(6)クリノスの四角形(短編色々で初の洋モノ 中世っぽいどこかの世界で数人の男女をめぐるお話)
今日も日が暮れていく。
あともう少しすれば、家路を急ぐ人やら、一杯ひっかけに行く人やらで、通りも賑やかになるだろう。
今はその前に訪れる空白の時間で、少年が引く荷車がただ一台、うっすらと土埃をあげながら我が物顔で通りを進んでいく。
クリノスは道端の木に背中をあずけ、腕を組んで何度目かの溜息を吐いた。長い脚を片方だけゆるく折りまげ、ときおり思い出したように足先で土を蹴る。
無造作に短く切られた榛色の髪の毛先が、乾いた風に小さく揺れた。
と、通りの方向をちらりと窺ったクリノスが姿勢をただし、何気ない様子で歩きはじめた。
やや俯き加減で歩く通りの向こうから、長く伸びた影を引き連れて、二人連れの男女がゆっくりと歩いてくる。
二人連れの男の方は三十代の半ばといったところか、がっしりとした体格ながら、穏やかな風貌である。女の方は男より十ほども若い様子で、男にすがるようにして一歩一歩を踏みしめる足取りが、やや心もとない。
「やあ、クリノスじゃないか」
先に声をかけたのは男の方で、その声につられて女の方もクリノスを見上げる。
女の頬はそげ、男の腕にからめた手首は小枝のように細かったが、その瞳には生きいきとした光があった。
その光を認めてほっとした様子のクリノスは、あらためて男の方に向き直る。
「団長殿、お久しぶりです。カメリアさんも、お加減がよさそうでなによりです」
「おっとクリノス、やめてくれよ。もう俺は団長でもおまえの上長でもない、ただの呑気な居酒屋のおやじだ」
カメリアと呼ばれた女は、途端にさびしげな顔をした。
はたりとひっくり返されたような表情の変化を目の当たりにして、クリノスは己の無神経さに内心で地団太を踏む思いだった。
「ねえ、クリノス。あなたまた、剣の腕前をずいぶんあげたんですってね。先日あなたのお仲間が店に来てくれて、そんなことを言っていたの。それを聞いたこの人がね、とっても嬉しそうな顔をして・・・」
なんとなく気まずい雰囲気をうっちゃるように朗らかな声で話しだしたのは、当のカメリアだった。
クリノスは話の行方を追うよりも、熱心にことばを連ねるカメリアと、そんな彼女をゆったりと見守る団長の様子に見入らずにいられなかった。
カメリアはある居酒屋の看板娘だった。クリノスが属する王都警備団の面々の中には、彼女目当てでその店に通いつめる者も少なくなかった。
が、なんとなく団長とカメリアがそんなような雰囲気になってからは、さすがに正面きって彼女にちょっかいを出す者はいなくなった。それでも誰にでもわけへだてない笑顔で接するカメリアは皆の人気者だった。
「カメリアさん、これを・・・」
クリノスが手にしていたものを差し出そうとしたとき、カメリアが激しく咳き込み始めた。
慌てるクリノスをよそに、落ち着いた様子の団長がカメリアを抱き上げる。
団長の腕の中でぐったりとするカメリアは、悲しくなるほど儚げに見えた。
「悪いな、クリノス。今日はこれで失礼するが、今度また店に顔を出してくれよ。きっとだぞ」
そう言うと、小声で何事かを腕の中のカメリアに話しかけながら、団長は揺るぎない足取りで歩きだした。
クリノスは半ば呆然として、二人を見送った。
「く」
すぐ近くで、押し殺したような低い笑い声が聞こえた。
ばかにしているのか。ばかにしているのだろう、とクリノスは思う。
「ザフィか。なんの用だ」
「クリノスこそ、こんな所で、何をしていたんですか? ひょっとして、待ち伏せですかね」
ザフィの馬鹿丁寧な物言いは、同僚のクリノス相手に限ったことではない。明らかに格下の訓練生にまでこの調子で話しかけるのだが、それはときにクリノスをイラつかせた。 特に、今のような場面を見られた後では。
というか、見られたくない場面に限って、この男が居合わせるような気がするのは、気のせいだろうか。
クリノスとしては、待ち伏せしているのはおまえの方だろうと言いたかった。
そんなことを考えながら、どこかとらえどころのない笑顔のザフィを見るともなく見ていると、ほんの一瞬、彼の目線がクリノスの背後に向けられ、その手から何かが放たれた。
ズッというような嫌な音。クリノスがその方向を見ると、三角頭の蛇がナイフで地面に串刺しにされていた。
毒蛇は一撃で絶命したようで――正確には尻尾の先は未だ生きているようだったが――クリノスはその残酷な景色より、ザフィの顔に浮かんだままの優しげな微笑みにうっすらと背筋が寒くなる。
が、何となくここは弱みを見せてはいけない気がして、何気ないふりを装う。
「それよりザフィ、今度おまえに練習試合で勝ったら、シュッシュケイバブを奢ってもらう約束、忘れていないだろうな」
「もちろん。ちゃんといい店も見つくろってありますよ」
そうは言っても、クリノスがザフィに勝てるのは、五回に一回といったところだった。その一回すら、手加減されているのではないか、と思ってしまうこともある。
ザフィには到底敵わないという事実を認めるのが嫌なのか。それとも、手加減されていると疑いながらも勝負を挑んでしまう、自分の甘えを認めるのが嫌なのか。
そのあたりはクリノス自身もよく分かっていなかったが、そういったことを突き詰めて考えてしまえば、ザフィとの今のような気さくな関係が崩れてしまうのは確実と思えた。
