さらば、男!?
何か特別なことが起こるわけでもない平凡な日常。ただ普通に学校へ行き勉強して家に帰り、ご飯を食べて風呂に入って寝る日常。それが突如、一変してしまった。『女体化』によって。
朝、雀達がチュンチュンと鳴きながら青い空を飛んでいく。その空の下に建つ住宅街の中の1つの家。2階建の普通の家。その中の2階の自室にあるソファーで寝ている一人の青年。彼の名は音無凪。高校2年で、成績は中の上、運動神経は割と良い。黒髪でで中性的な顔立ちをしている。
「ふあー」
のそっとソファーから起き上がり、頭をかきボーッとしたまま立ち上がる。んー、とその場で伸びをして寝ぼけた頭のままドアへと歩き出す。まだ起きていない頭でぼんやりしまがら廊下へ出て階段を降り、キッチンへと向かう。
「おはよう」
キッチンのドアを開けて、凪は中に入ると朝食の支度をしている母の背中へと挨拶をする。茶髪を1つに束ねてポニーテールにした母は白いエプロンをつけていた。
「おはよう」
自分の席に座る凪に返事をして、凪の前に朝食を置く。丸い皿にこんがり焼けたパンと、目玉焼き、ベーコンが盛られている。朝食の良い匂いに凪は目が少し覚め始め、のそのそとパンを口に運び食べ始める。
まだ寝惚け気味の凪に呆れながらもコップに牛乳を注ぎいで置く。
「今日はお父さんとお母さん遅くなるから、晩ご飯よろしくね」
そう言って、ニコッと笑い母はまた朝食の準備を進める。
「んー」
凪は食べながら返事をして、コップを手にとり牛乳を飲み干す。
「ごちそうさま」
コップを空になった皿に乗せて立ち上がり、皿を流し台へと運ぶ。
「はい、お粗末様」
母はニコッと笑い、焼けた目玉焼きとベーコンを皿に盛っていく。
凪はまた欠伸をしてキッチンを後にした。
学校へ行く準備を終え、凪は学校に登校した。他の生徒たちも登校してきており賑やか。凪はそれを気にもとめず自分の教室に向かう。
下駄箱、階段、廊下と移動し、自分の教室に着く。
扉は開いており、中には既に何人かの生徒がいた。
凪はおはよー、とクラスメートに声をかけて窓際の自分の席につく。それを見た一人のクラスメートが凪に近づいてくる。
「よう! 相変わらず眠そうだな」
そう言って、軽く手を上げて挨拶をする青年。彼は児玉雄平。凪の幼馴染みであり十七年間同じクラスだった。茶髪で整った顔をしており、凪と一緒にいるとよくカップルに間違われる事があった。それをいじられ、凪は嫌がるがどことなく嫌じゃないと感じる雄平は複雑な気持ちだった。嫌がっても凪は雄平と距離を取ったりはしないため、その気持ちは黙ったままで今の関係を壊さないようにしていた。
雄平を見て、凪はおはようと返事して椅子の背もたれに身をまかせる。
「相変わらず女みたいな顔して不機嫌そうだな」
ニッと笑い、いつものように凪をからかう雄平。
「うるさいなー。気にしてんだからほっとけよ」
凪はむすっとして、雄平から顔をそらす。
「おはよー、二人とも!」
そこへ、凪の隣の席の女子、衣浦有希が自分の机に鞄を置いて二人に笑いかける。黒髪を背中まで伸ばした、目がくりっと丸い可愛らしい顔立ちをして、クラスの男子に人気がある美少女の一人だった。性格も、変に気を使わずに済む誰にでも変わらない態度で接する事で親しみやすい。
「おはよ」
「おはよう!」
凪と雄平は有希に返事をする。それに嬉しそうな笑顔を返して、授業の支度を始めた有希。
それを見た雄平が時計をチラッと見た。
