第六話:風神
編集間違えです。
すみませんでした!!友人!
「無理に起きようとするな。あのような、肉体を無理に変化させるような無茶をしたのだ。当分は動けまい。」
巫女服に身を包んだ白夜は、布団の中で半身を起こす帝にそう言った。
「白夜君。その姿は・・・・・・」
どうして白夜が自分の部屋に居て、どうしてそんな事を言うのか、判らない事が多すぎて、聴きたい事は山ほどあったが、思わず帝は最初に目に付いた疑問を口にしていた。
「あぁ、これか。立花殿に借りたものだ。この姿に合う服が、これしか無かったものでな。」
その場でくるりと一回転してみせる白夜。結構気に入っているのだろうか、その表情は心なしか嬉しそうだ。闇の中で月光を浴びた白夜の姿は、とても幻想的で・・・・・・素直に綺麗だと思った。
だが、帝は何かを思い出したかのように、再び白夜に問う。
「立花・・・・・・そうです、立花は・・・・・・?!」
「夕紀が今病院に連れて行っておる。幸い、怪我のほうは大したことは無かったそうだ。」
「そうですか・・・・・・」
―――白夜の姿を見た後でも、相変わらず帝の記憶は曖昧だったが、この現状を見れば、大体の予想はついた。
「私は、君に敗れたのですね。」
白夜は何も答えなかったが、その沈黙が全てを物語っている気がした。
「私の・・・・・・完全な敗北です。【斬鬼丸】を失った私に、もはや何の価値もありません・・・・・・殺しなさい。」
「それはできぬ。」
白夜は即答する。
「何故です?私は君を殺そうとした男ですよ?」
「お主は、【斬鬼丸】に宿る異形のモノに、心を操られておったのだ。それがお主を戦いに駆り立てた。だが、その【斬鬼丸】亡き今、ワシがお主を殺す理由はもはや何処にも無い。」
「・・・・・・仮にそうだったとしても、それを知りながら力に対する執着を棄てず、この私が立花を傷を負わせてしまったという事実に、変わりはありません。」
「ならば聞くが、お主が【斬鬼丸】を手にした理由は、自身の無力さのせいで、立花が龍禅寺家を継ぎ・・・・・・当主としての宿命を背負わせてしまう事を、避けたかったのではないか?」
「何を根拠に、そのような事を言うのです。」
帝の表情が、僅かに曇った。
「―――立花殿に、以前のお主の話を聴いた。お主がかつて、立花殿が言うような優しい男だったならば、ただ単に家督を欲するが為だけに、妖刀の力にすがったとは、どうしても思えぬ。後継争いに敗れてもなお、お主が【斬鬼丸】の完全な力を追求したのは、妹を守るため、己が戦う力を手に入れる為だったのではないか?」
「貴様などに・・・・・・」
白夜のその言葉に、帝は苦悩に顔を歪ませながら叫んだ。
「貴様などに何が判る!?龍禅寺家の長男に生まれながら、異形の者達と戦う術を、何ひとつ受け継がず・・・・・・符術すら使うことができなかった、この私の苦悩が!一族の血筋を引いている訳でもない、まだ幼い義理の妹が!龍禅寺家の宿命を背負わされると知ったとき、どれだけ不甲斐ない想いだったか、貴様に判るか!!」
叫んだ後、再び力なくうな垂れる帝。その姿は、どうしようもない悲壮感が滲み出ていた。
「ええ・・・君の言うとおりです。妹が正式に後継者となる、残り三年間で、どうしても【斬鬼丸】を完全な形にしなければならなかった!なのに、なのに全てが台無しです。斬鬼丸を失った今、もう、私には何も残されてはいない。全て・・・・・・そう、全て、終わりです。フ・・・ハハハ・・・・・・!無様なものですねぇ・・・・・・非道な罠にかけてまで君の命を狙い、守る為に手に入れた力で、守るべき者を傷つけ・・・・・・!そして自らもこの様ですか。ハハハ、笑えますねぇ!大笑いですよ!ア、アハハハハハ・・・・・・!」
「愚か者!!」
白夜に怒鳴られ、帝の肩がびくりと肩が跳ねた。
「・・・・・・何故あの娘が!自らの身を省みずにお主を止めようとしたのか、判らぬのか!」
強い口調で叱責され、思わずたじろぐ帝だったが、次の瞬間、白夜の表情は急に穏やかになり、帝を諭すようにこう続けた。
