第二話:鎌鼬 ※注意!挿絵が有ります
―――それは『舞』だった。
美麗で、優雅で・・・それでいて、冷徹なる殺意に満ちた、危うき舞。
その鋭く研ぎ澄まされた、太刀筋に込められた殺意は、ただ目の前の敵を討つ為に振るわれており・・・・・・それだけで白夜は、この龍禅寺 帝という男が、相当な剣の使い手であること伺い知れた。
「ぬう!」
「どうしました、逃げるだけで精一杯ですか?」
室内は二人が戦うには、十分な広さだった。元々、その為に用意された場所なのであろう。白夜は、帝の連続で繰り出される斬撃を、紙一重でかわしていくが、容赦ない攻撃は、じわりじわりと白夜を追い詰めていった。
「見事な太刀筋だな。どこで身に着けた?」
ただ単に戦い慣れた者の体捌きではなかった。きわめて実戦的な・・・しかも、人以外の戦闘を想定した訓練を受けたものの動きだ。
「龍禅寺家は代々、退魔師を生業としていましてね。私はそれを幼少の頃から、徹底的に叩き込まれているのですよ。」
さすがに一筋縄ではいかないな、と、白夜は思った。これまで戦った相手とは、決定的に格が違ていた。
「さて、今度は、こちらから行きますよ?」
妖刀・『斬鬼丸』による、幾重もの斬撃が、白夜に襲い掛かる。
白夜は、持ち前の素早い身のこなしでそれをかわすと、体勢を低くして、帝の軸足目掛けて足払いを仕掛ける。しかし帝はそれを予期していたのか、素早く跳躍してそれをかわすと、同時に空中から、自らの体重を乗せて一気に白夜の頭上を目掛けて振り下ろした。
「くっ!?」
白夜は身を翻して水平に逃れ、間一髪、帝の渾身の一撃を回避する。数瞬まで白夜のいた場所が、一直線に裂けて、古屋の床面にぱっくりと深い溝が出来た。
その威力に、流石の白夜も、背筋が凍りついた。
「ふむ、いい動きです。しかし・・・この状況下で、いつまで持ちますかねぇ?」
帝は、徐に立ち上がると、ニヤリと不気味な笑みを浮かべると、妖刀の切っ先で空中に弧を描いて、再びを構えた。
だが、帝の言うとおりだった。相手が人間であるとはいえ・・・・・・対魔結界によって隔離されたこの室内においては、妖刀を携えた帝の方に利がある。
そして何よりも・・・・・・
―――白夜は、自分の肉体に、妙な違和感を感じていた。
「この圧迫感・・・結界の影響か。」
「その通り。立花が作り出したこの結界には、『人ならざるモノ』を寄せ付けないだけでなく、その力を封じる効力も持っているのですよ。並みの者なら、動く事すらままならない程の、強力な結界なのですが・・・・・・この場所で、ここまで戦える相手を見たのは、君が初めてですよ。」
確かに、白夜は、先ほどから何度も、『人ならざるモノ』の化身である、獣の姿に変身しようと試みているが、それが出来ないでいた。
「なるほど、な。人なりに、知恵を働かせた訳か。」
白夜は余裕の笑みを浮かべて見せたが、内心、焦りを隠なかった。
再び、帝の『舞』が白夜を襲う。白夜は攻撃から逃れつつも、全神経を集中させると、白夜の白い長髪が、蛇のようにうねりだし、帝の四肢に襲い掛かった。
―――良かった、髪による攻撃は使えるようだ。
「ぬう!」
流石の帝も、これは予想外だったのだろう。帝の両手、両足には、白夜の白髪がしっかとばかりに絡み付いて、身動きが取れない状態に陥った。
「終わりだ!」
そこにすかさず、白夜は渾身の掌手を、帝の腹部目掛けて打ちこむ―――!
