最終話:理脈
―――数分後。
笑いがようやく収まった帝は、布団の上に正座して二人に向かって深々と一礼した。
「白夜君、夕紀さん。君達には、本当にすまないことをしました。謝って済まされるとは思ってはいませんが・・・・・・どうか謝罪させてください。」
それを見て、立花も頭を下げる。
「それと、ありがとうとざいました。お陰で、元のお兄様を取り戻す事が出来ました。」
「うむ、帝・・・・・・いや、帝殿。これからも妹を大切にな。」
「ええ、判っています。失ってしまった立花との五年間を、これから取り戻していくつもりです。」
「お兄様・・・・・・」
長年のわだかまりが解けた兄妹が、互いに目を見合わせると、二人揃って頬が朱に染まった。
「さて、ラブラブなお二人の邪魔する訳にはいかないし、帰ろっか?白夜。」
「うむ、そうするか。」
「あっ、ま、待ってください!」
二人が部屋から立ち去ろうと立ち上がると、立花がそれを制止した。
「あ、あの、もう遅い時間ですし・・・・・・今夜はうちに泊まって行かれませんか?」
確かに、時計は夜十時を過ぎていた。だがその提案に白夜は、首を横に振って応えた。
「悪いが、遠慮しておく。」
「えー、何で?」
夕紀が不満そうな顔をした。
「これ以上ワシがお主らと居ると、お主らの『理脈』を乱してしまうかもしれんのだろう?」
「あ・・・・・・」
白夜の言葉に、夕紀はハッとした。そうだ、『人ならざるモノ』である白夜の周囲にいる人間は、『理脈』が乱されて、厄を呼び寄せてしまうのだ。帝と立花・・・・・・特に帝は、今日一日かなりの時間、白夜の近くに居たはずだ。それが帝と立花の理脈にどう影響してしまうのか、白夜は心配したのだろう。
だが当の立花はにっこり微笑みながら言う。
「ふふっ、その心配はありませんよ。『人ならざるモノ』と、接触する事の多い私たち退魔師は、禊によって、自らの『理脈』を保護しているのです。」
「そっかぁ、よかったぁ。」
夕紀はそれを聞いて心底安心したように、ほっと胸を撫で下ろす。
「それならば、乱れてしまった理脈を元に戻すことも可能なのか?」
「それは・・・・・・」
表情を濁す立花の代わりに、帝が答える。
「一度乱れてしまった理脈は、自然に再生するのを待つほかありません。」
「それはどれ位、時間がかかるものなんですか?」
夕紀がそう尋ねると、帝は難しそうな顔をした。
「数ヶ月か、はては数年か・・・・・・再生する期間は人によって様々なので、何ともいえません。」
その答えに、白夜は残念そうに、
「そうか・・・・・・どのみち、ワシが傍にいては、夕紀の理脈が再生する事は無いのだろう?ならばワシは夕紀の元を離れるしか・・・・・・」
「やだ!そんなのイヤ!!」
夕紀はあからさまに白夜に抱きつく。
「のわっ!駄々をこねるな、馬鹿者!」
「私は白夜と一緒にい~~る~~のぉ~~!!」
そのまま夕紀は、白夜に自分の頬をこれでもかと言わんばかり摺り寄せた。
「離れていても、お主が見えないところから見守っていてやる。お主もそのほうが安心であろう?」
「い~~や~~だぁ~~!!」
その姿は正に駄々をこねる子供そのものだ。
「あの、その事なのですが。」
そう言うと立花は懐から御守りを取り出して、白夜に差し出した。
「これは?」
「この御守りの中には、強力な退魔結界の護符が入っていて、これを白夜さんが身に付けることで、周囲の人間の理脈が乱されるのを、防ぐ効果があるのです。」
「それがあれば、白夜と一緒にいられるんだね!」
夕紀の顔が一転して、希望に輝いた。
「ですが、良い事ばかりではありません・・・・・・これを白夜さんが身に着けている間は、あの結界部屋の中のように『人ならざるモノ』としての能力に、制限がかけられてしまうのです。」
「なるほど、姿を変えることが出来なくなる、という訳か。」
立花はこくりと頷く。
「そういう事です。もし、白夜さんが夕紀さんの傍に居る道を選ぶのなら、白夜さんはこれを持つことをお勧めしますが・・・・・・」