「はるか昔・・・・・・戦が起こり、住む村も、家族も、すべてを失った一人の男がおった。その者は自らの無力を呪い、永き時を経て・・・・・・やがて、人であることを棄てた。だがお主には、まだ守るべき者が居るではないか。」
「戦う力を失った私に、何が出来ると言うのです?」
帝はうらめしそうな目で、白夜を見る。
「戦う事ばかりが、大切なモノを守る事だとは限らぬ。それに、お主が死んだら、残された立花はどうなる?あの娘が初めてワシと対面したとき、ワシと戦おうとするのをお主が止めたのは、妹の為を思っての事ではないのか?」
「それは・・・・・・」
白夜は帝に、「ふふっ」と微笑んで見せる。
「あの娘は、今でもお主の事を気遣い・・・そして慕っておる。それが判らぬほど、お主も愚かではあるまい?」
白夜がそう言うと、突然座敷のふすまが開いた―――
「お兄様!」
「! 立花?!」
開かれたふすまの先には、立花と夕紀の姿があった。
呆然とする帝に、立花は瞳を潤ませてすがりつく。
「お兄様、私はずっと、お兄様の事を誤解していました。お兄様が【斬鬼丸】に心を奪われてしまったのは、私が後継者に選ばれたことで、お兄様の自尊心が傷付いてしまったからだと・・・・・・でも、全ては私の身を案じての事だったのですね・・・・・・。」
「立花・・・・・・?病院に行ったのでは・・・・・・」
「ハハハ、あれは嘘じゃ。立花が居ては、おぬしの本心が聞けぬと思っての。」
「病院には、ちゃんと連れて行ったケドね!」
白夜の横で、夕紀が親指を立ててウインクする。
「もう目覚めなったらどうしようと思って・・・・・・心配しました。よかっです、本当によかった・・・・・・。」
「立花、私は君を傷付けてしまった。もう君に兄と呼ばれる資格は―――?!」
言おうとする帝の唇に、立花は人差し指をそっと押し当てた。
「もういいんです。私には、お兄様が居てくれれば、それでいいんです―――」
そう言って、立花は兄に微笑む。
「立花・・・・・・」
それはずっと小さい頃に死に別れた、優しかった母の面影を彷彿とさせるような笑顔で―――帝はその優しい笑みに暫しの間、見とれてしまった。
「ひゅ~ひゅ~、ラブラブぅ。」
その様子を見た、夕紀が悪戯っ子のような顔で水を差すと、二人は赤面して慌てて離れた。
「ゆ、夕紀さんっ!茶化さないでくださいよぅ!」
真っ赤になりながら、立花は照れ隠しに反論してみるが、どう見ても後手後手に回っていた。
「あはは、ごめんごめん。でも、これならもう、二人は大丈夫だよね?」
「ああ、そうだな。」
夕紀と白夜は互いに顔を見合わせてうんうんと首を縦に振った。
「白夜さん、夕紀さん・・・・・・」
「それに帝よ。立花殿はお主が思っている以上に、強い娘だ。このワシが保障する。たとえ立花殿が龍禅寺の使命を背負って戦ったとしても、そうそう挫けたりはせぬ。」
「いやぁ~、あれは凄かったもんねぇ。」
「うむ、立花と戦わずに済んで良かったと、つくづく思うわい。」
二人のやりとりに、帝は「はて?」と首を傾げて尋ねた。
「何の話をしているのです?」
―――そう。それは、さかのぼること数時間前。
『ウオオオオオオオオッ!!』
白夜たちが意識を失った帝を、龍善神社に運ぼうとしていたとき、力を失い、地面の上で沈黙を続けていた【斬鬼丸】が、突如けたたましい咆哮を上げた。
折れた【斬鬼丸】から爆発的に噴出した蒼炎は、空中に身長三mほどの巨大な人型の異形の姿を投影した。
『―――あと少しであったものを・・・・・・・』
異形の眼差しがぎょろりとこちらを向く。ただならぬ殺気に、三人は思わずたじろいだ。
『許さぬ・・・・・・あと少しで、この男の魂を、喰らう事が出来たものを。長年に渡り“龍桔斎”によって施された封印から解き放たれ、この男の肉体を我が物とすることが出来たものを!』
「リュウキツサイ??な、何言ってんの、あいつ?!」
慌てふためく夕紀が、二人に尋ねる。