―――勝った。
白夜は勝利を確信した。
しかし。
「何・・・!」
白夜の手は帝に触れる事は無く・・・掌手は、見えない力によって阻まれ、帝のみぞおちの手前、僅か数センチの所で止まっていた。
帝の口元が、ニヤリと哂う。
それに気付いて、白夜は慌てて、帝から距離を取る。次の瞬間、帝は妖刀で、両手両足に巻きついた髪を斬り裂いた。
「フフフ・・・危ないところでした。」
「貴様、何をした!」
帝は自らの着物を一枚、脱ぎ捨て、上半身裸の状態になった。細身でありながら、鍛え上げられ、磨きぬかれた逞しい肉体が露になる。そして、白夜の掌手の一撃が命中するはずであった腹部には、さらしが巻かれており、それには部屋の壁に貼り付けられている護符と同様の、文字や文様が描かれていた。
「対魔結界・・・!」
「こんな事もあろうかと、用意しておいて正解でした。」
白夜と帝は再び身構えると、しばしの間、にらみ合いが続いた。沈黙が続いてた後、帝がぽつりと、口を開く。
「ところで、君のその『白夜』という名前は、夕紀さんが付けたものですか?」
「だったら、何だ。」
それを聞いて、帝は少し残念そうな表情を見せた。
「やはり、そうですか・・・」
「?」
「君は、『人ならざるモノ』でありながら、名を付けられるという事がどういう事を意味するのか、知らないようですね。」
「どういう事だ・・・!」
「・・・・・・君は、『理脈』というものを、知っていますか?世の中に起こる全ての事象は、『理脈』という、自然界の秩序を司る、気の流れによって左右されています。本来、自然界に存在するはずの無い『人ならざるモノ』は、その存在自体が、理脈に歪みを生じさせてしまうのですよ。そして・・・人が『人ならざるモノ』に、名を与える事で、関わりを持つ事・・・その行動が理脈に歪みを生じさせ・・・・・・人や、その周囲の人間達に、通常では殆ど起こり得ない事象・・・たとえば事件、事故、災害といった、様々な災難を引き起こす要因となりかねないのです。」
「『人ならざるモノ』が、そのような不幸を呼び込む・・・と?」
「君には覚えがありませんか?あの少女と一緒に居て、彼女が危険な目に遭遇したことが。私には、立花のような、特殊な力はありませんが、龍禅寺家の血筋を受け継ぐ人間には判るのですよ。白夜君の周囲に生じる、理脈の歪みがね。」
「・・・ハッタリだ。」
「そう思うなら、それで結構。しかし、仮に君がここで私を倒し、生きて外に出られたとしても・・・可愛そうに。あの少女は、これから死ぬまで、数々の厄災をその身に受けることに・・・・・・」
「黙れ!そんな話には乗せられんぞ!」
「フフフ、さあ?果たして、どうですかねぇ?」
帝の顔が、いやらしく嘲った。さらに、帝が挑発してくる。
「しかし・・・理解に苦しみますねぇ。君ほどの者ならば、姿を変えることなど容易い事でしょうに、何故、そのような少女の姿をしているのです?」
「・・・お主の知った事では無かろう。」
「それとも、その少女の姿・・・夕紀さんが望んだ姿ですか?」
「関係ないと言っている!」
「だが、この結界の中では姿を変えることは叶わない以上、その姿のせいで、君は今、窮地に立たされている。君は、主人である、夕紀さんの望む姿を取っているだけだと言うのに・・・フフフ、皮肉なものですね?」
帝の言葉は、ひとつひとつ的を射ていて、白夜は、それが余計に腹立たしかった。
「黙れ・・・・・・」
白夜は、更に鋭い眼光で、帝を睨みつける。
「しかも、君がどんなに努力したところで、君が夕紀さんの傍にい居る限り、それが夕紀さん幸せに結びつく事は・・・・・・永久にない。」
「黙れ!!」
気が付くと、白夜は帝に殴りかかっていた。自分を抑える事が出来なかったのだ。
けれど、頭に血の上った白夜の直線的な攻撃は、帝にあっさりと見切られ、容易くかわされてしまった。
「どうしたのです?攻撃が随分と直情的になりましたねぇ?」
「うわあああああ!」
すかさず白夜は、立て続けに次の攻撃を繰り出す。だが帝は、白夜の攻撃を、闘牛士が牛を操るが如く、ことごとくいなしていった。
これは罠だ。
それは、判っていた。
―――けれど。
