第一話:蝉時雨 ※注意!挿絵が有ります
本編とは関係ありませんのでご了承を。
ただし、キャラは使用しています。
「ねえ、白夜。ちょっと寄りたい所があるんだけど、いい?」
夕食の買い物帰り。
家からそう遠くない場所に差し掛かったとき、夕紀は白夜に尋ねた。
「構わないが・・・何処へ行くのだ?」
「ふふ~ん、ひ・み・つ♪」
夕紀はそう言うと、家とは違う方向に進む、道脇の石段を駆け上りだした。
「ほら、白夜も早く!」
「やれやれ」と、白夜はため息をつくと、夕紀の後に続いた。
―――辺りは日が暮れようとしているのに、蝉がうるさいほど鳴いていた。
石段を登りきると、舗装されていない砂利道が、雑木林の中を突っ切るように、一直線に伸びていて、その道をしばらく進んだ先に、古びた鳥居が見えてきた。
「ほぉ、こんな所に神社があったのか。」
「うん。御参り、して行こうと思って。」
時間も時間だからか、夕紀たち以外、参拝者は居ないようだ。夕紀は拝殿の前に進み入ると、財布からお賽銭を取り出して投げ入れ、鈴を鳴らして、ぱんぱん、と手を合わせて目を閉じ、何やらぶつぶつと呟いていた。白夜は、夕紀の背後で黙ってそれを見ていた。
「白夜は、神様って信じる?」
目を瞑ったまま、夕紀が白夜に問いかける。
「ワシは・・・信じないな。」
「そう?私は信じるなぁ。」
「どうして、そんな事が言えるのだ?」
「だって、白夜のような、可愛くって、強くって、優しい子に出会えたんだもん。これって、きっと神様のお陰じゃない?」
「何を言っておるのだ・・・」
と、白夜は少し頬を赤らめて目を逸らすと、被っている麦藁帽子のつばで自分の顔を隠した。
「ところで、何をお願いしたのだ?」
「えへへ・・・白夜とずっと一緒に居られますように・・・って。」
無拓な笑顔で、白夜のほうを振り返る夕紀。しかし白夜は、その言葉に表情を曇らせ、そのまま黙って俯いてしまった。
「・・・・・・夕紀。」
「なに、どうしたの白夜?」
何時になく深刻そうな顔をする白夜に、夕紀は不思議に思って聞き返した。
「前々から、言おうと思っていたのだが・・・」
―――と、その時。
夕紀と白夜の背後で、何かが地面に落下する音がした。振り返ると、見知らぬ一人の少女が立っていて・・・・その足元には、水桶がひっくり返っており、地面は水で濡れていた。歳は夕紀と同じ歳くらいだろうか、少女は白衣に朱色の袴姿・・・いわゆる巫女装束に身を包み、肩ほどまである、整った艶のある黒髪は何処か清潔感を漂わせている。
だが、どこか様子が変だ。少女は、何か見てはいけない様な物を見てしまった、といった様子で、その身を震わせながらこちらを見ていた。
「あ・・・あ・・・・・・!」
「あの・・・何か?」
夕紀は尋ねるが、少女にはその声が全く届いていないようだった。
だが、次の瞬間。
怖れの表情は一変し、少女は、内に秘めた敵意を剥き出しにした。
「人ならざるモノ・・・!覚悟ッ!!」
少女は袖の中から護符の束を取り出した。その表情はさながら、獲物を目の前にした狩人を思わせた。
「えっ、えっ?一体何なの?」
「下がっていろ、夕紀!」
白夜が夕紀を庇うように、少女の前に立ちはだかった。
少女が、護符の束を真上に放り投げる。少女の頭上数メートルの地点で、束は弾けて、無数の護符が空中に拡散した。
「符術・・・戦扇!」
少女の掛け声に呼応し、空中に無作為に放り投げられた護符達は、それぞれが意志を持った生き物のように空中を泳いで、少女が天にかざした手に、幾重もの輪を描いて整列した。
「な、なにあれ・・・!」
「戦符、輪廻!」
少女が叫ぶと、護符たちは徐々に速度を上げながら、円形の軌道を描いて旋回し出した。
「まずい、逃げろ夕紀!」
「あ、あわわ・・・!」
危険を察知した白夜は、その場から離れるように促すが、当の夕紀はというと・・・白夜の後ろで慌てふためいていた。
