第六話 紅い風
「んなあ……!?」
それはあまりにも突然だった。
空から人が落ちきた事もそうだが、その人間が携えていた刀を俺に向かって振り下ろしてきた事に俺は驚きを隠せなかった。
「くっ!」
碧と蒼の軌跡を描きながら迫り来る弐刀を短剣で払うようにして捌く。攻撃を防がれた白服はそのまま地面に降り立つと、後方へと高く跳躍して俺から距離を取っていった。
「へぇ、今のを防ぐんだ……スゴいね、君」
男の声だ。
聞こえてきたのは柔和な語調で声変わりしきれていない、少し甲高い若い男の声だった。
「何がスゴいね、だ! 急に襲いかかって来やがって……なんなんだよお前は! いったい何処から沸いてきやがった!?」
「何処からって……そんなの決まってるでしょ」
白服の男は右手の人差し指を上に向け、然も当然のように天井を指し示した。
まさか……天井に空いた穴から飛び降りてきたのか!? 確かにそこからしか入る他無いが……あの高さを単身で……
「さてと。それじゃあ……次いくよ……!」
「っ!?」
白服の男は十分に空いていた距離を一瞬で詰め寄り俺に肉薄する。速いなんてものじゃない。視界から消えたと思った次の瞬間には既に俺の懐に潜り込まれていたのだから。
流れるような動きで弐刀を振る白服の姿はまるで舞を踊るが如く洗練された動きだった。
白い外套をはためかせながら次々と繰り出す刀舞に翻弄され、俺は防戦一方の状態だった。嵐を連想させる連撃に加え、剣戟を受ける短剣に一太刀一太刀が重くのしかかってくる。
ヤバい……コイツ、メチャクチャ強い!?
このままでは負ける……そう思った時だ。
白服は突然攻撃の手を止めて即座に俺から離れてしまった。白服の取った行動が理解できなかった俺は、感じた疑問をそのまま相手にぶつけてみる事にした。
「……なんのつもりだよ?」
「おかしいなぁ……なんで君、そんなに強いの?」
突然何を言い出すかと思えば……そりゃ皮肉か? そんなに強い、だなんてこっちのセリフだ。しかしなんで急にそんな……
「君さぁ――――なんでそんなに強いのにテロリストなんてやってるの?」
「……………………ん!?」
ちょっと待て。今コイツ、聞き捨てならない事を言ってなかったか!? 俺の事をテロリストって言ったよな!
「なに呆けてるの? 君、ターミナル駅を占拠したテロリストの仲間なんでしょ? 最近のテロリストってスゴく強いんだねぇ……はは、ビックリしたよ」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待てっ!」
なんとなく読めてきた。コイツの素性は恐らく政府直属の特殊部隊かなんかに属した人間なんだろう。んで、駅を占拠したテロリスト共を捕まえる為にここに来た……ここまでは合ってる筈……問題は次だ。
アイツは俺がテロリストの仲間だと思って攻撃してきたんだろ……つまりそれって……
「只の勘違いじゃねぇかあああああ!」
「うわっ!? どうしたの急に?」
冗談じゃねーぞ! 勘違いでいきなり斬りかかってくるなんて、どんなマヌケな辻斬りだよ!? 間違えて襲われるこっちの身にもなれってんだよ!
「ねぇ君……どうかしたの?」
いや落ちつけ、落ちつけ夜斗! よく考えてもみろ。コイツは政府の人間(予想)で俺の敵じゃないんだ。俺はテロリストの一味じゃないって事をコイツに伝えれば良いんだよ! そうと決まれば……
「……あの~……ちょっと宜しいでしょうか?」
「……? どうしたの?」
「なんか、勘違いされてるようですけど……自分、テロリストじゃないです」
「…………え?」
落ちつけよ……なにも難しい事をしようとしてる訳じゃないんだ。ゆっくりと伝えれば良いんだ。
「俺は今日このターミナル駅で開催されていた展示会に来ていた観客の一人だ。偶々巻き込まれただけの民間人なんだよ!」
「観客……となると君は、一般市民ということ?」
「そう! 一般市民! それも善良な奴!」
「そっか……一般市民かぁ……」
いいぞ! 良い流れだ! このままいけば……!
「でも、善良な一般市民がそんな危険な刃物を持って堂々と駅構内に居るのはおかしいよね?」
「……………………………………あ」
しまったあああああ! そうだよ! いったい何処の世界に刃物ぶら下げて、自分は善良な一般市民です! って言い張る馬鹿が居るんだよ! ……俺だよ畜生っ!
「嘘つくならもう少しマシな嘘をつくべきだったね……それじゃあそろそろ……」
「だあああああ! 待て待て待て待てっ!」
こうなりゃ次だ!