「龍桔斎は、龍禅法師が龍善神社を建立する以前に名乗っていた名前です。おそらくあれは、彼によって【斬鬼丸】に封印されていた鬼の魂そのものなのでしょう。」
『小娘。それは違うな。我はお前達人間が、かつて“風神”と畏れた存在。名を持たぬ我に、龍桔斎は“迦羅”という名を付けた。』
その名を聞いた立花の表情が強張る。
「“迦羅”・・・・・・!龍禅法師と共に、鬼を退治という風神と同じ名前です!」
「風神って・・・・・・!あいつ、神様なの!?」
「いや、単にそう呼ばれていただけの事であろう。どうやらあやつは、龍桔斎に使役されていた【人ならざるモノ】のようだな。」
そういえば以前、白夜が言っていた事を夕紀は思い出した。【人ならざるモノ】に名を与える―――それはすなわち、『使役する』という意味だ。
『だが!事もあろうにあの男は、不意を突いて我を斬りかかり、我の魂を自らの刀に封印した!あれだけ鬼どもを倒すのに協力してやったというのに!自らの理脈が乱れたという理由で!!』
それは立花も知らない事だった。龍禅寺家に伝わる伝承によれば、龍禅法師と共に鬼と戦った風神は、その戦いで傷つき、倒れてしまったと語られてきたからだ。
だが、迦羅の語る真実は、伝承よりも遥かに残酷な事実を語っていた。
『それだけではない!己の力だけでは鬼を倒す事もままならぬあやつは、刀に封印した我の力を散々利用した挙句、全てが終わった後、あの狭苦しい社の中に、永きに渡って閉じ込めた!だから我は誓った・・・・・・いつの日か、新たな肉体を手に入れ、この世から龍桔斎の血を一滴残らず根絶やしにしてやろうと!!』
絶句する三人を前に、迦羅が立花に抱かれて気を失っている帝を見下して、下品なな笑みを浮かべた。
『グフフ・・・・・・しかし、つくずくその男も愚かな者だ・・・・・・よもや、この俺に利用されているとも知らず、この俺が、再び復活するための、糧を与え続けてくれたのだからな。』
「! まさか、お兄様が変わってしまったのは、あなたがお兄様の心を惑わして・・・・・・!」
『勘違いするな、小娘。我はこの男の潜在意識に語りかけただけにすぎぬ。この男の力に対する執着は間違いなく、この男自身のもの。グフフ、見物であったぞ。この男が妹を守る為などと称しながら、【人ならざるモノ】を、次々と手にかける様はな・・・・・・!』
「あなたは・・・・・・!」
立花の顔が、みるみるうちに怒りに染まっていく。よほど悔しいのだろう、握り締めた拳は震え、瞳には涙が潤んでいた。
『・・・・・・ともあれ、その男が五年もの間、役に立ってくれた事は事実。どれ、礼として、まず手始めに今度こそ、その男の魂を頂戴するとしよう。』
風神・迦羅が地面に降り立ち、ゆっくりとした足取りでこちらに近付いて来る。迦羅が一歩地面を踏みしめる度に、どすん、と体の芯まで響くような地響きが鳴り響いた。
―――絶体絶命だった。白夜は帝との戦いで力を使い果たしてしまい、戦える状態ではないし、立花も怪我を負っている。だが、迦羅の前に自ら立ち塞がったのは、その立花だった。
「夕紀さん、白夜さん。下がっていてください。」
「えぇっ、でも!?」
「お主、死ぬ気か!?」
立花の表情が全くの別人に変わっていた。初めて出会ったときに見せた、狩人の顔だ。
「大丈夫です。私は、負けません。」
その両目でしっかりと前だけ見据え、迦羅を睨みつける。
『どけ、龍桔斎の血を引かぬ小娘よ。』
だが立花は少しも怯まず、眼前の迦羅を指差す。
「私はあなたを許しません・・・・・・どのような理由があったにせよ、あなたは兄の心を惑わし、そして利用した。その報いを今此処で、受けて貰います。さぁ、来なさい!龍禅寺の次期当主、龍禅寺 立花が相手です!」
『死に急ぐか・・・・・・よかろう、兄と共に、冥府へと送ってくれる!』
迦羅の豪腕が、ぶおん、と豪快な風切り音を立てて、立花の脳天目掛けて振り下ろされる。
「立花さん!!」
立花は素早く護符を一枚取り出すと、頭上に傘のように即席の退魔結界を展開し、それを防ぐ。
『ぬぉおう!?』
その堅牢な結界に自慢の豪腕を弾かれた迦羅は思わずたじろぐ。
