二、雨の後には
「ただいま。シン~どこに居るの?」
意外に早い帰りに慌てて一階に下りていく。
「早かったね」
「まぁね。今日はあまり仕事が無くて…許可もらって帰ってきちゃった」
肩をまわしながら呟くように言う、オリビアが椅子に座るのを見計らって尋ねる。
「ね、オリビアの主ってどんな人なの?」
自分も向かいの椅子に座り構える。
オリビアが自分に向ける視線が鋭くなって聞くのをやめようか迷ったが粘る。
「…お館様は、まだ若い娘だよ。もともと短命な一族なんだけど、特に今は酷い。両親や一族の者は殆ど亡くなってしまった」
「…その子がこの村を仕切ってるの?」
シンの質問にオリビアの顔が上がる。
「仕切るって?」
少し憮然とした物言い。
「村の偉い人にしか会わないって、言ったから。違った?」
何か地雷に足をかけているようだ。慌てて補足を入れる。
「そうね。…事実、お館様はここを仕切ってる。だってここは、彼らの土地でできた村なんだ」
つまり、小さいながらも領主に当たるという事。それを、若い娘が一人で治めているのか。
「ここにはその若いお館様が一人で?」
オリビアが首を振る。
「もう一人、本当は居るんだ。彼女の兄と二人で一つの役を兼ねていた」
「その兄は?」
「この村を出てしまった。仕方の無い事だったけど、お館様には辛い事だったんだろう。この数年は館から出ていらっしゃらない」
少し寂しそうな顔でオリビアは呟き窓の外を見る。
つられてシンも顔を向けると外には小雨が降っていた。
「どうして…今は乾季だろう? まるで雨乞いがこの村に居るみたいだ」
何気なく呟くとオリビアがじっと自分の顔に目を向けているのに気付く。
「アマゴイ…?」
「あぁ、聞いた事無い? 王都には能力者が沢山居るから乾季にはアマゴイの能力者が雨を降らせて水量を調節していたんだ」
何度か頷くとオリビアが立ち上がり、窓を開ける。
「雨…そろそろ上がるから、外に行く準備して」
「うん。よくわかるね」
シンも立ち上がると、窓に近づく。
「通り雨だから」
見る間に雨は上がり、オリビアに大きな縦長の袋を渡されて、外に出る。
雨上がりで、空は透明感に溢れていた。
まず、砂だらけの王都ではここまで澄まない。
オリビアに付いて館の表へ出ると、広場から綺麗に対角線状に伸びる大きな通りの一つを北東に歩く。
広場の北側にあった館の裏に廻り込む様な路地を曲がった。町並みは急に途切れ、目の前には一面村の塀までの畑が広がる。
「館の裏にこんな畑があったんだね。村があんまり整然と整ってるから意外だ」
歩きながらオリビアに言うと、少し笑っただけだった。
オリビアは何もない畑の前で足を止めると、入って行く。
「オリビア、待っ…」
足早なオリビアに続こうとして泥に足を取られ前のめりに倒れる。
派手な音にオリビアが戻ってくる。他の畑にいた村人も顔を上げた。
「どうやらシンは運動できないらしいね」
「…運動は、できるよ。けど、ドジなんだ」
言い訳がましくなると思いつつ訂正を入れてみる。自分で言ってなんだか悲しい。
オリビアが口元に笑みを浮かべると首をやれやれと振り、シンが立ち上がるのを待つ。
「その袋、頂戴。使うから」
「結構重かったよ。何が入ってるの?」
オリビアに手渡すと綺麗に閉じられていた袋の口から小さめの鍬が出てくる。
「これで、野菜を作る畑を耕すんだ。これを後から蒔いて来てね」
自分で鍬を持つと、オリビアは袋に入っていた小振りの筒を渡しシンを促す。
シンもそれに従って、しばらく休ませていたらしい畑に鍬を入れてゆくオリビアの後をついて行く。
意外にもシンの作業は堂に入っていた。
オリビアが掘り返した土にシンは手にしていた筒から粉のような物を蒔いてゆく。時折よろけながら。
シンは一心にやっていて大分終わった頃、オリビアに声を掛けられる。
「今日はここまででいいよ。思ったより早く終わった」
隣の畑から声をかけられオリビアは身体の向きを変える。
「キャラおばさん、何か?」
「オリビア、そいつは外の奴だろう? どうしてこんな所に連れて来るんだ」
一見優しそうなのに、口調はシンに対する憎悪が露だ。
シンは凍りついたように動きを止める。
「大体、こんな時期に外から人が来るほうがおかしいじゃないか」
「おばさん、そんなに嫌わなくたって…シンは旅の途中で行き倒れていたんだよ?」
オリビアがなだめるように言うが、
「そんな事を信じてるのか、オリー。そいつは軍のスパイだ」
キャラの後ろに立っていた息子らしき男もオリビアを責めるように言う。
「いくらオリビアでも、こんな子匿っちゃいけないよ」
「俺が今からこいつ外に出してきてやるよ。行き倒れのわりには元気そうじゃないかよ、えぇ?」
ずかずかと近付いて来た男にシンは不意に腕を掴まれる。
「わっ…」
「待ってよ。確かに外からのスパイはありえるけれど、全員がそうとは限らないでしょう? これは、お館様が決めた事なのよ、手出ししないで」
それまでの優しい口調は無くなり、オリビアは叩きつける様に親子に告げる。
バツが悪そうに男がシンから手を離す。
「命拾いしやがって」
「善意で言っているのにねぇ、この村が不幸になるよ」
吐き捨てるように呟くと二人は畑から立ち去っていった。
「…オリビア。僕は、ここから出て行くべきなんじゃないかな」
どう考えても、オリビアへ非難が集まっている。全部、自分がいるからだ。
「何言ってんの。ダメだよ、今出て行ったら彼らの思うつぼ」
「でも、オリビアに申し訳ない。僕は快く思われていないから」
二人が歩き去った方向を見つめ真剣にオリビアは口を開いた。
「この村はもう、成長しなくちゃいけない時に来ているんだ。君にはその薬になってもらうの」
有無を言わせぬ横顔にシンはただ頷く事しかできなかった。
オリビアは、袋にまた道具を詰めなおすと、少し先にある畑から野菜を数種とってシンを伴って館へ帰った。