と、その時。
「やめなさい、立花!」
突然、遠くから男の声がしたかと思うと、少女の顔から、敵意の表情がみるみるうちに消えていった。
「お兄様・・・!」
少女の集中力が途切れたことで、空中を旋回していた護符たちは、制御を失って、ひらひらと中を舞い・・・・・・やがて重力に引かれて、石畳の上に落ちた。
「今の君が戦って、敵う相手ではありません。」
声の主が、本殿のほうから歩み寄って来る。この神社の神主であろうか、若い袴姿の男が、立花と呼ばれた少女の傍に近付くと、夕紀と白夜の前で、深々と一礼した。純朴そうな雰囲気を持った、よく見るとなかなかの好青年だった。
「誠に申し訳ございませんでした、妹の無礼をお許しください。」
「お主は・・・?」
「私はこの神社の宮司、『龍禅寺 帝』と申します。そして、こちらが、私の義理の妹の『立花』・・・・・・ほら、立花、挨拶なさい。」
「で、でも・・・・・・」
「立花。」
「はい・・・・・・」
青年に制され、立花と呼ばれた少女は、渋々、護符の束を袖の中に収めると、夕紀と白夜に向かって無言でぺこりと一礼した。
「ところで、お主らは、ワシの正体に気付いているようだが・・・?」
白夜は警戒を維持しつつも、帝と名乗った青年に尋ねる。
「代々、神職の家系である私達・・・龍禅寺家の人間は、幼少の頃から『人ならざるモノ』を察知するための、修練を受けているのです。先ほど、立花が見せた、『符術』も、その一つです。」
「そうだ!あなた、どうして私の白夜に襲いかかろうとしたんですか!」
呆然と立ち尽くしていた夕紀が、突如、我に返って立花に詰め寄った。
帝と名乗った男は、再び深々と一礼した。
「本当に、申し訳ありません・・・。彼女の両親は『人ならざるモノ』の手によって、亡くなっているのです。以来、『人ならざるモノ』を目の仇にするようになってしまいまして・・・・・・」
「え・・・!」
「なんと・・・!」
二人は言葉を失い、お互いに顔を見合わせた。
「その後、龍禅寺家に引き取られ、私の妹として育てられました。彼女には、『人ならざるモノ』も悪さを働くものばかりではないと、私の方から教えていたのですが・・・。」
白夜には、それが判る気がした。世の中で起こっている争いごとの大体が、そんな理由だ。
「あの、驚かせてしまった、お礼と言ってはなんですが・・・・・・私がご案内しますので、神社の中を見学して行かれませんか?普段は参拝者に公開していない、本殿の中なども、特別にお見せしますよ。」
帝の提案に、白夜は小声で「どうする?」と、判断を仰いだ。
「うーん・・・折角だし、お世話になろうよ。」
「!・・・・・・お主、先ほど、あやつに襲われかけたのを、忘れたのか!?」
白夜の言葉に、立花はむっとした。
「いーじゃん、いーじゃん!私、本殿の中って、一回覗いてみたかったんだよね!あ、私、夕紀っていいます。こっちは、白夜。」
「よろしくお願いします、夕紀さん、白夜さん。」
青年は二人に向かって、にこやか微笑んだ。だが白夜は、
「全くお主は・・・単純というか馬鹿というか・・・・・・」
と、夕紀の能天気ぶりに、ただため息をつくだけだった。
「では、ご案内しますので、こちらへ。」
―――その時、青年の口元が、にやりと笑ったのに、夕紀たちは気付かなかった。
帝が本殿の方へと二人を促す。浮き足立つ夕紀に、白夜は、やれやれといった様子で後に続き、そのさらに後ろから、立花が続いた。
歩きながら、夕紀が立花に尋ねる。
「さっきの立花さんの、あの技・・・『符術』でしたっけ。あれ、すごいね!私も使えたりしません?」
「それは・・・・・・」
言葉を詰まらせる立花の代わりに、帝が答えた。
「ははは、それは無理ですよ。『符術』は、神職の家系を受け継ぐ者の中でも、ごく一部の者にしか、扱う事はできません。私にだって、扱えないんですから。」