「そろそろ授業だな」
じゃっ、と手を上げて雄平も自分の席に戻っていった。それと同時に担任の教師が教室に入ってきた。金髪ポニーテールの綺麗な顔立ちをした気の強い性格なのだが、面倒見が良いお姉さんで生徒たちに人気の先生である。
「席につけー。朝のST始めるぞー」
ガヤガヤと騒がしかった教室が静かになり、教師が話を始めた。
「はい、今日の授業は終わり。気をつけて帰りなさい」
担任の教師がそう言って、生徒達がまばらに立ち上がり教室を出ていく。
凪も鞄に荷物を突っ込んで帰る支度を始めると、既に帰る支度を終えた雄平が肩に鞄を背負ってやってきた。
「帰ろーぜ」
「ん」
短く返事して席を立つ。いつも通り、雄平と並んで歩き出したところで隣の席の有希が二人に声をかける。
「また明日ね」
「おう、またあした!」
「んー」
雄平はニッと笑い手を振り、凪はまた短く返事して手を上げた。その返事に手を振って返す有希。
凪と雄平の二人が帰路に着き、並んで歩いているとふいに雄平が声をかけてきた。
「なあ、衣浦ってお前の事好きなんじゃない?」
「は?」
何言ってんだコイツ、と言わんばかりの怪訝な顔をして雄平を見る凪。その表情を見て苦笑いする雄平。
「だって、1年の時もお前の隣は大体衣浦だったろ?お前と話してる時と俺や他の奴と話してる時だと結構違うぞ」
「…」
そう言われて有希の事を思い返して見る。が、そんな意識して有希を見てなかったために他の奴と自分とで比べる事ができなかった。
凪の曇った表情を見て、いらん事だったなと苦笑いする雄平。今まで凪の親友をしてきて、凪から恋愛ごとについて相談を受けた事が全くなかったのを思い出す。逆も然りなのだが。
やれやれ、と苦笑いする雄平。その時、凪は晩御飯を作らないといけないことを思い出した。帰宅前でよかったと思う。
「俺、晩飯の買い物して帰るから」
凪は向きを変えて、顔だけ雄平の方を向く。
「そっか。じゃあまた明日な」
雄平がニッと笑い手を振った。
「ああ、じゃあ」
手を振る雄平に手を振り返す凪。そして、凪はスーパーへと向けて歩き出す。
スーパーで買い物を済ませ、凪は1人家への道を歩いていた。
なんとなく変な感じがして周りを少し見る。
「…なんかいつもより人がいないような」
いつもならスーパーに行く主婦や学生が歩いているはずだが、今日に限って凪以外誰もいない。このいつもと違う感じに凪は不気味に思い、少し足早に歩き始めた。早く帰ろう、そう思って凪は急ぐ。
が、凪の気持ちを裏切るようにいきなり怒声が響いた。それに驚き、凪は辺りを見回して声のした方を探す。
「な、なんだ!?」
周りを見回してみると、少し前の方から先程よりは小さいが声が聞こえてくる。何事だろう、と凪は恐る恐る声のする方へと向かってみる。
近づくに連れて声がはっきり聞こえてくる。
「いいから金出せって!」
そこは空き地で、ちょうど真ん中の方で柄の悪そうな3人に囲まれて一人の青年が立っていた。凪は隣の塀から顔だけ出して様子を伺ってみる。どうやら青年にカツアゲでもしているようだ。
「こんなとこでカツアゲって…」
住宅街の真ん中で目立つ事をするなぁ、と変に感心する凪。
「警察は呼ぼうかな?」
凪はポケットからスマートフォンを取り出し、ダイヤルの画面に切り替える。やばくなったらかけようかな、とそのままポケットにしまう。
(あれ?こんな場所なのに誰も集まってこない?)
