(12)のりまき(今日も元気に生きるのだ!)
そのとき、ああもうだめだ、とぼくは思いました。もう全身が、干あがってしまう、と。
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ぼくが外に出るのは、一日に一回、朝早くの仕入れのときだけです。
悪い人に見つかるとたいへんなことになってしまうから、かってに外に出てはいけないのだと、シャチョウは言います。
それに、ぼくの顔は、見た人をフユカイにするのだそうです。だから、仕入れのときもぼうしをかぶって、うつむいて歩きます。
それでも、一日に一度の仕入れの時間が、ぼくはとても楽しみです。
なぜなら、ぼくは仕入れが上手なので、シャチョウに野菜の仕入れを任されているからです。
ぼくは、おいしい野菜を見わけるのがとくいです。畑のすみに転がっている野菜たちの中から、おいしいところをえらんだ後で、その畑に生えたざっ草をたくさん抜きます。そうすれば、ノウカの人に野菜のおカネを払わなくてよいからです。
すごいでしょう。
このように、とてもたよりにされているので、抜いても抜いても生えてくる草を、ぼくはがんばって毎日抜くのです。
仕入れには、もう一つの楽しみがあります。
ほんとうは、こっちが仕入れの仕事が好きな理由です。
一週間のうちヘイジツの日は、仕入れの帰り道で、あるお姉さんとすれちがうのです。
お姉さんは、いつも白いシャツをきて、えりにキリリと小さな赤いリボンをつけて、こん色のスカートをはいて、歩いています。くつ下の色もこん色で、くつは黒です。
いつも決まった時間に、同じ場所で――ぼくがはたらくお店のそばのところ――すれちがうからなのか、お姉さんは、ぼくを見かけると、笑いかけてくれるようになりました。
最初は、信じられませんでした。こんなきれいなお姉さんが、ぼくに笑いかけてくれるなんて。
でも、どう考えても、その場所にぼく以外には、だれもいないのです。
だからぼくは、思い切って、ぺこり、とぼうしをおさえてあいさつしたのでした。
そうしたら、お姉さんは、もう一度にっこり笑ってくれたのです。
・・・その日から、ぼくのすむ世界は、天国になりました。
ところが、ある朝のこと。
しばらく雨がふらない日が続いて、空気がとてもかさかさした日でした。
いつものように仕入れが終わって、大きなリュックに野菜を入れて、帰り道を歩いてました。
ランドセルという四角いカバンをしょった子どもたちが、大きなリュックをしょったぼくを見て、くすくす笑いながら走りぬけていきます。
こういうふうにされると、ぼくはいつも、鼻のおくがツンとなって、目が水っぽくなるのです。
なんでだろう、ふしぎだな。
それはさておき、もっと気になることがありました。あのお姉さんが通らないのです。今日は、おでかけしない日なのかな、と思いました。お姉さんを見かけない日は、その日がはじめてではありませんでした。
でも、その日は、どうしてもお姉さんの顔が見たくなって、しばらくそこでまっていました。
いつもなら、もう、お店にもどっている時間です。きっとシャチョウに怒られます。
あきらめて、帰ろう、と思ったとき・・・急にからだの力が抜けました。
立っていられなくなって、ほこりっぽい道にへたりこみました。
ふと自分の手を見ると、かさかさのしわしわ、くろっぽく変色しています。
こわいよ。
それに、すごく、すごく・・・のどがかわいて、ひりつくようです。
かすんだ目であたりを見まわしても、だれもいません。
ああもうだめだ、とぼくは思いました。もう全身が干あがってしまう、と。
それもこれも、シャチョウの言いつけをまもらなかった、ぼくが悪いです。
シャチョウはいつも、仕入れの仕事と行き帰りにかかる時間の分だけ、とても正かくに計って水をほ給してくれています。
だから、仕入れのしごとが終わったら、すぐに帰らなきゃだめなんです。
もう、目をあけているのもつらくなってきました。
そのとき、パタパタと走って近づいてくる足音が聞こえました。それから、何だかいいにおいがします。もしかして・・・
「どうしたの!? だいじょうぶ?」
ぼくは、なんとか、のどのあたりをゆびさしました。
「のどがかわいた? 水が欲しいの? ニッシャビョウかな・・・」
そして、ぼくは、がんばって目をあけました。すると、ああ、やっぱり、そこにはあわてたようすでトッペボトルの、あれ、ペットボトルだったかな、まあいいや・・・のふたをあけている、お姉さんがいました。
お姉さんは、ぼくを抱きおこそうとしています。
そんなふうにしたら、お姉さんが汚れてしまうのに。
ぼくは、また、鼻のおくがツンとしました。
なんでだろう、ふし・・・うわっ
「あったいへん、ごめんねっ」
あせったお姉さんが、ぼくの頭にどぼどぼと水をかけてしまったのです。
あんがい、あわてんぼうです。
でもぼくは、それでずいぶん元気になりました。だいじょうぶなところを見せなくては、と、ハンカチを出したお姉さんに首をふって、たちあがりました。
「送っていってあげようか。今日は学校がフリカエキュウジツでジュギョウがないから、ブカツは少しぐらい、おくれてもいいし。お家はどこ?」
意味はよく分からなかったけど、ぼくは自分がはたらくお店をゆびさしました。お店は、そこから百歩ぐらいのところにありました。
「ええっと、あそこのおべんとう屋さんの子? わたし、あのお店ののりまき、大好きだよ」