抑える事が、出来なかった。
―――そう。
うすうすは感付いていた。本当の事を言えば。
夕紀と千歳が遭遇した、何の関係もないはずの、二つの事件。
けれど、その事件の中核には、白夜がいて・・・・・・
信じたくなかった。いや、認めたくはなかったのだ。
自分が、夕紀達に、厄を招いていたなどと。
あの夜。裏山で初めて夕紀と出会って、白夜の差し出した獣の手に、彼女が触れたあの時から、夕紀の運命の歯車は狂ってしまった・・・いや、狂わせてしまったのだ。他でもない自分自身が。
「どうしてそうまでして、あの少女の事を気にかけるのです?」
白夜の連続攻撃をかわしつつ、帝が更に挑発する。
「約束した!夕紀と・・・何があっても、傍に居ると!夕紀を守ると!!」
「成る程。しかし、残念ながら、それは叶いません。君は此処で死ぬのですから。」
白夜の攻撃を全て避けきった帝は、後方へ跳んで白夜から距離を取る。お互いの攻撃が届かないほどの距離まで引き下がると、帝が空中に弧を描き、妖刀を上段に構えた。
刀身が帯びる、淡い瑠璃色の光が、いっそう輝きを増してゆく。やがて光は収束して空色の炎になり、それが刀身全体を包み込んだ。
「白夜君・・・君が、夕紀さんの為に出来る事が有るとするならば、それはたった一つだけです。」
「何・・・!」
「それは、君が・・・・・・」
帝が妖刀を上段に構えると、
「ここで私に斬られる事です!」
一気にそれを振り下ろした。
次の瞬間、白夜の体を、何かが駆け抜けて・・・・・・
結界部屋の中に、血の華が咲いた。
「ぐあ・・・!?」
胸に激痛が走る。
白夜は片膝をついた。
胸には大きな太刀傷が出来ていて、衣服は血が滲んでいた。
―――斬られた・・・?
―――あんな、距離から・・・?
傷は浅く、致命傷には達していないようだった。けれど、あの瞬間、何が起こったのか判らず、白夜の頭は混乱していた。
二人は5メートルほどの距離を挟んで、対峙していたはずである。帝の斬撃が、白夜に届くはずが無い。それなのに・・・・・・
「鎌鼬・・・か!」
「フフ、正解です。まあ、これは斬鬼丸の力の、ほんの一部に過ぎませんが、ね。」
帝が、ゆっくりとした足取りで、白夜に歩み寄ってくる。
逃げなければ・・・・・・
白夜はその場から、後方に跳び退こうとするが、全身が重く、立ち上がる事すらできなかった。
妖刀によって手傷を負わされた事で、結界の影響が顕著に表れてしまったのだろうか。体の自由は、完全にと言って良いほどに奪われていた。
「くっ!」
「さて、君はどんな声で歌ってくれるのですねぇ?」
帝は片膝をつく白夜の胸倉を掴み上げると、そのまま白夜の体を、壁面に張られている結界に押し付けた。
「ぐあああああああ!」
背中が灼ける様な激痛に襲われ、白夜はたまらず悲鳴を上げた。手足をばたつかせて必死に抵抗するが、それでも帝はその手を緩めようとはしなかった。
「夕紀さん。人と人ならざるモノとは、決して相容れぬ存在。交わってはならない存在なのです。判ってください、とは言いません。でも、私は夕紀さんに、私のような目に遭って欲しくないのです。」
すすり泣く夕紀に、立花が寂しそうな声で語りかける。夕紀は、頬を伝う涙を拭わぬまま、泣きっ面を立花のほうにを向けた。
―――立花の俯いたその顔は、深い悲しみで満ちていた。
きっと、立花も、両親を失って、さぞかし辛い思いをしてきたのだろう。
両親と離れて暮らす夕紀には、彼女の気持ちが、少しだけ判る気がした。学校から帰っても、迎えてくれる家族は仕事で家に居なくて、寂しいと感じ事が、これまでに幾度もある。
―――けれど・・・
「白夜は・・・どうなるの・・・?」
「・・・残念ですが、彼女は生きて此処から出ることは出来ません。」
その言葉に、夕紀の表情が凍りつく。
「『人ならざるモノ』の能力を封じる、この結界部屋は、私が数年の歳月をかけて築き上げたものです。決して、破られる事はありません。そして、何よりも・・・・・・お兄様には『妖刀・斬鬼丸』が有りますから。」
「妖刀・・・・・・?」
「『人ならざるモノ』を屠るためだけに作られた、対魔刀です。」
「そんな!?」
―――白夜が、死ぬ?