周りを見渡して、普段ならもっと人の通りがあるのだが今日はまったくないことに疑問を抱く。怒鳴り声が聞こえるほどだったにも関わらず、空き地周辺には、凪しかいなかった。
なんとなくするいやな予感、不気味さを胸に、カツアゲされている青年の方へと向かう。
「!」
向かう途中で青年が凪に気づき、目が合う。凪は青年の余裕そうな様子に不安を抱きつつも近づいていく。この状況で余裕そうな表情をしていられるのはかなり胆が据わっているんだろうか。何か対策があるのだろうか。何とか穏便に済ませないだろうか。そう思いながら凪は歩く。
柄の悪そうな一人が凪に気づき、睨み付けてくる。
「何だお前は?」
凪はひるみ、思わず逃げたくなる衝動にかられる。が、困っている?人を放っておく訳には、と気持ちを強く奮い起たせる。
「も、もうすぐ警察が来ますよ。さっきこっちの方に向かってくるのを見ました」
震えないように声を作る。
「ああ?ちっ!」
一人が舌打ちをして、他の二人を見て頷く。二人も頷いた。
そして、一人が青年に1歩近づきそのまま青年を殴り付けた。
「っ!」
「あっ!!」
青年は虚を突かれたのか、その場に尻餅をついてしまった。穏便に済まそうと思っていた凪は予想外の事に驚き、慌てて青年を庇うように間に入る。青年が右手をそっと上げる。
「てめーがさっさとしねえから悪いんだぞ!」
そう言って、三人は走り去っていった。
「殴ることないだろ!」
凪がそう投げかけるが三人は無視して姿を消した。それを見て青年は右手をそっと下ろした。
凪は三人が空き地から居なくなるのを確認して青年の方に振り向く。青年は外人だろうか赤髪に白い肌の綺麗な顔立ちをしているが、先程殴られた頬が赤くなっていた。ポケットからハンカチを出して声をかける凪。
「大丈夫ですか!」
そう言って、凪は青年の頬を軽く拭きながら声をかける。青年は凪を見る。その済んだ赤い目に凪は引き込まれそうな感覚に陥る。な、なんだこの感覚は、と凪は気持ち悪さを感じ、視線を目から外す。
「平気だ。それよりここは?」
青年は落ち着かないオロオロした凪を見た後、周りを見渡す。
落ち着いてるのか、青年は低くしっかりした声で問う。
「スーパーの近くの空き地ですけど」
やけに落ち着いている青年に驚きながらも、凪は青年に答える。顔を殴られただけで済みホッとして、凪は少し落ち着きを取り戻せた。ただ、誰も怪我することなく済ませたかったのだが、失敗して怪我をしてしまった事に申し訳なくなる。
「起きれますか?」
凪は青年の肩に手を置き、起き上がるのを手伝おうとした。
「大丈夫だ。放っておけ」
そう言って、青年は凪から顔をそらす。
「そう、ですか」
凪は冷たくあしらう青年に戸惑う。お前のせいで殴られた、とか思われただろうか。そう思ったら凪は変に構うのも良くないかと、むしろ謝るべきかと思う。
「俺はお前たち“ただの人間”と違って、この程度すぐ治せる。放っておけ」
そう言って、ふんと顔をそらす青年にまた落ち込んでくる凪。
「…余計なことしてすいません」
凪は立ち上がり、空き地から出ようと向きを変える。
「余計なこと? それはなんだ?」
青年は立ち上がり、去ろうとする凪を止める。それにえっ?と凪は立ち止まり青年の方に振り返る。気づいてないのか、と苦笑い。
「えっと、警察が来てるとか嘘ついて三人を追い払おうとしたことですけど」
「なぜそんなことをする?」
気分が落ちる凪とは裏腹に、青年は無表情で聞いてくる。どことなく真剣な顔つきに見えるが、少し読み取りづらい。
「困ってるのかなと思って」