あのお店ののりまき、大好きだよ、とお姉さんは言いました。
ぼくは、とてもうれしかった。
なぜなら、それをつくっているのは、ぼくだからです。
シャチョウがぼくを拾ってお店につれかえった日。
にやにやしながら、シャチョウは、アレをつくってみろ、と言いました。
それを聞いたオクサンは、やっぱりにやにや笑いながら、アクシュミね、と言いました。
でも、おのりできゅうりとすっぱいごはんをくるんでつくったそれを、一口たべたシャチョウとオクサンは、顔をみあわせてうなづきました。
次の日から、ぼくは、毎日毎日、お店のおくのくらい仕事場で、きゅうりののりまきをつくっています。
のりまきはヒョウバンになって、今ではお弁当より、たくさんおカネをかせぐそうです。
ぼくはほこらしい気持ちで、お姉さんをみあげると、ぼうしをおさえてぺこり、お礼をしました。
お姉さんの向こうには、うす青い空。
それから一人で、ぼくはお店にむかってかけだしました。
お店に足をふみいれると、シャチョウのどなり声にむかえられました。
「このクソガッパ! おそいぞっ。どこをほっつき歩いていやがったんだ。まさか、逃げ出そうとしたんじゃないだろうな。そんなことをしたら、どうなるか分かっているんだろうが」
ぼくは、いそいで仕事場にむかいました。逃げ出したりしたら、たいへんなことになるのです。
ふるさとの川に、ぼくの妹と弟が住んでます。そこに、コウジョウの汚い水をすてるケイカクがあって、シャチョウはそれをソシしているそうです。もしもぼくがいなくなったら、汚い水が川にすてられるようにしてやる、と言ってます。
ぼくは、カッパなので、川が汚いと困ります。
とくに、幼いうちは、カッパはきれいな川以外には住めないのです。昔はもっと、たくさんの仲間がいたのですが、今ではぼくたち家族が、あの川で最後のカッパです。
ぼくが人間に拾われて、川に帰れないのは・・・しかたないです。ある日、ぼくは、どうしてもきゅうりが食べたくなって、川からあがって畑をさがしました。
そしてまいごになって、シャチョウに拾われました。
さっきみあげた空は、雲がないのにぼんやりと青かった。
まるで、ひるねからさめたとき最初に目にうつる、ふるさとの川の水の色みたいに。
シャチョウはまいにち一本のきゅうりをぼくにくれます。
でも、ぼくは今、きゅうりより家族にあいたい・・・わかってる。なんかおかしいってわかってるから、だまされてるとかって、言わないで。
妹と弟がもう少し大きくなって、川じゃなくても住めるようになったころ、お店をこっそり、でていくつもりです。
ないしょだよ。
でも、お姉さんに会えなくなるのは、さびしいな。やっぱりずっと、ここではたらこうかな・・・
そんなことを考えながら、その日も一日中、たくさんたくさん、きゅうりののりまきをつくりました。
それから、きゅうりを一本もらって、食べて、寝ました。
それからまた、何日かたって。
その日もまた仕入れが終わって、お姉さんに会えるのを楽しみに、帰り道をあるいていました。でも、その日も、通りにお姉さんのすがたが見えません。
また、フリカエキュウシュツでしょうか。
そのとき、どこかで、お姉さんのひめいが聞こえた気がしました。
なんだか、お姉さんに、とてもとても、悪いことが起きているよかんがします。
あっちの方だ、とぼくは思って、わきの細い道にかけこみました。
お姉さん!
お姉さんが地面につきたおされて、男がそのうえにおおいかぶさるようにしています。男はにやにやしながら、お姉さんの口を手でふさいでいます。スカートがめくれて、お姉さんの白いあしが、ぶるぶるとふるえているのが見えました。
ぼくは走って行ってむちゅうで体当たりすると、男をつきとばしました。
「なんだ、このガキ!」
男がなぐりかかってきて、ぼくはとっさによけました。でも、かぶっていたぼうしが落っこちてしまいました。
「うっ、なんだこいつ、気持ち悪ィな。まるで・・・」
さいごまで聞かないうちに、ぼくは男に頭つきをくらわせました。
ところが、ぼうしをかぶってなかったので、さらから水が、こぼれてしまいました。
「この、化け物っ」
男がまた、なぐりかかってきます。急に力が抜けたぼくは、さいごの力をふりしぼって――男のしりこだまを、にゅるりと抜き取りました。
男は急にぼうっとした顔つきになって、ふらふらと逃げ出しました。
しりこだまは、めったやたらに抜き取ってはいけないことになっているけど、こんなときは、しかたがないよね?
お姉さんの方をみると、気をうしなっているようです。でも、けがはなさそうで、よかった。
ほんとうに、よかった。
お姉さんのそばについていてあげたいけど、ぼくももう、げんかいです。水、水がないと・・・
そのとき、きいろっぽいかみの毛の、でもあれ、ねもとの方は黒いぞ、若い男がやってきました。
「うおっ、ぱねぇ、ぱねぇ、めっちゃJK、まぢやべえ! とりまっ、よんどこ、きゅーきゅーしゃっ!!」
男は何やら、じゅもんをとなえているようです。彼はもしかすると、話にきく、勇者とかなのかもしれません。
あとのことは、この勇者にまかせて、とりあえず、お店にもどることにします。
そして、まずはさらに水をほ給してもらいます。それから、お姉さんも好きなきゅうりののりまきを、いっしょけんめい、つくります。
あのお店ののりまき、大好きだよ、とお姉さんは言いました。
ぼくは、それが、とてもうれしかった。
だから今日も、ぼくはがんぱってはたらくのです。
***おわり***