「そっかぁ、残念。」
「お主は・・・そんなものを覚えたところで、一体、何に使うつもりなのだ?」
「うーん・・・・・・」
夕紀は少し考え込むと、
「宴会、とか?」
「・・・・・・」
閑古鳥が鳴いて、一同は沈黙した。
帝に連れられ、本殿へと案内される。帝の話によれば、この神社はその昔、鬼退治をして各地を巡礼していた、『龍禅法師』によって建立された神社らしく、夕紀は帝から、彼の話を興味深そうに聞きつつ、物珍しそうに周りをきょろきょろと見物しながら、感嘆の声を洩らしていた。一方の白夜はと言うと・・・・・・「鬼退治の伝承など、どこにでもある話だろう?」と退屈そうに、夕紀の後に付いて行った。
一通り、本殿を案内してもらった後、
「そうだ、白夜さん、夕紀さん。君たち二人に、是非見てもらいたいものがあるんです。」
「? 何ですか?」
「先ほどお話した、龍禅法師が、九十九の鬼を退治した刀が、この神社に残っているのですよ。どうです、見たいですか?」
「見たい!ね、いいでしょ?白夜。」
そう言って目を輝かせる夕紀に、白夜は諦めモードで応えた。
「ダメだと言っても、どうせ聞かぬだろう?」
本殿を出て、白夜と夕紀は境内の離れにある、小さな古屋の前に案内された。一見すると廃屋のようにも見える、木造平屋建ての大きな古屋だった。普段は使われていない建物らしく、軒下には蜘蛛の巣が至るところに張っていて、雨戸も全て締め切られていた。
「・・・どうぞ。」
立花が鍵を開けて、白夜と夕紀を、古屋の中へと促す。
「すみません、電気が通っていないものでして。暗いから、足元に注意してください。」
帝が、ろうそくの灯火を片手に、古屋の中に入り、その後に二人も続いた。
「え?ここって・・・」
夕紀と白夜は、古屋の中に入った瞬間、妙な違和感に足を止めた。
―――今は夏で、しかも古屋の中は締め切られている。電気の通っていないこの古屋の中には、冷房設備などある筈がないのだが、何故か古屋の中は、ひんやりと冷たい空気が漂っていた。
それに、先ほどから感じる妙な圧迫感・・・・・・
「夕紀、外に出ていろ。」
「えっ?」
―――ここに居ては危険だ。
白夜は、本能でそう感じ取ったのだ。
「そう・・・気をつけた方がいいですよ。特に、敵陣の中ではね。」
帝がそう呟くと、突然、立花が夕紀の手を背後から強く引っ張り、夕紀を古屋の中から引きずり出した。更に立花は、素早く戸を閉めると、鍵を掛け直した。
「!・・・夕紀!?」
「白夜!!」
異変に気付いた白夜が、閉められた戸口の方向を振り返る。
突然、隔離されてしまった白夜に、夕紀は古屋の外から必死に呼びかけた。
それに構わず、帝は照明のない室内のあちこちに据え付けられたロウソク立てに、淡々と手に持ったロウソクの火を移していく。やがて帝が、全てのロウソク立てに火を移し終える頃には、ほのかな炎の光が、室内を照らしていた。
古屋の中は極めて単純な構造だった。外壁以外の壁や仕切りといったものが一切無く、板張りの、広々とした空間が、古屋の奥の方まで続いていた。
「おい、帝とやら!鍵を開けるように言え!」
「それは、出来ません。これから、楽しい宴が始まるのですから。私と、君の、ね。」
帝が、ゆっくりと振り返る。暗闇の中に、ロウソクの灯に照らされた青年の顔が、にやりと不気味な笑みを浮かべた。
「フフフ・・・まさか、こんなに簡単に罠に掛かってくれるとは思いませんでしたよ。」
「貴様・・・!何の真似だ!!」
白夜が鋭い目つきで、帝を睨みつける。だが、今は彼の相手をする事よりも、夕紀の身の安全を確保することが先決だ。古屋の外に残された立花が、夕紀に何をするか判らない。
「こんな戸など!」
白夜は、入ってきた戸を蹴破ろうとしたが、ある事に気が付いて、それを躊躇した。
