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江戸浪士隊血風録  作者: 川越トーマ
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 兜割

「おう、元気か?」

「お陰様で」

 翌朝、庭で木刀を振っていると背後から鉄心の声が響いた。

 振り返ると、右近、鉄心、才蔵、鈴音の四人が縁側に腰かけるところだった。

 右近の屋敷は広かった。

 俺の寝かされていたような部屋が少なくとも八つはあり、庭は数人で同時に剣の稽古をしても支障がないほどの広さを有していた。

 右近自身が相当由緒ある士族の出身か、あるいは相当財力のある後ろ盾がいるのかいずれかだと思われた。

「で、どうだ。われらとともに働く決心はついたか」

 中央に座っていた右近が縁側に腰かけたまま身を乗り出すように言った。

 正直迷っていた。この人たちは謎が多い。

 しかし、少なくとも俺の命の恩人であり、俺も警察に捕まれば面倒な立場なのも事実だし、何より仕事もなく、帰る家もなかった。

 ここにいて働けば、俺の当面の悩みは解決すると思った。

「正義のためと言うことであれば」

 俺は右近の目を見ながら、彼の先日の言葉に念を押した。

 もしも、そうでなかったら逃げ出そう、心の隅でそうも思っていた。

「では決まりだな」

 俺の返答を聞き、右近は満足そうにうなづいた。

「歓迎するぜ」

「未熟者ですが、よろしくお願いします」

 右近の横で鉄心が満足そうに笑顔を浮かべ、俺は深々と頭を下げた。

「鈴音」

「はい、右近様」

 鈴音は右近に笑顔を向けると、黒い刀を手に庭に勢いよく降りてきて俺の方に近づいた。

「?」

「右近様からの贈り物だ。ありがたく受け取りな」

 怪訝な表情を浮かべる俺に、鈴音はその刀の鞘の柄の近くを握り、ぐいと突き出した。

 艶消しの黒い鞘、黒い柄、全く装飾のない鍔。派手さはないがしっかりした造りの刀だった。

 俺は、とりあえず両手で恭しく受け取った。

「これは?」

「鋼に別の金属を混ぜて作った刀の試作品だ。鋼だけで造った刀よりも丈夫でよく斬れるらしい」

 俺には合金の知識はなかったが、何となく高価な品物の匂いがした。

「そんなものを理由もなく頂くわけには……」

 俺の頭の中には『只より高い物はない』ということわざが浮かんでいた。

「遠慮するな、刀がなければ仕事に差し支える。まさか木刀で仕事をするわけにもいくまい」

 右近は邪気のない笑顔を浮かべた。

「給金からお返しいたします」

 そう言われても俺は根っからの貧乏人なので、高価な贈り物には慣れていなかった。

「堅いことを言うな。契約料のようなものだと思え。おまけにその刀は、まだ実戦で使ったことがないんだ。実験に協力するようなもんだと思ってもらってもいい」

「錆びない、折れない、硬いものでもよく斬れるという触れ込みなんだけど。残念なことに普通の刀よりも重いのよね」

 確かに、鈴音から受け取ったその刀は、刃渡り二尺五寸(約七十五センチ)程度の普通の長さであるにもかかわらず、俺の前の刀より、かなり重かった。

 刀身が厚いのが原因かとも思っていたが、そうではないらしい。

「わかりました。使い勝手を逐一報告します」

「実は早速だが、試しに斬ってほしいものがある」

「ひょっとして、鉄心様の持っているそれをですか?」

 実はさっきから違和感を感じていたのだが、鉄心は、右手に装飾のない黒い兜、左手に茶色い鞘の陸軍の制式軍刀と思しき刀を抱えていた。

「お、勘がいいねえ……おい、隼人、鈴音。手伝え」

「まったく、人使いが荒いんだから」

 鉄心はのっそりと縁側から庭に降りると、庭にいた俺と鈴音に声をかけた。

「なんか言ったか?」

 鈴音は黙ってプイと横を向いた。


 俺は鉄心から兜を受け取ると、試し切り用に庭の杭に縦に括りつけてあった竹材の上に兜を乗せた。

 次に、少し離れた隣の竹材に鈴音が用意した荒縄で軍刀の鞘を抜いて抜き身で括り付けた。

「では、やってみてくれ」

 右近は気軽な口調で俺を促した。

「しかし、すえもの斬りでこんな物を斬ったら、刀がダメになると思うのですが」

 俺も試し切りで巻き藁や竹を切ったことはあるが、兜などは斬ったことはなかった。

 名刀、業物の類で兜割を行ったという昔話は聞いたことがあるが、実際にできるとはとても思えなかった。

 例えできたとしても真っ二つと言うわけにはいかないだろうし、刃こぼれして刀の方が二度と使い物にならなくなるのではと思った。

 せっかくの贈り物をいきなり失うのは、やはり惜しかった。

「実験動物は、つべこべ言わない」

 消極的になっている俺の尻を叩くように、鈴音が柳眉を逆立てた。

「はあ……」

 俺は諦めて、刀を右脇に垂直に立てる『蜻蛉の構え』をとると、陸軍の制式軍刀に神経を集中させた。

 刀も兜も鋼でできているが頑丈さは兜が上だ。

 いきなり兜に斬りかかるよりはましだと思って俺は軍刀の方を選んだ。