それを見逃さず、立花が両手を袖の中に突っ込み、ありったけの護符の束を取り出すと、それを全て上空にばら撒く。無造作に放り投げられた幾つもの護符の束は空中で弾けると、円弧を描きながら舞い上がり、やがて立花の右隣の一箇所に集まってゆく。
「符術、顕現符!着たりませ、符王招来!!」
立花がぱんっと顔の前で手の平を合わせると、一枚の朱い護符を核として、その外周に他の白い護符が連なり合って、外皮を形成してゆく。やがてそれは迦羅と同じほどの、がっしりした体格の、武人の姿となった。その容姿は、テレビなんかで見た仁王や、不動明王なんかに似ていた。
『ふん、木偶の坊が!』
迦羅の拳が、護符で出来た巨人―――符王に殴りかかる。だが、その拳が巨人に届く前に、符王の拳が、迦羅の顔面に突き刺さっていた。
『な・・・・・・ニ・・・・・・?』
符王のカウンターパンチを食らった迦羅の体は、その予想以上の威力に大きく揺らいだ。だが、迦羅も負けまいと地面を踏みしめてなんとか持ちこたえ、反撃を開始する。符王の脇腹に渾身の一撃を叩き込むが、その拳は見えざる力によって弾かれ、符王に届く事は無かった。
「無駄です。符王の全身は退魔結界で構成されています。あなたの攻撃は届きません。」
『おのれっ!!』
ならばと迦羅は立花に狙いを定めて突進する。
「符王っ!」
立花の声を合図に、符王が目にも留まらぬ速さで迦羅の目の前に回り込むと、再び符王の右ストレートが迦羅の顔面に直撃した。それを皮切りとして、符王の嵐のような怒涛の連続攻撃が迦羅に叩き込まれてゆく。
ドドドドドッ! ガガガガガッ!
成す術も無くただ殴られるだけのサンドバック状態と化した迦羅に、符王の鉄拳が命中する度に、迦羅の体を形成する蒼炎が周囲に飛び散ってゆく。やがて符王の攻撃が終わる頃には、迦羅の体は、ぼろぼろになってしまった頭部だけを残して、他は全て消失してしまっていた。残された灯火も弱々しく、もはや戦う力など残されてはいないだろう。
『馬 鹿 な・・・・・・!』
符王が空中を力なく漂う迦羅の頭部を、がしりと鷲づかみにする。
『そ、その力・・・もしや・・・お前は・・・神楽の・・・・・・!?』
「・・・・・・符王。」
立花は少しの躊躇する様子すら見せず、符王に命令を下す。迦羅の頭部が、符王の手によって握り潰され、最期の灯火が花火の様に弾け跳んだ。
すると、符王の体を構成する護符が一斉に剥がれ落ち、風に吹かれて空へと舞い上がる。 符王の核となっていた一枚の紅い護符・・・・・・『顕現符』だけは、空中を泳いで主の手の中に戻った。
「悪鬼、退散。」
舞い散る護符の中で、立花は目を閉じてただ一言だけ、そう呟いた。
―――結局。立花は戦闘が始まってから、一歩もその場を動くことなく迦羅を倒してしまった。
「す、すごい・・・・・・」
「末恐ろしい娘だ・・・・・・」
圧倒的な戦いぶりを見せる立花に、出るの幕ないのない白夜と夕紀は、ただ口をぽかんと開けて立ち尽くしていた。
―――事の一部始終を聞き終えた帝は、呆然として暫くの間、硬直していた。
【斬鬼丸】に憑依していた『鬼』の正体が、かの風神“迦羅”であったという事も驚きだったが、帝の関心を引いたのは別の事だった。
「倒した・・・・・・?【斬鬼丸】に封印されていた風神を、立花が?」
帝はそう呟くと、突然大声で笑い出した。それは以前のような、狂気を帯びた高笑いでも、自身の無力を嘲っている時のものとも違う。立花の成長が嬉しいのか、はては自分が育て上げた【斬鬼丸】が、いともあっさり倒されてしまった事が、滑稽に思えたからなのかは判らない。ただ、面白可笑しくて、帝は数年ぶりに、心の底から笑った。
「お、お兄様?!」
「気でも違ったか、お主?!」
「あははは・・・・・・すみません。いやはや、この私が、五年もかけて、手塩にかけて育て上げた【斬鬼丸】・・・・・・その力の源であった迦羅を、ま、まさか立花が、一瞬で倒してしまうなんてねぇ、フフフ・・・・・・」
その後暫く、帝の笑い声が龍禅寺の屋敷の中に響いた。