回想
俺は家の周りに植えられている木の幹に向かって木刀を全力でうちおろした。
衝撃で木刀を弾き飛ばされないように、あたった瞬間木刀を絞り込むように強く握りしめた。
樹皮が削れ、幹が抉れた。
衝撃が腕から肩そして体全体へと伝わってきた。
間髪入れずに木刀を振り上げ、今度は別の方向からうちおろした。
立て続けに四回ほど木刀をうちおろした後、素早く後方に飛びずさり、蜻蛉の構え(刀を右側で垂直に立てる構え)をとり、息をついた。
一息つくとすぐに次の四連撃を行い、再び呼吸を整えた。
こんなことを今日も延々と一時間近くやっていた。
こうした修行の影響で家の周りの立木はすでに何本かは胸から上の高さで倒れていた。
毎日こうして少しづつ樹皮を、そして幹を削り続けた結果だった。
一方、俺の方は掌にマメができ、それが破れ、さらにその上にマメができて、掌の皮が分厚くなっていた。
俺は、夏の日も、冬の日も、照り付ける日も雨の日も、木刀をふるい続けていた。
「精の出ることだな。今日も千回うち終ったか」
ようやく目標の回数が終わり荒い呼吸を整えながら手拭いで汗をぬぐっていると、縁側に座っていた総髪の侍が背中越しに声をかけてきた。
浅黒く、眉の太い、ジャガイモのような顔の中年の男だった。
薄汚れた水色の袴をはいていた。
「はい。先生の言いつけですから」
俺は背筋を伸ばし、間髪入れずに答えた。
「偉いもんだ。俺はやったことないがな」
「えっ?」
先生はたまに意表を突く。
それは立ち合いの時以外のこうした会話でも同じだった。
「はは、俺のやった修行法だと言った覚えはないぞ」
「確かにそうですが」
当然自分のやった修行法を弟子にも課しているものだと思っていた。
「京都で出会った中村なんとかいう西の剣客の修行法だ。そいつはとても強かったぞ」
「はあ……」
では、なんで自分はやらないんだろうとチラリと思った。
「小手先の技術は後でいくらでも学べる。地力を鍛えるには良い修行法だとおもったんでな。道場に通えないお前にはうってつけだと思って言いつけた」
「そんなものでしょうか」
俺は二十人ほどのやくざ連中を流れるような動きで圧倒した先生の剣技に魅了されて弟子入りを懇願したのだ。
もう三年になるのに、あまり技術的なことは教えてもらっていないような気がした。
先生は、もともと弟子をとるのは嫌いらしく弟子は俺しかいなかった。
あれほどの剣の腕を持ちながら、先生は剣術道場を開くでもなく、どこかに仕官するわけでもなく、村外れに小さな畑を借りてひっそりと暮らしていた。
「ところで、おまえは、どんな人間になりたいのだ?」
「弱きを助け、強きをくじく、世のため人のためになる人間です」
俺は何の躊躇もなく答えた。
「正義の味方にでもなりたいのか?」
「はい!」
俺は心の中で『先生のように』と付け加えながら元気よく答えた。
「強くなりたいのは、そのためか?」
気が付くと先生の目は疑念に満ちていた。
「いけませんか?」
「いや、まあ頑張れ……」
先生は何か諦めたような表情を浮かべ、ポリポリと頭をかいた。
「今日は新しい型を教える」
先生はしばらくの間、何かを考えていたようだったが、その思考に踏ん切りをつけたように縁側から立ち上がった。
そして、庭の中央に進むと右足を前にして肩幅に足を開き、腰に差した刀の柄に手を添えた。
「!」
素早く抜刀し、抜刀した勢いのまま片手で斜め上に切り上げ、刀を返しながら鋭く斜め前方に踏み込み、両手で切り下げた。
そして、右に九〇度身体の向きを変え、正眼に構えた。
「憶えたか?」
「はい」
動きとしては複雑なものではなかったので思わずそう答えた。
「やってみろ」
先生は刀を鞘に納めるとぶっきらぼうに、そう言い放ち、再び縁側に座った。
俺は庭の中央に進むと、先生に一礼し、見よう見まねで木刀を振り回した。
「違う! 一撃一撃はしっかりやれ」
先生の不機嫌そうな声が響いた。
「はい!」
俺は大きな声で返事をすると、一撃一撃を意識して木刀を振るった。
動きが硬くなり、その分スピードが遅くなったような気がしたが、先生は何も言わなかった。俺は先生に言われるまでもなく、何度も何度も同じ型を繰り返した。
「身体に染み込ませるんだ。考えなくても動けるように」
先生はそう言いながら、俺の動きを見守っていた。
やがて体の筋肉が悲鳴を上げ始め、息が上がった。
「なあ、隼人」
「はい?」
話しかけられて、俺は思わず木刀を振る手を止め、先生の方に向き直った。
「正義とはなんだろうな」
先生は遠い目をして、つぶやいていた。
俺に答えを求めているようには見えなかった。