「お、俺は魔導師士官学校の生徒だ! 軍に所属してる人間でアンタの味方なんだよ!」
「……魔導師候補生?」
「そうなんだよ! 偶然居合わせた会場でこの騒ぎだろ!? 候補生は一応軍属だからさ、人質にされた観客を助ける為にテロリストと戦ってたんだよ! だから武器を持ってるの!」
「……まぁ確かに軍人の卵である候補生なら武器を携帯しててもおかしくはないか……」
よっしゃキタァ!
「じゃあ、証拠見せて」
「………………はい?」
え? しょ、証拠って……?
「はい? じゃなくて、証拠だよ。君が魔導師候補生だっていう証拠。本当に魔導師士官学校に通っているのなら生徒手帳を持ってる筈でしょ? それを見せてよ」
「…………セイト……テチョ、ウ……?」
いかん……思わず片言になってしまった。
持ってねぇよ。学校が休みの日に生徒手帳なんて持ち歩かないだろ普通!
「…………も」
「も?」
「持ってない……です」
「はぁ……じゃあ証明してくれる人ならどう? 人質にされた人達を解放する為に動いてたんでしょ。だったら観客の中でテロリストと戦う君の姿を見てる人がいるんじゃない?」
「……え~……と~……」
いません……展示会に来ていた人達はみんな魔導列車に押し込められたんで列車の外で立ち回ってた俺の事なんて誰も知りません……
「まさか……それもダメ?」
「…………………………はい」
ヤバいぞ……今のところ自分の身の潔白を何一つ証明出来てない!? アレもコレも全部駄目だとなると他には……駄目だ。なにも思いつかん。
あれ? もしかして俺……詰んでる?
「と、兎に角っ! 俺はテロリストじゃないんだ! そこでのびてるアイツがテロリストで俺は偶然巻き込まれた只の候補生なんだ……頼むから信じてくれよ!?」
「そう言われてもなぁ…………」
右手の刀を肩にとんっと担ぎ、白服の男は「う~ん」と唸りながらどうしたものかと頭を悩ませている。
「うん……分かったよ」
えっ? マジで!?
「ほ、ホントか!? 俺の事を信じてくれるのか!?」
「うん……とりあえず君が逃げられないよう死なない程度に切り刻んでから、ゆっくり話を聞いてあげるよ」
「なんてそうなるんだよっ!? お前いま分かったって言ったじゃねぇか! どこをどうしたらそんな結論にたどり着くんだよ!?」
ってか切り刻んでからって何!? コイツの考え方怖すぎるだろ!?
「悪いけどこれが僕の仕事でね。怪しい者は全員拘束しろっていう命令だから。悪く思わないでね――――術式、展開」
「っ!?」
白服の男が持つ蒼の刀がその色彩と同じ輝きの光を纏うと同時に、足下に見覚えのある蒼い陣が展開されていく。
間違いない……あの蒼い陣は魔導器を起動させた際に展開される術式! それじゃあ、アイツの持ってるあの刀は!?
「さぁ、今度のは……防げないよ……!」
そう言い放った白服の男は再度、俺に肉薄し振りかぶった刀を斜めに切り下ろす。
「くっ!」
鉄を打ち付けたような鋭い音と共にぶつかり合う銀の刃と蒼の刃。上段に構えた短剣が俺を刈り取ろうと迫る刀の進行を防いだのだ。
「――――――っ!?」
だがその瞬間、左肩から右の脇腹にかけて痛みが走る。肉を焼き尽くすような高熱を発する激痛に俺は耐えきれなくなり、白服の男の眼前で無様にも膝を突いてしまう。
思考が追い付かない。自分の身に何が起こったのか? 見ると自分の服が痛みを発する箇所に沿って破れ真っ赤に染まっているじゃないか。破れた服の隙間から覗かせる皮膚には血で滲んだ痛々しい創傷が見える……切創だ。
なんだこれ……俺、斬られた? いつ!? アイツの刀は確かに止めたはず……それなのになんで!?