部屋に入った直後は、薄暗くて判らなかかったが・・・戸にびっしりと、紙の札が貼り付けられているのだ。良く見てみると、それら一枚一枚には、毛筆で文字や記号のような文様が描かれており、つい先ほど、立花が白夜に襲い掛かろうとしたときに使っていた護符と、似たものだった。
それは、戸だけではなかった。壁面、柱、梁や天井に至るまで、隙間無くびっしりと護符が貼り付けられていた。
「これは・・・結界か!」
「ご明答。立花特製の退魔結界です。白夜君・・・と言いましたねぇ。『人ならざるモノ』である君が、うかつにそれに触れると、火傷しますよ。」
「・・・夕紀をどうするつもりだ?」
「安心してください。夕紀さんには一切、危害は加えるつもりはありません。用があるのは、白夜君、君だけですから。」
帝が、徐に薄暗い室内の最奥にある神棚に足を運ぶと、そこに奉られている、一振りの刀を手に取った。刀の柄や鞘の部分には、周囲の壁や天井と同じように、護符がびっしりと貼り付けられており、『人ならざるモノ』が触れられないようにする為であることが見て取れた。
「『人ならざるモノ』は、世を乱す元凶・・・よって君には、ここで果てて貰います。」
帝がゆっくりそれを鞘から引き抜くと、鈍い光を放つ淡い瑠璃色の刀身が現れた。
「その光・・・妖刀か!」
「ご名答。妖刀『斬鬼丸』・・・・・・龍禅法師が、九十九の鬼を斬った、龍禅寺家に代々伝わる宝刀です。」
帝は鞘を投げ捨てると、妖刀の切先を白夜に向け、構えた。
「さあ・・・始めましょうか!」
―――龍禅寺 帝と、白夜との戦いが始まった。
「白夜!白夜ぁ!」
古屋の中から、争うような物音が聞こえ始めた。きっと白夜と帝が、中で戦っているのだろう。
古屋の戸口に、夕紀は拳を何度も戸に叩きつけて叫んだ。しかし、何度白夜の名を呼んでも、部屋の中から彼女の応答はなかった。
「どうして・・・どうして、こんな事をするんですか!」
涙目になりながら、夕紀は立花に訴える。
「夕紀さん、『人ならざるモノ』は、人に災いしかもたらしません。」
「そんな事ない!白夜のような・・・優しい子だって、きっと中にはいるはずよ!」
「・・・では、白夜さんがあなたの元に来てから、あなたや、あなたの周りの人間が、事件や事故に巻き込まれたりしたことはありませんでしたか?」
「え・・・・・・」
―――確かに、夕紀には思い当たる節があった。
思い返せば、夕紀が銀行強盗の現場に出くわした事件にせよ、その翌日、千歳が誘拐された事件にせよ、災難に出くわす時は、いつも白夜が傍にいた時だった。
白夜が、事件を引き起こしている・・・?
「その様子だと、図星のようですね。」
「で、でも、白夜は・・・私や、千歳を悪い人たちから守ってくれた!」
「・・・災いを引き起こすのは、『人ならざるモノ』の存在、そのもの。本人の意思は全く関係ありません。仮に、彼女に全く悪意は無かったとしても、彼女・・・白夜さんの存在自体が、周囲の人間に厄災を呼び寄せてしまうのです。」
「そんな・・・・・・!」
夕紀は首を横に振って、何かの間違いだと、何度も何度も自身にそうに言い聞かせた。
―――でも、白夜のせいにしてしまえば、立て続けに夕紀と千歳に災難が降りかかった、説明がつく・・・・・・
心の片隅に、そう思える自分がいて、夕紀は自身が許せなくて、やるせない気持ちになった。
「そんな事ない・・・そんな事・・・もし、そうだとしても、それでも、私は、白夜と一緒に・・・!」
「・・・それが、あなたや、あなたの周りの人間の命を奪う事になったとしても、ですか?」
立花のその言葉は、夕紀の心を、深くえぐった。
―――私が、白夜の傍に居ると、千歳が、が死ぬ・・・?
夕紀は、その場でがくりと膝をつく。瞳から涙が止め処なく溢れ出した。
「いや・・・そんなの・・・いやだよぉ・・・」
「判ってください、夕紀さん。私達にはこうするしか、ないんです。」
夕紀はただ、ただ、声をあげて泣いた。