10年後
端末を操ってデータを呼び出し、「再生」を選択する。まもなくスクリーンに映像が流れ、少年少女が動き出した。彼女は懐かしく画面を眺める。大写しで現れた少女は、かつての彼女だ。
ここから、始まったんだった。
高校時代部活動で制作した映画。彼女は部員ではなかったが、監督である部長に誘われて主役を務めたのだ。
高校生の作ったもので、当然ながら出来はプロには遠く及ばない。けれども何か心に迫るものがあると思えるのは、身内びいきだろうか。
40分ほどでフィルムは終わり、暗転する。しかし彼女は映像を止めず、未だ画面を見つめている。やがてぶつりという音とともに、再び画面が明るくなった。
先ほどまでの作られた映像と打って変わって、笑い声やざわめきであふれ、高校生たちがカメラを気にもせず動き回っている。構図も何もあったものではない。当然だ、ただ三脚に置かれているだけのカメラなのだから。
これはメイキング映像だった。副部長の浅井が中心となって撮っていたようだ。一丁前に編集され、本編と同じデータに収められていた。
本編での硬い表情や棒読みはどこへ行ったか、にこにこしながら主役の少年が短髪の少女に絡んでいた。少女は迷惑そうにあしらっている。彼女は笑みを零した。
映画制作のあと、少年--新月代と、短髪の少女--園原望は恋人同士になったようだ。旧家の跡取り娘である園原と、その家の下働きであった新が付き合うことに、家の反対は大きかったようだが、彼らのことだ、どうにか切り抜けたのであろう。それが証拠に、今や結婚まで秒読み段階であると聞く。しかし誰が見ても可愛い容姿の新と、凛々しい園原ではまるで男女が逆転したようだ。いっそ白無垢を新が着ればいい、と彼女は想像して含み笑いをした。
画面の中の高校生たちはしばらく落ち着きなく騒いでいたが、やがて彼らを諫めるように声がかかる。ずっと固定されていたカメラが声の方へ向いた。メガホンでぽんぽんと肩を叩きながら背の高い眼鏡の少年が画面に現れる。彼女は一瞬息を止めた。
折りたたみの椅子にどかりと座り、メガホンを口に当てて何かを言おうとしたところで、カメラが一瞬ぶれ、副部長の声がすぐ近くで聞こえた。
『あ、カントクー、ちょっと待ってください』
カメラの後ろにいたのであろう副部長の浅井が画面に入ってきてカントクと呼ばれた少年に話しかける。彼らは気心しれた仲のようで、真剣に何か--間違いなく映画のことだろうが--について話し始めた。
(…そういう関係じゃないのは知ってるけど)
それは知っているが、もう一つの事実も彼女は知っている。このとき、浅井は、カントクのことを憎からず思っていた。これは間違いない、女のカンだ。
カントクは余程の朴念仁のようで、卒業まで気がつくことはなかったが。浅井の方もはっきりと自覚していなかったのが幸いした。
(まあ、あの頃は私も別に何とも思ってなかったけど)
彼女は未だに園原と連絡を取り合うし、映画研究部のOB会にも数度出席している。あの頃の人間関係がまだ続いていることに、彼女は改めて驚き、すごいことだと思う。
そして、この男だ。画面に映ったままのカントクを再度眺める。
奇しくも同じ業界に身を置くことになった彼女とカントクは、10年経った今でも細く長く関係を保っていた。昨日はとても久しぶりに顔を合わせたのだが。
すごくなったな、お前。頑張ったな。
もらった言葉。泣くかと思った、否、家に帰ってから泣いた。
もちろん、この男に認められるために今までやってきたわけじゃない。自分のためだ。自分がやりたいことを、やってきただけだ。
でも嬉しかった。もうとっくに彼の社会的地位も年収も追い越してしまっているのに、彼に認められることが、こんなにも嬉しいだなんて。
彼女は改めて、想いを自覚したけれど、今回だって、あの朴念仁は気がついていないんだろう。言ったところで「そんなつもりじゃない」なんて逃げるかもしれない。
でも絶対逃がさない。この私が本気で追いかけて、捕まえられないはずがないのだ。
と、携帯電話が鳴った。仕事用の端末だ。
『ちえ、ごめんなさい、せっかくのオフなのに』
「いいよ、どうしたの?」
仕事の話がしばらく続く。彼女は近頃とても忙しい。男に会えたのも、彼女がすごく頑張って、でもそうと気取られないように男に予定を合わせたからだ。今日も彼女は休みだけれど、男の方が仕事らしく、会えない。今度会うのはいつになるだろう。
『じゃあ、そういうことでよろしくね』
「了解。それじゃ明日、迎えにきてね」
電話の相手はマネージャーだ。今回、めったにわがままを言わないちえが休みを欲しがるなら、とこれまたすごく頑張って調整してくれた功労者である。
マネージャーにも、まだ彼のことは話していないけど、もしかしたら感づいているかもしれない。
そうだ、次会えるときには、みんなにばらしてしまおう。もちろん、当事者であるあの男にもだ。
高校生みたいな告白をしてやろうか。
『映画に一所懸命な姿が忘れられなくて、いつの間にか好きになってたんです!』
間違ってはいない。
私の渾身の演技力でもって、詰め寄ってやる。あいつはどんな顔をするかしら。
今をときめく新進気鋭の女優、佐東ちえはほくそ笑んだ。
佐東ちえ…かつての『満月』役。大学時代に演劇に目覚めた彼女は劇団に入り、そのうち再び映像の方へ戻っていく。22歳でブレイク。演技派女優として映画やドラマに多く起用される。
カントク(山脇昭浩)…高校時代から自主制作映画に精力的に取り組み、大学卒業後もフリーの映画監督として活動する。未だ大ブレイクはしていないが知る人ぞ知るストイックな作品を作ると一部では評価されている。
人気女優佐東ちえとの結婚によって一気に名が広まり、その流れで過去作が評価され一躍名監督と謳われることになる…かもしれない。