(2)ブラウンさん(僕の好きな駄々茶こむぎさん。茶色ずくめ、猫背、決めのセリフは「おまえが嫌いです」。 コメディめざしてすべった感じ 初出2012.1.14)
僕の通うこの高校、制服の自由化なるものがなされたのは三年ほど前の話らしい。今では多少ヘンな格好であっても、何を着てこようが自由である。
そうはいっても、毎日毎日、何を着るか考えるのも面倒だ。だから、あまり服装に頓着しない派の人間は、「基準服」という名の旧制服を着て通学することもできる。
だいたいクラスの半分ほどがそれ。女子の方は、どこかの学校の制服風、なんちゃって制服を着ているやつも結構いるかな。
そんな中で、その存在はクラスの中でもかなり目立っていた。髪、服、鞄、靴・・・すべてが茶色ずくめの女、駄々茶 こむぎ。
誰が言い始めたのか、呼び名はブラウンさん。
ただし、本人は自分がそんな風に呼ばれていることを知らないだろう。入学式から一週間、彼女が誰かとしゃべっているのを見たことは一度もない。
毎日茶色、茶色ばっかり、それも濃淡はほとんどなくて、いわゆる絵の具やクレヨンの正統派「茶色」。地味ぃな色なのに毎日全身それとくれば、嫌でも目立つ。
そのうえ、休み時間でもめったに席を立たず、長い髪で顔を隠すようにうつむき、やや猫背な姿勢で席に座っている。話しかけるなオーラを全開にして。
とはいえ、ブラウンさんはどちらかといえば美人だ。姿勢は悪いがスタイルはよい。かなりよい。このあたりはクラス男子の共通認識と思って間違いない。
なんとなく漂う不気味さに対する敬遠と、特級のスタイル保持者に対する憧憬と。現在までのところは前者が勝っているものの、近い将来、後者が優位となってブラウンさんに突撃するやつが現れるのは確かなように思われた。
その日の放課後、帰り道。教室に鞄をすっぱり置き忘れて手ぶらで歩いていることに気が付いた。なにげないふりをして教室に戻る。
いやぁ、定期もブレザーに入ってるし、鞄ってなくても平気なんだよな。そんなことを思いながら教室のドアをあけたところ、なにやら柔らかいものに押し戻された。
柔らかいもの・・・それは、ちょうどそのとき教室を出ようとしていたブラウンさんの体だった。
「あ、ブラウ・・・じゃなくて駄々茶さん」
「ブラ?」
なかなかかわいらしい声をしてるんだな、ブラウンさん。でも、ことばを変なところで切らないでね。
「いや、ぶつかっちゃってごめん。どうかした?」
そらされない眸は、惜しいことにクレヨンの茶色じゃなくて、焦茶色だった。同じく茶色ではなくベビーピンクの唇が、うっすらと開いた。そしてことばが発せられた。
「おまえが嫌いです」
「・・・」
こうして僕は、ブラウンさんに囚われました。
さて、歩み去るブラウンさんの足音に耳を傾けつつ、「おまえが嫌いです」について考察してみる。
「おまえがグンソクを嫌いです」の略であるなら、僕の嗜好を知りぬいたうえでの発言だ。「ぶつかって跳ね返されたおまえが嫌いです」であるなら、跳ね返されない僕のことは好きにちがいない。
どちらにしても、ブラウンさんは僕が好きだという結論にしかなり得ない。なり得ないのに、ごっそり傷ついてしまった気がするのはなぜだろう。
仕方がないので、ブラウンさんの席に座ってみた。その机につっぷしてみた。結論は出なかった。
今日も僕は、放課後が来るのを待ってブラウンさんに近付いた。ブラウンさんは、他の人間がいるところで話しかけても、絶対に答えをかえさない。ところが、二人だけのときは短い答えをかえすのだ。それが、ここ数日のブラウンさん観察で得られた成果なのである。
「駄々茶さん、僕の何が嫌いなの?」
「おまえのことばが嫌いです」
「なら、しゃべらなければ好きなわけ?」
「おまえの顔が嫌いです」
「じゃ、顔がなければ好きなわけ?」
「おまえの体が嫌いです」
「僕の体をよく知ってるの?」
「おまえの性根が嫌いです」
そう言って、ブラウンさんが席を立つ。
鞄を肩にかけて歩きだすブラウンさんの斜め後ろを僕は歩く。ブラウンさんとの距離は不動の30cm。
ブラウンさんの迷いのない足どりが好きだ。踏み出すくるぶしの愛くるしさが好きだ。膝の後ろのくぼみが好きだ。猫背の背中でゆれる髪が好きだ。もっと見ていたいけど、別れの場所が近付く。
駅の改札を通ると、乗り込む電車は逆方向。ブラウンさんは左へ、僕は右へ。
ブラウンさんの、猫背の肩の線が淋しげに名残惜しげに見えるのは気のせいだろうか。
「さよなら、駄々茶さん。またあした」
「嫌いです」
嫌いです、嫌いです、嫌いです、と言われても。
それでも、僕は、僕を嫌いなブラウンさんが、好きみたいです。
理由は自分でも、よくわからない。
最近ブラウンさんは、放課後、僕を待っていてくれるような気がする。今日もほら、うつむき加減で一人ぽつんと席に座ってる。
「駄々茶さん、僕たち、つきあってるって噂になってるみたいだよ。駅まで一緒に帰ってるから」
「・・・」
そういえば、あんまり当たり前だったから、まだ言ってなかったことばを今言ってみる。
「僕は、駄々茶さんが好きだけど」
「・・・どこが?」
おや、質問されるとは新しい展開だ。
どこがってそれは、その足首も腰も胸も顔も。僕の脚の装具に気付いてしまって黙ってゆっくり歩くところも。猫背も人見知りもぶっきら口調も。
しかし。
「茶色いところが好きだよ」
どうやら正解だったらしい。ブラウンさんが初めて小さく微笑んだ。
鞄を肩にかけて歩きだすブラウンさんの斜め後ろを僕は歩く。ブラウンさんとの距離は不動の30cm。
でも今日は、ゆるい振り子運動を繰り返す彼女の右手を僕の左手がすくい取る。
ブラウンさんが固まっている間に30cmの距離を僕は詰めて、ふたり並んで歩きだした。
翌日。
駄々茶さんは、茶色ずくめをやめていた。服、鞄、靴・・・すべて緑色の緑ずくめ。髪の毛だけは、間に合わなかったのか、茶色のままだけど。
どこが好きかと聞かれれば、緑色のところと僕は答えるだろう。すると駄々茶さんは、速攻で緑ずくめをやめるだろう。
僕の彼女(予定)、駄々茶 こむぎさん。全身緑ずくめ(仮)、猫背、胸、人見知り。決めのセリフは「おまえが嫌いです」。
そんな駄々茶さんが、僕は今日もなぜか大好きだ。
おわり