はその男に冷たい視線を向けると、阿片の保管場所を問い質した。


 武器を帯びた敵がすべていなくなり緊張が途切れた瞬間、俺は思わず吐き気を覚えて、膝をついた。

「おい、大丈夫か」

「すみません。人を殺めたのは初めてだったものですから」

 鉄心が心配そうに俺の顔を覗き込んてきた。

 彼は血にまみれ、生臭かった。

 俺は手が震え気分が悪かったが、なんとか声を絞り出した。

 口の中がカラカラに乾き、のどが痛かった。

「まあ、こいつらは死んで当然のクズどもだ。気にするな」

 鉄心は店の中に転がる遺体に眼を向けながら吐き捨てるように言った。

「はい……しかし、こんな奴らでも親兄弟はいるんだろうと思うと……」

「そうであっても、こっちが殺されてやる理由にはならないだろう」

「それはそうですが」

 店に押し入り一方的に殺戮したのは俺たちのほうだった。

「あれを見てもそう思うか?」

 鉄心はそういうと店の奥の座敷を指さした。

 飛び散った鮮血で汚れ、刀で切り裂かれた襖の奥に数人の女たちが座っていた。

 派手な安物の着物をだらしなく身に着け、けばけばしい化粧をした女たちはこれほどの騒ぎがあったにもかかわらず焦点の合わない眼で煙管を口にし煙を吐いていた。阿片だ。

「かわいそうに、彼女たちは正気を失った廃人だ。こいつらを放っておけば、あんな女たちがこれからも増えていったわけだ。要はどっちがましかってことだ」

「そうですね」

 俺は、何とか気持ちの整理をつけて立ち上がった。

『俺の希望通り、剣の腕を正義のために使ったではないか』

 かつて俺の剣の師が二十人ほどのやくざ者たちを一人で切り伏せたのを目の当たりにしたことがあった。

 あれとどこが違うのかと俺は何とか自分を納得させていた。



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