(9)クリノスの矢印 後編(口調だけ丁寧男ザフィ、挙動不審編。中・後編とも短編内ではやや恋愛色強め)
顔を覆ったまま立ちつくすクリノスの頭に、宥めるように手がおかれた。その手が短い髪を静かになぞる。
「なんで邪魔をしたんだ」
「なんでって、あなたが自分で気づかないまま、望まないことをしようとしたからですよ」
「望まないことって何だよ。私はそうしたかったから、団長を、その、無理やり襲ったんだ」
「団長を、無理やり? 泣きながらですか」
顔を覆う手をはがそうとするように、ザフィの手がクリノスの手に重ねられた。
「やめろ。おまえに見せられるか、こんな汚いモノ」
「汚い? いくらクリノスでも、僕の大切なものを汚物呼ばわりするとは、許せませんね」
「おまえはっ・・・鳥の鳴きマネまで巧いって、どれだけ守備範囲が広いんだ」
「褒められるほどでもないと思いますが」
「・・・。団長に謝ってほしくなど、なかったんだ。私は、どうなったって良かったんだから」
頑固に顔を覆ったまま、最後にぽそりとそう漏らしたクリノスの様子に、ザフィは手を離して、小さくため息をついた。
「いいか、クリノス。よく聞いて」
「・・・」
「あのまま流されて団長とどうにかなっていたら、君は死ぬほど後悔する」
「?」
「カメリアさんに対する団長の思いを踏みにじってしまったと。間違いなくそう思って自分を責める」
「??」
「そんな君を見るのは辛い。それに・・・まあいい。とにかくもう、やめるんだ。団長のことなんか放っておけ。それから、自分の行動にもう少し気をつけろ」
「??? は、はい・・・ていうか、ちょっ、ザフィ」
あっけにとられて顔を隠すのも忘れ、クリノスはザフィの顔を凝視した。
「ザフィ、さ。しゃべり方が、変だ。いつもと違って――要するに、気色悪い」
今度はザフィがあっけにとられて、一瞬固まった。
それから、気を取り直すような咳払い。
「つい・・・。それにしたって、気色悪いとは、ひどい言われようですね」
先ほどのしゃべり方といい、一瞬にしろ、固まったことといい、今日のザフィは激レアだ。
ぼんやりした頭でクリノスはそう思ったが、それ以上追及するような気力は残っていなかった。
ただ少し、ザフィが元のしゃべり方に戻ってしまったのが、残念なような気がした。
「とにかく、もう少し行動に気をつけてください」
「・・・。私は、またザフィに甘えてしまったんだな」
「おや、もう反省してくれるんですか。それで、今回は殴ったり蹴ったりしないんですか? それは良くない兆候ですね」
いつものようにふざけ始めたザフィに応えなくてはと、クリノスは軽く頭でもひっぱたくつもりで手をのばした。
しかしそれは何かに阻まれて、気がつけば右腕の肩から下に、ザフィの左腕が絡みつき、がっちりと押さえ込まれていた。
「・・・!」
なんとか情けなく悲鳴をあげることは避けられたが、発することばも見つからず、非難の目でザフィを睨みつけた。
強く見返してくる彼の目には、いつもと違う不穏な色が潜んでいて――クリノスをひどくうろたえさせる。いきなり高まった拍動とともに、彼女はたまらず視線を腕へと逃した。
逃した視線の先に見えたのは、自分の腕に絡みつく、もう一本の腕。
制服ごしにも、骨格もしなやかな力強さも、自分のものとは明白に違うその腕が絡みつくさまに、なぜか目がくらみそうになる。
こんなの、ただの腕だ。
そう思うのに、先ほど団長に抱きすくめられたときよりも、唇を合わせたときよりも、ぞくり、と打ち消しようもなく強い感覚が胸を駆けあがる。
それを認めたくなくて、思わず懇願するようにザフィを見つめてしまう。
と、腕はいったん解かれて、すぐさま二本の腕が、引きよせたクリノスの身体を閉じ込めるように巻き付いた。
髪の上に繰り返し繰り返し、優しく落とされるものの正体を、頭が考えるのを拒否している。
「ザ、フぃ。これ、反則だろう」
「・・・どっちが」
おかしい。ずっとこのままでいたいような気がする。そもそも、何でこうなったんだろう・・・流されるな、行動に気をつけろと言われたばかりなのに。
クリノスは頭を一振りすると、思い切りザフィの胸を押して、身体を離した。
「ザフィ。いろいろと迷惑をかけた。謝るよ」
「謝ってほしくなどなかった、と・・・先ほど誰かが言っていましたね」
「とにかく、助かった。おまえの言うとおりだ」
「本当に、分かっているんですか」
クリノスは力強く頷いた。
「ああ。分かっている。私はもっと、強くならなければいけない」
「・・・そっちに行っちゃいましたか」
「さて。腹がすいたな。そういえば遅くまでやってるカツィーカの屋台があるんだ。お詫びにたまには奢るよ」
身も心も、もっと強くならなければ。
それに、いろいろと考えなければならないこともありそうだ。
だが、とりあえずは腹を満たして体力をつけてから――クリノスの心は、すでに香ばしい匂いを漂わせる屋台へと飛んでいた。
---とりあえず、おわり---