そして、それは惜しい気がしていた。
「楽しみにしていますから、ぜひ僕に勝ってくださいよ。それにいい加減、分かったでしょう?」
ザフィが少しまじめな顔をして、クリノスは嫌な予感がする。
「重い病を得て、気力だけで命をつないでいるようなカメリアさん。その彼女の傍にいるために、地位も将来も投げ打って居酒屋のおやじに収まってしまった王都警備団の元団長。あの二人の間に、誰かがつけいる隙がありますか? そんなものどこにもないで・・・ふごっ」
たまらずクリノスは、手にしていたものをザフィの口に突っ込んだ。先ほどカメリアに渡そうとして渡せなかったものである。
一方のザフィは目を白黒させている。
口の中に広がる薬草くさい匂いと粉っぽい舌触り。つまり、口の中に突っ込まれた物体は、端的に言って激マズだった。
「・・・こ、これは、胸の病に効くという薬草・・・と、見せかけて、もしかして毒殺を諮ったんですか・・・」
「毒殺って失礼な。まあ一般人よりその手のことは得意といえないこともないが・・・」
必死に口の中の物体を飲み下そうとするザフィを見ながら、クリノスはカメリアにソレを渡さなくてよかったと密かに胸をなでおろした。高価な薬草を使ったなかなかの自信作ではあったが、何せ菓子など作ったのは初めてだった。
「ったく、けなげですね。一体どっちの味方なんだか・・・」
「どっちも何も・・・。ただ、カメリアさんが元気になれば、団長も喜ぶし一石二鳥というか・・・」
ザフィの瞳が一瞬揺れて、クリノスはそれが気に入らなかった。
むっとしたクリノスの顔を見つめるようにしてから、ザフィはちょうど横を通りかかった花売りを呼びとめた。そして一輪の花を求める。
クリノスの瞳の色と同じ青紫の、柔らかな花びらを持つ花だった。
「剣の試合や毒殺なんかはほどほどにして・・・忘れているようですが、クリノス。あなたは女の子なんだから」
すかさずザフィの腰をめがけて蹴りをはなったクリノスだったが、それはすんでのところでかわされた。それどころか逆に手首をつかまれて、先ほどの青紫の花を持たされていた。
「女の子扱いするなと言っただろう。こっちはいい大人なんだ」
「はいはい。では、あなたは女性なんだから、と言えばいいですか? それもカメリアさんなどよりよっぽど・・・」
クリノスが睨みつけると、ザフィは、諦めたように口を閉じた。
持たされた花を放り投げてやろうかと思ったが、少し考えてから、クリノスはじりじりと後退した。
それから宙のある一点で花を手放した。
花は毒蛇の亡骸に寄りそうように地面落ちて、墓標となった。
その光景を目に映しながら、自分はやはり、今の仕事には向いていないのかもしれないと思う。あの団長が去ってしまった現在となっては余計に。
女性の団員は一割足らず。そのなかで、並の男に負けてはいない自負もあったが、無理をしていないわけではなかった。
それに、クリノスには医務班に志願したいという密かな希望もあった。実際、団長の存在がなければ、最初から医務班をめざしていただろう。
ただ、ここで正規の警備団を辞めるのは逃げではないか。それになんといっても、目をかけてくれていた団長を落胆させるのではないか。
――そんな考えがクリノスを縛っていた。
「もしも・・・もし、私が・・・」
「それも良いと思いますよ」
即答。
だからこの男は苦手だ。ときどきすべてを見透かされている気がする。
でも、とクリノスは思う。もしもさっきのタイミングでザフィに会っていなければ、今夜はたらたら自己嫌悪に陥って、鬱々と団長のことを考えながら眠れない夜を過ごしただろう。
それが今は、だいぶ気分が軽くなっている。
クリノスは小さく咳払いをした。
「ザフィ」
「ん? 何ですか」
「その・・・ぁりがとぅ」
「・・・お礼ですか。お礼よりも聞きたいことばはありますが、」
ザフィが一歩、二歩、クリノスに迫ってくる。
「それでも、」
クリノスの短い髪に手を伸ばす。
「こんなときでも律儀にお礼を言ってしまう、そんなあなたをかわいいと思います」
途端にクリノスからぶわりと殺気がふきあがり、苦笑いのザフィが後退した。クリノスが再び蹴りを放ち、ザフィはかわす代わりに蹴あげられたクリノスの膝をとらえた。
思わぬ動作にクリノスの脚が妙な角度に曲がった。うめき声をあげ、顔をゆがめて地面に沈むクリノスの身体を追って、ザフィがしゃがみ込んで彼女の肩に手をかける。
彼の表情に、もう先ほどまでの余裕は無い。
「クリノス! どうした、痛めたんですかっ」
と。
すっと伸ばされた二本の指が、ザフィの喉元を突いた。
「隙あり。勝ったな。今すぐシュッシュケイバブを奢ってもらおう」
ニヤニヤ笑いながら言うクリノスの表情を確認すると、ザフィはいきなり彼女の頭をかき抱いた。
クリノスはそんなザフィをさっくりべりっと引き剥がす。
「ピラニーソースも付けてもらおうか」
「・・・はいはい。あなたには負けますよ、まったく」
結局、ピラニーソース付きの特大シュッシュケイバブを一つに、いつもの岩塩ハーブのシュッシュケイバブを一つ、計二つのシュッシュケイバブを胃袋に収めて、とりあえずのところは気が済んだようなクリノスだった。
ちなみに世間では、このような行為をやけ食いと呼ぶ。
---とりあえず、おわり---