「だから言ったでしょ……今度のは防げない、ってさ」
「お前……っ! 何を、した!?」
「君が知る必要は無いでしょ? どうせここまでなんだから……さてと、それじゃあ……」
白服は肩に担いでいた蒼い刀の切っ先をだらりと下がった俺の左腕に向ける。
「これ以上抵抗されても困るからさ――――腕、落としちゃおっか」
「っ!?」
背筋を凍らせるような冷たい声色だった。
根元から切り落とそうと考えたのか、ゆっくりと振り上げられた蒼刃は左肩目掛けて何の躊躇いもなく一気に振り下ろされる。
「――――っ!」
振り下ろされる刃を見た瞬間、身体の中で沸騰した血液の熱に全身が支配されていくような感覚を覚えた。そして蒼い刀が届く寸前に……それは起こった。
白服が繰り出す斬撃を遮るように周囲の物を吹き飛ばす強い衝撃が起こったのだ。突然沸き起こった衝撃の波に身体の自由を奪われた男は、為す術もなく宙に放り出されていってしまう。
「っ!? ぐぅ……!?」
白服の男は身を翻し危なげ無く地面に着地すると先程まで自分が居た場所に顔を向ける。
「これは……!?」
白服を退かせ俺を包み込むようにして護ったのは……風だった。
荒々しく吹きすさぶ陣風。だがそれは普通の風じゃない。
――――血を連想させるが如く、深く、紅く、鮮やかに染まり煌めく……真紅の風だった。
「……っ……このぉおおおお!」
膝を奮い立たせ立ち上がった俺は、白服の男に狙いを定め力任せに左腕を横に振り抜く。すると周囲で巻き起こっている紅い風の奔流が弐刀使いを襲う。
「っ!」
弐刀を交差させ防御の構えをとった男に大質量の風が叩きつけられる。ホーム全体に広がるその凄まじい衝撃は二番線ホームはまるで嵐が通りすぎたような荒れように様変わりさせる。
敵を撃退した紅き暴風は、冷静さを取り戻したかのように段々と穏やかになり、その場に俺だけを残して次第に消えていった。
「はぁ……はぁ……っ、はぁ……」
全身を襲う脱力感。腕を切断されるという危機感から意図せずして発動した“力”の反動により、身体が憔悴しきった今の俺は立っているだけでやっとの状態だった。
衰弱してふらつく身体を押さえながら顔を前に上げると……やはりと言うべきか、あの男が立っていた。
「……君、今何をしたの」
風が凪ぎ、静けさを取り戻していくこの場所に冷たい声が響く……白服の男だ。
やっぱり耐えたか……何となくそんな予感はしていたから驚きはしなかったが、それでも気落してしまうものがある。
咄嗟に放ったせいで威力が弱まっているとはいえ、少なからず代償を払って行使した力だ。なのにまるで手応えがないとなると正直やってられなくなる。
荒れ狂う風を一身で受けながらも平然とした様子で白服は問いかけてくる。
「あの紅い風……魔導器で発現させた現象じゃないよね。術式は展開されてなかった、にも関わらず君はあの風を操っていた……まるで自分の手足のように自在に、ね」
よく気づくものだ。数秒の出来事だったあの一瞬の現状を把握するその洞察力の高さに思わず感心してしまう。
「いいね……フッ……フフフ……」
霞んでしまうぐらい小さな声で一言そう呟くと、白服の男は身を震わせながらくすくすと笑いだす。
「いいねっ! いいよ君、最っ高だよっ、アッハッハッハッ! まさかこの街に君みたいな強い人が居ただなんて思いもしなかったよ……こんなに楽しいのは久しぶりだ!」
「こっちはひとつも楽しくねぇよ……この戦闘狂が……」
「フフフ……さぁ、続きをしよう! さっきの紅い風をもう一度出してよ! そして……二人でもっともっと楽しもうよっ!」
冗談じゃない……こっちは無理に力を使ったせいでヘトヘトなんだ。これ以上付き合ってられるか。
だがこの封鎖された空間に退路はない。唯一の逃げ道である一番線ホームに続く連絡通路は既に閉じられている。
仮にあるとすれば白服の男が通った天井の穴ぐらいなものだが……あれは駄目だ、論外だ。あの高い場所まで行く手段がない。たとえ見つけたとしても、目の前にいるコイツが逃げることを許さないだろう。
「いくよ……第2ラウンドだ!」
万事休すか――と諦めかけたその時、後方から耳をつんざくような強烈な爆発音が響き渡った。何事かと思い振り返ると一番線へ続く連絡通路入り口のシャッターが粉々に砕け散り道が開かれていたのだ。
シャッターが破壊された? いったい誰に……?
爆煙が舞う連絡通路内を眼を凝らしてみると奥の方から突然、巨大な火の球が飛び出してきた。火球は俺の真横を掠めて白服の男へと一直線に向かっていく。
「ちっ!」
白服の男がいた場所は火球に飲まれ一瞬で火の海と化したが、男は既に後ろへ飛び退いてその場から回避していた。
燃え盛る炎を呆然と見ていた俺は不意に、誰かが背後にいる気配を感じた。直ぐ様我に帰り、急いで後ろを振り返るとそこに居たのは――――大きいサイズのつば広帽子で顔を隠す、マキシワンピースを着た背の高い女性だった。