夕紀はふと、これまでの白夜との日々を思い返した。
白夜と出会って、まだそう長い月日が経っている訳ではないが、夕紀は白夜にどれだけ甘えていただろう。逆に、どれだけの事を、彼女にしてやれた?
銀行強盗の現場に居合わせた時だって、白夜が事態を鎮めてくれなければ、今頃、無事ではいられなかっただろう。事件の後、白夜は言った。
「お前は無力な少女のままでいい、ワシが守ってやるよ。」と。
その時は、白夜がそう言ってくれた事が、ただ単純に嬉しかった。
―――けれど、それでいいのだろうか?
今、その白夜は死の危機に瀕しているというのに、自分はただ泣いているだけで、何もしていないではないか―――
「私は、周りの人が、死ぬところなんて・・・見たくない・・・・・・」
夕紀は、ぽつりと呟いた。それは紛れも無く、本心から出た言葉だ。
「夕紀さん。判ってくれましたか。」
「でも、白夜が死ぬところなんか、もっと見たくない!」
夕紀は決意した。
涙を拭って、その場から立ち上がり、立花に掴み掛かった。
「きゃあっ!」
不意をつかれた立花は体勢を崩して、その場でしりもちをついてしまう。すかさず、夕紀は彼女の体に馬乗り状態になって、圧し掛かる。
判っている。これは、白夜の命と、身の回りの人々の命を、天秤にかける行為だ。
―――けれど。
「そんな!その為なら、他の人の命を顧みないと言うんですか?!」
「今、やれる事をやらなきゃ、必ず後悔する事になる。私は、そんなのはイヤ!」
夕紀は、先ほどまで号泣していたとは思えないような、勝ち誇ったような強気な態度で、立花に押し迫った。
「さあ、鍵を渡してもらいましょうか?」
「だ、誰が・・・!」
「ふーん、あ、そう。それじゃあ、仕方ないよねー。」
夕紀が両手の指をタコのようにワキワキとうねらせる。
「ひっ!?」
それを見てびくり、と立花の体が飛び跳ねる。そして、ゆっくりと彼女の巫女服の隙間に手を・・・・・・。
「え、ええええ!?ちょ、夕紀さんっ、や、やめっ・・・・・・!」
不敵な笑みを浮かべる夕紀に、立花の顔が一気に青ざめた。
「ひ、ひぃぃ・・・!」
立花の甲高い叫び声が、神社の境内に響いた。
―――その数分後。
「待ってて、白夜。今、助けるから。あ、あれっ?」
夕紀は、奪い取った鍵で、古屋の戸を開けようとしていたが、上手く鍵穴に差し込めず、悪戦苦闘していた。
そんな夕紀をよそに、夕紀に弄ばれ・・・自慢の巫女服もはだけてしまい、地に伏してすすり泣く、立花の姿があった。
「夕紀さん・・・・・・私は、あなたを恨みます・・・・・・っ!」
「ごめんね、立花さん・・・・・・白夜は私の大切な家族なの。」
「家族・・・・・・」
立花はどこか、遠い目をしていた。
夕紀は戸の鍵を外すと、力任せに戸を開け放った。
「白夜!」
帝が狂気に満ちた笑みを、夕紀に向けた。
「一歩、遅かったですねえ、夕紀さん。」
その手には、血の滴り落ちる日本刀が握られおり・・・。
「あ・・・!」
彼の足元には、血で衣服を真っ赤に染めて横たわる、白夜の姿があった。