自分だったら助けてもらえたら嬉しい。だから、自分が嬉しいと思ったら大体他人も嬉しいと思う。そう思ったから助けようとした。凪はやっぱり余計なお世話だったか、とドンドン勝手に落ち込んでいく。自分の価値観を他人に押し付けるのはよくないな、と凪はしょんぼりする。
「俺が困っていると思ったから助けたのか」
青年はさっきとは違い、明らかに真剣な顔つきで何かを考えている。
そして、何か決めたのか青年は凪に近づく。立っていると凪よりも大きい。その威圧感に後ずさりする凪。
すると、青年は急に凪をその場に突き倒す。
「うわっ!」
凪はそのままその場に尻餅をつく。
「何するんですか!」
流石に怒りを露にする凪に青年はニッと笑う。
「放っておけばいいものを。お前はお節介なやつだな」
笑う青年にイラッとくる凪はまた怒声をあげる。
「お節介って、困っているヤツを見てそのまま放っておけるほど、俺は人間腐ってないんだよ!悪かったな!!」
凪はそう言ってうつ向く。なんなんだ、いったい、と凪は落ち込む。お節介、雄平や周りの連中にもよく言われる言葉。お節介の何が悪いんだ。
「…」
それを黙って見る青年。右手をおもむろにズボンのポケットに入れる。そして、意を決したように青年は凪に1歩踏み出して口を開く。
「お前面白いな。気に入った」
そう言って、ポケットから白いビンを手に持ち凪へと更に1歩踏み出す。
「え?」
思わず顔をあげると青年が凪へと手を伸ばしていた。青年の方を見上げていると次第に視界がぐにゃりとゆがみ始めてきた。
そこで、急に凪の意識が途切れた。
「すまんな」
そう言って、眠らせた凪の口にビンの中の液体を飲ませる青年。
「そろそろ人払いが解けるか」
そう言って、青年は凪を抱え上げてその場から移動する。
「はっ!?」
凪は目を覚まし、慌てて起き上がる。
「あ、あれ?夢?」
さっきまで見ていたのは夢だったのか、戸惑いつつ凪は周りを見回すと知らない部屋にいた。見知らぬ家具に、見知らぬ道具。まるでファンタジー映画で見るような物が揃い踏み。それに戸惑っていると、窓に映るうっすらとした自分の顔に気づく。
「何だったんだろう」
凪は軽く頭をかいてベッドから起き上がる。
すると、何か体に違和感がある。いつもより目線が低く、胸の辺りが少し重い。なんだろう、と体を見下ろすと胸が膨らんでいた。
「は?」
ガッと胸をつかむ。手に柔らかく、ハリのある感触が伝わってくる。触っている手の感触がとても気持ちいい。が、すぐに我に返る。いやな予感。
「ま、まさか」
震える手を股間に向かわせると有るものが無くなっていた。有ったものがなく、無かったものがある。そのことに凪の思考は止まっていた。
そこへ、扉を開けて赤髪の青年が入ってきた。
「起きたか…って、何て格好をしてるんだ!」
そう言って、青年は慌てて後ろを向く。ボーっと青年を見てから自分を見て徐々に恥ずかしくなり、凪はよろよろとベッドへ戻りシーツを全身に纏う。
「どういうこと?」
凪はシーツから頭だけ出して青年を見る。その声に青年はゆっくりと振り返り、凪の姿を確認してから安堵して椅子に座る。そして青年は真剣な顔つきで話始めた。
「お前を気に入った。だから側に置くことにした」
その声は真剣なもので嘘ではないのが伝わる。
「側に置くって…。それにこの体は?」
言ってることはわかる。だが、納得がいかない。
「側に置くために男では困る。俺は男だからな。だから女になってもらった」
先程から表情が真剣そのもの。本気で言っているのがわかる。側に置くとはそういうことか。
「気に入ったから、自分の物にするために女にした、と?」
言いたいことはわかるのだが、納得したくない。今まで男として生きてきて、いきなりなんの前触れもなく女にされて人の物になれと言われて納得できるわけがない。頭が次第に回り始めてきた凪は段々とイラついてきた。