白夜は「うーむ」と、少し考え込んだが、やがて受け取った御守りを立花に差し出して、
「悪いが、受け取れぬ。力が失われてしまっては、この先夕紀を守ってやれる自信が無い。」
「そんなぁ・・・・・・」
夕紀は残念そうに、がっくりと肩を落とす。一同は沈黙して、暗いムードが漂った。
そんな中、帝は考え込むように俯いた後、やがて何かを決心したように面を上げた。
「立花、『あれ』を此処に持ってきてくれませんか?」
「!・・・お兄様、でも、それは・・・・・・」
「構いません。早く。」
帝に言われ、立花は屋敷の奥に姿を消す。
暫くして戻ってきたその手には、一振りの脇差が握られていた。
「むっ!」
その脇差が放つ妖気に、白夜は思わず身構える。
「それは、妖刀か・・・・・・!」
「ええ、龍禅寺家に伝わる、もう一振りの妖刀・・・・・・【小鬼丸】。まあ、【斬鬼丸】ほどの妖刀ではありませんが、九十九神である、その妖刀ならば、結界の影響を受けることなく力を発揮する事が出来るはずです。」
「なるほど、な。【斬鬼丸】があの結界部屋の中でも妖力を発揮できたのは、そのためか。」
「でも、その【小鬼丸】を使って、白夜の魂が喰われちゃう、なんて事はないの?」
「【小鬼丸】は気分屋ですが、強いものには従います。白夜君なら、十分【彼】を使いこなす事ができるはずです。」
「だが、良いのか?これは龍禅寺家の家宝なのであろう?」
白夜が尋ねると、帝は何やら不思議な笑みを浮かべて言った。
「ええ、どのみち【彼】は私には扱えませんから。」
「ふむ・・・・・・では有難く頂いておく。それと立花の御守りもな。」
帝の妙な言い分も気になったが、白夜は二人の行為に甘える事にした。
「それじゃあ、またね。立花さん、帝さん。たまに神社に遊びに行くから。」
屋敷の角先で、夕紀は立花達に小さく手を振る。
「はい、夕紀さん。白夜さんもお気をつけて。困った事があったら、私達に何でも言ってください。出来る限り力になりますから。」
「ねね、立花さん。」
「はい?」
夕紀は手招きして、立花を呼び寄せて、
「(式には呼んでね。)」
と、立花だけに聞こえるように耳元でそう囁くと、立花の顔からボッと湯気が出て、耳たぶまで真っ赤になった。
「わ、私達は兄妹なんですよ!そんな事あるわけ・・・・・・!」
「でも血は繋がってないんでしょ?なら問題ないじゃん!」
「そ、そういう問題では・・・・・・!」
「何を話しているのだお主らは・・・・・・」
二人が何の話をしているのか判らない帝と白夜は、ただ首を傾げるばかりだった。
「あの、白夜君。最期にひとつだけ、聞いていいですか?」
今度は帝が、門を出ようとする白夜を呼び止めて尋ねた。
「―――君が話してくれた、人を棄てた彼は・・・・・・今、愛する少女と一緒に、幸せに暮らしているのでしょうか?」
白夜は少し照れた様子で、再び帝たちに背を向けて、
「さあ、どうかの。」
と、一言だけ言い残すと、逃げるように先に門を出た夕紀の後を追いかけた。その様子を見た帝は、ひとり含み笑いを浮かべていた。
「お兄様?どうしたのですか?」
「フフ・・・・・・いえ、何でもありませんよ。何でも。」
帝はそう言うと、夜空を見上げた。
―――この五年間、帝は【斬鬼丸】を育て上げる事だけに心血を注いできた。
けれど、その【斬鬼丸】はもう存在せず、帝が異形の者達と戦う術も、もう無い。
龍禅寺が彼らと戦うには、もはや立花の手を借りるほか無いが、いくら立花が退魔士としての能力が優れていても、戦いの日々は熾烈を極めるだろう。
―――だから、帝は再び誓った。
帝が家督を返上し、立花が当主となるまで、残り三年。
その間に修練を積み、きっと・・・・・・いや、必ず立花の背中を守れる程の退魔術を身に着けてみせる、と―――
それが帝の、新たな目標だ。
「さて・・・・・・明日からまた、忙しくなりそうですねぇ。」
漆黒の空に輝く満月を見上げながら、帝はそう呟いた。
「随分、遅くなっちゃったね。私もうお腹ペコペコだよぉ。」