「!」

 小走りに間合いを詰め、一気に息を吐き出して合金製の刀を袈裟懸けに振り下ろした。

 軍刀は悲鳴を上げ、斜めに切断された。手ごたえは、ほとんどなかった。

「見事」

「ほう」

 右近や鉄心の感嘆の声を聴きながら、俺は思わず刀身を確認した。

 驚いたことに刃こぼれ一つしていなかった。

「大した切れ味ですね」

 正直、期待以上だった。

 陸軍の制式軍刀は量産のために粗悪な材料を使用しているという噂はあったが、曲がりなりにも鋼で作った刀だ。

 折れることはあっても、とても切断できるとは思えなかった。

「次、行ってみようか」

「はい」

 問題は兜の方だった。

 もともと斬撃を防ぐための防具だ。

 昔の兜割の話でも、達人級の人間が『同田貫』という業物を使って刃を食い込ませるのが精いっぱいだったいうことだった。

 俺程度の腕前で何とかなるとは思えなかった。

「……」

 兜は、実戦を想定するかのように竹材の上に俺の頭と同じくらいの高さに置かれていた。

 俺は兜に意識を集中させ、両断するイメージを頭の中に思い描いた。

 上段に構え呼吸を整えた。

「!」

 気合が満ち、俺は刀を真向に斬り下ろした。

 刀はきれいな軌跡を描き、兜の中心に刃を落とした。

 鈍い手ごたえとともに、刀と兜が重なり、兜は二つに分かれて地に落ちた。

「すげえな」

 鉄心が思わず歓声を上げた。

 才蔵はずっと黙って見ていたが刀への興味で目の色が変わった。

 俺は深呼吸して、じっくりと刀身を確認した。やはり刃こぼれはしていなかった。

「驚きです」

 兜割を行って、兜を深く傷をつけたという話は聞いたことはあるが、真っ二つに両断したなどと言う話は聞いたことがなかった。

 試作品と言う話だったが、この刀が量産された暁には白兵戦の様相が一変するかもしれなかった。

「勘違いしないようにね。あんたの腕じゃなくて、刀の性能だから」

 興奮している俺に冷水を浴びせるように鈴音が冷ややかな視線を送ってきた。

「こら、鈴音。無礼なことを言うもんじゃない」

「ごめんなさい。右近様」

 右近にたしなめられると鈴音は素直に頭を下げた。

「いえ、確かに自分の腕とは思っていません。とんでもない刀ですね」

「そう謙遜するな。腕が伴わないと、ここまできれいには切れないもんだ。ところで流派は示現流かな? あの蜻蛉の構えは薩摩示現流のようだが、どうも何かが違うようだ。おまけに、この江戸に薩摩示現流を使う人間がいるとも思えないしな」

 右近の興味は刀ではなく、俺の方にも向いていた。

 褒められて悪い気はしなかったが、物事の奥深くを見通すような右近の眼力に、俺は怖れに近いものを感じた。

「流派はわからないのです。剣術は村に流れ着いた剣客に教えてもらいました。流派を尋ねても答えてもらえませんでした」

 事実だった。

 俺に剣術を教えてくれたジャガイモのような顔をした侍は、『そんなことはどうでもいいじゃねえか』と言ってまともに教えてはくれなかった。

 確かに蜻蛉の構えから立木に打ち込む修練は西のやり方だとも言っていたが、それは修行の方法であって剣術の流派とは言い難かった。

「道場へは通っていないのか?」

 右近が驚いたという表情をした。

 道場にも通わず我流に近い修行しかしていないくせに剣で身を立てようと思っていたとは、なんと図々しい奴と思ったのかもしれなかった。

「貧乏なので通ってません。修行は主に剣客に教わったことを一人で繰り返していました。たまに、その剣客が相手をしてくれましたが……」

「それで、銃を持った異人相手に、あの立ち回りができたのか、余程、その剣客に剣術の基礎をみっちりと仕込まれたのだな」

 俺の心配をよそに右近は素直に感心してくれたらしかった。

「剣の軌跡がぶれない。良い太刀筋だ」

 無口な才蔵も短い言葉で称賛してくれた。

「ありがとうございます」

 俺は少し誇らしい気持ちになった。

「うむ、と言うことで早速だが仕事をしてもらおう。実戦でもその刀の性能を試してもらうことになる」

 褒められて、すっかりいい気になっていた俺の心に緊張が走った。

「どんな仕事なんでしょうか?」

「阿片の密売組織をつぶす。組織の黒幕や密売人どもは全て始末し、蓄えられている阿片は廃棄する」

「腕が鳴るぜ」

 他の連中は、すでに計画を知っていたのか驚きの表情はなかった。鉄心が嬉しそうな笑みを漏らした。

「相手は何人くらいいるのでしょうか?」

「多くても三〇人ほど、何、心配には及ばん、その程度の人数、我らの相手ではないさ」

 心配そうな俺に右近が笑顔で説明した。才蔵も黙ってうなづいていた。

「いつでしょうか?」

「今夜だ。詳しいことを皆に説明しよう」

 右近はそう言うと縁側から立ち上がった。

 様子を見て、場合によっては逃げ出そうなどと考えていた俺は、そんな甘い状況にはおかれていないことを思い知らされた。

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