「俺の意思は?」
「俺の嫁になれるんだから、光栄なものだろ?」
そうしらっと言う青年に、凪はキレた。
「会って間もないまったく知らない他人の嫁になれて何が光栄なんだ!俺は男なんだぞ!何で男の嫁にならないといけないんだ!戻せ!男に戻せ!そして家に帰らせろ!!」
と、ベッドの上で膝立ちになり激しく文句を言う凪。つい気持ちがこもりすぎ、手で握っていたシーツを離していた。それに気づく二人。
『あ』
シーツが離れ再び凪の肌が晒される。青年は思わずその姿を凝視する。そして、赤くなる凪と目が合うと慌てて顔をそらす。
「は、はやく隠せ!」
そのぶっきらぼうな言葉に凪はのそのそとシーツをまた身に纏う。なんだか文句を言いづらい。この青年は自分勝手なのだが、凪の裸に恥ずかしがる一面を見て怒鳴りづらくなってしまった。はあ、と小さくため息をつく凪。
それを聞いて少し申し訳なさげにこちらを見る青年。罰が悪そうに頬をかく青年。
「この体は戻せないの?」
その問いに青年はまだ申し訳なさげにしている。
「戻さない」
「……」
凪はキッと睨み付けるが、青年は罰が悪そうな顔をしたまま。戻せないではなく、“戻さない”と言っていた。戻る方法はあるようだ。
「…戻せない事情があるんだね?」
「俺はお前たちとは違う。お前たちで言う“魔法使い”という存在だ。そして、俺は最強の魔法使いだ」
「は?」
急な話に思考が止まりそうになるのをなんとか防ごうと頭の中を整理する凪。魔法使いとはファンタジー映画とか漫画である魔法使いなのか?最強って自分で言っちゃうの?じゃあ、ここは魔法使いの家?自分では答えのでない考えが浮かび、思考がまとまらない。
そんな混乱している凪を気にせず青年は話を続けた。
「俺の名は、アベル・シン・エセルヴァーノ。お前の夫となる男だ」
アベルと名乗る青年に、唖然としたままの凪。だが、この部屋の家具や装飾にも納得が行く。ここが魔法使いの家の中であるのなら。それに気づいた時、アベルが嘘は何も言ってないと確信したが、1つ疑問が浮かぶ。
「なぜ妻をとるのにわざわざ男を女に変える?女性は他にもいるだろ?」
何か事情があるんだろうがわざわざ男を女にしてまで妻にする必要があるのだろうか。それこそ最強というくらいなら、それなりの地位にいて妻になりたい人ならいくらでもいるだろうに。
「この世界で生きていれば薄汚い者達しか周りには寄ってこない。それがどれほどの美人であってもな。俺の妻には俺が唯一落ちつける存在であってほしい。この汚れた世界を忘れさせてくれるそんな“存在”が俺は欲しいんだ」
その言葉に、青年のとても強い気持ちを感じた。その気持ちが何なのかはわからなかったが、アベルの言う通り、本当に周りにはそういう汚い存在ばかりがいるのだろう。
それを聞いて、凪はまた戸惑いを感じる。損得なしで動くお人好しで、落ちつけると思ったのが、男だった。周りの女では気が休まらないから。だから女に変えてまで側におこうとした。アベルの意図は何となくわかり、凪は困る。複雑な表情の凪を気にしてか、アベルは少し申し訳なさげに口を開いた。
「…姿は戻せないが、家には帰す。だが、その前にお前の名前は何だ?」
「凪。音無凪」
「凪、か」
何とも言い難い空気が部屋に漂っていた。
翌朝。昨日は家に帰してもらってから、疲れていたせいですぐ風呂に入ってそのまま寝てしまった。
凪はいつもと違うスウェットの寝苦しさで目が覚めた。むくっと上半身を起こし、少し汗でベタベタになった顔を拭う。チラッと時計を見ると、ちょうど6時。
「…シャワー浴びよう」