ふらつきながら帰宅の途につく夕紀と、その後を歩く白夜。龍禅寺の屋敷は神社のすぐ隣にあって、夕紀達の家からもそう離れていない事が唯一の救いだった。
「でも・・・・・・今思えば、あの【迦羅】っていう風神も、少し可哀相だったよね。仲間だった龍桔斎に裏切られて、長い間封印されちゃってたんだもんね・・・・・・勿論、【迦羅】がやったことは許せないけど、ちょっと同情しちゃうな。」
「所詮、『人』と『人ならざるモノ』は相容れぬ存在、か・・・・・・」
「白夜?」
夕紀は足を止め、振り返る。白夜は何やら思いつめた様子だった。
「のう、夕紀。」
「何?どうしたの?」
「ワシは本当に、お主の元に居ていいのだろうか?」
その言葉にしばしきょとんとしていた夕紀だったが、その後軽く溜め息をつくと、少しあきれた様子で腰に手を当て、俯く白夜の顔を覗きこんだ。
「もぉ、なんでそんな事言うかなぁ?」
「ワシのせいで、お主の理脈が乱れてしまったのだぞ?」
白夜が罪悪感に満ちた瞳で、訴えるように言う。
「理脈がどうとか、そんなのどうだっていいよ!そりゃあ、これから何が起こるのか、少しは不安だけど・・・・・・それでも私は、白夜と一緒に居たい。これは私の勝手な我侭だよ。白夜はその我侭に付き合ってくれてるだけ。そうでしょ?」
白夜はきょとんとした顔を目の前の少女に向けた。
「それにさ、生きるって事は、きっと誰かに迷惑をかけるって事だと思うんだ・・・・・・って、なんか説教臭くなってきちゃったね。あはは、ごめん。」
夕紀はてへっと舌を出して笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸にこみ上げる何かを感じて、目頭が熱くなった白夜は、思わず夕紀から顔を背けた。
「ワシだって・・・・・・」
「ん?」
「わ、ワシだって、その・・・・・・ず、ずっと夕紀と一緒に居たいと思っておる・・・・・・」
白夜はそう言うと、顔を真っ赤にして潤ませた目を夕紀の顔から逸らした。
―――白夜のその言葉と仕草は、夕紀の全身に稲妻のような衝動を駆け巡らせ・・・・・・彼女の理性は、このとき跡形も無く崩壊した。
「白夜ぁ~~~~~~!!」
「のわぁっ!?」
気が付くと夕紀は巫女服姿の白夜を強く抱きしめて、頬を摺り寄せていた。
「今のはプロポーズと受け取って良いんだよね・・・・・・?わかったよ白夜、今すぐ白夜を私のお嫁さんにしてあげる!」
白夜は抱きしめられながらも夕紀から背を向けて抜け出そうともがくが、立花の御守りによって人並みの力しか発揮できなくなってしまった少女の筋力では、夕紀の拘束から抜け出すことなど、どう足掻いても無理だ。
「お、お主!人が力を使えないことを良いことに・・・・・・ええい離せ!」
「だぁってぇ~、巫女服の白夜、カワイイんだも~ん。ねぇ、白夜ぁ・・・・・・私達も愛を育もう!?」
夕紀がここぞとばかりに、白夜の着物の袈裟の内側に手を忍ばせてくる。
「や、やめんか!此処は外だぞ!?」
「へぇ~、じゃあ、家の中ならいいんだ?」
同時に、今度は白夜の帯紐を手を伸ばし、袴を脱がそうとしてくる。
「やめろと言っておろうに!それにお主、何故そんなに着物を脱がすのに手馴れておる!?」
「ええと、立花さんから結界部屋の鍵を奪ったとき、立花さんの巫女服、脱がしちゃったからかな?」
「・・・・・・はあ!!?」
白夜は驚愕した。
「お主は立花殿にも手を出しておったのか!!??」
「あ、でも安心して?今の私は白夜一筋だから・・・・・・はあぁ、白夜ぁ・・・・・・!」
夕紀の目は完全に血走っており、鼻息も相当荒い。こうなってしまっては、もう彼女の暴走を止める事は不可能だという事は、これまでの経験から良く知っている。それが余計に白夜を精神的に追い詰めた。
「やめろ!やめっ・・・・・・アッ、ア――――――ッ!!」
―――それは夏の暑さが残る、ある日の出来事。
白夜の断末魔の叫び声は、月夜の空の彼方へと虚しく消えていくのだった。
ミニチュア☆が~でん番外編
妖刀・斬鬼丸編
【完】
すいません。
完結しますね。