ベッドから出て、いつもより重い体を引きずってお風呂へと向かう。
「夢、じゃないよな」
夢であってほしいという願望も込めて、脱衣所でスウェットを脱いでみる。そこには、細い肩に膨らんだ胸、くびれた腰が映っていた。
「はあ…」
ため息をつき膨らんだ胸を掴んでみる。手から伝わる柔らかく、でも押し返すようなハリのある感触。
「…シャワー浴びよう」
現実から目をそらす様に凪はスウェットを脱ぎ捨て風呂場に入ってシャワーを浴びる。
蛇口をひねり、ノズルから出るお湯を頭から浴びる。いつもはノズルを手に取らないと全身にお湯を浴びれないが、今はノズルを取らずにお湯を浴びれる。それが楽なのが嬉しい。
「…」
改めて自分の体を見下ろしてみると、手に余る大きさの胸にツルツルの肌、細い体に思わず見とれる。
が、少し恥ずかしくなってきたせいで素早く全身を洗ってシャワーを終えた。
タオルで体を拭くとき、強く拭いたら傷が付きそうで恐る恐る拭き、着替えを忘れていた事を思い出した。
「…やばい、どうする」
バスタオルをとりあえず体に巻き、脱衣所の扉をそっと開ける。廊下を見渡すと、キッチンから音が聞こえてくるあたり、母が起きているのがわかった。それ以外は大丈夫そう。
「よし」
凪は意を決して、脱衣所から素早く出て階段をかけあがり自室へと入った。
はあはあ、と肩で息をして一先ずふうと一息着く。
「とりあえず制服を着るか」
部屋にかけてあるブレザーに着替える。
「やっぱこうなるよな」
思っていた通り、凪のブレザーはブカブカだった。
袖や裾は余り、肩が下がって横も余っている。そして、胸も微妙に隠しきれてない。
「…めんどくさい」
そう思った凪は、その格好のまま母のいるキッチンへと向かった。
「…」
「…」
降りてきた凪を見て母は唖然とした。凪は唖然とする母を見て言葉を待った。やはりぶかぶかの制服を着た凪に疑問を持たないはずがない。
「な、凪なの?」
凪の全身を見回して震える声で聞く。
「一応ね」
凪は肩をすくめる。それを聞いて恐る恐る凪に近付いて凪の顔に触れる。
「…」
ムニムニと頬を触る母。そして、母の表情の変化に気づく凪。強張ったものから、嬉しそうなものへと。
そのまま母は凪の胸を触る。
「…」
くすぐったいような感じがして変な気分。
「な、凪が女の子になってる!」
そう言った瞬間、母は凪をぎゅーっと抱き締めた。確信を得て母はとても嬉しそうだ。
「んなっ!?」
それに驚く凪。そんなことお構いなしにきゃーきゃー言いながら母は凪を抱き締める。
「わたし娘が欲しかったのよー!でも生まれたのが男の子だけでねー。でも凪は顔が女の子っぽかったからいいかなって思ってたんだけど、やったー!!」
と、はしゃぐ母。何をいってるんだ、この人は、と凪は戸惑いが隠せない。女が欲しかったのか、とショックを受ける。
そこへ、父が入ってきた。
「なんだい?騒がしいね」
眼鏡をかけた父が手に新聞を持ってキッチンへと入ってきた。
「お父さん見て!凪が女の子になったのよ!」
母は嬉しそうに凪のブレザーを左右に引き、カッター姿を見せる。そこから見える膨らみに父は皿に唖然とする。
「そ、そうか。凪が女の子に…」
父は凪をちらちら見ながら、いそいそと自分の席に着き、新聞を開いて読み始めた。
(これは、父さんも息子より娘がよかったやつだな)
そう思い、凪は落ち込む。
なんだか落ち着かない父と嬉しさに浮かれている母に、少しずつ凪は落ち着きを取り戻し、疑問を抱く。
(なんで誰も俺が女になったことに疑問を抱かないんだ?)
そう思ったが、事態はこれ以上に意味不明な事にはならないだろうし、諦めた凪は大人しく自分の席に着いた。